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2021年05月24日

因位

十一面観音 真言

おん まかきゃろにか そわか

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陀羅尼

宝車輅 真言

おん とろとろ うん

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タグ:お寺の情景

朝の市場

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朝の市場は賑やかだ。鳥やら、その内臓やら、魚やら、イカやら、バナナやら、それらを焼く煙にむせて、思わず顔を上げると....





イジメを撃退する念彼観音力 J 或遭王難苦(わくそーおうなんくー)その1

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わくそー おうなんくー りんぎょうよく じゅーしゅー ねんぴーかんのんりき とうじん だんだんえー

通常の解釈


或は王難の苦に遭(あ)うて、刑(つみ)せらるるに臨んで、寿(いのち)終わらんと欲っせんに、
彼の観音の力を念ぜば、剣刀(つるぎ)尋(つ)いで段々に壊(お)れなん。

あるいは王の悪政に苦しみ、刑場に引かれて命を取られようとする時でも、念彼観音力、刑吏の刀は粉々に砕けます。

参考文献のリンク

優婆塞優婆夷(いじめられっ子)のあなたへ

この、或遭王難苦の段を初めて読んで、 私はびっくりしました。つまり、これこそが今、私が受けているイジメそのものと合致しているからです。

このように観世音菩薩普門品偈というお経は、 その人が遭っている災難にちょうどよくマッチしていたり、あるいは少し想像力を働かせて、解釈の幅を広げ、あーなるほどそういうことなのかと、結局は最後には仏教の教えに即して納得する、そのようにできていると思います。これがいわゆる観世音菩薩様の方便なのです。

私は 王様の悪政に苦しんだわけではありませんが、何らかの形で王様に不敬な事をしてしまい、それがためにその国の国民全てを敵に回し、30年間、自らの人生はすべて王様の作った虚構であると言うことを思い知らせるために、今日まで生かされてきたというわけです。

ですから、私がしてきた仕事、私の家内、その家内の不治の病、その後一緒になった女性との間にできた子供二人、あるいはまた、別の機会に知り合った女性のガンとそれによる死、そしてまたついこの前まで一緒にいた女性との間にでき、出産にまで立ち会った子供、すべては虚構で、この私を徹底的に痛めつけ、首も回らないほどの苦しみを与えようと言う、そういう国家プロジェクト、国家によるイジメだったわけです。

日本人以外で、私に関わったその国の人たちは、 いわば皆、国家公務員であり、その国からお金をもらって、彼らに割り当てられた役を演じてきたわけです。 その間、一時(ひととき)も私に対しての怒りを忘れず、本日、溜飲を下げることになったわけです。

おっと、ごめんなさい。これは極私的、この私へのいじめの問題ではありまして、その話をするのに長くなりましたが、この段は重要なことですので、2回に分けて、お話をしようと思います。つまり、イジメる側の正当性についてです。
私のようなイジメられ方をしたという者がいたということを覚えていただき、 皆様が今受けているイジメと比較をし、少しでも気を楽にしていただきたいと思うところです。

王様、王様はその国を支配する絶対的な存在で、日本よりもむしろ海外に多く王様は存在し、その「人」の性格次第で、その国の民の人生は、運命は左右されると言えます。(過去において、現在は?...)

ちょっとした過ち、あるいは謀反の企み、あるいは王様側の気まぐれ、そんなことで、いったい何人の人が、上記のように刑場に引かれて、命を落としたでしょうか?

この私もまた今、長い時間をかけて刑場に引かれているようなものです。

では実際にあなたをイジメている人はどうでしょうか?多分、このような王様のような立場の人がいるかもしれません。特に社会人のイジメにおいてです。

どのような偶然か、強大な権力を持ち、誰もその人のやること、口出しをすることができない、 王様みたいな人が、あなたを気に食わないと思い、イジメているのかもしれません。

それは極めて日常的に、 当たり前のように行われるイジメで、しかも人間同士では何ら解決することができず、王様本人が力を持っていることは明らかで、王様本人もその力を自覚しているという状況です。だから王様なのです。

そこで、今回は念彼観音力を唱える前に、 延命十句観音経をご紹介します。

何故なら、その王難というものは、他の難に比べ、あまりに急で、あまりに一人の人間による要素が強いからです。

そして次回で、王様という存在についてもう一度お考え、念彼観音力を唱え、この難から救われることを考えましょう。

延命十句観音経、これもまた観音様のお経の一つです。「観音経」は大変長いお経で、その最後にある偈が、一緒に勉強している観世音菩薩普門品偈であるわけですが、これも結構長いので、(今未だ、半分も終わっていません。)これをさらに短くしたお経があります。

このお経は、妙法蓮華経のようにインドから中国に渡り日本へ来たお経と違い、中国で書かれた、 偽経というものですが、これは前回も申し上げました通り、インドから来たお経だけが正しいというものではなく、ただそのように呼んでいるだけで、(呼び名を変えればいいと思うのですが、)実際にはこの観音様に対する長年の信仰という巨大なバックグラウンドがあってのお経でございますので、このことがこのお経の霊験を弱めることにはなりません。


観世音南無仏 与仏有因 与仏有縁

仏法僧縁 常楽我浄 

朝念観世音 暮念観世音

念念従心起 念念不離心

かんぜおん なむぶつ よぶつういん よぶつうえん ぶっぽう そうえん 
じょうらくがじょう ちょうねん かんぜおん ぼねん かんぜおん ねんねん 
じゅうしんき ねんねん ふりしん


ある人が、昔、中国で罪を得て獄中にあり、明日は死刑になるというその夜、 一心に「観音経」を唱えていたところ、夢の中に僧が現れ、

「観音経を唱えても、死を免れることはできません 延命十句観音経を朝までに千遍称えなさい」と教えられました。

それで彼は朝までに900遍を唱えたわけですが、残る100遍は 唱え切れず、刑場に引かれる車の上でさらに100遍、あまり早く着いては、100遍を唱えることはできないので、車を引く刑吏に慈悲を乞い、ゆっくりと刑場に向かってもらったのです。

なんとか百遍唱えた後、 今、その首を切られようとする時、何故かその刀は3段に折れ、刑を執行することができなくなってしまいます。

不思議に思った役人たちは、死刑囚全員に延命十句観音経を唱えさせて、その者たちに刀を当てたところ、またその刀が三段に折れてしまったと 。

これを聞いた国王は、あまりの霊験に驚き、 この人を釈放しました。 そしてこの人が自分の家に帰ると、かねてより信仰していた観音様の像に3箇所の刀傷がありました。

観音様が身代わりになって刑吏の刀を受けてくださったというわけです。

延命十句観音経は非常に短い お経 ですので、1000回唱えることができたのだと思います。(今測ってみたら1遍/15秒でした。)多分この人は昔から習慣的に毎日「観音教」を唱えていたということもまた良かったのかと思いますが、この非常の時に会って、延命十句観音経の短さが必要だったのでしょう。

罪を持ったものでも、 或は何の罪もないのに捕まってしまった者でも、この観音様の霊験に例外はないと言います。 大事なのは、ただ一心にこのお経を唱えることです。

この話の中で、もう一つ気になることがあります。それはここに出てくる刑吏、 あるいは役人たちの慈悲の心です。ゆっくりと刑場に向かってくれるか?というお願いを聞いてくれたこと。そして役人が他の死刑囚でも同じことを試してみたこと。

この死刑囚たちは皆、 実際には、無実で王難に遭い、周りの人々も本心では、死刑が妥当ではないと思っていたのかもしれません。 なんにせよ観音様のお力で、この経理や役人にも慈悲の心が働いたのでしょう。まさに前回の、咸即起慈心です。

そしてそもそも罪を得たと、 有罪であると、死に値すると判断したのは人間です。その人間は過ちも犯す。 その人間はその日の気分でそれを決めたのかもしれません。一人の人間の命と時間を奪うことは、人間には本来出来ることではありません。

イジメでも同じことです。あなたをいじめる人が王様だとして、 あなたが悪い人間だ、あなたを罰するべきだ、あなたの人生を奪うべきだ、 あなたの未来を奪うべきだ、そんなことを決断する権利はどこにもありません。それができるのは、仏教徒においては、仏様だけです

この物語の中には、その深遠な観音様の教えの妙智力が感じられます。

この霊験は、王様の側に立って考えてこそ、理解が出来るものなのだと思うので、次回そこを考えてみます。

合掌

声聞バージョン

今回は、長くなりましたので、次回に掲載します。



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タグ:王難

聖天(歓喜天)様 信仰 5ー14 勤行の手順 如意宝珠真言 (百八遍)

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おん あばんたらく そわか

如意宝珠(にょいほうじゅ)真言は、 色々調べても少し分かりにくい真言です。
如意輪観音という観音様があり、てっきりこの観音様の真言かと思うと、 そうではなく、如意宝珠とは水滴のシンボルマークのような形で、 よくお寺の橋の欄干にかぶせてある先の尖った黒いカバーのようなものを見たことがあると思いますが、あれもまた如意宝珠なのです。五重塔などの仏塔のてっぺんにもこの如意宝珠が据え付けられています

サンスクリット語で「チンターマニ」と言うそうです
仏像で言えば 地蔵菩薩、虚空蔵菩薩、そして先だっての如意輪観音が手に持っている小さなガラスのような珠、これが如意宝珠です

この如意宝珠は思いのままに願いを叶えてくれる珠ということで、雨宝院の住職様によれば、思いのままに願いを叶えてくれる聖天様を、ある意味サポートするような形でお祈りをするとのことです。

つまりこの真言は、その如意宝珠そのものの真言ということが言えます。

合掌

タグ:如意宝珠

檀越

大虚空蔵 真言

おん ぎゃぎゃのう さんばんば ばざらこく

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タグ:仏塔

縁覚

如意宝珠真言

おん あばんたらく そわか

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托鉢

道場観

おん ぼっけん

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タグ:仏塔

2021年05月23日

サイゴンの空

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その日も道の向こうから、歓声と熱狂と恐怖に染まった人々の声がしたのだろうか?
こんなに生が愛おしくなるような空であっただろうか?



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