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2016年03月02日

太公望は実は釣りが下手だった!【釣り歴史】

釣り師の代名詞もなっている太公望。



本名は呂尚(りょしょう)とも呼ばれていた。



中国の周の文王の師となって、西周の開国に尽くしたとされる人物だったようです。



釣りをしていた呂尚が狩りをしていた文王と出会って、意気投合したと言われている。



呂尚が当時語っていた「釣りはエサをもって魚を誘い、君主は禄をもって士を誘う」と言う人材募集の方法論を文王はいたく気に入り、
「祖父の太公がずっと待ち望んでいた人物だ!」とした。
ゆえに太公望と言う名前がついたのです。



太公望は歴史書の中にはじめて登場する釣り師であり、釣りの始祖とされているが、彼よりも先に釣りをしていた人はたくさんいたはず。



漢の時代に書かれた「説苑」と言う書物によれば、太公望が黄河最大の支流である渭水のほとりで釣りをしたものの3日3晩経っても魚が1匹も釣れずに、癇癪を起こしていたときに、通り係りの農民が「細い糸で旨そうなエサを付けると良い。肴を驚かせぬように釣糸は静かに投げなさい!」とアドバイスしたところ、たちまちフナやコイが釣れたのだそうです。



太公望はとかく釣りが上手に思われているようですが、実は下手だったようです(笑)



また、太公望は出世する前に奥さんに逃げられた男として有名で、若い頃は読書ばかりしてろくに稼ぎもなく愛想を尽かした奥さんから逃げられてしまったのです。



その後出世した太公望の前に分かれた奥さんが登場し、復縁を迫ったのですが、盆に入れた水を引っくり返して「夫婦の仲は元にはもどらない!」と諭し、これが「覆水盆に返らず 」の謂れとなったそうです。
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