2021年05月19日
宗教
世界の真ん中で光明真言を唱える。
私は、この間まで自分の家が何の宗教を信仰しているのか知らなかった。
私の父は教育者で、朝日新聞をとり、時に赤旗をとり、時に聖教新聞をとり、そして、それらの新聞の販売員だかを論破して得意になっていたが、我が家の宗教に言及することを見た覚えがない。
父が死んだ後、自分で関心を持ち出したつい最近、父の墓参りに行ったお寺が浄土真宗だと知った。
ついこの間、80才を間近に控えた母に我が家の宗派を尋ねたところ、真言宗であると言い切ったが、実際には浄土真宗だった。その母が南無阿弥陀仏を唱えているのを見たことがない。
幼稚園はキリスト教であったが、何故父が私をキリスト教の幼稚園に入れたのか、謎だった。何故なら、妹は仏教の幼稚園に入ったのだ。
小学校から大学まで、一貫して、僕の宗教は、私の信仰はと自己紹介した人を見たことがない。
宗教を意識するのは、父が聖教新聞の販売員の悪口を言っている時か、甲子園の高校でPとか、Tとか、そういった宗教法人の高校が登場した時しかなかった。
このような、宗教に対する無頓着と言うか、宗教を忌避する傾向が我が家以外の日本人にはあるのだろうか?なければ、私の特殊な人生と聞き流してください。
学生時代はオウムとか、新興宗教がはやって、その勧誘でひどい目に遭ったという話が多くありました。カレー研究会とか入っちゃいかんと言われた。
会社に入ったら、お客さんと宗教の話題をするなと言われた。
てっきり普通の家族だと思っていた人が、ある日会食で手を合わせ小声で何やら唱えていて、その日から私にはその人が異邦人に見えた。
多くの人が何らかの宗教を信じていて、信仰をしていることは間違いない。
自分の信仰を深刻な思いで、隠しているのか?
自分の信仰を美しく、言わぬが花としているのか?
信仰は犯すべからざる個人情報なのか?
信仰はこっそりやるものなのか?
或は、特に、私には宗教の話題をしないようにしていたのか?
おかげさまでずいぶん遠回りをしました。
オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニハンドマ ジンバラ ハラ バリタヤ ウン
私は、世界の中心で、朝夕、光明真言を唱えて生きていきます。
私は、普通に生きていきたいという大欲の為に、真言を唱えます。
合掌
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