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2019年10月04日

「苦手」や「怖い」や「嫌い」の感情って

「苦手な人」「怖い人」って、

対面(?)するとこちらの感情が制御不能に陥ってしまう

そんな人のことですね!!


あの人を目にしたとたん
感情がコントロール不能に。

動悸と嫌な予感が止まらないとか……。


そこまでじゃなくても。
「苦手」の反応はキツいですね。


予測不能、
あるいは予測可能……

まったく読めない相手もいれば
「だいたいこうなるだろう」って毎回分かるのに
冷静になれない相手もいますね。

「あの人だったらああ言いそうだな」って分かっているのに。


読めなくて苦手なら分かるけど
読めるのに苦手って不思議ですね〜。


ずっと昔、苦手だった人で
会うたびにからかってくる
いじめっ子(こちらから見れば)がいたんですが

言うことワンパターンだから、
何言われるか冷静に考えりゃ分かるはずなんですよね〜。


いや、当時もちゃんと予測できていたかもしれません。
なのに毎回、会うたびにパニックで。


台本の決まった劇を演じているのに
本気で悪役を恐れているようなもんですかね〜。
セリフが予め分かっているのに、なぜか怖い。

あるいは
驚かされることが分かっているのに怖い、お化け屋敷みたいな?


他の、「考え方合わないなー」って方も

どういうキャラなのか、
何を発すればどう返ってくるのか、
どういう話題なら言い争いにならないのか

冷静に考えりゃ全部読めるはずなのに
その人のタイプに合わない話題を振ってしまったり。


どう反応しようが衝突を避けられない相手であれば
逆にもう諦めて、気楽に構えればいいのに
無駄にモヤモヤしたり。


あるいは人から意見を言われたときに
「あっ、私そういうキャラじゃないです!」って態度で示せなくて
苦手なムードにズルズル突入したり。


自分が演じるのが下手なので、
「特に切り替えのきかない相手」がたくさんいる……


つまり「苦手な人」を見つけた時ってのは
相手のことが苦手なんじゃなくて
「このタイプに対応する術をまだ持っていない」
「こういう時、どういうモードで切り抜けたら良いか分からない」
ってことですかね〜。


ゲームで初めて相対する敵キャラみたいな。
「この攻撃どうよければいいんだ!」みたいな……。
パターン読めたのに攻略法が分からないとか?


回りくどい言い方をすれば
「◯◯さんに会ったときの自分の反応が苦手」

いや、「◯◯さんに会ったときに対応できなくなる自分が苦手」
ですかね。


私は湿疹持ちで、その原因はよく分からず
なにかにアレルギー反応(?)を示しているようなのですが
(ストレスを感じると途端に悪化します)

そのアレルギーも
問題は「◯◯」じゃなく、
「◯◯に会ったときに過剰反応してしまう自分の性質」
なのかもしれないですね〜。


一回◯◯で怖い思いをしたら
毎回「◯◯」に恐怖を感じて
関係ない別のものまで「恐怖」に結びつけてしまって
必要以上に恐れることになるような。

苦手なことやものも、
「本当にそれ自体が苦手なのか?」
はビミョーですね。

シチュエーションは違えど
毎回どこか似たようなところでつまづいて
「あれっ、デジャブ? ループしてる?」と思ったり。

で、自分で「◯◯が苦手なんだと思う」と
導き出した答えがズレていたり。


また、自分が苦手じゃなくても
他の人にとって「苦手」なものも当然あって
「そうかな? 自分は気にならないけど……」とか
「どこがどう苦手? 分からない」とか
「なんでみんなコレが苦手だと言うのかな」とか
「えっ、そんなこと気にする……?」って思ったことがありますが


自分が平気でも、その人にとっては大問題。

そして自分の「苦手」も、
第三者の目から見ればヘンなのでしょうね。


いやー、「苦手」って奥が深そうです。
できることなら探求したくないですが。











posted by 四月一日 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年10月03日

同じことの繰り返しも結構楽しい

もし、本棚に本が5冊しかなければ
時々「飽きたなぁ」なんて思いながら
同じ本を何度も何度も読むことになるでしょうが

でもやっぱり
読み返す楽しさってありますね〜。

同じものを見続けると親しみが沸いて、
親しみが沸くと思い出になります(*´▽`*)

何でもたくさん見ると一つ一つの印象が薄れてしまって、
あんまり思い出にならなくなるんですよね〜。


歌の練習とか、楽器で曲を吹く練習をするのも。
何度も聴いて、何度も繰り返して。

あの曲を聴くと、あの頃を思い出す……
そんな思い出になったりしますね。

思い出にするには、耳にタコくらいが丁度いいです。


でも、
たくさん読むのも
少なめに読むのも
気が向いたときに読むのも
まったく読まないのも

どんなやり方を「楽しい」と感じるのも自由ですね!


「多く」は得られないかもしれないけれど、
一つのものをじっくり味わうのも楽しいです( ̄▽ ̄*)

後になって見てみると、
あの時うんざりするほど見ていたものに
ジーンときたりしますね。





posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年10月02日

たまには平和を夢見てみます。(常に寝ぼけてますけど)

今はダメダメだけど、いつかは……。

……今日は綺麗事です。


「何が大切」ってみんな違うけれど、
全員が共存できたら本当に良いですよね。

そうしたら
「大切なもの」と「大切じゃないもの」の
線引きもなくなるかも。

「適材適所」で……
全員誇りを持てるようになったら嬉しいです。


団体行動が得意な人はグループで。
単独行動に強い人は個人で。


ありとあらゆるものが、
「欠点や短所」として処理・認識されるんじゃなくて
自分で長所だと認めて、人からも認められて、
発掘して伸ばされて生かされて。
そうできたら嬉しいです(*^ー^)


自分にも他の人にも、
見つけられず眠っている未知の才能とか
たくさんあるんじゃないか? って気がしますよね〜。

たとえば、大昔に現代人みたいな考え方の人がいても
大昔だと浮いていたかも。
思っていることを実行に移せる環境や状況でもなかったりとか。

だから今、現代人の中にある未来人的な部分は
時が来るまで封印されているのかも、
なんて思いますね。


花の形は花が咲くまで分からないし
ちょうちょは幼虫の頃は蝶の形をしていませんが
「花を咲かせる力」「蝶になる力」
そして、花や蝶として振る舞う力は
芽が出た瞬間や卵から生まれた瞬間から
既に持っているんですよねー。

だったら私たち生物もみんな、
「花」や「蝶」みたいに、
何かになることを目指して進化を続けているのかもしれないです。


万年、億年単位で動いていることだったら
今の私たちには認識できませんよね!

でも実際にはそういうこと、多そうです(>∀<*)

ここだって広大な宇宙のド真ん中ですもんね〜。
壮大なサイクルが隠されていてもおかしくありません。


人間社会が進化したら、
みんな言いたいこと言えるようになって、
そうしたら今まで以外と、言いたくもないことを、
「言いたいこと」だと勘違いしていたと
気づくことになるかもしれませんね。


「やりたいこと」も。
まるっきり、ガラッと変わるかも。


今やりたいことが「スポーツ」や「絵画」だったとしても
未来じゃそれらが進化して、
まるで別のものになっているかもしれないですもんね〜。


競争は、やりたい人が、やりたいことで。
強制参加じゃなく、それぞれ楽しむものになったら良いですね。


そしてもっと何もかもがスムーズにいったら
防犯とかセキュリティとか防衛とか
必要なくなりますね。
そうなったらもっとコミュニケーションに力を入れられます(*>v<)


年齢とか性別とか見た目とか
文化とか考え方とか好きなものとか学歴とか

何もかも吹っ飛んでほしい、
って時もありますが

今は個性が大事だから
全部楽しめたら良いですね。


身構えず、気構えず、
上から目線にもならず……。


生まれ変わりって本当にあるかもしれないし、
もしあるなら現在の年齢も経験も個人のキャラクターも状態も
何もかも、「途中経過」かもしれないです。

「今は◯歳なんだ」
「今は◯◯人なんだ」
みたいな感覚で、楽しめたら嬉しいです。


どうにもできないことで
攻撃してしまったり、されたりすることもなくなって
全体の流れを見通せるようになって。

変に優越感も劣等感も持たず
尊重し合いたいです。


そして未来なら…… 昆虫や微生物とも
意思疎通できるようになるでしょうか。

ハチやムカデは刺してくるから分かり合えない感じですが
人間がガラッと変わった頃には
生物たちの生態も、ガラッと変わっているかもしれないですね!?


すべての生き物たちが幸せに暮らしているとしたら
そこにはどんな光景が広がっているでしょうか。


有り得る、有り得ないじゃなくて
「そうなった場合は?」とイメージを設定・調整して
想像してみたら面白いですね。

でも…… まだ想像力が足りない……(笑)


脳って何パーセントが眠っているんでしたっけ……。

いつか何かが開花するでしょうか……。


……さて、そろそろ現実界に戻らないと。


夢見るのは好きなんですけどね〜。
夢見るだけで行動力が伴わなくて(ノ∀`;)

実際の自分はネガティブ思考でトロくてKYでガサツで
気が利かなかったり、人の気持ちに寄り添えなかったりするので
夢見た後の落差が激しくて凹みます(T▽T;)


眠っている時に見る夢も、
なかなか幻想的で美しい印象だったりしますね。

まだなんか混じりっ気がありますが、
もうちょっと純度が高くなれば、
空想力も何かの形にできるかも!?

ああ、もっと表現力があれば……


と、さらに淡い夢見たところで終わります(ーДー*)


最後までお付き合いいただいた貴方に感謝です m(_ _*)m
誠にありがとうございました。





posted by 四月一日 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年10月01日

自分には「愛情」ってものが微塵もないな

愛って何でしょう。
優しさとは違うんでしょうか。


ほんのひととき優しい人として振る舞うことなら
私にもできそうですが、本当の愛ってのはどうも
「自分の身を削ってでも誰かを守りたい」という気持ちのようですね。


だとすると私には愛情ってものがありません。
自分の身を犠牲にしてでも誰かを守りたいと思えない。

それが大切な人であれ、どこかの知らない人であれ、生き物であれ
自分を犠牲にしてでも守るなんて無理だなと思ってしまいます。
誰も愛せません。


自己犠牲的精神以外にもっと、誰一人不幸にならずとも
「全員が救われる」方法ってないんでしょうか。


なんて言うと正論ぶっていますが
本当は我が身がかわいいだけです。

中途半端に優しい人を演じることはできても
本当に愛ある人の言葉を聞く度
「ああ、自分は違うな……」と思います。


誰かのために差し出すことなんてできません。
お金も命も。
誰かのために痛い思い・苦しい思いをすることはありません。

「自分さえ良ければいい」ということですね。
自分だけが大切っておかしいんでしょうか。


もし愛が「自己犠牲」じゃなく
「できる範囲で優しくすること」なら
自分にも少しは愛があると思うんですけどね……。

余裕があるときに、負担にならない金額の募金をしました。
誰かの心を軽くしたくて、
時間をかけて考えてコメントや投稿をするようになりました。
もっと優しい言葉を使いたいと思うようになりました。


でもそれじゃ足りませんかねー……。

いざというときすべての物を差し出せることを、
真実の愛と呼ぶんですかね。


でも、すべてじゃないにしても差し出すことって無理そうです……。

アイスやチョコレートを買うのを我慢して毎日募金するとか、
ボランティアするとかでさえ無理です。

時間やお金があったら全部自分で使って遊びたくなります。
薄情ですかね。

こんなんじゃ、私が困る事態になったとき、
誰も手を差し伸べてくれないでしょうね。


でも、変にカッコつけずこの本心に気づいて
良かったことが一つあります。

自分を犠牲にしたくない、何も背負いたくない、
縛られたくないという本心に気づいたから
逆に誰かを犠牲にしなくて済んだかもしれません。


もしも、愛もないのに中途半端に愛するフリをしていたら。

子どもを生んで育てようとして、途中で嫌になって逃げたかも。
犬や猫を育てようとして、面倒になって捨てたかも。
誰かに恋をした気になって散々振り回した挙げ句、逃げたかも。
全財産を誰かに渡して、借金をしてまわりに迷惑をかけたかも。

そのたぐいの人間だと思います。
起こらなかったことは起こっていないんだから
知りようがないですけど……。


背負えないものを背負おうとして
破綻するってのも迷惑なことですよね。

だから「誰も愛せない」って今のうちに分かって良かったです。

でもそれってもしかしたら
自分のことは愛していると言えるのかもしれないけれど……。


愛する自分自身を守り抜くってことさえも、
なかなか難しいことですよね。

だって、全員が自分を強く愛して
自分だけを守り抜くことができていたなら、
誰も不幸せの連鎖に巻き込まれることなく、
すべての人が幸せになっていたはずだから。


……愛の定義って難しいですね。



posted by 四月一日 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月30日

どうせ落ち込むなら、耳が痛い方がいいかも?

生き物好きさんって素敵な人多そうですね……。

生き物の情報をネットで見ていたのですが、
当然それをアップ(?)しているのは生き物好きさんで
そこに集まっているのも、生き物好きさんたちで……

文面から、「いのち」に対する優しさ・温かさ、
真剣に向き合っている様子が伝わってきて癒されました。

生き物好きな人の話を見ていると
「まだまだ自分は視野狭いなぁ……」って
耳が痛くなったりもするのですが(´ー`;)

心無い言葉を見て
モヤモヤ、イライラするより良いかもですね。


今ちょっと、好きなことについて調べていて
うっかり心無い言葉を見てしまって、
ブルーになっていました。

今に始まったことじゃないんですが、
血液型占いや星座占いや、県民性の話で
他のタイプを悪く言う人がいるんですよね……。

で、自分も、避ければ良いのに
そういうのばかり覗いてしまう悪いクセがあって。


特定のタイプを嫌う人たちも
嫌な人に出会って嫌なことがあって、
モヤモヤしているからストレス発散するんでしょうが
悪く言い合うのってなんか悲しいですね。

その三つに限ったことじゃないし、
好きなアニメだろうと映画だろうとマンガだろうと……
何で検索してもこういうことありますが。


心無い言葉ばかり見て
「こういう人ってたくさんいるのかな……」と不安になるより
視野が広い人の、深い話を見て
「ああ、自分はまだまだだな……」ってなる方が
心地良い気がしました。
(いずれにせよネガティブ思考です(汗)


自分は、「私とあなたは違う」みたいな
仲間はずれ感・疎外感が苦手です。

別に、そこに対してそれほど何とも思っていなければ
気にし続けることはないでしょうが
「男性と女性は違う」だとか、
「◯◯とは違うんだ」系の言葉・雰囲気が
ものすごく引っかかります。


それだったら血液型占いや星座占いを好むのは矛盾していますが
最終的に、色んなタイプを知れば知るほど
「なんだ、みんな一緒じゃないか」
って流れになってほしいなと思います(*・∀・)

……いや、人に望むのはおかしいですね。
「タイプ分け」は相互理解に使いたいなと思っています。

(でも「◯◯とは違う」が引っかかるということは
 自分も「違い」にこだわって、そういう発信をしているかもしれません。
 「あの言い方・考え方は良くなかったな」って
 やってしまった後で思うこともあります。)


生き物と人間も……
違いは違いとして認識した方が良いでしょうが
多分そこまで大差ないですよね。

虫も爬虫類も魚もみんな、基本的に酸素が必要で
何かを食べて生きていて。

生物の体の構造とか詳しくはないけれど、
似ている部分いっぱいありますよね。


で、「私とあなたは違う」みたいな文章をいっぱい見た後
生き物好きさんの情報を見たら
「みんな同じ命だよね」って言われているようで癒されました。

実際に動物たちと心通い合っている方、
たくさんおられますもんね。


もちろん命に対して真剣に考えるなら
癒されることだけではなくて
耳が痛いこととも向き合うことになりそうです。

けどどうせ痛いなら、
「違う」より「一緒」の方が良いです。

いや、「みんな違うからみんな一緒」でしょうか(*>v<)


生き物好きさんの話を見ていたら
人間以外の生き物にだけ肩入れするのではなく
人間に対してもしっかり心配りしている方が多いように感じて
「みんな視野広いし良い人すぎる……」と思っています。

ネットだけじゃ分からないかもしれませんが、
「ネットだから」と誰かを攻撃してばかりの人より
愛情深い発信をしている人の方が素敵ですよね。


なのでこれからは、もうちょっと意識して
心の広い人が集まるエリアを探してみようかと思いました。


けど好きなことは好きなこととして楽しむので
占い見るのはやめません(*^-^*)

「苦手な人がいるから……」って好きなことから遠ざかっていたら
何もかも苦手になってしまいますもんね……(>∀<;)


実は占いでモヤモヤしたことは多いのですが
免疫つけるために足を突っ込んでいる部分もあります。

何をしていても、グサッとくることはあるから
強くなりたいものですね( ̄△ ̄;)

そして、占いが原因でいじめられた方とか
占いでいじられるのが苦手って方も多いようなので
自分も誰かを不快にさせないよう気をつけて楽しみたいです(汗


ということで今日は愚痴らせていただきました。
長々と私事を失礼しました m(_ _;)m

最後までお付き合いいただきありがとうございます!


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

こちらで、スピリチュアルな本についてご紹介しています。
良かったら見ていってください♪


宇宙と繋がって幸せになるための本

楽しく読めて、「宇宙のオキテ」が分かる本

【スピリチュアルな本】本当に好きなことを仕事にする

夢のある「才能」の本

マンガで読める「ドSの宇宙さん」

引き寄せの法則が分かるマンガ

ギャグ漫画みたいに読めるスピリチュアル本!?

【スピリチュアルな本】制限や競争から抜けて、自由な魂に還る


ちなみにスピリチュアルの基本的な考えは
「自分の現実は、自分で作っている」というものです。
誰かのせいにしていたらまだまだってことですね(°ー°;)(大汗









posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月29日

元気いっぱいのハエトリグモ

最近家の中にハエトリグモがたくさんいます。
窓や戸を締め切ってクーラーをかけていた夏場は
あまり見なかったのですが……
春と秋は行き来自由で多くなるみたいですね。

そんなある秋の日、ハエトリグモの女の子が
部屋の壁からプラスチックの置物の上に飛び移ろうとしていました。
その距離、5cmほどはあります。
……果たして跳べるのでしょうか?


息を飲んで見守っていると……

ハエトリグモは軽やかにジャンプし、
置物にぶち当たり……
跳ね返って落ちました。


「あ、ハエトリグモでも失敗するんだ……」

ハエトリグモがもう少し大きければ、
バチンという音が聞こえそうなくらいでした。

時々テレビでジャンプに失敗した猫が落ちる動画を見ますが
ああいうことが起こるのはハエトリグモも同じなんですね。


その後ハエトリグモは何事もなかったかのように歩きだし、
別の場所で再びジャンプの姿勢をとりました。
そして……

見事。ジャンプ成功しました。


偉いですね!
失敗にめげずに再チャレンジするなんて。


その後もハエトリグモは見事なジャンプを5回くらい披露し、
そのうち元の場所から3mほど離れた
観葉植物の頂上にまでたどり着きました。

まるで冒険を楽しんでいるかのようでした。


立派ですね、彼女は……。


そうですね。
失敗したくらいで怯んだり恥じらったり
自信をなくしたりする必要はありません。

私もアフィリエイトやポイントサイトやクラウドソーシングで
思うように結果が出せていませんが、
軽やかに登りきった彼女のように、いつか飛び越えていきたいです!



posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月28日

怪談を楽しむのは生命への冒涜だろうか?

今回は、霊感や実体験のない人間が推測でペラペラ語るだけの話です。


この間のブログ↓

【ポケモン】シオンタウンのBGMと都市伝説が怖すぎる!

「ドッペルゲンガー!?」な こわいゆめをみました

を書きながら考えたことや、
その後気になってきたことなどを書かせていただきます。

霊感なしの人間が幽霊さんのことを考えたって
薄っぺらい上に間違ったことしか言わないと思うので、
あまり真剣にとらえずスルーでお願いします。

*********************************


夏といえば怪談。
時々テレビで、心霊映像スペシャルをやっていたりしますね。

そして、夏じゃなくても怪談。
学生の頃、人が集まると怪談大会になったりしました。


それらの話に出てくる存在は、本物なのかどうか。
分からないけれど語り継がれる、映像がある……

そんなところが魅力なわけですが。
怪談を「楽しむ」ってのは不謹慎な気もします。
夏の風物詩みたいになっていますが、
幽霊へのマナー的に大丈夫なんでしょうか?


遊び半分に語ったり、見たりするのは失礼なような……。
じゃあ、「楽しむ」じゃなく、
どのような気持ちでいれば良いのでしょう。

真剣な気持ちで?
言い換えたって結局「好奇心」のような……。

私は怪談が「好き」ですが、
好きってのもちょっとダメでしょうか。


もし自分が幽霊の立場だったら……。

急に死んでしまって気持ちの整理がつかなくて、
仏教知らないから成仏の仕方も分からなくて
これからどうしたら良いのか見当もつかず
不安な気持ちを抱えて一人でさまよっているときに
カメラに写ってしまったら……。

で、たまたま映像に写ったために
プライバシーも何もなくネットやテレビでさらされて
好き放題「キャー!!」とか
「ほら、ここに不気味な顔が写っている」とか言われて騒がれたら……
一体どんな気持ちでしょうか。


多分泣きたくなりますね。
「誰も助けてくれる気はないんだ」って。

案内してくれない、手を差し伸べてくれない、
会話もできない、他に誰もいない。
ひたすら不安な中、見せ物のようにされて
一方的に何か言われていることだけ漠然と分かって。

そしたら多分次は怒りますね。
「私を助ける気もなく、人間扱いすらしてくれないんだったら
 せめて放っておいてよ、そっとしておいてよ!」って。
マスコミに追いかけられる人みたいな気分でしょうか。
人間不信になりそうですね。


よく、「この場に立ち入られて霊が怒っている」
とかいう表現がされますが、生身の人間であるこちらからすると
「霊ってなんでそんなカッカしているんだろう?」
「せっかく生の苦しみから解き放たれたんだから、
怒ってないで明るく楽しく過ごせば良いのに」とか思いますが

手助けしてくれるわけでもなくギャーギャー騒がれ
話のネタにされた後、忘れられるだけだったら
そりゃ怒りたくもなるだろうしイライラしてくるでしょうね。


……と、このような解釈で合っているんでしょうか?
まるっきり見当違いだったりして。


でも私が幽霊だったら……

幽霊じゃなくて人間であっても、
あるいは動物であったとしても、
とにかく優しくしてほしいですね。


死んだ後スッと行けるなら良いですが、
もし迷ったらきっと心細いでしょう。

生きていたって、ショックなこと・困ったこと・驚いたこと
何か起こったら人に
「こんなことがあってね……こうなってね……」って
延々と話を聞いてもらいたい時もあるのだから
幽霊にだってあるでしょう。

それが急に誰にも発信できなくなったら、
不安でしょうね……。
幽霊さんも怖いかもしれません。


そんなとき誰かが優しく話しかけてくれたら、
どれだけホッとするでしょう。
話を聞いてもらえたら
どれだけスッキリし、元気になれるでしょう。
真っ暗な中で光を見つけたように。

カウンセリング、メンタルケア
そんなことが必要な気がします。


でも……
幽霊に感情移入しない方が良いって話もありますね。
呼ばれて引っ張られると、こちらも命を失ってしまうとか。

じゃあ、優しくするのも違うんでしょうか……
実際のところどうなんでしょう。
ただワーキャー言うよりは
誠意ある対応のような気がするんですが……。

難しいですね。
生きていたって人間関係は難しいですしね。



怖い話といえば幽霊以外に
謎の死、怪死の話とかも定番ですね。
「◯◯を見たあと死んだ」とか。

でもこれも、死への恐ろしいイメージとか
理解できないものへの恐怖ばかりが先行していますね……。

普段は死が怖いとは思わないけれど、
恐怖心を煽られるとこちらも怖くなってくるような。
イメージの伝染ですね。


イメージってのは強力です。
例えば動物に対する一般的なイメージとかも、
本当の生態・実態より広まって
そのうちイメージの方が本物と見なされているような。

本質よりイメージの方が強いってこと多そうですよね。


「死=怖い」と思うのは、本物の死に慣れていないからかも。
まだ死に触れたことがあまりない自分はそう感じます。

一応、生き物たちの死骸や捕食の様子は見ていますし
食べることも日々「死」に触れることではありますが
それをハッキリ「死」だと理解してはいないような。

すると、「死」「痛み・苦しみ」「恐怖」がごっちゃになる気がします。

それぞれ近しいところにはあるけれど別物だと思うし、
痛みや苦しみや恐怖を伴う死もあるだろうけれど
イメージを変えてその連鎖を断ち切ることもできるはずです。



でも結局死をどうとらえるのが正解か、
亡くなった方に対しどのように思うのが正解かってよく分かりませんね。

今生きている世の中も
後になってみればおかしいと感じるところが山ほどあるんだろうし、
生きている人間との関わり方だってこれで良いのかどうか分かりません。
法律やシステムだって全部。

結局何が正しいかなんて決まっていないのだとしたら、
幽霊をバカにするような態度は絶対失礼だけれど、
死後の世界に興味を持つのは間違いじゃない……気がします。


いや、そもそも、
社会は間違ったり失敗したりして発展していくものなのかも。
事故や事件や戦争だってできれば起こってほしくないと思うけれど、
それがないと今の世界はなかったのかも。

悲しい出来事だって全部無駄ではなくて、
死もそれで「終わり」じゃなくて
これからもずっと先があるのかも。

だから現時点での死へのとらえ方が間違っていたとしても、
これから成長していけばいいですね。


ということでこれからも、人の気持ちを考えて
「現段階でのとらえ方は間違いかもしれない」
ということも視野に入れつつ、怪談を聞いていこうと思います。

どうしても「ギャー怖い」などと思いつつ、
それでも気になる、なんて気持ちで見てしまったりするのですが……。
あまり失礼のないように気をつけたいです。


いつかはこちらと死後の世界が繋がって、
クリアになったら良いですね。


ではこれで終わります。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!



posted by 四月一日 at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月27日

それぞれの生き方に目覚める「効率のいい教育」ってないんだろうか

学生の頃、何度か大人の人から
「もっと勉強しておけば良かった」という話を聞いて
「そっかー、勉強は大事なんだな」と思っていました。

しかし今になって思います。
「もっとお金の大事さとかお金の稼ぎ方とか、
 最低限の生き方を知りたかった」と。


常に自発的に高みを目指す人、進むべき道が分かる人には
お金がどうとか生き方とかはそこまで関係ないことかもしれません。

しかし私は正直頑張りたくない。
必要のない努力はしたくない。
ラクしたい。

そしてそんな生き方が分かりません。
世の中「頑張るのが当然」みたいな風潮になっていますが、
頑張りたくない人がどうしたら良いかって分かりませんね。


自分は学生の頃、困難という壁にぶち当たるとよく
「嫌だ、できない」と言って抵抗しました。
体育とかスポーツとか人付き合い(連絡)とか、
給食の苦手な物を残さず食べるとか。

で、嫌なことに抵抗しまくった結果
何度か先生やクラスメートから激しく怒られた覚えがあります。


今でもなんで怒られたんだか、
なんでやる必要があったんだか分かりません。

体育は嫌いだったけれど運動不足だったとは思わないし
苦手な食べ物があったら残して、
それが好きな人で争奪戦でもしてもらえば良いような。


……。

「なんで怒られたんだか分からない、
 だって自分のやり方で今成功しているもの」
って言えたらカッコいいんですけど、実際今も落ちこぼれなので
「そらみろ、わがままばかり言っているせいだ」って笑われそうですね。


さて、人付き合いできないのはかなり問題でしょうが、
やりたくもないことを押し付けてきたり
興味もない話題で溢れかえっている社会と付き合えと言われたって
面白くないんだからできませんよねー……。

私は小さい頃から、虫や動物の命が
人間社会で軽視されていることに違和感があったし
みんながどうしてそういったことに関心を向けずに
「人間」だけで寄り集まって生きていこうとしているのか
分かりませんでした。

今じゃ心が薄汚れて、
生き物からも人間からも遠ざかっていますがね……。


しかし、あの頃苦手だったけれど頑張ったおかげで克服したこととか
克服しておいて良かったと思うことって特にありません。
苦手なことは今でも苦手なような。

苦手を克服する気がある人は克服したら良いけれど、
なぜ苦手を克服するべきなのか未だに分かりません。
克服することが人としての成長ってことでしょうか。

別に苦手は苦手で良い気がするし、
どうにもならない苦手と向き合う時間って
ひたすら無駄じゃないかと思うんですが……。


別に苦手というほどではなかったことも
もう何を習ったんだかサッパリ思い出せません。
文法も方程式も頭から抜けました。
部活動でやっていた楽器も、もう吹けないと思います。


今、アフィリエイトとかポイントサイトとかやっているのですが
あまりうまくいっていなくて焦っているからか
「私にとって、学生の頃のあの時間って何だったんだろう」
とボンヤリ思います。

あのありあまる時間、
「あー、明日の体育憂鬱だな」とか思いながら現実逃避している時間、
それでも必ずまたくる明日……
ダラダラと時間をつぶす日々。

あの時間を、今にもってくることができたら……。
あの時、アフィリエイトとかポイントサイトとかやっていれば……
そう思います。


自分はボケーッとした子どもだったし、
何を読んでも意味も分からず興味も沸かなかっただろうし

今の子どもたちのように
生まれたときからネットやスマホが身近なわけでもないから
「ああしていれば」なんてまったく無意味な後悔なんですが。

ありあまる時間に
今のようなチャレンジと失敗を思う存分やっていれば……
心残りも焦りもなく、
生きることやお金に対する目覚めも早くなったと思います。


テレビで天才的な子どもとか
若くして企業した子とか出てくるのを見て
以前は「自分じゃ無理だなー」って思っていたのですが
本当に無理なんでしょうかね。

教え方によっては子どもってみんな、
すごい能力を発揮するんじゃないでしょうか。

今の教育って一部の人には役立つでしょうが、
私のような落ちこぼれもいっぱいいますよね。


まだ訳も分からず、自分が人間だという自覚も、
どうなりたいという思いも芽生えないうちに
ひたすらお金だけかけて知識を詰め込んで。

教育を垂れ流しているようでもったいないですねー。


大きくなってからだったら、
「あの授業、お金を出してでも買いたい」
という授業はたくさんあるだろうし

そうやってハッキリした意志で
自分で買うなら集中して真剣に聞くだろうし、
向いていないと思ったら解約することもできれば良いわけで……。

訳も分からないうちに勉強させられて
真剣に授業を聞かずに騒いだり反抗したり眠ったり
それって自分で選ばせてもらえていないからですよね。


もったいないんじゃないですかね……
先生も子どもも、教育費を出す人も時間も。

もっと一番最初にやるべき教育と、
後で選べる教育ってないんですかね。


私は学校選びをちょっと後悔しています。

そりゃ進路はよく考えて選べって言われたけれど、
人生のごくごく序盤に大事なことを詰め込みすぎでは?
しかも後で修正がきかないし。
だから学歴社会になって学歴差別とか出てきて、
低学歴の人とか落ちこぼれとかいるんですよね〜。


人間としての目覚めって遅い人も早い人もいるだろうに……
結局早い者勝ちなんですね。

夢とか目標とか決まらない人、
現実味がないまま序盤を生きた人って不利ですね……。
決まらないままでも器用にやっていける人はすごいけれど、
モチベーションを保てなかった人は……。


学校で習った勉強を、その後もずーっと使う人もいるのでしょうが
そうでない一般人にとって社会的に教育する期間ってのは
「協調性を学ばせる」とか
「ある程度言うことを聞き、その上でちゃんと自分で考える」
人間を育てたり見定めたりするためのものなんでしょうね。


昔から、平安時代は姫はお歯黒をするものだとか
色々しきたりがあったそうだし
昭和の流行とか、平成・令和特有の常識とかもありますが、
大事なのはそれらが正しいかどうかじゃなく
「ちゃんとそれについて行けるかどうか」なんですよね。

もしついて行けないならば、ついて行けないなりのやり方を
自分で見つけなければいけないようです。


批判ばかりしても改善策は分からないんだから
こんなことぼやいたってしょうがないですが
もっと最初から、自分にとって必要なことを
ピンポイントで知りたかったですね。
「抜けている部分」って人それぞれ違うでしょうから。

肩書きは立派でも問題行動起こした方とか色々おられますし……
「ここが崩れたらどうなるか」ということを
分かっていない部分がそれぞれあるのだと思います。

必要のないことや苦手なことを詰め込むんじゃなく、
それぞれにとって必要なことを
見極めて教えてくれる技術とか出てきたら面白いですね。


ごく最初から子どもでも働けるようになって、
「自分のお金」で「自分の選択」をできるようになって
仕事は今よりシンプルで、やめたり始めたりするのも簡単で
業界の闇とか人間関係のストレスもなくて……。

と、ここまで言うとただの空想的理想ですが。

詐欺とか悪徳業者とか戦争とか防衛費とか
いじめとか勝ち負けとか……
余計な概念と回りくどいシステムがなくなれば
意外と簡単かもしれません。


まぁ、未来のAIと文明の発展に期待しておきます。

でも結局、自分の他力本願な考えを
何とかした方が良いという話かもしれませんね……。



posted by 四月一日 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(2) | 雑記

2019年09月26日

Gの赤ちゃんの不可解な行動……

最近、怖い話を聞いたり怖い夢を思い出したりして
いつもよりビクビクしています


怖い話と怖い夢のブログ↓

【ポケモン】シオンタウンのBGMと都市伝説が怖すぎる!

「ドッペルゲンガー!?」な こわいゆめをみました


怖い話を聞いたあとって、何でもないことに驚いたりしますね〜。
タブレットのバグ(エラー?)で画面がフリーズしたり
白くなったりしただけでビックリします
暗闇もいつもより怖かったり……。


心霊番組では最近あまりダメージを受けなくなったんですが
心霊番組は、暗く重く怖くなりすぎないように
調整されている気がします……。

ネットで見る都市伝説などはもっと怖く感じるし
ネットからダメージを受けることが多くなりました

話自体怖いし、映像とか音楽とか付いていなくて文章と画像だけなぶん
脳内で勝手に、自分にとって一番怖い映像に変換されて
恐怖が止まらなくなります。
こうなったら数日間は元に戻りませんね……。


そんな感じでまだ恐怖を引きずっているモードの時に
部屋の壁にゴキブリの赤ちゃんがくっついているのを見かけました。

これが大きいゴキブリだったら
「ギャーッ!」と叫んだかもしれませんが
別に赤ちゃんは苦手ではありません。

しかし赤ちゃんとはいえ走るのが早いところが
やはりゴキブリっぽいですね。
小さいからスピードが目立ちませんが、
大きくなると同じスピードでも早く感じるだろうなと思いました。


……と、ゴキブリを眺めていると
なんだか急に恐怖心を感じ始めました。
なぜでしょう……。


ゴキブリの赤ちゃんは壁を走り回りつつ、
時々顔を上に上げています。

この動きは前にも見ました。
以前、壁を歩いていたゴキブリの赤ちゃんが何度も頭を上げ……
壁から、2〜3m下の床に飛び降りるのを見たんです。

そして、今回見たこの子も
壁から飛び降りて、30cmほど下の床に着地しました。


なんだか衝撃的でした。

虫と人間じゃ、身体の造りも重さも
かかってくる重力も違うでしょうが
羽も生えていない幼虫が急に高いところから飛び降りるなんて
不気味に感じたんです。

でも赤ちゃんは平気そうだったし、
壁より床の方が食べ物が多そうだから跳ぶのかもしれないし
ゴキブリにとっては普通の行動なのかもしれません。


他の虫も、危険を感じると高いところから転がり落ちるとかして
身を守ったりするようですね。
人間が高いところから落ちたらただではすみませんが、
落ちても平気な種類の虫もいるみたいです。
(主に小さくて軽い虫だと思います)

とはいえ急に飛び降りられると驚きますね。
身近な虫の日常的な行動でも、
意外と知らないものなんだなぁと思いました。



posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月25日

鏡が怖いのは自分だけじゃなかった!

↓この間、夢にドッペルゲンガー(?)が出てきた話を書きました。
「ドッペルゲンガー!?」な こわいゆめをみました


その中で、私は鏡が怖いと言っていたのですが
その後、自分と同じく鏡を怖がっている人(?)を見ました。


ある朝、充電が終わったタブレットから充電器をはずそうとしたら
その近くの壁にハエトリグモがくっついていました。
その子はしばらく歩いた後、タブレットに写る自分の姿に気づいて、
まじまじと見ながら……後ずさりしていたんです。

自分は今ちょうど鏡が気になっているところだったので……
鏡を見て後ずさりするハエトリグモと自分の姿が重なって、
なんだかすごく親近感を覚えてしまいました


まぁ、人間の怪談に対する恐怖は漠然としたものですが、
生き物たちは判断を誤ると自分が食べられてしまう危険があるから
毎日命がけだと思うので……
我々と同じレベルの「恐怖」ではないんですけどね

ハエトリグモさんは、鏡に写った自分を敵だと思って、
刺激しないよう背を向けないよう後ずさりしたのだと思います。


しかし、鏡を見たときのハエトリグモの反応は
みんな違うようで面白いです。

種類によるのか、一匹一匹の個性によるものなのか
まだ私は知らないのですが
鏡を見ると鏡に飛びかかる子もいれば、
恐る恐る近づく子も、逃げ出す子もいるようです。
私がハエトリグモの写真を撮っていたときも、
レンズに飛びついてきた子がいました。

「ハエトリグモ 鏡」で検索すると、
ハエトリグモたちが様々な反応をする
可愛い動画がたくさん見られます


今の自分の状況や気になることと被るものを
偶然目にすることってありますね。
なんだか面白いです。

そしてハエトリグモの動きって、
見上げたり、振り向いたり、後ずさりしたりと人間っぽくて
何を考えているんだろうと気になりますね。

ということで今回は、
小さなシンクロニシティとハエトリグモの話でした。



posted by 四月一日 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記
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