2023年02月27日
『もうこれ以上、苦しまないで! 嫌いな親との離れ方』―3―
いつもありがとうございます。
自分も他人も癒して自由に生きるSAIです。
本日は、私がずっと生きづらさを感じてきた原因の一つである「親子問題」についての素晴らしい本に出会ったので
そのご紹介をさせていただこうと思います。
それはこちらです↓
【表紙】
【裏表紙】
ご説明はかなり私の主観で切り取ったものとなります。また、私自身の気持ちを整理して次に進む為の目的もあるので、偏りがあったり感情的でご不快を与えてしまうこともあるかもしれないことご了承ください。
最初は本1冊全体を1記事にまとめてご紹介しようとしたのですが長文になってしまったので、複数回に記事を分けることにしました。
今回は第2章で終わった前回の記事の続きで、第3章です。
「囲み」をしてある部分は、全て本からの引用になります。
それでは3章に入ります。
“親と自分との間に境界線を引く”と言うと「親から距離をとったら申し訳ない」とか「裏切るみたいで離れられない」というように抵抗を感じるかもしれません。でも境界線を引かないと、子どもが自分らしい人生を生きられなくて苦しいだけでなく、不安を安心に変えたくて子どもをコントロールしようとする親も苦しみ続けることになるそうです。
つまり子ども側の人が自分を救う為でなく、親を救う為にも境界線を引くことが必要だそうです。
境界線が引けていないと自己否定がやめられなくなるそうで、3つの自己否定パターンが説明されています。
私は1・2のパターンが当てはまりました。
パターン@では「大人になるまで親が抱える問題に気づかず、むしろ親から否定される自分が悪いと思ってきた」というのが正にその通りでした。
パターンAは、ひたすら自分責めしていた段階から親にも問題があると気づき出した頃にあった経験と似ていました。
それは、親について何かの機会に他人に話した時「親のせいにするな」と似たニュアンスの否定を受けたということです。自分責めを少し抜けて親の問題を考えられるようになったからこそ、私の話が親を批判しているように聞こえたのかもしれません。
自分だけのせいだって考えてずっと苦しかったけど、やっと一歩進めそうになった時に事情を良く知らない他人に「あなたが悪い」と言われたようで正直なところショックでした。でも健全な親に育てられた人や、他人の気持ちにあまり敏感でない人には分からないものかもしれないと思いました。
【境界線を引いて自分の人生を取り戻そう】という見出しの部分には、私が自分の気持ちを掘り下げて気づくことができたことそのものが書いてありました。
それは以前にこのブログでお話しさせていただいたことがありますが、“あなたの自由な人生を「一番身近にいて応援してくれるはずだった親」が、心に問題を抱えていたことで、できたはずのことができなくて、やらなくてもいいことまでやらされていたのかもしれません”の部分です。
積極的に「応援」して欲しいとまでは思ったことは無いけど、ただ「認めて」「受け止めて」欲しかった。ニュートラルな感情を抱けなくても、せめて口出ししないで欲しかった。でもされているのは否定や批判、心配で「モチベーションを殺ぐ」ことばかり。
親との間に境界線を引いて自立できたら可能になることとして次のことが書いてあります。「興味を感じることをやってもいいし、好きな人と一緒になってもいいし、働きたいと思う仕事に就くこともできる」。「押し付けられたことは断ってもいいし、大切にしてくれない人から離れてもいい」。
自分の視界が開けて、生きるのが軽やかで楽しそうで、希望が持てる感じがしました。
ここまでに親との間に「境界線」を引くことが大事と説明がありました。それからコンプレックスを抱える親がする領域侵害には「価値観」「感情」「責任」の3つの領域があるとも説明されました。
「境界線」を引くのは、この3つの領域それぞれについてでのことだそうです。
まず「価値観」で境界線を引くとは、親と子の価値観はそもそも違うものだと理解し、それらを分けて考えるようにすることのようです。
そもそも親と子は違う人間で、価値観が違うのも当然。子どもにとっての幸せは、子ども自身にしか分からない。だから親の価値観に従う必要は無い、親に価値観を否定されても迷わなくて良いことが説明されています。
私は親が過干渉・過保護で、正に価値観の領域侵害を受けてきました。私は自分の価値観と親の価値観が違うことはわりと幼い頃から理解していましたが、「親が私の為を思って」「親心で」「善意で」言ってくれていると信じたかったので、親の意見を拒否するのが申し訳なくて言いなりになってしまうことがけっこうありました。
大人になった今は、親のしていることが価値観の領域侵害であることは良く分かりますが、今も親は「価値観は親子でも違うものだ」と気づいていないので、価値観の押し付けは現在も続いています。
リアルタイムで親の価値観を押し付けるメールが来ていて、「反論する」か「取り合わない」べきかを悩んでいます。今のところは後者の「取り合わない」方を選択していて、メールが来ても返信せず親の都合に合わせない、というところで止まっています。
そしてここでは、正にその解答となる説明がされていました。それは「親と戦わなくていい」ということでした。
そもそも「自分にとって正しい価値観は自分にしか分からない」のだから、親の価値観が間違っていることをわざわざ証明しなくても、自分の価値観が既に正しい。それから戦うことは、自分の貴重な時間や精神力の無駄遣いにしかならない。仮に親に勝っても自分の人生が幸せになるわけではない。負けたら憎しみと後悔が残るだけ。
そのように説明されていて、私は相手にしなくて正解だったのかと少し安心できました。でも相手にしないのは、ただ問題を先延ばしにしているだけのように思えたり、また威圧的なメールが来るのではないかという不安があり、正解は分かっても「これで良い」と完全には思えていない状況です。
親との価値観の間に境界線を引くには、大事なことほど「自分の好き嫌いの価値観を優先して生きる」とのことです。自分の好き嫌いを受け入れ、好き嫌いの感覚で生きてみる…これまでの私では考えもつかないような生き方です。
私は人間関係など他者と関わりがあったり、自分の判断が他者に影響することについては特に「好き嫌いで判断するのはいけないことだ」と昔から思い込んでいました。
例えば自分に嫌がらせしてくるようなクラスメイトでも全員平等に接するように努めてきました。それでクラスメイトから信頼されたのか分かりませんが、やりたくないのによく学級委員に推薦されて胃が痛い思いをしたりしました。
24歳の学生の時、専門学校でお世話になっていた先生に「天皇陛下じゃないんだから」と言われたり「あなたは“悩める優等生タイプ”」と何かの診断で言われたり、とにかく私は理性による感情の制御がすごく強いようです。
いつも頭にあったのは「自分が好きか嫌いか」とか「自分がどうしたいか」ではなく、「この状況でどんな行動をしたら周りが少しでもベストな方向に進むのか」「どんなことをする人の存在が求められているのか」「(例え嫌なことでも)ここで自分がやれることは何か」というのが行動基準でした。
前の記事でも少しお話ししましたが、私が生きやすさを求めて活用し始めたスピリチュアルの視点に「自分軸で生きる」という考えがあります。そしてその自分軸で大事とされているのが正に「自分の好きを大事にする」こと。好きは心地好さであり、自分の心地好い選択をしていくことが幸せに繋がる。むしろ、心地好い選択をしたその瞬間、既に幸せになっている。
私のような30代後半、そして40〜50代、中には60代くらいの人々は、「集団行動」が重要視された“土の時代”をずっと生きてきたのに、これからは「個性」が大切になる新しい“風の時代”にシフトチェンジする間の時を生きることになり、適応するのが一番難しい世代と言われているようです。
そのような方々は私のように「周りを大切に」という意識があって、「自分の好き嫌いを大事にする」ということに抵抗を覚える方も多いかもしれません。
“土の時代”は『社会の構造』を作り上げたり『物質的豊かさ』を得る為に「集団の力」が必要だったから、時代の流れとして必要だし正しかった。でもそれはもう出来上がったから、人々は新しい生き方をして良い。これからは『個性』や『精神的豊かさ』が重要視される時代だそうです。
この『個性』や『精神的豊かさ』が大事にされるというのは、すごく本質的に人々が幸せになれる素晴らしい時代なのでは、と私は思います。
皆が、ありのままの自分が受け入れられて心満たされる。言い過ぎかもしれないけど「幸せの最終形態」のような…。様々なテクノロジーが発達して想像できないよいな変化が起きたら、また異なる形の幸せもあるかもしれませんが。
私がスピリチュアルで求めていたことと、親子問題の解決策が見事に重なりました。親子関係を上手く築けなかった人はその後の人間関係を築くのにも苦労すると聞いたりしますが、本質を突き詰めると同じ所に辿り着くのかもしれないと思いました。
「親のコントロールから脱出するには自分の好き嫌いを受け入れること」、「好き嫌いという感覚で生きてみること」とまとめられていて、私が幸せになるにはこれまで生きてきたのと真逆の、理性ではなく感覚に従い“優等生”(と思ったことは無いけど)を辞めるという気持ちが必要なようです。
自分の感性や感覚を大事にして、それでも良いと言ってくださる人々と楽しく生きていく。人間関係は数じゃなくて質(相性)。そして、そこに私の「親」は居ないのかもしれないけど。
次に「感情」に境界線を引くことについて、説明されてます。それは「親の感情は親自身が感じているもので、あなたが感じさせたものではない」ことを知り「親の感情とあなたの感情を分けて考えることによって罪悪感に飲み込まれないようにすること」であると言われています。
その方法として@「親の感情に疑問を感じていい」、A「親をかわいそうな人だと思わなくていい」、B「親を嫌いになっていい、嫌いなら離れていい」の3つの説明がされています。
私は親に自分が「悲しい」「寂しい」ことをずっと言えず、傷ついていないフリをしてきました。それは、私がそれを表現したら、親に受け入れて貰えるとは思えず、逆に反発されるのではという思いもあったからです。
でもこの数年になり、私は自分を知ってもらうには多少、親を責めていると受け取られてしまっても本当の気持ちを伝えないとやはり伝わらないかもしれないと思い少しずつ伝える努力を始めました。
親のしていることは過干渉であるということに少しでも気づいて欲しくて、父親のプライドを傷つけるかもしれないとは思いつつ勇気を出して「子育ての本を読んでください」とメールで返信しことがありました。
『もうこれ以上、苦しまないで! 嫌いな親との離れ方』の以前のご説明にもあったように、これは親と戦ってしまった形なのかもしれず、間違いだったのかもしれません。予想通り「ショックを受けた」と父親からのメールの返信にありました。
つくづく自分の口下手さ、気のきいた言葉の言えないもどかしさが嫌になったのですが、例え親を傷つけたとしても自分の本当の気持ちを少しでも知って貰えたのは一歩前進だったのではという想いもあったりはします。
そしてこのケースは正に@「親の感情に疑問を感じていい」に当てはまりそうです。私は父親を傷つけたのか?
ここでは「あなたが親の生き方を否定したとか、誰が見てもそうだとわかるような言葉や行動で、あなたが親を傷つけていたかどうか」「あなたがそれらのことをしていないのであれば、親を傷つけている事実はありません」と説明されていました。
私は、自分がされて嫌なことは他人に極力しないよう努めてはきたけど、あのメールは親の生き方の否定になってしまったのだろうか?つまり結局は似た者同士ということなのかもしれません。私の言葉は本質を突き過ぎるみたいなので、ネガティブな発言はやはりあまりしたくないと…分かってはいたけど改めて思いました。
本来はここで「子どもは親を傷つけていないから罪悪感を持たなくて良い」という流れになるのですが、私はまた罪悪感から逃れることができなくなってしまいました。スピリチュアル的にも、罪悪感は手放さないと幸せになれないと言われています。その為には「全てを許す」というメソッドが必要になりそうです。自分のネガティブな部分も全て許す、私は許されて良い存在なのだと受け入れる。
近い人間関係だからこそ余計に傷つけ合う可能性は高いもの。それを乗り越えたら、本当の親子になれる。まずは言葉だけでも、そんなポジティブなアファメーションをして希望をつないでおきます。
それからA「親をかわいそうな人だと思わなくていい」については、私と母親の関係が当てはまりそうでした。
こちらのブログで以前にお話ししたこともありますが、私は子どもの頃、実家であった“嫁姑問題”の調停の為に母親、そして祖母の愚痴もそれぞれに聞いていました。二人が愚痴を言えてスッキリすれば、嫁姑問題も少しは緩和するのではと思ったのです。ネガティブワードを聞くのは楽しくもないし神経をすり減らして精神的に疲れていることが多かったです。でも疲れているのがバレて心配されないように、近くの児童公園などに行ってぼーっとしたり、自然に触れて自分を癒していました。
実はこれは、「愚痴を言う親を助けていると依存が止まらなくなる」ということで、また私が親の問題を大きくしていたパターンのようです。
「愚痴を子どもに聞かせるというのは依存心の強い親がする」そうで、親が苦しさやつらさを感じるなら親自身がそれを解消しなければいけない。「それなのに、愚痴を聞き続けてくれるあなたが目の前にいたら、かわいそうな親のままでいれば子どもが支え続けてくれると思い込み、ますます弱い親を演じてあなたの優しさに依存してしまいます」とのことです。
愚痴る親を助ける必要は無く、助けなかったことを批判されても自分を責めなくて良い、そして親自身が問題に向き合うことで根本的な解決につながるそうです。
私は20歳の時に実家を離れることで、この愚痴とはけっこう距離を置けるようになりました。長期連休の度、義務感で帰省するとまた母親の愚痴がすぐ始まりましたが。親からの依存を抜ける手段として、物理的に離れて距離を取るのがとても有効な手段であると後程に説明があります。子どもの頃から、早く大人になって家を出て自分の力でやりたいことをやれるようになりたいと思っていた私は、本能的に必要なことが分かっていたのかもしれません。
Bの「親を嫌いになっていい、嫌いなら離れていい」ということについては、正に本のタイトルにある「嫌いな親との離れ方」に触れる部分でもあります。
親から離れてもいい、それは「尊重してくれない人を好きになれないのは自然なことだから」だそうです。確かにDVやお金を取られるなど分かりやすかったり酷い人権侵害を受けてきた方々ならそうかもしれません。でも私は「毒親」という程のことをされた訳ではないので、我慢しなくとも「嫌い」とは思っていません。それでいて「好きか?」と聞かれたらそうとも言えません。ただ精神的にしんどいことが多かったから、「放っておいて欲しい」というのが親に対して一番しっくりくる感情です。
私情ですが、命の危険を親から感じたことがあるような方々は特に、親を嫌いになったり親から離れたいと思うことで自分を責めないで欲しいです。迷って一緒に居続ける時間がとても危険かもしれません。あなたの感情、あなた自身を一番大事にして欲しいです。
次に「責任」に境界線を引くことについて、説明されています。それは「親の責任がなんであるかを理解し、あなたが責任の肩代わりをしなくてもいい」ということのようです。
その具体的な内容として@「親孝行や恩返しをしなくていい」、A「親が決断したことに責任を感じなくていい」、B「親の介護や病気の世話をしなくていい」、C「親の“死ぬ”という言葉を恐れなくていい」という説明がされています。
@「親孝行や恩返しをしなくていい」のは、「子どもを養育するのは親の責任だから」だそうです。ここで説明されていることは、大人の方が子どもをもちたいと思った時、知っているべき知識や心構えのように思います。
また高校生や大学生くらいの時期に、予備知識として授業に組み込まれていても良いのではないかというくらい大事なことのように思えます。
「心が健康な親は、子どもの養育にかかるお金や時間、労力を、当たり前のように自分の責任だと考え」、「親孝行や恩返しを求めもしないし、感謝を強要するようなこともしません」とのことです。
そしてもし親から「苦労して子どもを育ててきた」や「育てるのにお金がかかった」などと言われた場合は、それは「親が責任を果たす覚悟がないまま親になってしまった」ということだそうです。
“親孝行”は子どもがしたい気持ちがあるならすれば良くて、その善意は義務ではないと説明されています。
私は母の日や父の日などによくプレゼントを贈ってきました。そこに義務感は無く、純粋な感謝の気持ちや、喜んでくれたら自分も嬉しいからでしたが、どこか「こんな面倒くさい私を育てさせて申し訳ない」という“罪悪感”もゼロではありませんでした。これは私が一方的に親にコントロールされていたケースと言えるかもしれません。
Aの「親が決断したことに責任を感じなくていい」のは、「親の人生で起こったことは親の責任だから」とのことです。
ここに書かれている「進学や留学にかかった費用を返済しろ」は、私は親に言われた訳ではありませんが、私がまた一方的に罪悪感を抱いているケースです。
「学校や塾に通わせるために使った教育費も〜親がそれをすると決めたのであれば親の責任になります」とのことで、祖母や知人に「遠慮しないでもっと親に頼って良いんだよ」と言われたことを思い出します。
BやCについてもとても分かりやすい説明があります。親の介護で悩んでいらっしゃる方、親の言う通りにしないと「死ぬ」と言って脅されたことがある方は、ぜひご自身で読んでみてください。きっと心の救いになると思います。
ここまでの境界線は、「親と自分の間に引く」ものの説明でした。でも次に説明されている“過去の自分に境界線を引く”とは「自分の中に引く」境界線のお話しとなります。
心が酷く傷つくことをよく「トラウマ」と言ったりします。そして何かをきっかけにそのトラウマを思い出してしまうことを「フラッシュバック」と言ったりします。
幼い頃の親子関係にトラウマがあると、大人になってからもそれがフラッシュバックして苦しくなってしまうことがあります。その時にフラッシュバックを柔げるには、「親から傷つけられたのは過去の自分であって、現在の自分ではないということを認識することから始めます」とのことです。
そのように「過去の自分」と「現在の自分」を分けられると、危険や恐怖を感じたのは過去の記憶だから、現在の自分は危険でもないし恐怖を感じることもないと思えたら、回復が早くなるそうです。
これは例えば、傷つけてきた親が今はもう亡くなっていて自分がこれから傷つけられる心配は全くないのに、過去の親にされたことを引きずり続けてしまっている方にとても有効な手段のように思われます。
とても苦しいトラウマがあると、今は安全と分かってもなかなか過去を忘れられないかもしれません。でもご自身が楽になってこれから幸せに生きる為に、是非“過去の自分に境界線を引く”を試してみてください。
次に“親の呪縛に縛られた人に境界線を引く”ということについて、説明されています。
「親の呪縛に縛られた人」というのは、 実は同じように心が不健全な親に育てられたけど、その毒性をまだ理解できていない人とのことです。
自分の親が悪い親だと思いたくない罪悪感があり、苦労して育ててくれたはずだから「私は親に感謝しなければならない」と自分自身に言い聞かせるようにしている、そして目の前のあなたが親から距離をとっているのを、親を大切にしようとしていないと決めつけ、「なんで私と同じようにしないの!?絶対におかしい!」と怒って否定したくなるそうです。
それに対して心が健全な親に育てられた人々なら、親子間でしっかり境界線が引けているので、ことさら親を大切にしようと思わない、親から距離をとっている人を見ても否定したいと思わないそうです。
これから自分を信じて前進するには、同じ「親子問題」に悩んではいるけど、この本を読んで知識を得ているあなたに対して、知識を得ていないある意味では“後輩”的な人々に対して境界線を引くことも重要と言われています。揺らがず進みたいですね。
子どもの頃、親に暴力を受けて育った人が、大人になったら子どもに暴力をふるってしまうという話をけっこう聞きます。
そのように親から受けた心の傷が影響して、自分も親と同じように誰かを傷つけてしまうことを「世代間連鎖」と言うと説明されています。
これが起きるのは、親が抱えていた心の問題を理解できず、また境界線も上手く引けないまま、親になってしまった方に多いようです。
もし「我が子を傷つけてしまいそうで怖い」という気持ちのある方は、是非この本を読んでみてください。方法が分かれば、きっと変われます!
【境界線を引いて自然な親子関係に戻る】の部分は、私がこの本『もうこれ以上、苦しまないで! 嫌いな親との離れ方』を買うことになった大きな理由のうちの2つ目です。
よく、何かの問題について理路整然と説明されてはいるけど、実際にはそれをどう活かせるか分かりにくかったり、どう行動したら良いか分からない本もあります。でもこちらの本は違って、提案されていることをするとどうなれるのかが分かりやすく、必要な行動も明確にできると思います。
不健全な親と適切な境界線が引けていない場合、基本行動として3ステップが説明されています。
それが@「距離をとる」、A「本心を伝えて断る」、B「自分のために生きる」です。
@「距離をとる」は、心理的にも物理的にも親から離れることが提案されています。適切に距離をとれば、親がコントロールできなくなり、それが親の自立につながり、自分も自立していけるようになるそうです。
私自身としては、物理的な距離は20歳から一人暮らしをしていてとれていましたが、心理的な距離は実家暮らしの時よりは改善されたけど、ずっととれていなかったように思います。
A「本心を伝えて断る」の部分は、リアルタイムで私が欲しかった答えが書いてありました。少し長くなりますが引用いたしますと「あなたが本心を伝えて断っていると、親はあなたの気持ちを知るようになります。親も、自分が何を言えば子どもから断られ、何をしたら距離をとられてしまうのかと考えるようになります。それは、今までずっとあなたを傷つけていることに気づけなかった親が、あなたの身になって考えてみるきっかけを得たということ。」の部分です。
本心を伝えたり断ることは親を傷つけるかもしれないと思ってずっとできなかったけど、ここ数年、少しずつですが伝え始めたのは良かったのだと安心できました。
B「自分のために生きる」の部分は、Aが少しできてきた私には、“次に、これからはどうして行くべきか”という道しるべをいただいたような気持ちです。
また本文から引用させていただくと「否定されても行動をやめず、押しつけられても本心を伝えて断るあなたの姿を見せていれば、親は実際にコントロールすることができなくて支配や依存は減っていきます。そして、あなたを利用できなくなった親は、自分の人生に向き合い始めます。」とのことです。
以前に私は「(私の心配ばかりしないで)自分の人生に向き合って大事にしてください」と親に伝えたことがあるのですが、私が親に望んだことは正しかったのだと分かりました。伝え方が正しかったかは分かりませんが。
「子も親も自立するから幸せになれる」の部分では、親と距離をとることにまだ完全には罪悪感を無くせていない私にとってすごく響く説明が多いです。
私が距離をとれないと、親の自立を妨害することにもなる。私が親の側に居ると親に期待を抱かせてしまい、親は自分の人生に向き合えず幸せな人生を作れない。そのように主語を「私」にして、よくインプットしたい内容だと思いました。
よく結婚は、自立した人同士がしないとお互いに幸せになれないと聞きますが、親子関係も親と子それぞれが自立してこそ健全な関係を築けるのだと分かりました。
「自立できたときの心境は?」の部分は、まだ完全にではないけど親への罪悪感が減ってきて心理的自立も少しできてきた私にはすごく納得のことが書かれています。
それは、自立できるとすごくハッピーという感じよりは、「心の平穏」や「安心感」という言葉の方がしっくりくる感じということです。
また「身も心も自立すると、大きな迷いもなく、強い恐怖心や緊張感もありません。」とのことで、私は正に常に緊張感状態で不安もいつも抱えていました。大人になった今、ストレスにより無意識の歯ぎしりを続けて歯がすり減ってしまっている程、それが平常運転のような感じでした。
同じように苦しんでらっしゃる方はどうか諦めないでください。不健全な親との間に境界線を引けて、距離をとれた人々はみな「毎日、安心して暮らせています」と言われているそうです。作者の川島さんも次のように言われています。「親子関係で悩むのは、もうここで終わりにして、1日も早く平穏な日常を手に入れてください。」と。正しく対処すれば、きっと今よりは楽になれます。
次は第4章です。
ここでは親子関係に悩む方から川島さんがよくいただくという相談事例が5つ紹介されています。苦しい親子関係から抜け出して自分の人生を取り戻した、成人した5人の子どもたちのエピソードで、よくある相談事例をもとに作成したフィクションの形で説明されています。
親子問題で悩んでらっしゃる方はそれらの事例で「親の言葉や行動がどんなものか」、「子どもたちがどんなも心理状態になっていたのか」に注目し、ご自身が抱える問題と照らし合わせながら読んでみてくださいとのことです。
こちらには川島さんのカウンセリングではどのようなアドバイスやサポートがしていただけるかも含めて、本当にリアリティーがあり分かりやすい事例の説明がされています。
カウンセリングを受けてみたいけど迷ってらっしゃる方は、ぜひ本をご参考にしてみてください。
相談事例の具体例なのでこの章の詳細をご紹介するのは割愛いたします。ただ私個人の経験としては、【Case1】にある“メッセージや電話が沢山来る、少しでも対応が遅れると「なんで電話に出ないんだ」と責められる”など、私にも苦しさがとても良く分かるものがありました。
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本日もお付き合いくださいましてありがとうございます!
まだご紹介が途中ですが、
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もし身近で親子問題に苦しんでらっしゃる方がいらっしゃいましたら、本やブログをご紹介いただいてお役に立てたら幸いです。
それから、川島さんに直接問い合わせたり、カウンセリングの依頼をご検討される方はご参照ください↓
おとなの親子関係相談所 代表
川島崇照メンタル・トレーニングオフィス 代表
1974年生まれ、新潟県出身。
2011年にカウンセラーとして独立。
「おとなの親子関係相談所」https://親子の悩み相談.jp
Twitter⇒@oyako_kankei
自分も他人も癒して自由に生きるSAIです。
本日は、私がずっと生きづらさを感じてきた原因の一つである「親子問題」についての素晴らしい本に出会ったので
そのご紹介をさせていただこうと思います。
それはこちらです↓
【表紙】
【裏表紙】
ご説明はかなり私の主観で切り取ったものとなります。また、私自身の気持ちを整理して次に進む為の目的もあるので、偏りがあったり感情的でご不快を与えてしまうこともあるかもしれないことご了承ください。
最初は本1冊全体を1記事にまとめてご紹介しようとしたのですが長文になってしまったので、複数回に記事を分けることにしました。
今回は第2章で終わった前回の記事の続きで、第3章です。
「囲み」をしてある部分は、全て本からの引用になります。
『もうこれ以上、苦しまないで! 嫌いな親との離れ方』
Meet freedom to live yourself.
親との苦しい関係を終わらせ、自分の人生を生きる方法
「親を大切に」という考えを捨てたら自由になりました。
〈本のタイトル、帯より引用〉
Contents
第1章 「親との関係」に悩んでいるのはあなただけじゃない
第2章 子どもを支配し続ける親の心理
第3章 親子関係に「境界線」が必要な理由
第4章 大人の親子関係相談いろいろ
第5章 親と距離をとる方法と注意点
第6章 自分の人生を前向きに生きていくために
それでは3章に入ります。
第3章 親子関係に「境界線」が必要な理由
親の人生ではなく自分が主役の人生を生きるために
- 境界線が引けていないと自己否定がやめられない
- 境界線を引いて自分の人生を取り戻そう
“親と自分との間に境界線を引く”と言うと「親から距離をとったら申し訳ない」とか「裏切るみたいで離れられない」というように抵抗を感じるかもしれません。でも境界線を引かないと、子どもが自分らしい人生を生きられなくて苦しいだけでなく、不安を安心に変えたくて子どもをコントロールしようとする親も苦しみ続けることになるそうです。
つまり子ども側の人が自分を救う為でなく、親を救う為にも境界線を引くことが必要だそうです。
境界線が引けていないと自己否定がやめられなくなるそうで、3つの自己否定パターンが説明されています。
私は1・2のパターンが当てはまりました。
パターン@では「大人になるまで親が抱える問題に気づかず、むしろ親から否定される自分が悪いと思ってきた」というのが正にその通りでした。
パターンAは、ひたすら自分責めしていた段階から親にも問題があると気づき出した頃にあった経験と似ていました。
それは、親について何かの機会に他人に話した時「親のせいにするな」と似たニュアンスの否定を受けたということです。自分責めを少し抜けて親の問題を考えられるようになったからこそ、私の話が親を批判しているように聞こえたのかもしれません。
自分だけのせいだって考えてずっと苦しかったけど、やっと一歩進めそうになった時に事情を良く知らない他人に「あなたが悪い」と言われたようで正直なところショックでした。でも健全な親に育てられた人や、他人の気持ちにあまり敏感でない人には分からないものかもしれないと思いました。
【境界線を引いて自分の人生を取り戻そう】という見出しの部分には、私が自分の気持ちを掘り下げて気づくことができたことそのものが書いてありました。
それは以前にこのブログでお話しさせていただいたことがありますが、“あなたの自由な人生を「一番身近にいて応援してくれるはずだった親」が、心に問題を抱えていたことで、できたはずのことができなくて、やらなくてもいいことまでやらされていたのかもしれません”の部分です。
積極的に「応援」して欲しいとまでは思ったことは無いけど、ただ「認めて」「受け止めて」欲しかった。ニュートラルな感情を抱けなくても、せめて口出ししないで欲しかった。でもされているのは否定や批判、心配で「モチベーションを殺ぐ」ことばかり。
親との間に境界線を引いて自立できたら可能になることとして次のことが書いてあります。「興味を感じることをやってもいいし、好きな人と一緒になってもいいし、働きたいと思う仕事に就くこともできる」。「押し付けられたことは断ってもいいし、大切にしてくれない人から離れてもいい」。
自分の視界が開けて、生きるのが軽やかで楽しそうで、希望が持てる感じがしました。
「価値観」に境界線を引く
- あなたの価値観と親の価値観を分けて考える
ここまでに親との間に「境界線」を引くことが大事と説明がありました。それからコンプレックスを抱える親がする領域侵害には「価値観」「感情」「責任」の3つの領域があるとも説明されました。
「境界線」を引くのは、この3つの領域それぞれについてでのことだそうです。
まず「価値観」で境界線を引くとは、親と子の価値観はそもそも違うものだと理解し、それらを分けて考えるようにすることのようです。
そもそも親と子は違う人間で、価値観が違うのも当然。子どもにとっての幸せは、子ども自身にしか分からない。だから親の価値観に従う必要は無い、親に価値観を否定されても迷わなくて良いことが説明されています。
私は親が過干渉・過保護で、正に価値観の領域侵害を受けてきました。私は自分の価値観と親の価値観が違うことはわりと幼い頃から理解していましたが、「親が私の為を思って」「親心で」「善意で」言ってくれていると信じたかったので、親の意見を拒否するのが申し訳なくて言いなりになってしまうことがけっこうありました。
大人になった今は、親のしていることが価値観の領域侵害であることは良く分かりますが、今も親は「価値観は親子でも違うものだ」と気づいていないので、価値観の押し付けは現在も続いています。
リアルタイムで親の価値観を押し付けるメールが来ていて、「反論する」か「取り合わない」べきかを悩んでいます。今のところは後者の「取り合わない」方を選択していて、メールが来ても返信せず親の都合に合わせない、というところで止まっています。
そしてここでは、正にその解答となる説明がされていました。それは「親と戦わなくていい」ということでした。
そもそも「自分にとって正しい価値観は自分にしか分からない」のだから、親の価値観が間違っていることをわざわざ証明しなくても、自分の価値観が既に正しい。それから戦うことは、自分の貴重な時間や精神力の無駄遣いにしかならない。仮に親に勝っても自分の人生が幸せになるわけではない。負けたら憎しみと後悔が残るだけ。
そのように説明されていて、私は相手にしなくて正解だったのかと少し安心できました。でも相手にしないのは、ただ問題を先延ばしにしているだけのように思えたり、また威圧的なメールが来るのではないかという不安があり、正解は分かっても「これで良い」と完全には思えていない状況です。
親との価値観の間に境界線を引くには、大事なことほど「自分の好き嫌いの価値観を優先して生きる」とのことです。自分の好き嫌いを受け入れ、好き嫌いの感覚で生きてみる…これまでの私では考えもつかないような生き方です。
私は人間関係など他者と関わりがあったり、自分の判断が他者に影響することについては特に「好き嫌いで判断するのはいけないことだ」と昔から思い込んでいました。
例えば自分に嫌がらせしてくるようなクラスメイトでも全員平等に接するように努めてきました。それでクラスメイトから信頼されたのか分かりませんが、やりたくないのによく学級委員に推薦されて胃が痛い思いをしたりしました。
24歳の学生の時、専門学校でお世話になっていた先生に「天皇陛下じゃないんだから」と言われたり「あなたは“悩める優等生タイプ”」と何かの診断で言われたり、とにかく私は理性による感情の制御がすごく強いようです。
いつも頭にあったのは「自分が好きか嫌いか」とか「自分がどうしたいか」ではなく、「この状況でどんな行動をしたら周りが少しでもベストな方向に進むのか」「どんなことをする人の存在が求められているのか」「(例え嫌なことでも)ここで自分がやれることは何か」というのが行動基準でした。
前の記事でも少しお話ししましたが、私が生きやすさを求めて活用し始めたスピリチュアルの視点に「自分軸で生きる」という考えがあります。そしてその自分軸で大事とされているのが正に「自分の好きを大事にする」こと。好きは心地好さであり、自分の心地好い選択をしていくことが幸せに繋がる。むしろ、心地好い選択をしたその瞬間、既に幸せになっている。
私のような30代後半、そして40〜50代、中には60代くらいの人々は、「集団行動」が重要視された“土の時代”をずっと生きてきたのに、これからは「個性」が大切になる新しい“風の時代”にシフトチェンジする間の時を生きることになり、適応するのが一番難しい世代と言われているようです。
そのような方々は私のように「周りを大切に」という意識があって、「自分の好き嫌いを大事にする」ということに抵抗を覚える方も多いかもしれません。
“土の時代”は『社会の構造』を作り上げたり『物質的豊かさ』を得る為に「集団の力」が必要だったから、時代の流れとして必要だし正しかった。でもそれはもう出来上がったから、人々は新しい生き方をして良い。これからは『個性』や『精神的豊かさ』が重要視される時代だそうです。
この『個性』や『精神的豊かさ』が大事にされるというのは、すごく本質的に人々が幸せになれる素晴らしい時代なのでは、と私は思います。
皆が、ありのままの自分が受け入れられて心満たされる。言い過ぎかもしれないけど「幸せの最終形態」のような…。様々なテクノロジーが発達して想像できないよいな変化が起きたら、また異なる形の幸せもあるかもしれませんが。
私がスピリチュアルで求めていたことと、親子問題の解決策が見事に重なりました。親子関係を上手く築けなかった人はその後の人間関係を築くのにも苦労すると聞いたりしますが、本質を突き詰めると同じ所に辿り着くのかもしれないと思いました。
「親のコントロールから脱出するには自分の好き嫌いを受け入れること」、「好き嫌いという感覚で生きてみること」とまとめられていて、私が幸せになるにはこれまで生きてきたのと真逆の、理性ではなく感覚に従い“優等生”(と思ったことは無いけど)を辞めるという気持ちが必要なようです。
自分の感性や感覚を大事にして、それでも良いと言ってくださる人々と楽しく生きていく。人間関係は数じゃなくて質(相性)。そして、そこに私の「親」は居ないのかもしれないけど。
「感情」に境界線を引く
- あなたの感情と親の感情を分けて考える
次に「感情」に境界線を引くことについて、説明されてます。それは「親の感情は親自身が感じているもので、あなたが感じさせたものではない」ことを知り「親の感情とあなたの感情を分けて考えることによって罪悪感に飲み込まれないようにすること」であると言われています。
その方法として@「親の感情に疑問を感じていい」、A「親をかわいそうな人だと思わなくていい」、B「親を嫌いになっていい、嫌いなら離れていい」の3つの説明がされています。
私は親に自分が「悲しい」「寂しい」ことをずっと言えず、傷ついていないフリをしてきました。それは、私がそれを表現したら、親に受け入れて貰えるとは思えず、逆に反発されるのではという思いもあったからです。
でもこの数年になり、私は自分を知ってもらうには多少、親を責めていると受け取られてしまっても本当の気持ちを伝えないとやはり伝わらないかもしれないと思い少しずつ伝える努力を始めました。
親のしていることは過干渉であるということに少しでも気づいて欲しくて、父親のプライドを傷つけるかもしれないとは思いつつ勇気を出して「子育ての本を読んでください」とメールで返信しことがありました。
『もうこれ以上、苦しまないで! 嫌いな親との離れ方』の以前のご説明にもあったように、これは親と戦ってしまった形なのかもしれず、間違いだったのかもしれません。予想通り「ショックを受けた」と父親からのメールの返信にありました。
つくづく自分の口下手さ、気のきいた言葉の言えないもどかしさが嫌になったのですが、例え親を傷つけたとしても自分の本当の気持ちを少しでも知って貰えたのは一歩前進だったのではという想いもあったりはします。
そしてこのケースは正に@「親の感情に疑問を感じていい」に当てはまりそうです。私は父親を傷つけたのか?
ここでは「あなたが親の生き方を否定したとか、誰が見てもそうだとわかるような言葉や行動で、あなたが親を傷つけていたかどうか」「あなたがそれらのことをしていないのであれば、親を傷つけている事実はありません」と説明されていました。
私は、自分がされて嫌なことは他人に極力しないよう努めてはきたけど、あのメールは親の生き方の否定になってしまったのだろうか?つまり結局は似た者同士ということなのかもしれません。私の言葉は本質を突き過ぎるみたいなので、ネガティブな発言はやはりあまりしたくないと…分かってはいたけど改めて思いました。
本来はここで「子どもは親を傷つけていないから罪悪感を持たなくて良い」という流れになるのですが、私はまた罪悪感から逃れることができなくなってしまいました。スピリチュアル的にも、罪悪感は手放さないと幸せになれないと言われています。その為には「全てを許す」というメソッドが必要になりそうです。自分のネガティブな部分も全て許す、私は許されて良い存在なのだと受け入れる。
近い人間関係だからこそ余計に傷つけ合う可能性は高いもの。それを乗り越えたら、本当の親子になれる。まずは言葉だけでも、そんなポジティブなアファメーションをして希望をつないでおきます。
それからA「親をかわいそうな人だと思わなくていい」については、私と母親の関係が当てはまりそうでした。
こちらのブログで以前にお話ししたこともありますが、私は子どもの頃、実家であった“嫁姑問題”の調停の為に母親、そして祖母の愚痴もそれぞれに聞いていました。二人が愚痴を言えてスッキリすれば、嫁姑問題も少しは緩和するのではと思ったのです。ネガティブワードを聞くのは楽しくもないし神経をすり減らして精神的に疲れていることが多かったです。でも疲れているのがバレて心配されないように、近くの児童公園などに行ってぼーっとしたり、自然に触れて自分を癒していました。
実はこれは、「愚痴を言う親を助けていると依存が止まらなくなる」ということで、また私が親の問題を大きくしていたパターンのようです。
「愚痴を子どもに聞かせるというのは依存心の強い親がする」そうで、親が苦しさやつらさを感じるなら親自身がそれを解消しなければいけない。「それなのに、愚痴を聞き続けてくれるあなたが目の前にいたら、かわいそうな親のままでいれば子どもが支え続けてくれると思い込み、ますます弱い親を演じてあなたの優しさに依存してしまいます」とのことです。
愚痴る親を助ける必要は無く、助けなかったことを批判されても自分を責めなくて良い、そして親自身が問題に向き合うことで根本的な解決につながるそうです。
私は20歳の時に実家を離れることで、この愚痴とはけっこう距離を置けるようになりました。長期連休の度、義務感で帰省するとまた母親の愚痴がすぐ始まりましたが。親からの依存を抜ける手段として、物理的に離れて距離を取るのがとても有効な手段であると後程に説明があります。子どもの頃から、早く大人になって家を出て自分の力でやりたいことをやれるようになりたいと思っていた私は、本能的に必要なことが分かっていたのかもしれません。
Bの「親を嫌いになっていい、嫌いなら離れていい」ということについては、正に本のタイトルにある「嫌いな親との離れ方」に触れる部分でもあります。
親から離れてもいい、それは「尊重してくれない人を好きになれないのは自然なことだから」だそうです。確かにDVやお金を取られるなど分かりやすかったり酷い人権侵害を受けてきた方々ならそうかもしれません。でも私は「毒親」という程のことをされた訳ではないので、我慢しなくとも「嫌い」とは思っていません。それでいて「好きか?」と聞かれたらそうとも言えません。ただ精神的にしんどいことが多かったから、「放っておいて欲しい」というのが親に対して一番しっくりくる感情です。
私情ですが、命の危険を親から感じたことがあるような方々は特に、親を嫌いになったり親から離れたいと思うことで自分を責めないで欲しいです。迷って一緒に居続ける時間がとても危険かもしれません。あなたの感情、あなた自身を一番大事にして欲しいです。
「責任」に境界線を引く
- あなたの責任と親の責任を分けて考える
次に「責任」に境界線を引くことについて、説明されています。それは「親の責任がなんであるかを理解し、あなたが責任の肩代わりをしなくてもいい」ということのようです。
その具体的な内容として@「親孝行や恩返しをしなくていい」、A「親が決断したことに責任を感じなくていい」、B「親の介護や病気の世話をしなくていい」、C「親の“死ぬ”という言葉を恐れなくていい」という説明がされています。
@「親孝行や恩返しをしなくていい」のは、「子どもを養育するのは親の責任だから」だそうです。ここで説明されていることは、大人の方が子どもをもちたいと思った時、知っているべき知識や心構えのように思います。
また高校生や大学生くらいの時期に、予備知識として授業に組み込まれていても良いのではないかというくらい大事なことのように思えます。
「心が健康な親は、子どもの養育にかかるお金や時間、労力を、当たり前のように自分の責任だと考え」、「親孝行や恩返しを求めもしないし、感謝を強要するようなこともしません」とのことです。
そしてもし親から「苦労して子どもを育ててきた」や「育てるのにお金がかかった」などと言われた場合は、それは「親が責任を果たす覚悟がないまま親になってしまった」ということだそうです。
“親孝行”は子どもがしたい気持ちがあるならすれば良くて、その善意は義務ではないと説明されています。
私は母の日や父の日などによくプレゼントを贈ってきました。そこに義務感は無く、純粋な感謝の気持ちや、喜んでくれたら自分も嬉しいからでしたが、どこか「こんな面倒くさい私を育てさせて申し訳ない」という“罪悪感”もゼロではありませんでした。これは私が一方的に親にコントロールされていたケースと言えるかもしれません。
Aの「親が決断したことに責任を感じなくていい」のは、「親の人生で起こったことは親の責任だから」とのことです。
ここに書かれている「進学や留学にかかった費用を返済しろ」は、私は親に言われた訳ではありませんが、私がまた一方的に罪悪感を抱いているケースです。
「学校や塾に通わせるために使った教育費も〜親がそれをすると決めたのであれば親の責任になります」とのことで、祖母や知人に「遠慮しないでもっと親に頼って良いんだよ」と言われたことを思い出します。
BやCについてもとても分かりやすい説明があります。親の介護で悩んでいらっしゃる方、親の言う通りにしないと「死ぬ」と言って脅されたことがある方は、ぜひご自身で読んでみてください。きっと心の救いになると思います。
「過去の自分」「親の呪縛に縛られた人」に境界線を引く
- 「過去の自分」と「現在の自分」とのあいだに境界線が引かれていないと…
- 「親の呪縛に縛られた人」とのあいだに境界線が引かれていないと…
- 我が子を傷つけてしまいそうで怖い
ここまでの境界線は、「親と自分の間に引く」ものの説明でした。でも次に説明されている“過去の自分に境界線を引く”とは「自分の中に引く」境界線のお話しとなります。
心が酷く傷つくことをよく「トラウマ」と言ったりします。そして何かをきっかけにそのトラウマを思い出してしまうことを「フラッシュバック」と言ったりします。
幼い頃の親子関係にトラウマがあると、大人になってからもそれがフラッシュバックして苦しくなってしまうことがあります。その時にフラッシュバックを柔げるには、「親から傷つけられたのは過去の自分であって、現在の自分ではないということを認識することから始めます」とのことです。
そのように「過去の自分」と「現在の自分」を分けられると、危険や恐怖を感じたのは過去の記憶だから、現在の自分は危険でもないし恐怖を感じることもないと思えたら、回復が早くなるそうです。
これは例えば、傷つけてきた親が今はもう亡くなっていて自分がこれから傷つけられる心配は全くないのに、過去の親にされたことを引きずり続けてしまっている方にとても有効な手段のように思われます。
とても苦しいトラウマがあると、今は安全と分かってもなかなか過去を忘れられないかもしれません。でもご自身が楽になってこれから幸せに生きる為に、是非“過去の自分に境界線を引く”を試してみてください。
次に“親の呪縛に縛られた人に境界線を引く”ということについて、説明されています。
「親の呪縛に縛られた人」というのは、 実は同じように心が不健全な親に育てられたけど、その毒性をまだ理解できていない人とのことです。
自分の親が悪い親だと思いたくない罪悪感があり、苦労して育ててくれたはずだから「私は親に感謝しなければならない」と自分自身に言い聞かせるようにしている、そして目の前のあなたが親から距離をとっているのを、親を大切にしようとしていないと決めつけ、「なんで私と同じようにしないの!?絶対におかしい!」と怒って否定したくなるそうです。
それに対して心が健全な親に育てられた人々なら、親子間でしっかり境界線が引けているので、ことさら親を大切にしようと思わない、親から距離をとっている人を見ても否定したいと思わないそうです。
これから自分を信じて前進するには、同じ「親子問題」に悩んではいるけど、この本を読んで知識を得ているあなたに対して、知識を得ていないある意味では“後輩”的な人々に対して境界線を引くことも重要と言われています。揺らがず進みたいですね。
子どもの頃、親に暴力を受けて育った人が、大人になったら子どもに暴力をふるってしまうという話をけっこう聞きます。
そのように親から受けた心の傷が影響して、自分も親と同じように誰かを傷つけてしまうことを「世代間連鎖」と言うと説明されています。
これが起きるのは、親が抱えていた心の問題を理解できず、また境界線も上手く引けないまま、親になってしまった方に多いようです。
もし「我が子を傷つけてしまいそうで怖い」という気持ちのある方は、是非この本を読んでみてください。方法が分かれば、きっと変われます!
境界線を引いて自然な親子関係に戻る
- 親もあなたも幸せに生きるための境界線3つの原則
- 子も親も自立するから幸せになれる
- 自立できたときの心境は?
【境界線を引いて自然な親子関係に戻る】の部分は、私がこの本『もうこれ以上、苦しまないで! 嫌いな親との離れ方』を買うことになった大きな理由のうちの2つ目です。
よく、何かの問題について理路整然と説明されてはいるけど、実際にはそれをどう活かせるか分かりにくかったり、どう行動したら良いか分からない本もあります。でもこちらの本は違って、提案されていることをするとどうなれるのかが分かりやすく、必要な行動も明確にできると思います。
不健全な親と適切な境界線が引けていない場合、基本行動として3ステップが説明されています。
それが@「距離をとる」、A「本心を伝えて断る」、B「自分のために生きる」です。
@「距離をとる」は、心理的にも物理的にも親から離れることが提案されています。適切に距離をとれば、親がコントロールできなくなり、それが親の自立につながり、自分も自立していけるようになるそうです。
私自身としては、物理的な距離は20歳から一人暮らしをしていてとれていましたが、心理的な距離は実家暮らしの時よりは改善されたけど、ずっととれていなかったように思います。
A「本心を伝えて断る」の部分は、リアルタイムで私が欲しかった答えが書いてありました。少し長くなりますが引用いたしますと「あなたが本心を伝えて断っていると、親はあなたの気持ちを知るようになります。親も、自分が何を言えば子どもから断られ、何をしたら距離をとられてしまうのかと考えるようになります。それは、今までずっとあなたを傷つけていることに気づけなかった親が、あなたの身になって考えてみるきっかけを得たということ。」の部分です。
本心を伝えたり断ることは親を傷つけるかもしれないと思ってずっとできなかったけど、ここ数年、少しずつですが伝え始めたのは良かったのだと安心できました。
B「自分のために生きる」の部分は、Aが少しできてきた私には、“次に、これからはどうして行くべきか”という道しるべをいただいたような気持ちです。
また本文から引用させていただくと「否定されても行動をやめず、押しつけられても本心を伝えて断るあなたの姿を見せていれば、親は実際にコントロールすることができなくて支配や依存は減っていきます。そして、あなたを利用できなくなった親は、自分の人生に向き合い始めます。」とのことです。
以前に私は「(私の心配ばかりしないで)自分の人生に向き合って大事にしてください」と親に伝えたことがあるのですが、私が親に望んだことは正しかったのだと分かりました。伝え方が正しかったかは分かりませんが。
「子も親も自立するから幸せになれる」の部分では、親と距離をとることにまだ完全には罪悪感を無くせていない私にとってすごく響く説明が多いです。
私が距離をとれないと、親の自立を妨害することにもなる。私が親の側に居ると親に期待を抱かせてしまい、親は自分の人生に向き合えず幸せな人生を作れない。そのように主語を「私」にして、よくインプットしたい内容だと思いました。
よく結婚は、自立した人同士がしないとお互いに幸せになれないと聞きますが、親子関係も親と子それぞれが自立してこそ健全な関係を築けるのだと分かりました。
「自立できたときの心境は?」の部分は、まだ完全にではないけど親への罪悪感が減ってきて心理的自立も少しできてきた私にはすごく納得のことが書かれています。
それは、自立できるとすごくハッピーという感じよりは、「心の平穏」や「安心感」という言葉の方がしっくりくる感じということです。
また「身も心も自立すると、大きな迷いもなく、強い恐怖心や緊張感もありません。」とのことで、私は正に常に緊張感状態で不安もいつも抱えていました。大人になった今、ストレスにより無意識の歯ぎしりを続けて歯がすり減ってしまっている程、それが平常運転のような感じでした。
同じように苦しんでらっしゃる方はどうか諦めないでください。不健全な親との間に境界線を引けて、距離をとれた人々はみな「毎日、安心して暮らせています」と言われているそうです。作者の川島さんも次のように言われています。「親子関係で悩むのは、もうここで終わりにして、1日も早く平穏な日常を手に入れてください。」と。正しく対処すれば、きっと今よりは楽になれます。
次は第4章です。
第4章 大人の親子関係相談いろいろ
【Case1】親から日々の行動や人間関係を監視されていた七海さん…(仮)28歳 公務員
【Case2】親から期待を押し付けられていた達也さん…(仮)34歳 医師
【Case3】親から結婚を反対されていた麻衣さん…(仮)32歳 会社員
【Case4】親に経済的依存をされていた亮太さん…(仮)29歳 会社員
【Case5】弱い母親が心配でそばを離れられなかった美月さん…(仮)27歳 会社員
ここでは親子関係に悩む方から川島さんがよくいただくという相談事例が5つ紹介されています。苦しい親子関係から抜け出して自分の人生を取り戻した、成人した5人の子どもたちのエピソードで、よくある相談事例をもとに作成したフィクションの形で説明されています。
親子問題で悩んでらっしゃる方はそれらの事例で「親の言葉や行動がどんなものか」、「子どもたちがどんなも心理状態になっていたのか」に注目し、ご自身が抱える問題と照らし合わせながら読んでみてくださいとのことです。
こちらには川島さんのカウンセリングではどのようなアドバイスやサポートがしていただけるかも含めて、本当にリアリティーがあり分かりやすい事例の説明がされています。
カウンセリングを受けてみたいけど迷ってらっしゃる方は、ぜひ本をご参考にしてみてください。
相談事例の具体例なのでこの章の詳細をご紹介するのは割愛いたします。ただ私個人の経験としては、【Case1】にある“メッセージや電話が沢山来る、少しでも対応が遅れると「なんで電話に出ないんだ」と責められる”など、私にも苦しさがとても良く分かるものがありました。
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本日もお付き合いくださいましてありがとうございます!
まだご紹介が途中ですが、
記事の内容が良さそうと思えましたら
シェアいただけると、とても励みになります↓
もし身近で親子問題に苦しんでらっしゃる方がいらっしゃいましたら、本やブログをご紹介いただいてお役に立てたら幸いです。
それから、川島さんに直接問い合わせたり、カウンセリングの依頼をご検討される方はご参照ください↓
著者:川島崇照(たかあき)さんのプロフィール
おとなの親子関係相談所 代表
川島崇照メンタル・トレーニングオフィス 代表
1974年生まれ、新潟県出身。
2011年にカウンセラーとして独立。
「おとなの親子関係相談所」https://親子の悩み相談.jp
Twitter⇒@oyako_kankei
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