2019年05月14日
日本初の3軸バス 三菱ふそうMR430
2018年2月27日公開 2019年5月14日更新(旭川のMR430についての記述を一部手直し)
どうもです。
遂に今年も花粉の季節になってしまいました。
ここ数日、特に暖かくも無いのに鼻がむずむずします。
先日耳鼻科で毎年恒例の薬を処方してもらったので飲み始めました。
自分はここ数年「ザイザル」という小さな錠剤が合うらしくて、これを飲んでいるとほとんど大丈夫ですね。
眠くなるらしいんですが、自分の場合は大丈夫みたいです。
薬のせいで仕事中に眠くなると言う事は無いです。(ただぐうたらで眠くはなりますが・・・)
・・・さて、今回は路線バスとして、と言うよりも国産バスの中でもとりわけ異端車だった三菱ふそうのMR430について少し書こうと思います。
このバスは「知る人ぞ知る」って感じのバスでして、はるか昔の今から50年以上前に販売されていた路線用バスの1台です。
このMR430は1960年代高度成長期の輸送需要に応える為に1963年に三菱(当時はまだ三菱日本重工業時代)が登場させた大型バス(所謂ラッシュバス)で、最大の特徴は前輪が2軸である事でした。
一部では前2軸のトラックシャシーにバスボディを架装したと思われてるようですが、この時期まだ三菱には前2軸のトラックはありません(当時まだ日野だけ)
なので、実はこのMR430が三菱初の前2軸車なんですね。
全長は12メートルに迫り、乗車定員は110名と当時最大の収容人数を誇りました。(120名と言う記述もあるので仕様によって定員に違いがあったのかもしれないです)
1963年版自動車ガイドブックより
機関型式 DB34型 ディーゼル 水冷
4サイクル 6シリンダー 8,550cc
220PS/2,300rpm 72m・kg/1,800rpm
登坂能力 24%
最小回転半径 11.8m
最高速度 91km
全長 11,985mm
全巾 2,490mm
全高 3,090mm
軸距 6,660(1,600+5,060)mm
車両重量 9,280kg
乗車定員 110名(46+62+2)
元々ラッシュ対策として開発された為に車内はオールロングシートで、長い車体とあいまってまるで通勤電車の車内みたいだったのではないかと勝手に想像してみたり・・・
写真の通り、とんでもなく長い車体は見るからに収容人数の多さを物語りますが、車重もなかなかのものでして、この辺りも前2軸にした理由のひとつだそう。
要するに軸重軽減のため3軸を採用したわけですね。
後ろ2軸にしなかったのはやっぱり回転半径を少しでも小さくしたかったからなんでしょう。
それでも最小回転半径は11.8mもあり、ほとんど全長と変わらないです。
このバスを5速ミッションで最高速91キロまで引っ張るんですからフル加速はさぞかし見応えがあったでしょう。
(普通お客を乗せてそのような運転はしないですね)
乗り心地は・・・通常のリーフスプリング仕様しかないので空車時は結構跳ねそう・・・
ふそうとしてはこれからの大量輸送時代に向けて需要が増えると見込んでの発売だったのでしょうが、実際にはほとんど売れずに63年から65年の間に僅か14台の販売といわれています。
ボディメーカーは富士重工と呉羽の2社のみで、呉羽製はそのうち僅か3台のみ。
その3台もすべて北海道の旭川バス(導入時の会社名→後に旭川電気軌道と統合される)が下の名鉄と同時期に導入して、最終的には昭和53年まで現役だったようです。
呉羽製MR430
富士重工製はまず名鉄バスが社番9301〜9303として3台導入したのを皮切りに、それを見た国鉄が自分たちも、と言う訳でもないのでしょうが64年と65年にかけて導入します。
台数としては、総生産数が14台であれば国鉄へは計算上8台導入された事になります。(この時点で旭川3、名鉄3なので)
しかし、ポルト出版から刊行されている『富士重工のバス達(Busrama international)』という本の記述によると、64年と65年に各2台導入されたとあります。
なので、巷で言われている生産数と全く台数が合わないんですよね。
ただ、この記述自体の正確性もちょっとわからないので自分でもう少し調べてみました。
元々国鉄の福知山で主に使用されていたようですが(本来は別の地区での使用を想定していたようですが、大きすぎて使い難い為に断念したとか)、その当時の写真をネット上で見付けました。
※写真の撮影者の方との連絡方法が分からず使用許可を取れておりません。
もしご存じの方がおられましたらご一報いただけると幸いです。
確認できる国鉄の車番は514-4002と514-5001、5002がありましたが、他に九州の直方で撮影された514-4003という車番のMR430が確認できました。(全て昭和40年代初め頃の撮影だそうです。)
写真が小さいので分かり難いですが、左上から時計回りに514-4002、4003、5002、5001です。
一応簡単に国鉄バスの番号の法則を説明すると、最初の5は全長8,600mm以上のもの、次の1はシートの配列を指しこの場合はロング(横向き)シートを表します。
三桁目の4はメーカー分類で、4はふそうになります。
次の4桁の最初の4は導入年の下一桁で、残りは固有番号(何番目に導入されたか)なので、514-4001であれば、
全長8,600mm以上の横向きシート仕様の三菱ふそう製で、この型式の1964年導入の1号車ということになるわけです。
この番号の付け方については何度か改正されているので年代によって内容は異なります。
話を戻しますが、この確認できた写真から判断すると、既に本の記述とは合わない計算です。
少なくとも番号だけで判断すると64年は最低でも3台導入されていることになるので、65年が記述通り2台だけだったとしても合計で5台となります。
名鉄の導入台数3台が間違いないと考えるとやはり計算が合いません。
なので最低でも11台は生産されていると考えても良さそうではありますが、14台の根拠が不明です。
自分の乏しい資料と知識ではこれ以上は調べようがないので、もしかすると自分の考えが間違っているのかもしれないですが・・・
生産台数が少なく、既に作られてから50年以上経つこの特殊なバスについてはネットで調べても中々まとまった資料もなく、たまに見つけても出所が皆同じと思われる記述ばかりでした。
特に生産台数と活躍時期のはっきりしたところがほぼ皆無な為、旭川の呉羽製以外の富士重製のMR430の実際の生産数といつ頃まで稼動していたのか知りたいところです。
国鉄のMR430は現役時の写真が見つけられたのでまだ良かったですが、名鉄のMR430は現役時代の写真が見つかりません。(ポルト出版の富士重工製のバス達の中には納車前の国鉄仕様と名鉄仕様の写真が掲載されているので詳細が分かり貴重です)
なので、最近書店でたまたま立ち読みしたバスの本に名鉄MR430の廃車後の写真が掲載されているのを発見した時は結構興奮しましたね(立ち読みしないで買えよ!って話ですよね)
このMR430ですが呉羽製は当然のこととして、同じ富士重製でも名鉄仕様と国鉄仕様では細部に違いがあります。
細かいところではフロントのウインカーレンズの形状が名鉄は長方形ですが国鉄は長方形の外側が三角に尖っているタイプ。
前面方向幕も国鉄は2分割で名鉄は一枚もの。
一番の違いは中扉の仕様で、国鉄は一般的な引き戸ですが、名鉄は4枚折り戸という凝った仕様でした。
(ガイドブック転載の写真は名鉄のMR430です)
これだけ希少なMR430ですが、なんと2台も現存しています。
その内一台(元国鉄の富士重製)は自走可能な状態(公道走行可能と言う意味ではない)まで復元されているらしいです。
以前、ふそうニュースという三菱ふそうの社内報的なもので記事になっているのを見たことがあり、個人の方がコツコツと直されたとのことでした。
もうかなり前の記事だったので(とはいっても平成になってからのことですが)現在も維持されているのかは不明です。
もう一台は、たぶんMR430の中では一番有名であろう旭川の呉羽製ですね。
こちらは北海道内の修理工場で保管されていたのは一部では有名だったようです。
今でもその工場に保管されているとの事です。(2018年3月現在)
それにしてもこの貴重な大型バスが2台も現存していると言う事は嬉しい限りです。
出来るならば一度は見てみたいですし是非乗ってみたい(運転もしてみたい)なあ〜と思います。
でも免許はあるんですが(大型1種ですけど)バスがないですからね。
まあバスそのものはあるけれど人様のものですので、可能性は限りなくゼロですね・・・
今回、この記事を書くに当たって参考にさせていただいた資料のひとつであるポルト出版の「富士重工業のバス達」は既に売切れみたいですが、中古でならまだ入手できるようです。
MR430だけでなく、富士重製ボディのバスが時系列的に公式写真で見る事が出来る資料として一級品の本だと思うんで機会があったら読んで見ると良いですよ〜。
まあ生産台数については謎ですが、メーカーの資料としてはあの台数だったと言う事なんでしょうか?
ではまた
日本のバスを年代別に勉強するには手頃な本です。
小さいながらも写真も多く、見ていても楽しいです。
1枚だけですが呉羽製のMR430の写真も載ってます。
どうもです。
遂に今年も花粉の季節になってしまいました。
ここ数日、特に暖かくも無いのに鼻がむずむずします。
先日耳鼻科で毎年恒例の薬を処方してもらったので飲み始めました。
自分はここ数年「ザイザル」という小さな錠剤が合うらしくて、これを飲んでいるとほとんど大丈夫ですね。
眠くなるらしいんですが、自分の場合は大丈夫みたいです。
薬のせいで仕事中に眠くなると言う事は無いです。(ただぐうたらで眠くはなりますが・・・)
・・・さて、今回は路線バスとして、と言うよりも国産バスの中でもとりわけ異端車だった三菱ふそうのMR430について少し書こうと思います。
このバスは「知る人ぞ知る」って感じのバスでして、はるか昔の今から50年以上前に販売されていた路線用バスの1台です。
このMR430は1960年代高度成長期の輸送需要に応える為に1963年に三菱(当時はまだ三菱日本重工業時代)が登場させた大型バス(所謂ラッシュバス)で、最大の特徴は前輪が2軸である事でした。
一部では前2軸のトラックシャシーにバスボディを架装したと思われてるようですが、この時期まだ三菱には前2軸のトラックはありません(当時まだ日野だけ)
なので、実はこのMR430が三菱初の前2軸車なんですね。
全長は12メートルに迫り、乗車定員は110名と当時最大の収容人数を誇りました。(120名と言う記述もあるので仕様によって定員に違いがあったのかもしれないです)
機関型式 DB34型 ディーゼル 水冷
4サイクル 6シリンダー 8,550cc
220PS/2,300rpm 72m・kg/1,800rpm
登坂能力 24%
最小回転半径 11.8m
最高速度 91km
全長 11,985mm
全巾 2,490mm
全高 3,090mm
軸距 6,660(1,600+5,060)mm
車両重量 9,280kg
乗車定員 110名(46+62+2)
元々ラッシュ対策として開発された為に車内はオールロングシートで、長い車体とあいまってまるで通勤電車の車内みたいだったのではないかと勝手に想像してみたり・・・
写真の通り、とんでもなく長い車体は見るからに収容人数の多さを物語りますが、車重もなかなかのものでして、この辺りも前2軸にした理由のひとつだそう。
要するに軸重軽減のため3軸を採用したわけですね。
後ろ2軸にしなかったのはやっぱり回転半径を少しでも小さくしたかったからなんでしょう。
それでも最小回転半径は11.8mもあり、ほとんど全長と変わらないです。
このバスを5速ミッションで最高速91キロまで引っ張るんですからフル加速はさぞかし見応えがあったでしょう。
(普通お客を乗せてそのような運転はしないですね)
乗り心地は・・・通常のリーフスプリング仕様しかないので空車時は結構跳ねそう・・・
ふそうとしてはこれからの大量輸送時代に向けて需要が増えると見込んでの発売だったのでしょうが、実際にはほとんど売れずに63年から65年の間に僅か14台の販売といわれています。
ボディメーカーは富士重工と呉羽の2社のみで、呉羽製はそのうち僅か3台のみ。
その3台もすべて北海道の旭川バス(導入時の会社名→後に旭川電気軌道と統合される)が下の名鉄と同時期に導入して、最終的には昭和53年まで現役だったようです。
呉羽製MR430
富士重工製はまず名鉄バスが社番9301〜9303として3台導入したのを皮切りに、それを見た国鉄が自分たちも、と言う訳でもないのでしょうが64年と65年にかけて導入します。
台数としては、総生産数が14台であれば国鉄へは計算上8台導入された事になります。(この時点で旭川3、名鉄3なので)
しかし、ポルト出版から刊行されている『富士重工のバス達(Busrama international)』という本の記述によると、64年と65年に各2台導入されたとあります。
なので、巷で言われている生産数と全く台数が合わないんですよね。
ただ、この記述自体の正確性もちょっとわからないので自分でもう少し調べてみました。
元々国鉄の福知山で主に使用されていたようですが(本来は別の地区での使用を想定していたようですが、大きすぎて使い難い為に断念したとか)、その当時の写真をネット上で見付けました。
※写真の撮影者の方との連絡方法が分からず使用許可を取れておりません。
もしご存じの方がおられましたらご一報いただけると幸いです。
確認できる国鉄の車番は514-4002と514-5001、5002がありましたが、他に九州の直方で撮影された514-4003という車番のMR430が確認できました。(全て昭和40年代初め頃の撮影だそうです。)
一応簡単に国鉄バスの番号の法則を説明すると、最初の5は全長8,600mm以上のもの、次の1はシートの配列を指しこの場合はロング(横向き)シートを表します。
三桁目の4はメーカー分類で、4はふそうになります。
次の4桁の最初の4は導入年の下一桁で、残りは固有番号(何番目に導入されたか)なので、514-4001であれば、
全長8,600mm以上の横向きシート仕様の三菱ふそう製で、この型式の1964年導入の1号車ということになるわけです。
この番号の付け方については何度か改正されているので年代によって内容は異なります。
話を戻しますが、この確認できた写真から判断すると、既に本の記述とは合わない計算です。
少なくとも番号だけで判断すると64年は最低でも3台導入されていることになるので、65年が記述通り2台だけだったとしても合計で5台となります。
名鉄の導入台数3台が間違いないと考えるとやはり計算が合いません。
なので最低でも11台は生産されていると考えても良さそうではありますが、14台の根拠が不明です。
自分の乏しい資料と知識ではこれ以上は調べようがないので、もしかすると自分の考えが間違っているのかもしれないですが・・・
生産台数が少なく、既に作られてから50年以上経つこの特殊なバスについてはネットで調べても中々まとまった資料もなく、たまに見つけても出所が皆同じと思われる記述ばかりでした。
特に生産台数と活躍時期のはっきりしたところがほぼ皆無な為、旭川の呉羽製以外の富士重製のMR430の実際の生産数といつ頃まで稼動していたのか知りたいところです。
国鉄のMR430は現役時の写真が見つけられたのでまだ良かったですが、名鉄のMR430は現役時代の写真が見つかりません。(ポルト出版の富士重工製のバス達の中には納車前の国鉄仕様と名鉄仕様の写真が掲載されているので詳細が分かり貴重です)
なので、最近書店でたまたま立ち読みしたバスの本に名鉄MR430の廃車後の写真が掲載されているのを発見した時は結構興奮しましたね(立ち読みしないで買えよ!って話ですよね)
このMR430ですが呉羽製は当然のこととして、同じ富士重製でも名鉄仕様と国鉄仕様では細部に違いがあります。
細かいところではフロントのウインカーレンズの形状が名鉄は長方形ですが国鉄は長方形の外側が三角に尖っているタイプ。
前面方向幕も国鉄は2分割で名鉄は一枚もの。
一番の違いは中扉の仕様で、国鉄は一般的な引き戸ですが、名鉄は4枚折り戸という凝った仕様でした。
(ガイドブック転載の写真は名鉄のMR430です)
これだけ希少なMR430ですが、なんと2台も現存しています。
その内一台(元国鉄の富士重製)は自走可能な状態(公道走行可能と言う意味ではない)まで復元されているらしいです。
以前、ふそうニュースという三菱ふそうの社内報的なもので記事になっているのを見たことがあり、個人の方がコツコツと直されたとのことでした。
もうかなり前の記事だったので(とはいっても平成になってからのことですが)現在も維持されているのかは不明です。
もう一台は、たぶんMR430の中では一番有名であろう旭川の呉羽製ですね。
こちらは北海道内の修理工場で保管されていたのは一部では有名だったようです。
今でもその工場に保管されているとの事です。(2018年3月現在)
それにしてもこの貴重な大型バスが2台も現存していると言う事は嬉しい限りです。
出来るならば一度は見てみたいですし是非乗ってみたい(運転もしてみたい)なあ〜と思います。
でも免許はあるんですが(大型1種ですけど)バスがないですからね。
まあバスそのものはあるけれど人様のものですので、可能性は限りなくゼロですね・・・
今回、この記事を書くに当たって参考にさせていただいた資料のひとつであるポルト出版の「富士重工業のバス達」は既に売切れみたいですが、中古でならまだ入手できるようです。
MR430だけでなく、富士重製ボディのバスが時系列的に公式写真で見る事が出来る資料として一級品の本だと思うんで機会があったら読んで見ると良いですよ〜。
まあ生産台数については謎ですが、メーカーの資料としてはあの台数だったと言う事なんでしょうか?
ではまた
日本のバスを年代別に勉強するには手頃な本です。
価格:2,376円 |
小さいながらも写真も多く、見ていても楽しいです。
1枚だけですが呉羽製のMR430の写真も載ってます。
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大阪へ出張したMR430に会いに行ったんですか!
羨ましいです。
しかも社内の見学もできたとは、至福のひと時でしたね(笑)
恐らく今回が最初で最後の遠征だったと思うので、貴重な体験をされて良かったですね。
北海道へはトラブルに遭いながらも無事に戻れたようで一安心でしたが、補修部品も無い中で維持されている旭川さんには頭が下がります。
自分もいつか実働している間に、どうにか北海道へ行かねばならないと思います。
5月12日に大阪の舞洲で行われた2023バステクフォーラム、復活したMR430を見たいが為に行ってきました。
展示だけかな?と思いきや専属担当運転士様の御好意で車内にも入れていただき大満足でした。
試乗は抽選だった為できませんでしたが元気に走る姿に感動するとともに、この車の価値を認め保存を決定した旭川電気軌道の皆様と困難なレストアに携われた関係者の方々に感謝と敬意を表したいです。
生産台数は諸説ありましたが国鉄6台、名鉄と当時の旭川バス3台ずつの12台だったようです。
帰路故障したようですがよくぞ関西まで来てくれたと思います。
旭川でのイベントにいつか是非参加したいと思っています。
初めまして
遂に旭川のMR430復活しましたね!
自分もかなり興奮してます。
ここ数日、急にアクセスが増えたのでもしやとは思ったのですが、無事に動くようになって素直に嬉しいです。
ぜひ機会があれば乗りに行ってその勇姿を見てみたいです
MR430でやってきました。レストア完了しナンバーが降り本日市内で走行しているのを見かけましたが「ヤバいヤツ」ってヤツです。鼻血が吹き出るレベルです。
これからお披露目式等が行われると思います。
電気軌道さん、コレはヤバいわw
コメントありがとうございます。
最近この記事へのアクセスが増えていたので、何故かと思い調べて自分も割と最近知りました。
超貴重なバスなので、無事車検取得まで漕ぎ着けて欲しいですね。
旭川電気軌道がMR430をレストア&車検再取得をするそうです。
追加情報ありがとうございます!
やはり状態は良くないのですね。
貴重な車両なので個人的に保管状況はとても気になっていました。
外野の勝手な思い出はありますがどうにかならないものでしょうかね?
かなりの巨体ですから保管場所も大変だとは思うのですが・・・
まだ間に合ううちにレストアが行われることを切に願うばかりです。
遅レスすみません。京都の車両ですが状態は良くないです。
バンパーやエンブレムが無く、錆も進んでます。
土の地面なので湿気も上がってくると思いますし。もう少し良い環境で置いて頂ければと願ってしまいました。
初めまして
貴重な情報をありがとうございます。
3台ともあの青とシルバーのまま廃車になったという事ですね。
77年7月当時は1台が現役で残り2台はナンバーが付いたままで部品取り扱いだったのですか。
確かに生産数が極端に少なかったので部品の供給は早いうちに無くなっていそうですので部品取りは貴重だったことでしょう。
最後の1台が廃車後は残りの2台はどうなったんでしょうね?
ちょっと気になってしまいました。
初めまして
お越しいただきありがとうございます(笑)
最近京都のMR430は公開しているんですか?
最近はあまりそういった情報に触れる機会が少なくて。
もし詳しい情報をご存じでしたら教えていただけるとありがたいです。
初めまして
京都の実車を見られたんですか!
羨ましい限りです。
今でも自走可能な状態なのでしょうか?
旧国鉄で活躍した個体だったと思いますが、末永く維持されることを勝手ですが願っております。
私もいつか実際に見てみたいです。
情報ありがとうございました。
お仕事お疲れ様です。
鉄道関係のお仕事だったのですね。
私の知人にも京急、東急、東武などに勤めている方々がおります。
MR430については自動車ガイドブックに載っていたのを見たのが最初で、
当時は写真を見て「こんなバスが日本にもあったのか!」
とかなり興奮したものです。
その後、しばらく経ってからネットなどで情報を探しても自分の知っていること以上の情報には巡り合えず、ブログ記事にしたものの内容的には中途半端で全くお恥ずかしい限りです。
それにしても名鉄現役時の写真がどこかにないでしょうかね。
詳しく知りたいと思っても量産車というより試作車と言ったほうが良い位の台数しか販売していないこのバスの全容を知ることは難しいのかもしれませんね。
それにしてもあの時代の乗り物は個性的で趣味心を刺激されるんですよね。
クルマも鉄道も1960年代が黄金期だったと思うのは私だけではないはず。
最近はだいぶ更新が滞っており、見に来てくださっている方には申し訳ありません。
疲れが取れずに更新する余力がなかなかないのですが、忘れた頃ひっそりと更新しているかもしれません。
宜しければまた見に来てください。
泊まり明けで帰宅しました。私は実は某鉄道で電車運転士をしています。
変な時間に投稿してきてこの人何者なの?と誤解されそうなので。
国産バス史上唯一の前2軸車、三菱ふそうMR430ですね。
この車は私も興味深くネットや書籍で情報を収集しましたが極めて少なくやはりトモさんのサイトにたどり着いてしまいました。笑
軸重の加減であえて3軸にしたのでしょうが、三菱は当時前2軸トラックを発売しておらずステアリングやサスペンションパーツは専用品で整備面から敬遠されたのは仕方なかったと思います。運転面では当時のMRにはなかったパワステが装備されたものの、回転半径が大きく路線を選び汎用性に欠けていたのは長尺車を希望したにしても導入に二の足を踏んだと思われ、翌年発売の2軸のMR420を大量導入した事業者が多かったことからもそのことが伺えます。
私もこの車は実車を拝見したことはありません。この車を知ったきっかけは中学時代に買った「日本のバス 1982」という本で名鉄に導入された富士重ボディの写真です。ガイドブックの写真と同じものと思います。中扉は4枚折戸ですが説明では「「後年引扉に改造…」とあるもの廃車間もないころに倉庫として利用されている写真を見ると折戸のままで疑問です。
いずれにしても標準化ですっかり個性のなくなった鉄道車両やバス、似たり寄ったりの乗用車には全く興味がありません。
情報ありがとうございます。
呉羽のMR430は自動車工場に今もあるんですね。
旭川電気軌道では3台所有していたようです。
ナンバーが126、127、128となっていたようで、最後まで稼動していたのが128だったみたいですね。(写真が一番多く出回っている車番)
MR430マニアさまが乗った頃は既に2台しか稼動していない時期だったのかもしれませんね。
それにしても現役時代に実際乗車された事があるとはうらやましい限りです。
何とかレストアされて、あの巨体の動く様を見れるようになったら嬉しいですね。