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2016年03月02日

魚拓は庶民の芸術作品でもあった!【釣りの歴史】

釣り人はとにかく釣り仲間に大物の自慢をしたがることは今も昔も変わりません。





ところが、その話をするにつれ段々魚が大きくなるのが釣り人の自慢話。





自分が釣った魚がいかに大物であったかが誇張されて、次第に大きくなりがち。(笑)











65センチぐらいのスズキがいつの間にやら、ランカー級の90センチオーバーになっていたりします。(大笑)^^;





次から次へと人の口コミは大袈裟に伝わりますし、本人もとかく大袈裟に言いがち???





そんな大袈裟な話にクギを刺すために考案されたのが魚拓では??





魚に墨を塗って、和紙や木綿に形を残す方法が魚拓の始まりです。





これがいつ頃始まったかは定かではありませんが、現存する最古の魚拓は天保10年=1839年に、釣りを奨励する藩で知られる庄内藩の藩主である酒井忠発が釣ったフナの魚拓とされています。





江戸の錦糸堀で釣ったフナで、この魚拓を作成したのは庄内藩士の林正中。





現在でも、鶴岡市郷土美術館で保存されています。





庄内藩主の酒井家では魚拓に熱心で、直接法による魚拓を初めとして、その後糊を塗った魚の上に和紙を置いて、その紙の上から墨を乗せる間接法も文久2年=1862年から始められている。





昭和初期には盛んに魚拓が作られ、東京の釣りグループが、系統立てた魚拓の作成方法の研究を発表するに至っている。





今では海外にも紹介されて、碁、盆栽と並んで、趣味の世界では世界に通用する言葉になりつつあるのが魚拓。





最近では、デジカメで写真を撮って終わり!ですが、魚拓はそれなりの風情と迫力を感じます。





インディアンは嘘をつかない??といいますが、釣り人はホラ吹きが多いのも事実??





魚拓はある意味証明書です。





この文化は是非とも守りたいとも思います。
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