2021年04月17日
仏教信仰 K 雑念を考える 1 雑念煩悩スクリーン
今まで私は、お祈りの時に発生する雑念について、或は心を無にしてお祈りするのはどういうことかを考えるにあたり、そもそも自身をみつめ、自身の煩悩、五蘊の在り方を認識し、完璧な煩悩体としての自身の認識を新たにしました。
この煩悩体が実際に勤行でどう作用して、それをどう解決していくのかを考えていきたいと思います。
以下に現象としての雑念の種類と、その雑念によっておこる信仰への障害、そして現在手に入る知識の中での対策方法を列挙します。
雑念の種類
@肉体的なお祈りでのトラブルに関する不安からくる雑念。
眠気
呼吸
数を数える
その他 体の痛み
Aお祈りそのものが正しく行われているのか、法に対する不安からくる雑念。
B天魔から来る雑念
C車を運転しながら、風景が目に入る程度の雑念
D仕事に関する雑念。仕事の悩み、或は仕事のアイデアが閃くなどの雑念。
E気が付く という雑念
F怨憎会苦、愛別離苦が絡む、或は絡まない人物の登場、思い出など
G何の脈絡もなく出てくる場所の情景、映画やテレビのシーン
H単純な外部の雑音、或は忙しい。
雑念により恐れている結果
@単純にミスをする。(お経の読み違いなど)
Aこんなこと意味があるのか?と少しでも思ってしまう。
B勤行の中断
C勤行の減少
Dその信仰の停止(全ての努力が無に帰する)
E実際に願い事が叶おうが叶うまいが、仏教信仰そのものへの絶望
雑念を止めるため何が推奨されているか?あるいは何をしたか?
@入我我入
A観想
B感謝の気持ちで祈る
C五種念珠
D真言を書いておく
E願い事が叶った姿を想像する。
以上です。まずは、これから下に、勤行の際の雑念煩悩スクリーンを設置し、実際にどのような形で煩悩が発生するかを次回から検証していきます。これは、実際の勤行の状態を再現し、上記各種の雑念が何であるのかを判断する装置です。
合掌
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