2017年09月17日
「ちっぽけなこの僕にできること 少しずつでも伝えてみたいんだ」―回復期あるある(夏目友人帳第3期オープニングテーマ HOW MERRY MARRYの『僕にできること』より)
今日はダーク・サイド(暗黒期) of SAIなお話。
重過ぎたら、途中退室をお勧めいたします。。。
最近のヘビロテ曲は、今年の自分への誕生日プレゼントに買ったCDの一枚、「夏目友人帳 主題歌集」に収録されている『僕にできること』。
夏目友人帳のアニメ第3期のオープニングテーマだった曲。
↓ ↓ ↓
HOW MERRY MARRYの『僕にできること』
柔らかな心地よい光に照らされるような曲だ…。
サウンドの爽やかで優しいところと歌詞が、とにかく心に染み入る。歌声が素朴で優しい感じなところも癒される。
それは苦くない身体に良い植物性の薬をゆっくりと飲んで、それがじんわりと全身に巡って楽になっていくような感覚。
『夏目友人帳』に出会って、大好きになって、アニメの主題歌も素敵な曲ばかりで。
人と繋がるツールとして音楽をやりたいと思い歌に挑戦している私は、夏目友人帳の歌も歌いたいと思った。
アニメ第1期のオープニングテーマ『一斉の声(いっせいのせい)』が出会いの曲だからやっぱり一番めに好きになって、カラオケと弾き語りで練習している。
アニソンシンガーの喜多修平さんが歌う素晴らしい歌『一斉の声』の試聴↓
YouTubeで自分が歌った『一斉の声』の動画を「歌ってみた」でアップしたら、好意的コメントやサムアップをして下さる人達がいらっしゃった。夏目友人帳好きな人達はなんて優しいんだろう。
そしていただいたコメントの中に(夏目友人帳アニメ第4期オープニングテーマの)「『今、このとき。』も歌声に合いそう」と書いて下さっているものがあり、改めて夏目友人帳の他の主題歌もちゃんと聴いてみたくなって…自分への誕生日プレゼントに「夏目友人帳 主題歌集」のCDを買ってしまった。
買って本当に大正解だった。人間関係で引きずってしまっている事がある今の自分だから、よけい優しく響くのかな。上の『僕にできること』と『一斉の声』の2曲だけでなく、他の収録曲も全てが優しい光に包まれているみたいに感じる。ソフトカラーからペールカラーくらいのトーンの曲たち。あ、でも『あの日タイムマシン』だけはもうちょっと鮮やかで、ブライトカラーな感じかな。
そして例の『今、このとき。』もしっかり聴いてみて。サウンド的には爽やかで素敵な曲だったけど…歌詞がけっこう心に“ずしっ”ときた。今の自分には。
ひいらぎ 『今、このとき。』の試聴↓
自分は「うつ」っぽい気質もかなり改善してきたと思うし、マインドを出来るだけポジティブに持って行ける方法も分かってきた。人間社会の暗黙の了解みたいなのものも少しずつ理解してきて、昔よりは生きるのが楽になってきた。「辛い」という言葉を言えるようになった、というのはすごく大きいし、このブログで思いを伝える事もできるようになった。
でも『今、このとき。』は、「そうなれる前の自分の時、たまに出会えた思いやりのある人々がそんな感じの言葉をかけて下さったな」って思い出すような歌詞の内容。周りの人達の優しさや思いやり。それには気づけてたし、嬉しくてありがたかったけど、受け入れて身を委ねる事ができなかった。それは何かが怖かったから。
色んな物事をすごく好きになれそうな時もあるけど100%それに身を委ねるのは怖い。その不安なのか自制心は間違ってなかったのだろうか?それとも信じた相手が八方美人だったせい?いずれにせよ自分のタガを外して人を100%信じて委ねてみようと頑張った結果、関係がこじれて人間不信になった…。自分が人付き合い下手なのに無茶したのが良く無かったのかな……。でも一線を越えてみたいという努力ではあったんだ。
今の自分より、子供の頃の自分の方が冷めていたかもしれない。温かくなれそうな時もあった私の根底には、何か冷めたものも常に流れていた―おそらく“厭世観”。「楽しくて嬉しくて幸せに思える事があっても、それはきっと一瞬で終わってしまって、“結局”世の中なんて嫌な事の方がずーっと多いんだよ。」そんな風にどこかで「“結局”は…」という想いがいつもあった。大人の嘘、人の汚さ、そういうものをちょっと見ただけで美しかった記憶も汚い色に塗りつぶされた。
子供の頃から学生時代の私は、神経質、潔癖症、完璧主義、馬鹿正直、口下手・口が足りない、融通が利かない、消極的、不器用、両極端・二面性がある、何を考えているのか分からない、暗い、コミュニケーション能力不足、…そんな感じの事を言われてた。
たまに褒めてもらえた時もあったとは思うけど、ネガティヴな自分は「偶然今はそう言ってもらえただけだ」と思って受け止められなかった。そして批判的評価ばかりを真正面から全部受け止めて、そういうのばっかり覚えていて、自分は全然ダメだ、良くならなくちゃっていつも自己嫌悪していた。
中学生の時には、クラスメイトのある優しい女の子が「休み時間も無駄にしないで勉強してる〇〇ちゃん(←SAIのこと)素敵!」と言ってくれた事があった。でもそれは休み時間を一緒に過ごせる友達が居なかっただけで、「友達が居ない人」とか「一人で居る」って思われるのが嫌で、何かをしてる風にしてたかっただけ。
でも「あんなに勉強してどうするわけ?」って聞えるように言われたり、「公務員」とか「ガリ勉」とか嫌な意味であだ名をつけてくる女の子たちも居た。
高校生〜大学生の頃は、家に帰宅しても、休みの日も朝から晩まで常に勉強をしていないと不安で机から離れられなくなり、夜もベッドで寝られなかった。いつも勉強していて、気づいたら机で寝ている。それが習慣みたいになってしまい、止められなくなり出口の見えない毎日。
しかも実際は机に居るだけで集中力も無く、体力も落ちてきて思考も鈍って勉強がなかなかはかどらない。そこでまた焦って、よけい机から離れられなくなるという悪循環。
つい最近気づいたのは、これってアルコール依存症とか拒食症の人と病理は近い種類のものなんじゃないか、という事。
不安とかのストレスから逃れたい為に、何かに依存してしまう。アルコール依存症は「お酒」に、拒食症の人は「食べないで誰よりも痩せている」事に、そして私は「勉強」に。その点については3つとも同じ。でもその依存が“自己証明”や“存在証明”の性質を持つという点ではアルコール依存症は違って、拒食症と私の勉強依存の方が重なるかも…。それで、私は“勉強依存症”だったんだって気づいた。
それから、“存在証明”という言葉は日々自分と向き合う中で出会ったバンドONE OK ROCKの『存在証明』という曲が出会い…というか、気づきをもらった。
ONE OK ROCK の『存在証明』↓
この『存在証明』はアルバム「感情エフェクト」に収録↓
発売元:A-Sketch
発売日:2008年11月12日
<トラックリスト>
1. 恋ノアイボウ心ノクピド
2. どっぺるゲンガー
3. 皆無
4. 20 years old
5. Living Dolls
6. Break My Strings
7. 存在証明
8. CONVINCING
9. My sweet baby
10. Reflection
11. Viva Violent Fellow ~美しきモッシュピット~
12. JUST
直接的には関連の無い歌詞なのかもしれないけど、昔自分が抜け出せなくなっていたのは、どこかで「自分の存在価値を示したい」、それが出来なくても、せめて「自分で自分の価値を感じたい」という想いがあったからなのかもしれない。そう気づいた。
「食べないこと」に固執して拒食症になってしまう人は、誰かに否定されたとか、もしくは自分がコンプレックスを持っている事が原因で「自己否定」から逃れられなくなっているのだと思う。
他人・自分による否定の内容は必ずしも「太っている」事ではない。キッカケや最後の引き金ではあるかもしれないけど、それ以前に色々と否定されてきた事や、自分の中での自己否定の蓄積が下地にあると思う。
そして拒食症の人は、「食べずに誰よりも痩せている」事が“自己証明”や“存在証明”の方法になっている。それは自分を否定してきた人への無言で間接的な抵抗。もしくは嫌いな自分を少しでも認めてあげる為の方法。減量を自分でコントロールできると、自分に対して「ちゃんと結果を出せたね、良く頑張ったね」と言ってあげられる。自分で自分を認めてあげられる。安心できる。
私にはそういう拒食症の人の気持ちがすごく分かる気がする。私もすごく似た種類の気持ちを抱いていたから。
友達のつくり方が分からなくて「神経質だからいけないんだ。暗いからいけないんだ。」って自分を責め続けていた毎日。そして友達が作れない自分は人間としての価値も、存在価値も無い。クラスの女の子たちに「公務員」とか「ガリ勉」って言われるのも自分が悪いんだと思っていた。
そんな私ができる抵抗は、存在証明は、勉強を頑張って良い成績をとる事。
あんまり絡んでくるようなら言い返すのも時には必要だけど、結局は終わりに結びつかない。それに私は良くも悪くも真理を突き過ぎてしまうみたいで、言い返す時は相手に致命傷を与えるくらいの言葉を気づかずに言ってしまう事もあるみたいだと分かってきた。「普段は大人しいのに、口を開くとキツイ事を言う」みたいに思われて、何を考えているか分からない、怖いって思われて、人を遠ざけてしまう。また自分が嫌いになる。こんな自分、しゃべらない方が良いなって思った。
誰も傷つけずに自己証明できる方法は、彼女達がやれない事、彼女達より良い成績をとる事。それにより無言で間接的な抵抗をする。
人間として価値の無い自分が少しでも価値ある人間になれる方法は、頭が良くなって将来社会の役に立てるようになる事。
勉強を頑張って良い成績をとる事なら、自分一人の努力で何とかなる。テスト勉強を頑張って良い点数が取れた時は「良かった」って安心して、「私頑張れた」って思えて、「これで私も少しは存在価値があるだろうか」って思えた。
友達が居なくても、何かを発明したり良いアイディアを社会に提案できる人間にはなれる。そういう役の立ち方ならできるかもしれない。人と関わらなくても、存在証明できる方法はあるんだ。そんな風に、ひたすら世界を狭めて自分を頑なに研ぎ澄ましていく方向へ進んでいた。
親には「もっと朗らかに」とか言われていた。それでもっと自分にも他人にも優しくなろうと頑張ってきて…
今はかなり自分に優しくなったし、ユルくなった。←単に「甘くなった」「堕落した」の間違いかも??
だから最近の知り合いの人には、昔の私がそんな風だったとは分からないみたい。精神や心の病というのは外から見えにくいしな。それに外から気づかれないという事は、かなり自分を改善できているという事なのかな?
昔はそこまで深くない知り合いに「いきなり倒れた事無いかい?」とか、頑張って参加した大学の飲み会で「震えてるけど大丈夫?」って言われて、自分ではそんな風に周りから見えてたなんて気づかない事だからびっくりしたけど。
それに比べて最近は、辛かった話とか人にできるようになってきたし。一番辛かった時期は、まず自分が「うつ」っぽいという事にすら気づいていなかった。何で辛いのかも分からなかった。完全に自分を見失ってめちゃくちゃな心理状態だった。 人に話せないって言うか、見失っているからどう表現して良いのか言葉も見つからなかった。
自分がうつっぽい気質だと気づいたのは、そんな風に実は結構最近。
そういうタイプの人間だと夢にも思わなかった。そもそも思考にも浮かばなかった。
冷静に考えたら、子供の頃、一番くらいに身近な存在である母親がうつ病で脳神経外科に通院してたっけ。それに気付いた、思い出したのも最近。
ため息が多くてネガティブな言葉が多く、時間ができると体調が悪いわけではなくてもすぐ寝込んでいた母親。私はそういう母親が良く分からなかったけど、なんか元気無さそうだし、気をまぎらわしたりポジティブにしてあげたいなって思った。それは母親の為というか、その方が家も明るくなってみんなにも良いんじゃないかなーって思った。
家には父方のおばあちゃんも同居していていて、嫁姑問題もあった。でも多分そんなにひどいわけじゃなく、どこの家庭でもあるようなくらいのもの。でも神経質だった私はそういう空気が苦手で、二人が険悪になりそうな時は私がバカやってピエロやって空気を壊そうとしていた。
そして愚痴があるなら私がそれぞれの言い分を聞くよ、それで二人の気分が少しでも収まるなら良いよねと思って、二人の間を行き来して話を聞いていた。
板挟みのお父さんも可哀想だから、ちょっとなついてあげようって思ったり。
でも家がそれでもけっこう明るく保たれていたのは、私の努力って言うよりも父親のポジティヴさが大きいと思う。
私が27歳になるまで知らされていなかったけど、父親は実は天涯孤独だった。…けーっこうびっくりした。
どうも私は人を疑うっていう頭が無いらしく、そんな事ほんとに夢にも思わなかった。
「詐欺に騙されそう」ってたまに言われるけど、なぜかそこは第六感が働くのかセーフ…。まず相手を疑うっていう人もいらっしゃるらしいけど、最近の私は昔みたいに思い込みで信じる事は無くなったけど、疑うというより「今はそういう気持ちなのかもしれない。でも、未来は変わるかもしれないね。」って思う。あと、「本当に思っている事を上手く言葉にできていない人も居るな」って思う。自分がそうだし。だから相手が伝えたい思いについては、昔より広く想像しておくことにした。言葉・字面通りに受け止めるんじゃなく、もうちょっと幅を持たせて受け取る、という感じ??
それで…「おばあちゃん子」で育ってきた自分だけど、実はおばあちゃんも全然血が繋がってなくて“他人”だった、という事実もその時初めて知った。(父親が養子だった。)
…多分、小学生くらいの時にその事を聞いたら、結構ショック受けたかもしれないな。でも27歳までにテレビの色んなドキュメンタリーを見てきて、「血が繋がっていなくても素晴らしい家族や、素晴らしい人と人との繋がりはある」って思ってたから。だから「いやービックリした。そっかー、ずっと一緒に過ごしてきたおばあちゃんって他人だったのかぁ。でも、おばあちゃんはおばあちゃんだよな。楽しかった思い出も、温かかった時間も何も変わらないや。」って思った。
父親の話に戻ると…。
子供ながら「お父さんって本当に満面の笑みで笑うよなぁ。悔しいけど、ちょっと気分悪い事あっても、お父さんが笑うとつられて笑ってしまうよ。」って思っていた。
父親が実の親を知らない事、妹さんも養子で血が繋がっていない兄妹である事、子供の頃から体が弱かったけど毎日勉強を頑張って北大を卒業して、大きい企業に就職して、おばあちゃんに親孝行している今。そんな、父親の人生を知った。
なんかあの満面の笑みの裏側には、そういう強さっていうか、苦労があってのゆるぎないものだったんだって理解した。
休みの日も家事を率先してやって、10時と15時は自分からお茶とお菓子を用意して家族団らんの時間を作る。
父親は、語弊を恐れずに言うなら「4人とも他人同士の家族(父・母・自分・妹)」で過ごしてきて、本当の両親や家族を知らないからこそ、自分で作った家族は大事にしたかったのかな。それを作れた事が嬉しくてあんな笑顔だったのかなって思った。
そんな幸せな家庭でも、私は勝手に精神的に病んだ。何だろうな、誰も別に期待してないのに、変に頑張ってしまうって言うか。おばあちゃんと母親の間を取り持つ為に頑張って、でもネガティヴ・ワードを聞くのはけっこう体力が消耗する。精神的にも疲弊する。
私が「おばあちゃん子」だったのは、できるだけ二人の間で公平で居たかったけど、対立していない時の二人で一緒に居て心地良かったのはおばあちゃんだったから。おばあちゃんは、普段はすごく陽気で面白かった。それに口下手な私の気持ちを、私自身よりも分かってくれた。でもあんまり偏ると母親だって気分が良くないだろうし、母親だって毎日真面目に頑張ってると思うし、もっと対立するとおばあちゃんも家に居づらくなるかもしれないって思って、できるだけ中立で居るよう頑張ってはいた。
でも両方の言い分を聞いてると「調子が良い」って言われたり、ピエロしてると「子供は気楽で良いね」って言われたり…。
いやー、けっこう頑張ってるんですけどね。「親の心子知らず」って言うけど「子の心親知らず」とも誰か言ってくれないかなーみたいな。。そんな心にチクチクくる想いをどこにも吐き出せず、近所の公園へたそがれに行ったり、静かに流れる川辺を散歩したり…。
それで、学校では孤立して、家でも疲れていた。帰宅しても学校でちょっと言われた言葉に思い悩み、また、どうしたら家庭平和が守られるんだ?って事ばかりが気になり、中学とか高校の進路決定の時期にも、自分自身の気持ちとゆっくり向き合う余裕が無かった。
もう近場の進学校適当に行っておけば良いんじゃね?みたいになってきて。それで親も満足みたいだし、で「自分自身の意思」はほとんど無かった。
ある時おばあちゃんに「そんなに友達の事ばっかり考えて、そしたら、その子が『死ね』って言ったら死ぬのかい?」って言われた事があった。
つまり昔の自分は周りの目や人にどう思われているかばかり考えて、全然、自分の意思が持てていなかったのだと思う。
よく「獅子座は他のどの星座よりも『自分らしくある事』を大切にする星座です」って書いてあったりするけど…私ぜんぜん獅子座らしくないじゃん。(SAIは獅子座です。)
でも親との対立を経て、今、自分を追い求めるようになったのは、獅子座らしくなってきたのかな?
今日長々と自分自身の葛藤の歴史?を語ってきたのは…。
ご紹介したい曲『僕にできること』を聴いて、
この曲で歌われている内容が、今の自分の気持ちをすごく代弁してくれているように感じて、ある事を思ったから。
『僕にできること』の歌詞にある言葉↓
私自身が思い悩んだ、どうしようも無い事かもしれないけど。
でもこういう悩みってそんなに特別なものじゃなくて。「うつ病」って現代病って言われるし、実は多くの人が身近にあるものだと思う。
「参考」とかにはならないかもしれないけど、でも「語ること」・「伝えること」も無意味では無いかもしれないと思えた。
私は病院へ行って「あなたはうつ病です」と診断されたわけではない。だからプロフでも「うつ病です」と自称していない。
登校拒否になったわけでもない。学校行くのはすごく苦痛だったけど、登校拒否したら世間体を気にする親が居ずらくなっちゃうだろうから、そういう迷惑はかけないように私は頑張ろう。
そんな歪んだ気遣いで耐えていた。それで小学校も中学校も皆勤賞に近い登校率だった。
でも学校ちゃんと通ってたけど、やっぱり辛かったのは辛かった。自分がなぜ辛いのか知りたくて、色々調べてやっと「うつ病」というモノに出会った。そこに書かれている事が“私の説明書”みたいだった。
家庭崩壊してたわけでもない。
でも、辛いものは辛かった。
辛かった時の自分を知らない人に、「それくらいじゃうつ病って言わないよ」って言われるのは回復期あるあるだろうな。「私はうつ病だったんだ」って話したわけではないけど。他の、症状が外には見えにくい病気も同じだろうな。
でも昔の話を熱弁したってしょうがない。
ただ、すごく悲しかった。
登校拒否しました! リストカットしました! …そういう「実績」が無いと、辛いって言っちゃダメなのかな?
昔の自分だったら、そんな想いをまた一人で抱えなくちゃいけなかったけど。今はこのブログで、どんなお方が来て下さっているかは分からないけど、こんなに長々と語ることができる。
書いているうちに、胸のつかえも少し取れてきた。
「井戸に差し込んだ光」にご訪問いただいている皆様、本当にありがとうございます。
本当は素敵な音楽を沢山お伝えして、バンドの応援や、リスナーの皆様への情報提供をしたかったけど。
何だか自分の思いを吐き出す場所みたいになってしまってすみません。
でももし同じようにうつ病みたいな状態で苦しんでる方がいらっしゃるなら、こう言う風に書き出す事はご自身のセラピーにもなるので、ぜひやって見て下さい。
そして悩みや痛みの原因をまず知って、それから、どうしたら良くしていけるのか考えましょう。
SAIの一人語りが長くなってしまったので…もう一度、すっごく素敵な音楽!HOW MERRY MARRYの『僕にできること』を最後に載せさせていただきます。
↓ ↓ ↓
HOW MERRY MARRYの『僕にできること』
この素敵な曲、HOW MERRY MARRYの『僕にできること』と、上でご紹介させていただいた『一斉の声』、『今、このとき。』の3曲は「夏目友人帳 主題歌集」に収録されています。
↓ ↓
発売元:アニプレックス
発売日:2012年06月27日
<トラックリスト>
1. 一斉の声
2. 夏夕空
3. あの日タイムマシン
4. 愛してる
5. 僕にできること
6. 君ノカケラ feat 宮本笑里
7. 今、このとき。
8. たからもの
9. 夏を見ていた [bonus track]
音楽が心を癒すこともある。それを本当に体感して実感できるような素晴らしい音楽たち。
ちょっと疲れてしまっている方、頑張り過ぎてしまう方には、特に優しく響くと思います。
重過ぎたら、途中退室をお勧めいたします。。。
最近のヘビロテ曲は、今年の自分への誕生日プレゼントに買ったCDの一枚、「夏目友人帳 主題歌集」に収録されている『僕にできること』。
夏目友人帳のアニメ第3期のオープニングテーマだった曲。
↓ ↓ ↓
HOW MERRY MARRYの『僕にできること』
柔らかな心地よい光に照らされるような曲だ…。
サウンドの爽やかで優しいところと歌詞が、とにかく心に染み入る。歌声が素朴で優しい感じなところも癒される。
それは苦くない身体に良い植物性の薬をゆっくりと飲んで、それがじんわりと全身に巡って楽になっていくような感覚。
『夏目友人帳』に出会って、大好きになって、アニメの主題歌も素敵な曲ばかりで。
人と繋がるツールとして音楽をやりたいと思い歌に挑戦している私は、夏目友人帳の歌も歌いたいと思った。
アニメ第1期のオープニングテーマ『一斉の声(いっせいのせい)』が出会いの曲だからやっぱり一番めに好きになって、カラオケと弾き語りで練習している。
アニソンシンガーの喜多修平さんが歌う素晴らしい歌『一斉の声』の試聴↓
YouTubeで自分が歌った『一斉の声』の動画を「歌ってみた」でアップしたら、好意的コメントやサムアップをして下さる人達がいらっしゃった。夏目友人帳好きな人達はなんて優しいんだろう。
そしていただいたコメントの中に(夏目友人帳アニメ第4期オープニングテーマの)「『今、このとき。』も歌声に合いそう」と書いて下さっているものがあり、改めて夏目友人帳の他の主題歌もちゃんと聴いてみたくなって…自分への誕生日プレゼントに「夏目友人帳 主題歌集」のCDを買ってしまった。
買って本当に大正解だった。人間関係で引きずってしまっている事がある今の自分だから、よけい優しく響くのかな。上の『僕にできること』と『一斉の声』の2曲だけでなく、他の収録曲も全てが優しい光に包まれているみたいに感じる。ソフトカラーからペールカラーくらいのトーンの曲たち。あ、でも『あの日タイムマシン』だけはもうちょっと鮮やかで、ブライトカラーな感じかな。
そして例の『今、このとき。』もしっかり聴いてみて。サウンド的には爽やかで素敵な曲だったけど…歌詞がけっこう心に“ずしっ”ときた。今の自分には。
ひいらぎ 『今、このとき。』の試聴↓
自分は「うつ」っぽい気質もかなり改善してきたと思うし、マインドを出来るだけポジティブに持って行ける方法も分かってきた。人間社会の暗黙の了解みたいなのものも少しずつ理解してきて、昔よりは生きるのが楽になってきた。「辛い」という言葉を言えるようになった、というのはすごく大きいし、このブログで思いを伝える事もできるようになった。
でも『今、このとき。』は、「そうなれる前の自分の時、たまに出会えた思いやりのある人々がそんな感じの言葉をかけて下さったな」って思い出すような歌詞の内容。周りの人達の優しさや思いやり。それには気づけてたし、嬉しくてありがたかったけど、受け入れて身を委ねる事ができなかった。それは何かが怖かったから。
色んな物事をすごく好きになれそうな時もあるけど100%それに身を委ねるのは怖い。その不安なのか自制心は間違ってなかったのだろうか?それとも信じた相手が八方美人だったせい?いずれにせよ自分のタガを外して人を100%信じて委ねてみようと頑張った結果、関係がこじれて人間不信になった…。自分が人付き合い下手なのに無茶したのが良く無かったのかな……。でも一線を越えてみたいという努力ではあったんだ。
今の自分より、子供の頃の自分の方が冷めていたかもしれない。温かくなれそうな時もあった私の根底には、何か冷めたものも常に流れていた―おそらく“厭世観”。「楽しくて嬉しくて幸せに思える事があっても、それはきっと一瞬で終わってしまって、“結局”世の中なんて嫌な事の方がずーっと多いんだよ。」そんな風にどこかで「“結局”は…」という想いがいつもあった。大人の嘘、人の汚さ、そういうものをちょっと見ただけで美しかった記憶も汚い色に塗りつぶされた。
子供の頃から学生時代の私は、神経質、潔癖症、完璧主義、馬鹿正直、口下手・口が足りない、融通が利かない、消極的、不器用、両極端・二面性がある、何を考えているのか分からない、暗い、コミュニケーション能力不足、…そんな感じの事を言われてた。
たまに褒めてもらえた時もあったとは思うけど、ネガティヴな自分は「偶然今はそう言ってもらえただけだ」と思って受け止められなかった。そして批判的評価ばかりを真正面から全部受け止めて、そういうのばっかり覚えていて、自分は全然ダメだ、良くならなくちゃっていつも自己嫌悪していた。
中学生の時には、クラスメイトのある優しい女の子が「休み時間も無駄にしないで勉強してる〇〇ちゃん(←SAIのこと)素敵!」と言ってくれた事があった。でもそれは休み時間を一緒に過ごせる友達が居なかっただけで、「友達が居ない人」とか「一人で居る」って思われるのが嫌で、何かをしてる風にしてたかっただけ。
でも「あんなに勉強してどうするわけ?」って聞えるように言われたり、「公務員」とか「ガリ勉」とか嫌な意味であだ名をつけてくる女の子たちも居た。
高校生〜大学生の頃は、家に帰宅しても、休みの日も朝から晩まで常に勉強をしていないと不安で机から離れられなくなり、夜もベッドで寝られなかった。いつも勉強していて、気づいたら机で寝ている。それが習慣みたいになってしまい、止められなくなり出口の見えない毎日。
しかも実際は机に居るだけで集中力も無く、体力も落ちてきて思考も鈍って勉強がなかなかはかどらない。そこでまた焦って、よけい机から離れられなくなるという悪循環。
つい最近気づいたのは、これってアルコール依存症とか拒食症の人と病理は近い種類のものなんじゃないか、という事。
不安とかのストレスから逃れたい為に、何かに依存してしまう。アルコール依存症は「お酒」に、拒食症の人は「食べないで誰よりも痩せている」事に、そして私は「勉強」に。その点については3つとも同じ。でもその依存が“自己証明”や“存在証明”の性質を持つという点ではアルコール依存症は違って、拒食症と私の勉強依存の方が重なるかも…。それで、私は“勉強依存症”だったんだって気づいた。
それから、“存在証明”という言葉は日々自分と向き合う中で出会ったバンドONE OK ROCKの『存在証明』という曲が出会い…というか、気づきをもらった。
ONE OK ROCK の『存在証明』↓
この『存在証明』はアルバム「感情エフェクト」に収録↓
新品価格 |
発売元:A-Sketch
発売日:2008年11月12日
<トラックリスト>
1. 恋ノアイボウ心ノクピド
2. どっぺるゲンガー
3. 皆無
4. 20 years old
5. Living Dolls
6. Break My Strings
7. 存在証明
8. CONVINCING
9. My sweet baby
10. Reflection
11. Viva Violent Fellow ~美しきモッシュピット~
12. JUST
直接的には関連の無い歌詞なのかもしれないけど、昔自分が抜け出せなくなっていたのは、どこかで「自分の存在価値を示したい」、それが出来なくても、せめて「自分で自分の価値を感じたい」という想いがあったからなのかもしれない。そう気づいた。
「食べないこと」に固執して拒食症になってしまう人は、誰かに否定されたとか、もしくは自分がコンプレックスを持っている事が原因で「自己否定」から逃れられなくなっているのだと思う。
他人・自分による否定の内容は必ずしも「太っている」事ではない。キッカケや最後の引き金ではあるかもしれないけど、それ以前に色々と否定されてきた事や、自分の中での自己否定の蓄積が下地にあると思う。
そして拒食症の人は、「食べずに誰よりも痩せている」事が“自己証明”や“存在証明”の方法になっている。それは自分を否定してきた人への無言で間接的な抵抗。もしくは嫌いな自分を少しでも認めてあげる為の方法。減量を自分でコントロールできると、自分に対して「ちゃんと結果を出せたね、良く頑張ったね」と言ってあげられる。自分で自分を認めてあげられる。安心できる。
私にはそういう拒食症の人の気持ちがすごく分かる気がする。私もすごく似た種類の気持ちを抱いていたから。
友達のつくり方が分からなくて「神経質だからいけないんだ。暗いからいけないんだ。」って自分を責め続けていた毎日。そして友達が作れない自分は人間としての価値も、存在価値も無い。クラスの女の子たちに「公務員」とか「ガリ勉」って言われるのも自分が悪いんだと思っていた。
そんな私ができる抵抗は、存在証明は、勉強を頑張って良い成績をとる事。
あんまり絡んでくるようなら言い返すのも時には必要だけど、結局は終わりに結びつかない。それに私は良くも悪くも真理を突き過ぎてしまうみたいで、言い返す時は相手に致命傷を与えるくらいの言葉を気づかずに言ってしまう事もあるみたいだと分かってきた。「普段は大人しいのに、口を開くとキツイ事を言う」みたいに思われて、何を考えているか分からない、怖いって思われて、人を遠ざけてしまう。また自分が嫌いになる。こんな自分、しゃべらない方が良いなって思った。
誰も傷つけずに自己証明できる方法は、彼女達がやれない事、彼女達より良い成績をとる事。それにより無言で間接的な抵抗をする。
人間として価値の無い自分が少しでも価値ある人間になれる方法は、頭が良くなって将来社会の役に立てるようになる事。
勉強を頑張って良い成績をとる事なら、自分一人の努力で何とかなる。テスト勉強を頑張って良い点数が取れた時は「良かった」って安心して、「私頑張れた」って思えて、「これで私も少しは存在価値があるだろうか」って思えた。
友達が居なくても、何かを発明したり良いアイディアを社会に提案できる人間にはなれる。そういう役の立ち方ならできるかもしれない。人と関わらなくても、存在証明できる方法はあるんだ。そんな風に、ひたすら世界を狭めて自分を頑なに研ぎ澄ましていく方向へ進んでいた。
親には「もっと朗らかに」とか言われていた。それでもっと自分にも他人にも優しくなろうと頑張ってきて…
今はかなり自分に優しくなったし、ユルくなった。←単に「甘くなった」「堕落した」の間違いかも??
だから最近の知り合いの人には、昔の私がそんな風だったとは分からないみたい。精神や心の病というのは外から見えにくいしな。それに外から気づかれないという事は、かなり自分を改善できているという事なのかな?
昔はそこまで深くない知り合いに「いきなり倒れた事無いかい?」とか、頑張って参加した大学の飲み会で「震えてるけど大丈夫?」って言われて、自分ではそんな風に周りから見えてたなんて気づかない事だからびっくりしたけど。
それに比べて最近は、辛かった話とか人にできるようになってきたし。一番辛かった時期は、まず自分が「うつ」っぽいという事にすら気づいていなかった。何で辛いのかも分からなかった。完全に自分を見失ってめちゃくちゃな心理状態だった。 人に話せないって言うか、見失っているからどう表現して良いのか言葉も見つからなかった。
自分がうつっぽい気質だと気づいたのは、そんな風に実は結構最近。
そういうタイプの人間だと夢にも思わなかった。そもそも思考にも浮かばなかった。
冷静に考えたら、子供の頃、一番くらいに身近な存在である母親がうつ病で脳神経外科に通院してたっけ。それに気付いた、思い出したのも最近。
ため息が多くてネガティブな言葉が多く、時間ができると体調が悪いわけではなくてもすぐ寝込んでいた母親。私はそういう母親が良く分からなかったけど、なんか元気無さそうだし、気をまぎらわしたりポジティブにしてあげたいなって思った。それは母親の為というか、その方が家も明るくなってみんなにも良いんじゃないかなーって思った。
家には父方のおばあちゃんも同居していていて、嫁姑問題もあった。でも多分そんなにひどいわけじゃなく、どこの家庭でもあるようなくらいのもの。でも神経質だった私はそういう空気が苦手で、二人が険悪になりそうな時は私がバカやってピエロやって空気を壊そうとしていた。
そして愚痴があるなら私がそれぞれの言い分を聞くよ、それで二人の気分が少しでも収まるなら良いよねと思って、二人の間を行き来して話を聞いていた。
板挟みのお父さんも可哀想だから、ちょっとなついてあげようって思ったり。
でも家がそれでもけっこう明るく保たれていたのは、私の努力って言うよりも父親のポジティヴさが大きいと思う。
私が27歳になるまで知らされていなかったけど、父親は実は天涯孤独だった。…けーっこうびっくりした。
どうも私は人を疑うっていう頭が無いらしく、そんな事ほんとに夢にも思わなかった。
「詐欺に騙されそう」ってたまに言われるけど、なぜかそこは第六感が働くのかセーフ…。まず相手を疑うっていう人もいらっしゃるらしいけど、最近の私は昔みたいに思い込みで信じる事は無くなったけど、疑うというより「今はそういう気持ちなのかもしれない。でも、未来は変わるかもしれないね。」って思う。あと、「本当に思っている事を上手く言葉にできていない人も居るな」って思う。自分がそうだし。だから相手が伝えたい思いについては、昔より広く想像しておくことにした。言葉・字面通りに受け止めるんじゃなく、もうちょっと幅を持たせて受け取る、という感じ??
それで…「おばあちゃん子」で育ってきた自分だけど、実はおばあちゃんも全然血が繋がってなくて“他人”だった、という事実もその時初めて知った。(父親が養子だった。)
…多分、小学生くらいの時にその事を聞いたら、結構ショック受けたかもしれないな。でも27歳までにテレビの色んなドキュメンタリーを見てきて、「血が繋がっていなくても素晴らしい家族や、素晴らしい人と人との繋がりはある」って思ってたから。だから「いやービックリした。そっかー、ずっと一緒に過ごしてきたおばあちゃんって他人だったのかぁ。でも、おばあちゃんはおばあちゃんだよな。楽しかった思い出も、温かかった時間も何も変わらないや。」って思った。
父親の話に戻ると…。
子供ながら「お父さんって本当に満面の笑みで笑うよなぁ。悔しいけど、ちょっと気分悪い事あっても、お父さんが笑うとつられて笑ってしまうよ。」って思っていた。
父親が実の親を知らない事、妹さんも養子で血が繋がっていない兄妹である事、子供の頃から体が弱かったけど毎日勉強を頑張って北大を卒業して、大きい企業に就職して、おばあちゃんに親孝行している今。そんな、父親の人生を知った。
なんかあの満面の笑みの裏側には、そういう強さっていうか、苦労があってのゆるぎないものだったんだって理解した。
休みの日も家事を率先してやって、10時と15時は自分からお茶とお菓子を用意して家族団らんの時間を作る。
父親は、語弊を恐れずに言うなら「4人とも他人同士の家族(父・母・自分・妹)」で過ごしてきて、本当の両親や家族を知らないからこそ、自分で作った家族は大事にしたかったのかな。それを作れた事が嬉しくてあんな笑顔だったのかなって思った。
そんな幸せな家庭でも、私は勝手に精神的に病んだ。何だろうな、誰も別に期待してないのに、変に頑張ってしまうって言うか。おばあちゃんと母親の間を取り持つ為に頑張って、でもネガティヴ・ワードを聞くのはけっこう体力が消耗する。精神的にも疲弊する。
私が「おばあちゃん子」だったのは、できるだけ二人の間で公平で居たかったけど、対立していない時の二人で一緒に居て心地良かったのはおばあちゃんだったから。おばあちゃんは、普段はすごく陽気で面白かった。それに口下手な私の気持ちを、私自身よりも分かってくれた。でもあんまり偏ると母親だって気分が良くないだろうし、母親だって毎日真面目に頑張ってると思うし、もっと対立するとおばあちゃんも家に居づらくなるかもしれないって思って、できるだけ中立で居るよう頑張ってはいた。
でも両方の言い分を聞いてると「調子が良い」って言われたり、ピエロしてると「子供は気楽で良いね」って言われたり…。
いやー、けっこう頑張ってるんですけどね。「親の心子知らず」って言うけど「子の心親知らず」とも誰か言ってくれないかなーみたいな。。そんな心にチクチクくる想いをどこにも吐き出せず、近所の公園へたそがれに行ったり、静かに流れる川辺を散歩したり…。
それで、学校では孤立して、家でも疲れていた。帰宅しても学校でちょっと言われた言葉に思い悩み、また、どうしたら家庭平和が守られるんだ?って事ばかりが気になり、中学とか高校の進路決定の時期にも、自分自身の気持ちとゆっくり向き合う余裕が無かった。
もう近場の進学校適当に行っておけば良いんじゃね?みたいになってきて。それで親も満足みたいだし、で「自分自身の意思」はほとんど無かった。
ある時おばあちゃんに「そんなに友達の事ばっかり考えて、そしたら、その子が『死ね』って言ったら死ぬのかい?」って言われた事があった。
つまり昔の自分は周りの目や人にどう思われているかばかり考えて、全然、自分の意思が持てていなかったのだと思う。
よく「獅子座は他のどの星座よりも『自分らしくある事』を大切にする星座です」って書いてあったりするけど…私ぜんぜん獅子座らしくないじゃん。(SAIは獅子座です。)
でも親との対立を経て、今、自分を追い求めるようになったのは、獅子座らしくなってきたのかな?
今日長々と自分自身の葛藤の歴史?を語ってきたのは…。
ご紹介したい曲『僕にできること』を聴いて、
この曲で歌われている内容が、今の自分の気持ちをすごく代弁してくれているように感じて、ある事を思ったから。
『僕にできること』の歌詞にある言葉↓
ちっぽけなこの僕にできること
少しずつでも伝えてみたいんだ
(『僕にできること』の歌詞より引用)
伝えられずにいた想いは時を経て 蛹になって
羽広げやがて飛び立つ
(『僕にできること』の歌詞より引用)
私自身が思い悩んだ、どうしようも無い事かもしれないけど。
でもこういう悩みってそんなに特別なものじゃなくて。「うつ病」って現代病って言われるし、実は多くの人が身近にあるものだと思う。
「参考」とかにはならないかもしれないけど、でも「語ること」・「伝えること」も無意味では無いかもしれないと思えた。
私は病院へ行って「あなたはうつ病です」と診断されたわけではない。だからプロフでも「うつ病です」と自称していない。
登校拒否になったわけでもない。学校行くのはすごく苦痛だったけど、登校拒否したら世間体を気にする親が居ずらくなっちゃうだろうから、そういう迷惑はかけないように私は頑張ろう。
そんな歪んだ気遣いで耐えていた。それで小学校も中学校も皆勤賞に近い登校率だった。
でも学校ちゃんと通ってたけど、やっぱり辛かったのは辛かった。自分がなぜ辛いのか知りたくて、色々調べてやっと「うつ病」というモノに出会った。そこに書かれている事が“私の説明書”みたいだった。
家庭崩壊してたわけでもない。
でも、辛いものは辛かった。
辛かった時の自分を知らない人に、「それくらいじゃうつ病って言わないよ」って言われるのは回復期あるあるだろうな。「私はうつ病だったんだ」って話したわけではないけど。他の、症状が外には見えにくい病気も同じだろうな。
でも昔の話を熱弁したってしょうがない。
ただ、すごく悲しかった。
登校拒否しました! リストカットしました! …そういう「実績」が無いと、辛いって言っちゃダメなのかな?
昔の自分だったら、そんな想いをまた一人で抱えなくちゃいけなかったけど。今はこのブログで、どんなお方が来て下さっているかは分からないけど、こんなに長々と語ることができる。
書いているうちに、胸のつかえも少し取れてきた。
「井戸に差し込んだ光」にご訪問いただいている皆様、本当にありがとうございます。
本当は素敵な音楽を沢山お伝えして、バンドの応援や、リスナーの皆様への情報提供をしたかったけど。
何だか自分の思いを吐き出す場所みたいになってしまってすみません。
でももし同じようにうつ病みたいな状態で苦しんでる方がいらっしゃるなら、こう言う風に書き出す事はご自身のセラピーにもなるので、ぜひやって見て下さい。
そして悩みや痛みの原因をまず知って、それから、どうしたら良くしていけるのか考えましょう。
SAIの一人語りが長くなってしまったので…もう一度、すっごく素敵な音楽!HOW MERRY MARRYの『僕にできること』を最後に載せさせていただきます。
↓ ↓ ↓
HOW MERRY MARRYの『僕にできること』
この素敵な曲、HOW MERRY MARRYの『僕にできること』と、上でご紹介させていただいた『一斉の声』、『今、このとき。』の3曲は「夏目友人帳 主題歌集」に収録されています。
↓ ↓
新品価格 |
発売元:アニプレックス
発売日:2012年06月27日
「人気アニメーション『夏目友人帳』の1~4期のオープニング&エンディング・テーマに加え、ボーナス・トラックとして『蛍火の杜へ』のエンディング・テーマ「夏を見ていた」(おおたか静流)を収録した、コンピレーション・アルバム。」
(商品の説明の引用)
<トラックリスト>
1. 一斉の声
2. 夏夕空
3. あの日タイムマシン
4. 愛してる
5. 僕にできること
6. 君ノカケラ feat 宮本笑里
7. 今、このとき。
8. たからもの
9. 夏を見ていた [bonus track]
音楽が心を癒すこともある。それを本当に体感して実感できるような素晴らしい音楽たち。
ちょっと疲れてしまっている方、頑張り過ぎてしまう方には、特に優しく響くと思います。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6704107
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック