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2021年06月02日
イジメを撃退する念彼観音力 K 或囚禁枷鎖(わくしゅーきんかーさー)
わくしゅう きんかーさー しゅうそくひーちゅうかい ねんぴーかんのんりき しゃくねん とくげーだつ
通常の解釈
あるいは枷鎖(かさ)に囚禁せられて、手足に杻械(ちゅうかい)を被(こうむ)らんに
かの観音の力を念ずれば、釈然として解脱することを得ん
あるいは首を鎖でつながれ、手足に枷(かせ)を嵌められようとも、念彼観音力、戒めは解けて、放たれます。
参考文献のリンク
優婆塞優婆夷(いじめられっ子)のあなたへ
さて今回はこんなことを考えてみましょう。
もしあなたをいじめる人々が、今日いきなり、「もうやめた、 いじめは今日で終わり」 と言い出したとしましょう。もう誰もあなたをいじめる人はいません。あなたは自由の身です。でもあなたは本当に自由なのですか?
次にあなたが切れて、「もうどうとでもなれ、僕をいじめるならいくらでもいじめろ」などと言っていじめっ子に飛びかかり、やけくそに相手を殴り倒したらどうなるでしょう。運良く相手に会心の一撃を与えたとして、皆があなたを見直したとして、あなたは自由ですか?
更に、あなたはもうどうしようもなくなって、自らを死なせることを考えたとします。 うまく死ねたとしてあなたは自由ですか?
そもそも自由とは何なのか、自由などという乗り物があるのか、自由などという船があるのか、自由という花園があるのか、自由という極楽があるのか、はたまた自由という地獄があるのか?
人はその程度のこそあれ、ある程度、自由を制限されています。 手足を縛られたり首に枷を嵌められたり、そうして死んでいった人もいるし、あるいは今も刑務所や紛争地域ではこんなことが当たり前に行われているのです。(カンボジアの虐殺の本を読んで見てください)
前の節の王様が良い例ですが、人は歯を磨くより簡単に、人を傷つけ、人を裁き、そしてその人の時間と自由を奪うことができます。
そして、自ら、自分の自由を奪うことも出来るのです。それが自殺です。自由になるために死ぬのではありません。
最悪の選択を行う前に一体自分は何を必要とし、何を目指して、仮にこの苦難から逃れた時に自由に生きていけるのだろうかと考えてみるのです。
それはこの最悪の状態になる前の状況に戻りたいのか?
あるいはこのことでいろいろなことを学びさとり、今まで考えてもいなかったような人生を開いていくのか?
人にいじめられ四つん這いになり、這いつくばって許しを乞うている時。
上司にいじめられ、妻や子の前では、そんな姿を見せたくもなく、自宅のそばのベンチに座り涙をこらえている時。
毎日のように耐えられないようなことをされ、友人や他の人間からは、「あんたがそういう態度をとるから隙を見せるんだ」などと言われ、日曜日の朝、カーテンを締め切った部屋のベッドの中で、ただ死のことだけを考えているあなた。
あなたを縛るものは、どこへ行ってもあなたを縛るのです。あなたを縛っているのはあなた自身です。
この不自由な日々は、仮に克服したとしても、決してあなたを自由にしません。
あなたの外側には自由はありません。
あなたの自由はあなたの内側にあるのです。
そしてそれをあなたは知りません。
念彼観音力
あなたがそれを唱える時、あなたの中にある仏様が目を覚まし、あなたに本当の自由を教えてくれるのです。
ドアを開けて、外に出ても、飛行機に乗って空を飛んでも、新しい仲間が出来て、その人たちなら楽しく話すことが出来ても、それを自由と勘違いしてはいけません。
これは決してあなたに、内向きの人間になれと言っているのではありません。
そもそも内向きになることを、否定することが間違っているんです。
私たちの心の中には大いなる宇宙があります。
あなたが真言を唱えたり、仏様のお名前を呼ぶだけで、その宇宙はあなたを自由にしてくるのです。しかもあその宇宙は、あなたをイジメル人が意識せず内面に持っている宇宙と繋がっています。
1年前、私は、常にこのことを考えていました。私がもし捕まり縛られ、どこかに拘束されたらもう死ぬしかないと思い、実際、既にもう気が狂っていました。ところが、意外に死ねないものなのです。
そんな時に陀羅尼を覚えました。不動明王の真言を唱えました。何かが変わりました。それらの御真言を唱えることで、私の内面では何か変化がありました。そこに私が求めている自由があることを悟ったのです。
私は嘘つきですがこれは本当の話です
そしてそれから狂ったように、長い長い孔雀明王の陀羅尼を覚え、般若心経を暗記し、尊勝仏頂陀羅尼を暗唱し、観世音菩薩普門品偈を必死に読み、そこに、この、或囚禁枷鎖の節を見つけました。最後に聖天様におすがりしました。
お分かりになりましたでしょうか 自由は自分の心の中にあり、 そこには大日如来を中心に広い広い宇宙が広がり、私たちは、この世に、自らの内面よりも広い世界の無いことを知るのです。
それを発見して、その宇宙とつながろうとすることが、自由ということです。釈然得解脱です。
あなたは今不幸に縛られています。どうしようもない不幸です。
やけくそになって相手に取り掛かるか、彼らが突然それをやめるか、あるいはあなたが耐えられなくなってあなた自身を亡き者にしてしまうか?
しかし、観音様は
念彼観音力
あなたの心の中の観音様のお名前を唱え、あなたを縛るあなた自身を、あなたの内面の広大な宇宙に解き放つことが、釈然得解脱なのです。
新興宗教みたいな物言いですが、少なくともあなたは、私が新興宗教の教祖ではなく、あなたよりもっと最悪の状態にある人間であることを知っている筈です。その実感を書いたにすぎません。
声聞バージョン
或心禁枷鎖 求不得自由 念彼観音力 釈然得解脱
わくしんきんかーさー ぐーふーとくじゆう
ねんぴーかんのんりき しゃくねんとくげーだつ
人に愚弄され、イジメられ、さげずまれ、自らの心を縛り付け、自由を求めても得られない時でも、
ねんぴーかんのんりきを唱える事によって、あなたは、自らの内面の宇宙に解き放たれることでしょう。
合掌
2021年06月01日
真言を唱える時の入我我入とは? 感謝の気持ちとは? 仏教信仰入門FAQ
真言をとなえる時の入我我入とは?
まずは、豊島泰国氏の「日本呪術全書」にある入我我入観について、図案化しましたのでご覧ください。
なおスマホの場合、縮小されますので、画像をクリックすると丁度良い大きさになる筈です。
何か、プーリーとタイミングベルトみたいにして、梵字が仏様と行者の間を往復することで、仏様
と一体化し、望みが叶うとの説明でした。屁理屈ですが、仏様によっては臍の見えない仏様もおられます。大日如来とか、観世音菩薩とか。
真言を唱える時の感謝の気持ちとは?
我々、普通の人が、祈ることと、お寺でお坊さんが人の為に祈祷することの違いは何でしょうか?
どう見ても、どう格好つけても、我々は、自分の願いをかなえるために、祈っているのであり、お坊さんは、人の願いが叶うように、仏様にお願いをしていられるのです。
自分のことなので、お坊さんよりも切実さが無いわけも無く、当然念も強い筈なのですが、一般にも祈祷をして頂いた方が、願いが叶いやすくなると言います。
念を強くするために、仏様にお祈り中、ずっと感謝の気持ち送り続けるとか、全ての願いが叶うイメージをお祈り中ずっと持ち続けると書いてある本もありましたのでやってみました。
結果として、この方法は疲れるだけであり、雑念を毎日の勤行では長続きしません。
願い事を仏様に伝えるということは、決してそのことをずっと思い続け、(当然意識の根底には常にあっても)お祈り中もそのことだけを思うのではないようなのです。
感謝の気持ちは、必要ですが、勤行の中にちゃんと、感謝を伝える儀式が入っていますし、、願文を読むタイミングも設定されています。
どうも、頂戴、頂戴、頂戴???、ありがと、ありがと、ありがとは、何か違うような気がします。
今後の課題。
まずは、豊島泰国氏の「日本呪術全書」にある入我我入観について、図案化しましたのでご覧ください。
なおスマホの場合、縮小されますので、画像をクリックすると丁度良い大きさになる筈です。
何か、プーリーとタイミングベルトみたいにして、梵字が仏様と行者の間を往復することで、仏様
と一体化し、望みが叶うとの説明でした。屁理屈ですが、仏様によっては臍の見えない仏様もおられます。大日如来とか、観世音菩薩とか。
真言を唱える時の感謝の気持ちとは?
我々、普通の人が、祈ることと、お寺でお坊さんが人の為に祈祷することの違いは何でしょうか?
どう見ても、どう格好つけても、我々は、自分の願いをかなえるために、祈っているのであり、お坊さんは、人の願いが叶うように、仏様にお願いをしていられるのです。
自分のことなので、お坊さんよりも切実さが無いわけも無く、当然念も強い筈なのですが、一般にも祈祷をして頂いた方が、願いが叶いやすくなると言います。
念を強くするために、仏様にお祈り中、ずっと感謝の気持ち送り続けるとか、全ての願いが叶うイメージをお祈り中ずっと持ち続けると書いてある本もありましたのでやってみました。
結果として、この方法は疲れるだけであり、雑念を毎日の勤行では長続きしません。
願い事を仏様に伝えるということは、決してそのことをずっと思い続け、(当然意識の根底には常にあっても)お祈り中もそのことだけを思うのではないようなのです。
感謝の気持ちは、必要ですが、勤行の中にちゃんと、感謝を伝える儀式が入っていますし、、願文を読むタイミングも設定されています。
どうも、頂戴、頂戴、頂戴???、ありがと、ありがと、ありがとは、何か違うような気がします。
今後の課題。
合掌