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2016年03月03日

江戸時代の釣堀ではどのようなことがなされていたのか?

昨今では昔アチコチにあった釣堀を見かけることは少なくなりました。





現在のゲームセンター感覚で多くの方が足を運んだのが釣堀。





釣堀はいろいろな種類があり、プールぐらいの大きさのものから、銭湯の浴槽程度のものまで多種多様でした。





街のあちこちにあった室内の釣堀は銭湯の浴槽程度のものが多く、1メートルほどの竿でこの中に入れてあるコイやフナを釣るわけ。





コイやフナはひっきりなしに釣り人が来てはエサをつけてイトを垂れるので、全く飢えていなく、そう容易く釣れるものでないことは察しがつくはず。





いつしか水槽の中の魚が見えては面白くないと言うことで、水槽の中に染料が溶かされて不透明になり、泥水の中に竿を垂らすと言うような風情だったそうです。^^;





このような室内の釣堀以外にも広い敷地に池を作ったり、川の一部だけをせき止めて作った釣堀や管理釣堀が各地で見られたのです。





江戸時代後期の釣堀の様子を書いた「釣客伝」と言う本によると、江戸時代の釣堀は概ね2つのパターン。





「出勘定掘」と呼ばれる釣堀は料金さえ払えば釣った魚をすべて持ち帰ることが出来る釣堀。
「〆切掘」はあらかじめ釣っていい魚の上限が決められている釣堀。





こうした釣堀では釣り人たちの競争もよく行われていたという。





釣堀の持ち主が立会人となり、決められた時間内に何匹釣るかを競うというもの。





時間を計るのに線香を焚くとか、有利不利がない様に場所を移動するなどと言う細かいルールもあったようです。





今日の釣具メーカー主催のトーナメントの前身と言うべきスタイル??





時間が来ても取り込み中などという魚を釣れた魚とするかしないかは、立会人が行うとされ、左右の手にそれぞれの竿を持って二刀流で釣りをする名人もいたことが「釣客伝」に記されている。





当時の釣り事情を考察するために読んでみたい書物ですね!

日本で一番最初にブラックバスを釣って食べてしまった人は?【釣り歴史】

今や淡水のルアーフィッシングには欠かせないターゲットがブラックバス。





ブラックバスは1925年(大正14年)に、日本ではじめて芦ノ湖に70匹が放流されたことは既に承知のことだと思います。






で、放流後3年間はブラックバスの繁殖のために禁漁となり、解禁になったのは昭和3年の5月であった。





ところが、釣り好きの音楽家福田蘭童さんは、こともあろうに禁漁期間のうちにそうとは知らずにブラックバスを釣り上げて、な・・なんと!食べてしまったらしい??





父親はなんと「海の幸」で知られる画家の青木繁。





尺八奏者として知られ、作曲家としても活躍し、NHKのラジオ番組なども手掛けた音楽家で、料理や釣りにも長けた趣味人であったそうです。





彼は弟子と共に虚無僧の旅に出て、箱根までやってきたときに、モエビをエサに芦ノ湖で釣りをしたらしい。





このとき釣れたのがブラックバスらしい。






福田蘭童さんと弟子はブラックバス放流のことを知る由もなく、見たこともない魚を釣り上げてビックリ仰天。





「海でもないのに、スズキに良く似た魚が釣れた!!」と、何だかおかしい魚だと思いつつも、塩を振って新聞紙にくるんで土中に埋めて、その上で焚き火をして、
蒸し焼きにして食べたそうです。





恐らくはスズキの奉書焼きの知識があったはず。





その後二人は20匹ほどのブラックバスを釣り、近くの旅館にソレを持参して、ブラックバスと引き換えに宿に泊めてもらおうと考えたらしい。





ところが、旅館に行くと、「放流して今まで保護されていた魚なのに・・・、何てことを!!」と、旅館の主人に叱られたらしい。





叱られたところで、釣って死んでしまったブラックバスは生き返るはずもない。





しょんぼりして立ち去りかけた二人を旅館の主人が裏口から呼び止めて、ブラックバスと引き換えに宿を提供したと言う。


鉄腕DASH「DASH海岸〜北登のお祝い〜」でTOKIOが東京湾で狙ったかつて殿様にも献上されていた高級魚「2足歩行」の魚って何?

鉄腕DASHはTOKIOの5人がいろんなことにチャレンジする楽しい番組ですね。今回の放送では、かつて福島DASH村で共に過ごした仲間、北登が15歳の誕生日ということで、めでたい魚で作るお祝い料理をつくるというもの。 魚の調達から料理まで、非常に参考になりましたね。 このコーナーでTOKIOの二人がねらっていた「二足歩行」する魚をご存知でしたか?

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「二足歩行」する魚「ホウボウ」とは




カサゴ目ホウボウ科に属する魚で半円形で大きく、色が鮮やかな翼のように大きな胸ビレが特徴です。この胸ビレは青の縁取りと斑点に彩られています。この胸びれの下に「軟条3対」と呼ばれる足のようなものがあり、これで砂地の海底を歩くことが出来る。 この歩くさまから「ホウボウ(方々)」の名前が付いたとも言われています。 

刺身にすると透明感のある白身で、甘み、旨味があって非常に美味しい魚です。

ホウボウにそっくりな魚 「カナガシラ」

姿が似ている魚に「カナガシラ」があります。



カナガシラはホウボウと同じくカサゴ目・ホウボウ科の魚です。

良く似ているホウボウとの見分け方は、

ウロコが大きいのがカナガシラです。

ホウボウは大きいものは40cm以上になりますが、カナガシラは20cm程度の小型の魚で、シャープな魚体のホウボウに対し、全体的にやや丸っこいのがカナガシラですね。

またカナガシラの方は背びれに赤い斑紋があります。

こちらも胸びれの一番下の「軟条3対」と呼ばれる足で海底を歩きます。

カナガシラは基本、煮つけにすると美味しい魚です。 もちろん塩焼き、唐揚、鍋物でもなかなかいけます。
























一生のうち一番最初に食べる魚

このカナガシラの方は、「お食い初め」という生後3ヶ月ほどの赤ちゃんの離乳儀式で出る魚として、昔は重要な地位を占めていたとされています。

「お食い初め」とは、赤ちゃんが生涯食べ物に困らないようにとの願いを込めて行われる儀式で、用意された一汁三菜を身内で一番の年長者が赤ちゃんの口に箸で運び、健やかな成長を祈るものです。

その中の「焼き魚」として早く赤ちゃんの頭が固まって欲しいとの願いから、頭の固い魚のカナガシラが選ばれたそうです。

つまり、かつては日本人が一生で一番最初に口にしていた魚が「カナガシラ」ということになりますね。

昔は身近な魚として親しまれていたカナガシラですが、今では存在さえあまり知られず、ホウボウのほうが高級料理屋さんなどでみられる割合が多いのではないでしょうか。

まとめ

ホウボウは白身で上品な甘さが特徴ですので、ぜひ薄造りにしてポン酢で召し上がっていただきたい魚です。

賢い釣具の買い方

地域の釣り人とのふれあいを大切にしてきた釣具の個人店が次から次に閉店しています。





そのひとつの原因は、取り扱い品目が圧倒的に桁違いに多い釣具の量販店の多店化もありますが、インターネットが普及した昨今ではネットによる売上げは相当なものがあると思えます。





しかも、ネット販売の有利な点は、


・人件費がほとんどかからない
・大量の釣具の在庫スペースが不要
・注文があってからの買い付けができるため資金効率が良い

などと言うことが挙げられます。





だから安く売れるのです。





常連さんとの会話や釣り場情報を大切にした釣具の個人店も、エサや小物ぐらいしか売れないのでは経営は成り立ちません。





しかも、釣り場情報は昨今ではこれまたインターネットや携帯電話・スマホなどでも簡単に入手できる時代です。





こういう状況になると同じ品物であれば安いほうが良いに決まっていますので、釣り人は量販店で品物を手にとって吟味して、インターネットで最安値の品物を送料込みの金額で探し出せば済むわけです。





実際昨今ではパソコンが不得意だとか、パソコンをまるで使わないある程度の年配の方を除いてはインターネットで釣具を購入する方は実に多いのです。





ネット販売では日本最大級の釣具の量販店ですら入手できない釣具はもちろん、日本未発売のリールやロッドに至るまで簡単に入手出来ます。





また、外国の釣具を直接個人輸入できるサイトもあり、これが驚くほど安かったりします。





こういう状況下では個人の釣具店が生き残るのは、ますます難しくなることだと思います。





更に皆さんご存知のネット・オークションもあり、中古とはいえ一流ブランドのリールやロッドがかなりお安く入手できたり、入手困難なハンドメイドの釣具を購入したり、新品も数多く販売されています。





ネット販売の弱点のひとつは送料がかかることです。





ですが、送料込みの税込価格が量販店のバーゲンセールの時よりも安い場合は買っても良いと思います。





サルカンだとかカミツブシなどの釣具の小物などは送料を払ってまで購入するものではありません。





案外穴場が釣りバリです。





私はヤフオクで釣りバリを購入するようにしています。





大体300本入りだとか400本入りの釣りバリが400円〜500円ぐらいで販売されていて、メール便の送料80円をオンしても十分過ぎるぐらい安く手に入ります。





更に昨今ではあらゆるシーンで使われるPEラインもヤフオクを初めとするネット販売のほうが断然安いものです。





メジナ釣りのウキや、シーバス用のルアー、アジング・メバリング用のルアー、エギ、ジギング用のメタルジグなども数十個まとめて驚く様な値段で売られていることもあります。





私は有名ブランドのカタログを毎年いただき、気に入ったリールやロッドを実店舗で手に触れて、気に入ればネットで送料込みの値段を調べます。





驚くことに実店舗との価格差はもとより、ネット販売どうしでも同じ商品の価格差が5000円以上も違うこともあったりします。





20年ほど前にデジタルデバイスという言葉が言われていました。





つまりは情報格差があらゆるところで階差社会を生み出すという言葉ですが、釣具一つとってもネットであるブランドのある商品の最安値をすぐに探せる方と、そうでない人は購入価格の差が明らかに違ってきます。





首を傾げるほどの価格差があるのです。





私はこれまでオークションも含めて、インターネットでいろいろなところから、いろいろな釣具を購入しましたが粗悪品などは一度も当ったことがありません。





もちろん最初は不安でしたが・・・・。





インターネット販売を上手に使いこなしましょう!

2016年03月02日

サケとしゃけの違い

魚の鮭、当然みなさん知っていると思います。
でも読み方は「サケ」とも「しゃけ」とも読んでいると思います。
どっちも正しいような気がしますが、なにが違うのでしょうか?
サケとしゃけの違いってなんでしょうか?

諸説ありますが、個人的に一番もっともらしい説は「方言説」です。

・方言説
そもそもの鮭の読み方は「サケ」が本当の発音。
「しゃけ」は江戸時代の頃の人たちが、
さ・し・す・せ・そ・をうまく発音できないことから、
「サケ」ではなく「しゃけ」となまって発音した。

これが由来のようです。
その他、まだまだ方言説はあって

・鮭の語源であるアイヌ語「シャケンベ(夏食)」からきていて、
 アイヌ語には「サ」と「シャ」の発音の区別がなかったため、
 後にそれを聞いた和人が両方使った。
・主に関東方面の方言。
・日本海側では「さ」の発音を「しゃ」と言った。

などなど方言説だけでも色々です。
また、その他にもいろいろな説があります。

・生きている鮭は「サケ」。捕獲されて加工されたものが「しゃけ」。
・捕獲されても調理前は「サケ」。包丁を入れて味のついたものが「しゃけ」。
(辞書によっては、「シャケ=主に加工した物をいう」と注釈がついているものもあります)
・鮭の中でも「白鮭」の別名が「しゃけ」

調べれば調べるほど、真相は不明です。
ただ、大した違いはないってことでしょうね。
posted by AZARASHI at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 食品

太公望は実は釣りが下手だった!【釣り歴史】

釣り師の代名詞もなっている太公望。



本名は呂尚(りょしょう)とも呼ばれていた。



中国の周の文王の師となって、西周の開国に尽くしたとされる人物だったようです。



釣りをしていた呂尚が狩りをしていた文王と出会って、意気投合したと言われている。



呂尚が当時語っていた「釣りはエサをもって魚を誘い、君主は禄をもって士を誘う」と言う人材募集の方法論を文王はいたく気に入り、
「祖父の太公がずっと待ち望んでいた人物だ!」とした。
ゆえに太公望と言う名前がついたのです。



太公望は歴史書の中にはじめて登場する釣り師であり、釣りの始祖とされているが、彼よりも先に釣りをしていた人はたくさんいたはず。



漢の時代に書かれた「説苑」と言う書物によれば、太公望が黄河最大の支流である渭水のほとりで釣りをしたものの3日3晩経っても魚が1匹も釣れずに、癇癪を起こしていたときに、通り係りの農民が「細い糸で旨そうなエサを付けると良い。肴を驚かせぬように釣糸は静かに投げなさい!」とアドバイスしたところ、たちまちフナやコイが釣れたのだそうです。



太公望はとかく釣りが上手に思われているようですが、実は下手だったようです(笑)



また、太公望は出世する前に奥さんに逃げられた男として有名で、若い頃は読書ばかりしてろくに稼ぎもなく愛想を尽かした奥さんから逃げられてしまったのです。



その後出世した太公望の前に分かれた奥さんが登場し、復縁を迫ったのですが、盆に入れた水を引っくり返して「夫婦の仲は元にはもどらない!」と諭し、これが「覆水盆に返らず 」の謂れとなったそうです。

煮魚の煮汁を冷やすと出来る”煮こごり”って何?

お魚の煮つけを作って、残った煮汁を冷蔵庫で冷やすとゼリー状に固まりますね。 これを「煮こごり」といいます。 ある種の魚の煮汁を冷やすと「煮こごり」ができるのはなぜなんでしょう?

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煮こごりの要素は「筋基質タンパク質」



魚の煮つけを作った後の汁が冷めるとゼリーのように固まる場合があります。

これは、魚に含まれるコラーゲンが関係しているんです。

魚の筋肉を構成するタンパク質は、塩水に溶けるか溶けないかによって、「筋原繊維タンパク質」、「筋形質タンパク質」、「筋基質タンパク質」の3つに分けられます。

「筋原繊維タンパク質」は塩水に溶けるタンパク質。

「筋形質タンパク質」は塩水に溶けるタンパク質。

「筋基質タンパク質」は塩水にも水にも溶けないタンパク質です。

このうち、「筋基質タンパク質」を多く含む魚ほど煮こごりが出来やすくなります。

煮こごりの元はコラーゲン

筋基質タンパク質の主成分はコラーゲンです。

魚に含まれるコラーゲンは水を加えてゆっくり加熱すると、水を吸って膨らみ、ゼラチンと呼ばれる水溶性のタンパク質に変化します。

ゼラチンは水を加えて加熱すると溶けますが、冷やされると固まる性質があります。

つまり、煮魚の煮汁を冷やすとゼラチンが固まって煮こごりができるんです。

コラーゲンはゼラチン化すると、水に溶けるとともに柔らかくなります。

コラーゲンを多く含むフカヒレやすじ肉をゆっくり加熱すると、硬かった肉がとろけるように柔らかくなるのはそのためなのです。











コラーゲンの多い魚介類


コラーゲンの含有量の多いものは「煮こごり」になりやすくなります。

コラーゲンの多い魚介類は

アナゴ、ハモ、カレイ、ヒラメ、アワビ、サザエ

などがあげられます。

これに対して、アジ、イワシ、サバなどはコラーゲン含量が少ないため煮こごりになりません。

女性の強い味方「煮こごり」

コラーゲンといえばいわずと知れたお肌のつよーい味方ですね。

お肌をみずみずしく保ち、ハリを与え、またトラブルを起こしにくくしています。

また、関節などに存在する軟骨の「コラーゲン」は、さながらクッションの役割をして体重を支える部位の負担を軽減しています。

さらに、血管内の「コラーゲン」は血管をしなやかに保ちます。

臓器にある「コラーゲン」はそれぞれの臓器が円滑に働くよう役立っているのです。

女性の方には「煮こごり」のコラーゲンは良いものかもしれません。

まとめ

魚の煮つけで出来る「煮こごり」は大体の場合、冷蔵庫から出して、翌日食べますね。 冷えたにこごりをアツアツご飯にのせて、溶かしながら食べるのもなかなか乙なものですよね。 あ〜つばが出てきます。
posted by AZARASHI at 19:36| Comment(93) | TrackBack(0) | 食品

江戸庶民の釣りは趣味と言うより生活の糧でした

かっての東京湾の一部が埋め立てられて残ったと言われる不忍池(しのばずのいけ)は、江戸時代には今現在のなんと4倍の広さがあったそうです。





コイやフナなどの宝庫で、庶民が釣糸を垂らしては楽しむ自然に恵まれた池だったようです。





今現在では上野動物園や美術館、花見の行楽地として親しまれていますが、当時はもっと生活に密着した存在だったようです。





ところが、寛永2年(1625年)に建てられた寛永寺の庭先に当たるために、殺生禁止の池に指定され、釣りそのものが禁止されてしまいました。





おまけに不忍池を琵琶湖に見立てて、竹生島(ちくぶしま)が作られ、弁天堂までもが建立され、聖地のおもむきまで漂わせる場所になってしまったのです。





釣りが禁じられたせいで、魚たちもすくすくと育ち、池さらいをした時には2メートル近いコイの骨が出てきたという。





だが、役人の目を盗んで釣りをする人もかなりいたようで、まさに入れ食い状態だったと言う。





夜中にコッソリと魚を釣り、魚屋に売ることで生活の足しにしていたと言う。





こうしてコッソリと不忍池で釣りをする長屋の住人が主人公の落語が数々生まれている。





ご存知の与太郎が登場するお笑いで、見回りの寺役人に見つかった時の言い訳を考えたり、予定どおりに出来ないやり取りのシーンが、落語家の見せ場にもなる。





しかしながら江戸時代の庶民の釣りはこれらの落語のように生活のためであり、趣味としての釣りを楽しんだのは武士である。





名人や名工といわれる人たちに釣竿をオーダーするのは大名の道楽の1つであったという。





しかし、周知のように5代将軍徳川綱吉の時代には「生類憐みの令」によって釣りさえも禁止されると言う釣り人受難の時期もあった。


いかの頭ってどこの部分か知ってます?

イカの足のことを「下足」といいます。 塩焼きや天ぷらにすると美味しいアイテムです。 イカの体はこの下足と筒状の体ですが、さて「頭」はどこでしょうか?



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結構勘違い
イカの頭というと三角形にとがった筒状のところと思いがちです。 確かに足から考えると上半身が頭と思えますが、実際は違うんです。


答えは、目と口がある部分、下足の付け根のすぐ上のところです。 

つまり10本の足と三角形のヒレをもつ上半分に挟まれたごく狭い部分がイカの頭なんです。

また、正確に言うと下足は「足」ではなく、「腕」。

つまり、イカの体は頭から腕を出し、頭のうえに内臓の入った胴体があるというわけなんです。


































同じくタコも

イカとよく比較されるのが「タコ」。 

こちらも球体になった部分が頭だと思われていますが、そこは人間で言うところの「胴体」。 

ねじり鉢巻のタコのイラストを見かけますが、あれは正確に言うとお腹に鉢巻を巻いていることになりますね。























イカの2本の長い足(腕)


イカはもともと8本の腕を外に出し、残りの2本は普段隠していて、獲物を見つけるとそっと近づきこの2本の腕で獲物を捕まえます。

この2本の腕を「蝕腕(しょくわん)」といい、イカにとって特別な腕なので、他の8本よりも長く大きい作りになっているのです。






























イカ・タコには3つの心臓

生き物の心臓は普通1つ。 

しかし、軟体動物であるイカやタコには3つの心臓があるのです。 

これは、イカやタコの筋肉は運動量の多さから、常に大量の酸素を必要とするためといわれています。 

ただし3つの心臓はメインの心臓が1つ、あとの2つは鰓心臓(えらしんぞう)といわれるエラに血液を送る役目をもっているそうです。 

3つの心臓があるおかげで、イカやタコは海の中で猛スピードで泳ぐことができるんですね。


































まとめ

これまで、イカの刺身といえば、頭の部分を食べていたと思っていた方は多いのではないでしょうか。 実際は胴体だったんですね。 いずれにしても美味しければそれでいいんですけどね。

魚拓は庶民の芸術作品でもあった!【釣りの歴史】

釣り人はとにかく釣り仲間に大物の自慢をしたがることは今も昔も変わりません。





ところが、その話をするにつれ段々魚が大きくなるのが釣り人の自慢話。





自分が釣った魚がいかに大物であったかが誇張されて、次第に大きくなりがち。(笑)











65センチぐらいのスズキがいつの間にやら、ランカー級の90センチオーバーになっていたりします。(大笑)^^;





次から次へと人の口コミは大袈裟に伝わりますし、本人もとかく大袈裟に言いがち???





そんな大袈裟な話にクギを刺すために考案されたのが魚拓では??





魚に墨を塗って、和紙や木綿に形を残す方法が魚拓の始まりです。





これがいつ頃始まったかは定かではありませんが、現存する最古の魚拓は天保10年=1839年に、釣りを奨励する藩で知られる庄内藩の藩主である酒井忠発が釣ったフナの魚拓とされています。





江戸の錦糸堀で釣ったフナで、この魚拓を作成したのは庄内藩士の林正中。





現在でも、鶴岡市郷土美術館で保存されています。





庄内藩主の酒井家では魚拓に熱心で、直接法による魚拓を初めとして、その後糊を塗った魚の上に和紙を置いて、その紙の上から墨を乗せる間接法も文久2年=1862年から始められている。





昭和初期には盛んに魚拓が作られ、東京の釣りグループが、系統立てた魚拓の作成方法の研究を発表するに至っている。





今では海外にも紹介されて、碁、盆栽と並んで、趣味の世界では世界に通用する言葉になりつつあるのが魚拓。





最近では、デジカメで写真を撮って終わり!ですが、魚拓はそれなりの風情と迫力を感じます。





インディアンは嘘をつかない??といいますが、釣り人はホラ吹きが多いのも事実??





魚拓はある意味証明書です。





この文化は是非とも守りたいとも思います。
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