2015年03月17日
インドの旅46
食事も終わり、外も薄暗くなった所で、みんなテラスに集まった。嫌でも自分の部屋前はテラスなので一緒に話をする事にした。ガングロに焼けた肌の軍団が何やら吸い出した。よく見るとマリファナであった。このプリーでは簡単に入手出来るみたいで、食事前に買い物に同行した日本人もマリファナを買ったのだと、ここで分かった。みんなタバコみたいな感じで時間が経つにつれてボーっとしたり、笑ったりしていた。いつの間にか空は暗くなり、1人の男性がギターを弾きだした。聞いてみると毎夜の事で、みんなは夜の時間を過ごすのが好きで、このプリーのサンタナ・ロッジで沈没していくのだと言われた。プリーだけの為にインドに来る人も多いみたいで、リピーターも多いらしい。夜は外出禁止のはずだが、下から宿の入口を叩く音と欧米人が英語で話す声が聞こえてきた。店主が英語で追い払って、テラスまで上がってきて、欧米人の話を教えてくれた。欧米人の目的は「女」であった。この宿にいる日本人女性を目的に来たらしく、欧米人を門前払いしたとの事だった。店主はストレートにセックスがしたいから日本人をターゲットにして来たんだろう。とも話してくれた。そのターゲットは目の前でぶっ飛んでいる。こんな状態で欧米人の部屋なんかに行ったら、間違いなく犯されるだろうと感じた。自分は部屋に入り日本の漫画を借りて読み始めた。ビールを飲んだせいか知らぬ間に寝てしまい、1日目のプリー滞在が終わった。
2015年03月16日
インドの旅45
インドに来て初めての海を見た。ベンガル湾の海は透明度が、そんなにある訳ではなかったが綺麗に見えた。インド人のトイレ変わりに使われている海だと宿では言われたが、それらしい汚物は目にする事がなかった。海岸をちょっと歩き、付いてきた日本人の買い物をその足で行く事にした。サンタナ・ロッジに近い道で何やらインド人と陰で、その人は話出した。知り合いなのかは分からなかったが、ビニール袋を彼はポケットの中に入れて道に戻ってきた。田舎なのか分からないが、この街のインド人は執拗以上な声の掛け方をしてこないので、安心して歩く事が出来るが、彼は一体何を買ったのか分からなかった。宿に戻るとディナータイムで、食堂には日本人が5人ほど座っており、自分達が座ると更に5人ほど集まってきた。店主が「今日は市場で小さい海老が手に入ったので油で揚げるが30ルピーで食べたい人はいないか?と言ってきた。一緒に買い物に行った彼が食べたいと言うと、すぐに揚げて持ってきてくれた。みんなの夕食も運ばれてきて、自分はチェックイン時に伝えたカレーが出された。カレーはインドのカレーではなくて日本のカレーにアレンジされた物で久しぶりの日本食っぽい物が食べられた。他にもハンバーガーなどもあり、注文した人のを見たが結構美味しそうに見えた。一見、学校の給食みたいな感じがしたが、この宿で生活する限りではお金を持ってジュースを買いに行く必要もないし、食事にも困らない。全部チェックアウト時に支払うので便利でシステムが確立されていたのが嬉しい所だった。
2015年03月13日
インドの旅44
サンタナ・ロッジのテラスで初対面の日本人男性と話をしていたら、次々と宿に泊まっている日本人バックパッカーが集まってきた。自分も暑いインドを旅して浅黒い肌をしていたのに、ここの宿泊者は全員が真っ黒になっていた。どうして、みんな真っ黒なのか聞いてみたら、毎朝の早朝に海に入っているうちに黒くなったと話してくれ、海はテラスから見る事が出来た。毎朝、海に入ってこんなに黒くなるもんかと感心していたら、みんなプリーに3ヶ月ほどいるとの事だった。日本人の女性も多く泊まっていて、まるで1つのコミュニティーが出来上がっているかのように、仲良くて楽しく過ごしているように感じ取れた。まさに沈没の街であった。少ないお金で毎日が満喫出来るので、ここから出ようと思わないと言われ、自分もここで沈没生活を始めるのかな?と不安になった。男性は水着姿で、女性は水着にTシャツを着ている格好で1日を過ごしていると教えられた。おおよそ15人位の日本人が宿泊しているみたいで、その中に1人の男性に目がいった。彼は、一昨日にプリーに着いてサンタナ・ロッジにチェックインしたばかりで、肌もそんなに黒くなくて自分と同じ短パンにTシャツ姿だった。まだ、ここに慣れていない者同士で仲良く出来そうな感じだった。ちょっと外に出て、海を見てみようと思いテラスから出ようとした時に1人の年下っぽい男性が「海は地元の人間がトイレとして使っているので注意せえよ!」と言ってきた。まだ初対面なのにタメ口かよ。と思いながら、礼を言って外に出てみた。外に出た時に、後ろから一昨日ここに来た男性も付いてきて、一緒に外を歩こうと言ってくれた。男性が言うには、ここにいる皆が仲良し過ぎて、中々輪の中に入れないんだよね。とぼやき始めた。さっきテラスにいた時に、そんな空気はあったが、この宿に泊まっている人達は先にチェックインした者が年に関係なく上だと言う事を教えてくれた。何か面倒臭い所に来てしまったなーと思いつつ海を目指した。
2015年03月12日
インドの旅43
不思議な事に予定よりも、夕方前にプリーの駅に到着した。確認しなかった自分が悪いのだが、乗っていた電車はプリーが最終駅だと言う事にも降りた時に気付いた。地図ではプリーは大きい街だと思っていたのだが、意外と小さい街で田舎であった。まず、宿を探さないといけないのだが、ガイドブックにある小さな地図で歩き始めたはいいのだが、役に立たない地図なので宿がある所を街の人に聞きながら歩く事、20分で「サンタナ・ロッジ」と言う所を見つけた。道路は凸凹で舗装も綺麗に整備されていなく足元が悪かったので、かなり駅から遠く感じた。サンタナ・ロッジに入り店主がいないので、チャイムを鳴らして店主を呼んだら、すぐに店主がきた。チェックインする際の注意事項と言うのがあって日本語で書かれているのを読まされた。食事は付いていて、夕方4時頃までには何を食べたいのかメニューの中から選んでフロントに伝える事や深夜の外出は出来ないと、色々書かれていた。このサンタナ・ロッジは、日本人向けの宿になっているみたいで日本人しか宿泊していないと店主が話してくれた。チェックインの最中に何か臭うなと思っていたのだが、自分の足元を見ると、なんと!人糞を踏んだらしく、物凄い悪臭を放っていた。店主に連れられて、一番最上階のテラスの横にある大部屋に通されたが、他にいたのは1人の日本人男性しかいなかった。この部屋の好きなベッドを使っていいと言い残して、自分は早速シャワーを浴びて汚い足を洗う事にした。部屋にいた、日本人男性は寝ていたのだがシャワーから出てきたら起きていて、早々に挨拶を済ませた。この男性は肌の色が黒くて、日本人に見えない地元の人にも見えた。部屋の中にいるのも何なので、テラスで会話をする事にした。外は暑いがカルカッタに比べたら、心地よい所であった。
2015年03月11日
インドの旅42
カルカッタを出発する朝がきた。部屋のみんなが宿の外まで見送ってくれて、みんなに挨拶をして、タクシーに乗り込んだ。昨日、カルカッタに着いた日本人男性は「プリーに行くので、プリーで待っていて欲しい。」と最後の別れを言っていた。自分は急いでいないので、恐らく会う事になるだろうと思い、駅を目指した。駅に向かう途中の大きい橋を走っている時に何故かカルカッタに来たばかりの時を思い出し懐かしくも思えた。駅に到着して、自分の電車を探したが未だインドの電車が定刻通りに来ないと思い信用出来なかったので案内所で電車の確認をして、自分の電車が何番線か聞いてみた。カルカッタが始発だったので電車は、すでに待機していた。地図上ではカルカッタからプリーまで近く感じたので一番安い椅子席にしたのだが、どうやら8時間近くは掛かるらしく、水とバナナを買って出発を待った。定刻を30分過ぎたあたりでカルカッタを出発した。電車の速度が上がるにつれて熱風が外から入ってきて、その風が心地よく感じ、大都市のカルカッタを出ると田園風景が目に入ってきた。電車を乗って分かった事があったのだが、未婚男性はインド人女性の真隣に座る事は出来ないらしく、隣には男性が座る事になっている。これも宗教の違いなんだな。と感じていると、隣の男性から声を掛けられて談笑になる。インド人は、どの他の国の人よりもフレンドリーである反面、面倒くさいと感じる事もある。面倒な時は寝てしまうのが一番なので早速寝る事にした。適当に起きて、今どこを走っているのか聞けば必然とプリーに着くだろうと8時間の旅を寝て楽しむ事にした。
2015年03月10日
インドの旅41
次の日の朝一にブッタガヤから一緒だった友人がカルカッタ駅に向けてタクシーに乗り込む所まで見送りをした。デリーに着いたら、観光をして日本に帰るとの事だった。別れを告げたあとに、早朝のサダルストリート周辺を1人で散歩してみた。自分も今日でカルカッタの滞在が終わると思うと嬉しい気持ちもあったが、これから南周りでインドの旅が始まる嬉しさも同時にあった。喧騒の街中を歩いていたが、この日は猛暑で朝から暑かった。1時間ほどで宿に戻ったら、早朝に着いた電車で同じ部屋にチェックインしてきた日本人バックパッカーがいた。年齢は自分と同じだった。日本からバンコクに飛び、バンコクからデリーに飛んで、北ルートでカルカッタに着いたとの事。旅をして、まだ1ヶ月強と話していたが、着ている服はボロボロで旅が長い人に見えた。自分は明日にプリーに向けて出発する事を告げると、彼もカルカッタから南ルートを通って、再度デリーに戻ると話していたので、またどこかで会うだろうと話をしていたら、彼はプリー行のチケットを買いたいと言いだしたので、時間を持て余している自分がチケット売り場まで案内する事になった。彼には時間がなくて、一つの街に2、3日滞在したら次の街へと移っていると話してくれた。近くのレストランで朝食を済ませて、チケット売り場まで歩いて行き3日後のプリー行きチケットを購入して宿へと戻る事にした。結局、カルカッタではバングラッシーを見つける事が出来なく、カルカッタの滞在は終焉を迎えた。
2015年03月09日
インドの旅40
プリー行きのチケットを購入したせいか、次の街への移動と期待で満足であり安堵感もあった。ここで沈没する訳にもいかないので、宿に戻ってきた時には部屋の仲間に明後日カルカッタを出る報告をした。室内の友人達も、そろそろカルカッタを出ようかと言う話にもなり、みんな次はどこに行くか地図を広げだした。あとから部屋に来た自分達の方が先に出ていくのが羨ましくなったのかもしれない。残り2日、実質はフリーに動けるのは1日しかなかったので、サダルストリートから南の方へ歩いてみる事にした。サダルストリートから北は毎日のように動き回ったが、南側は行った事がなかった。明日出発する友人と共にブラブラと歩いてみたが、とりわけ新鮮味がなく面白い物も発見出来なかったが、ブッタガヤから共に行動した彼とは仲良くなり、一緒にいるだけでも面白かった。明日からは、また1人になってしまうのかと思うと残念な気持ちで一杯だった。一緒にプリーにも行ってもらいたかったが、出会いあれば別れもあるのが旅であった。旅で違う街へ行けば、また出会いがある。そう胸に言い聞かせて、彼の最終日は終わった。大きいトラブルもなく、カルカッタで過ごせたので満足はしていた。
2015年03月06日
インドの旅39
朝早く起きて、プリー行きのチケットを買いに駅まで行こうとした所、ブッタガヤから同行している日本人男性もチケットを買いに行きたいと言ってきた。ここ数日、日本に帰りたいと話していたのでホームシックかな?と思っていたが、やはりその通りみたいだった。一応、インドに来たからにはデリーに行ってから日本に帰ると話してくれたので、カルカッタからデリーまでのチケットを買いたいとの事だった。ホームシックは、初期段階は故郷の帰りたい願望が強くなるが、一定の期間を過ぎるとホームシックはなくなると説明したが、彼には無理だったみたいだ。タクシーに乗り、チケットを買うので駅まで行って欲しいと告げるとドライバーが近くに外人専用の電車のチケット売り場があると教えてくれたので行ってもらう事にした。車で10分ほど走ったら、あるビル前で降ろされて、ここの2階にあると教えてくれて料金を支払い、2階へと上がった。古い雑居ビルだったが、なんと欧米人がいっぱいいるではないか!確かに外国人専用と書いてある。自分は2日後のプリー行き、彼は明日のデリー行きのチケットを購入した。タクシーで渋滞も兼ねて10分ほどなら、帰りは歩いて帰ろうと整備されたカルカッタのメイン通りを散歩する事にした。彼の表情は明るくなり、日本に帰る日が近づいてきているのが嬉しいと話していた。
2015年03月05日
インドの旅38
宿に戻ると部屋の人達がまったりして喋っていた。今日は、どこにも出掛けてないみたいだった。自分が今日行った市場やマザーハウスでボランティアをしている日本人女性に出会った話出すと興味深々といった感じで聞いてくれた。周りからは行動派ですね。と言われたが色々と見たいのもあったし、カルカッタを今週には出るつもりと話した所、次はどこに行くの?と聞かれた。実は何にも決まっていなかったのだが、カルカッタに長いする理由もなかったので南を目指すと答えて、ガイドブックを見る事にした。目に入ったのが「プリー」と言う街だった。特に何があると言う訳ではなかったのだが、長距離移動が面倒だったので小刻みに動こうと思い立ったのであった。明日はチケットを買いに行く予定にして、部屋の人と一緒に夕食を食べにブルースカイカフェに行く事にしたが、カルカッタでバングラッシーを見つける事が出来なかったのは悔いに残りそうだったので、明日も探してみる事にした。しかし、同じ部屋の人達は出掛ける事が嫌いみたいで、よく汚い部屋で一日も過ごす事が出来るなと、こっちが感心するほどだった。
2015年03月04日
インドの旅37
市場から出て20分ほどは歩いただろうか。一人のインド人男性が話しかけてきた。ヒンズー教の寺があるので、見ていってもらいたいとの事であった。特に悪気があって案内している訳でもなさそうなので、入って見る事にした。入場料も取られなく、中へと入って行った。中は広くて、一番上まで昇っていき外を見るとカルカッタを一望出来る場所であった。改めて見るとカルカッタとバングラデシュのダッカによく似ている。両都市が近くにあるから変わり映えはないのだが、人と車の量が半端なく多い。ここを最後にして、宿へ帰ろうと決心をした。この先に進んでも帰りが遠くなるだけであった。広い寺の中は床に石が敷き詰められており、座るとヒンヤリしていて気持ち良かった。今の時間は誰もいないから充分に休んでいくといいと言われ、その場で横になり、天井に描かれている絵を見ながら、軽く昼寝をしてしまった。30分ほど休んで、帰ろうとしたが案内してくれたインド人はいなくなっていた。また、大通りに出てリキシャの人達から声を掛けられては断り、歩いて宿に向かっていた。前に歩いている日本人女性を発見したので、声を掛けてきた。彼女もサダルストリートに歩いて帰る所だと言うので一緒に帰る事したが、なぜこんな所を歩いているのか?と聞いたら、マザーハウスのボランティアが終わって宿に帰る所だと言う。聞いた事はあったが、実際にボランティアをしている人の話を聞いた事がなかったので、ほとんど自分から質問するばかりであった。彼女は、すでに3ヶ月もボランティアをしており、カルカッタに来ているバックパッカーが体験でボランティアに来るのはいいのだが、1日で辞めていってしまうので逆に足手まといになり、本当に人を助けたくて長期でボランティアを出来る人がいない。と嘆いていた。どこから見ても20才そこそこの感じだが、しっかりとした意志を持ち強い人だな。と尊敬してしまった。自分よりも年下なのに。。。彼女の話を聞いていると自分は何て小さい人間なんだろうと感じ、カルカッタからは早く出た方がいいのかな?ボランティアの人にベッドを譲ってあげないといけないな。と思い、近いうちにカルカッタを出ようと決心をした。暑い日差しの中、大混雑の長い道を歩いてきたが彼女と話しいたら、あっさりとサダルストリートに到着して別れを告げ宿に戻った。