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2016年03月03日

日本で一番最初にブラックバスを釣って食べてしまった人は?【釣り歴史】

今や淡水のルアーフィッシングには欠かせないターゲットがブラックバス。





ブラックバスは1925年(大正14年)に、日本ではじめて芦ノ湖に70匹が放流されたことは既に承知のことだと思います。






で、放流後3年間はブラックバスの繁殖のために禁漁となり、解禁になったのは昭和3年の5月であった。





ところが、釣り好きの音楽家福田蘭童さんは、こともあろうに禁漁期間のうちにそうとは知らずにブラックバスを釣り上げて、な・・なんと!食べてしまったらしい??





父親はなんと「海の幸」で知られる画家の青木繁。





尺八奏者として知られ、作曲家としても活躍し、NHKのラジオ番組なども手掛けた音楽家で、料理や釣りにも長けた趣味人であったそうです。





彼は弟子と共に虚無僧の旅に出て、箱根までやってきたときに、モエビをエサに芦ノ湖で釣りをしたらしい。





このとき釣れたのがブラックバスらしい。






福田蘭童さんと弟子はブラックバス放流のことを知る由もなく、見たこともない魚を釣り上げてビックリ仰天。





「海でもないのに、スズキに良く似た魚が釣れた!!」と、何だかおかしい魚だと思いつつも、塩を振って新聞紙にくるんで土中に埋めて、その上で焚き火をして、
蒸し焼きにして食べたそうです。





恐らくはスズキの奉書焼きの知識があったはず。





その後二人は20匹ほどのブラックバスを釣り、近くの旅館にソレを持参して、ブラックバスと引き換えに宿に泊めてもらおうと考えたらしい。





ところが、旅館に行くと、「放流して今まで保護されていた魚なのに・・・、何てことを!!」と、旅館の主人に叱られたらしい。





叱られたところで、釣って死んでしまったブラックバスは生き返るはずもない。





しょんぼりして立ち去りかけた二人を旅館の主人が裏口から呼び止めて、ブラックバスと引き換えに宿を提供したと言う。


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