2021年09月18日
二代目トヨエース
どうもです。
ようやく秋の気配が見えてきたような気がする今日この頃ですが、今年の夏も厳しい暑さでした。
何度も書いていますがとにかく自分は夏の暑さが苦手でして、出来ることなら家から一歩も出たく無いくらいです。
まあ、子供の頃はそんなことはなくて、夏休みはそれこそ毎日外で遊んでいましたが、大人になってしまった現在ではそんな事は出来ないですからね・・・
たとえ物理的にそれが許されたとしても今はもう無理でしようね。
さて、今回は前フリとは全く関係ないトヨエースについて書いて見ました。
トヨエースと言えば、小型4輪トラックを語るなら外せない1台なんですが、当初はトヨペットSKBとして1954(昭和29年)に登場した1トン積みのライトトラックがトヨエースの前身です。
タイヤがひとつ少なく装備も簡素なこともあり車輌価格が安かった3輪トラック相手に小型4輪トラックは苦戦を強いられていた中で発売されたのがこのSKBトラックでした。
トヨタとしては3輪トラックからの買い替え需要を狙い、エンジンは戦後製ながら既に旧式化していた既存のS型水冷直列4気筒SV(サイドバルブ)995ccを流用、足回りやフレーム等も既に発売されていたトラックの物を改良するなどし、装備も最低限として出来る限りコストを下げる努力をした結果、販売価格は4輪トラックとしては当時としてもかなり安い東京地区店頭渡し価格で62万5千円に抑えます。
しかしその頃の3輪トラックはそれよりもはるかに安い40万円半ばくらいの価格帯だったために当初はあまり売れずに売り上げは低迷。
それでもまだほとんどがドアもないバーハンドルで、フルキャビン化がほとんど進んでいなかった3輪トラックと比べると、丸ハンドルでドアの付いた鋼製フルキャビンのSKBトラックははるかに快適で、その後企業努力もあり徐々に販売価格も下がっていきます。
1957年にはSKBトラックは公募によりトヨエースと命名され、それより少し前には価格も49万5千円まで下がり、逆にその頃丸ハンドル化やドアを装備し始めた3輪トラックとの価格差がほぼなくなりました。
この頃には、小型トラック市場で長年トップを走っていた3輪トラックは4輪トラックに生産台数で後塵を拝することとなり、その後は衰退の一途をたどることになったのでした。
そういった意味ではトヨエースがもたらした影響はかなり大きく、小型4輪トラック市場を作り上げた功績はとても大きいものだったと思います。
当然の流れとして、トヨエースの成功を見た各社からその後同じようなコンセプトの小型4輪トラックが相次いで発売されますが、どれもトヨエースには及ばず逆に確固たる地位を築いていったわけです。
・・・と、まあ簡単な解説はこの辺で終わりますが、何故今回トヨエースを取り上げようと思ったのかと言いますと、昔の写真を見ていたら自分の幼い頃の写真に写り込んでいるのを見つけたからです。
この写真は私がまた幼い頃、恐らく2歳になったかどうかといった頃でしょうか?
大叔父(祖母の弟)の所へ行った際に写したもののようで、撮影時期は恐らく1971〜72年頃かと。
多分近くの空き地で撮影したと思われる写真ですが、バイク(スズキの50cc?)に跨った自分と大叔母が一緒に写っている後方に顔だけチラッと2代目トヨエースが写り込んでいます。
当然この時の記憶なんてないんですが、この2代目トヨエース自体は幼い頃ごく普通に見ることのできたトラックだったので、あまり珍しいということは有りませんでした。
なので、好きとか嫌いと言った範疇で語ることが出来ない当たり前にあった風景の一つと言った感じでしょうか。
トヨエースと言えば今でもこのタイプが一番最初に頭に浮かびます。
しかし、もう少し大きくなった幼稚園年少くらいの頃には、既に近所の空き地に廃車体として転がっていたので、当時早くも淘汰が始まっていたんですね。
あの頃の車は今よりも耐久性は低かったと思うので、現在の車に比べれば耐用年数は低かったのでしょう。
同じ場所にはパブリカもあり、草に半分埋まったような状態で放置されていた記憶があります。
どちらも生産終了からそれほど経っていないはずなので、もしかすると記憶しているよりも古いモデルだったのかもしれません。
(パブリカなら初代のUP10とかトヨエースも2灯のPK30かPK40だったりとか・・・)
まあ、幼い頃の記憶としてはこんなところです。
当時のクリッパーなどに比べると強烈なイメージのようなものはないんですけどね、脳内再生される昔の記憶映像的なものには欠かせない車種の一つであることは間違いありません。
そんな当たり前すぎてあまり存在感の無かった(個人的感想)トヨエースですが、ミニカーとしては2灯時代に古のモデルペットでモデル化されていますね。
SKBトラックは確かエブロ辺りで出ていたような記憶があるのですが、4灯のトヨエースはありましたっけ?
っと思ったら、トミカリミテッドヴィンテージで出てました。
まあ、それでも特に欲しいというわけではないんですけどね。
懐かしさはあっても、所有したいとかいうのとは全く違うんですよね〜
ここで写真の話の戻りますが、このトヨエースは恐らくPK41なのだろうと推察しますが詳しくないので間違っていたらスイマセン。
丁度その頃のモデルだと思われる70年度版自動車ガイドブックの写真を載せて終わりたいと思います。
この頃のエンジンは2Rなんですね。
このエンジンはコロナのRT40なんかと同じではなかったかと思います。
写真のトヨエースは多分このどちらかで間違いないとは思いますが、もう少し後ろまで映り込んでいればはっきりしたんですけどね。
今回は以上です
ではまた
トヨエースの他にも当時の小型トラックがたくさん掲載されてて楽しい1冊です
ようやく秋の気配が見えてきたような気がする今日この頃ですが、今年の夏も厳しい暑さでした。
何度も書いていますがとにかく自分は夏の暑さが苦手でして、出来ることなら家から一歩も出たく無いくらいです。
まあ、子供の頃はそんなことはなくて、夏休みはそれこそ毎日外で遊んでいましたが、大人になってしまった現在ではそんな事は出来ないですからね・・・
たとえ物理的にそれが許されたとしても今はもう無理でしようね。
さて、今回は前フリとは全く関係ないトヨエースについて書いて見ました。
トヨエースと言えば、小型4輪トラックを語るなら外せない1台なんですが、当初はトヨペットSKBとして1954(昭和29年)に登場した1トン積みのライトトラックがトヨエースの前身です。
タイヤがひとつ少なく装備も簡素なこともあり車輌価格が安かった3輪トラック相手に小型4輪トラックは苦戦を強いられていた中で発売されたのがこのSKBトラックでした。
トヨタとしては3輪トラックからの買い替え需要を狙い、エンジンは戦後製ながら既に旧式化していた既存のS型水冷直列4気筒SV(サイドバルブ)995ccを流用、足回りやフレーム等も既に発売されていたトラックの物を改良するなどし、装備も最低限として出来る限りコストを下げる努力をした結果、販売価格は4輪トラックとしては当時としてもかなり安い東京地区店頭渡し価格で62万5千円に抑えます。
しかしその頃の3輪トラックはそれよりもはるかに安い40万円半ばくらいの価格帯だったために当初はあまり売れずに売り上げは低迷。
それでもまだほとんどがドアもないバーハンドルで、フルキャビン化がほとんど進んでいなかった3輪トラックと比べると、丸ハンドルでドアの付いた鋼製フルキャビンのSKBトラックははるかに快適で、その後企業努力もあり徐々に販売価格も下がっていきます。
1957年にはSKBトラックは公募によりトヨエースと命名され、それより少し前には価格も49万5千円まで下がり、逆にその頃丸ハンドル化やドアを装備し始めた3輪トラックとの価格差がほぼなくなりました。
この頃には、小型トラック市場で長年トップを走っていた3輪トラックは4輪トラックに生産台数で後塵を拝することとなり、その後は衰退の一途をたどることになったのでした。
そういった意味ではトヨエースがもたらした影響はかなり大きく、小型4輪トラック市場を作り上げた功績はとても大きいものだったと思います。
当然の流れとして、トヨエースの成功を見た各社からその後同じようなコンセプトの小型4輪トラックが相次いで発売されますが、どれもトヨエースには及ばず逆に確固たる地位を築いていったわけです。
・・・と、まあ簡単な解説はこの辺で終わりますが、何故今回トヨエースを取り上げようと思ったのかと言いますと、昔の写真を見ていたら自分の幼い頃の写真に写り込んでいるのを見つけたからです。
この写真は私がまた幼い頃、恐らく2歳になったかどうかといった頃でしょうか?
大叔父(祖母の弟)の所へ行った際に写したもののようで、撮影時期は恐らく1971〜72年頃かと。
多分近くの空き地で撮影したと思われる写真ですが、バイク(スズキの50cc?)に跨った自分と大叔母が一緒に写っている後方に顔だけチラッと2代目トヨエースが写り込んでいます。
当然この時の記憶なんてないんですが、この2代目トヨエース自体は幼い頃ごく普通に見ることのできたトラックだったので、あまり珍しいということは有りませんでした。
なので、好きとか嫌いと言った範疇で語ることが出来ない当たり前にあった風景の一つと言った感じでしょうか。
トヨエースと言えば今でもこのタイプが一番最初に頭に浮かびます。
しかし、もう少し大きくなった幼稚園年少くらいの頃には、既に近所の空き地に廃車体として転がっていたので、当時早くも淘汰が始まっていたんですね。
あの頃の車は今よりも耐久性は低かったと思うので、現在の車に比べれば耐用年数は低かったのでしょう。
同じ場所にはパブリカもあり、草に半分埋まったような状態で放置されていた記憶があります。
どちらも生産終了からそれほど経っていないはずなので、もしかすると記憶しているよりも古いモデルだったのかもしれません。
(パブリカなら初代のUP10とかトヨエースも2灯のPK30かPK40だったりとか・・・)
まあ、幼い頃の記憶としてはこんなところです。
当時のクリッパーなどに比べると強烈なイメージのようなものはないんですけどね、脳内再生される昔の記憶映像的なものには欠かせない車種の一つであることは間違いありません。
そんな当たり前すぎてあまり存在感の無かった(個人的感想)トヨエースですが、ミニカーとしては2灯時代に古のモデルペットでモデル化されていますね。
SKBトラックは確かエブロ辺りで出ていたような記憶があるのですが、4灯のトヨエースはありましたっけ?
っと思ったら、トミカリミテッドヴィンテージで出てました。
まあ、それでも特に欲しいというわけではないんですけどね。
懐かしさはあっても、所有したいとかいうのとは全く違うんですよね〜
ここで写真の話の戻りますが、このトヨエースは恐らくPK41なのだろうと推察しますが詳しくないので間違っていたらスイマセン。
丁度その頃のモデルだと思われる70年度版自動車ガイドブックの写真を載せて終わりたいと思います。
この頃のエンジンは2Rなんですね。
このエンジンはコロナのRT40なんかと同じではなかったかと思います。
写真のトヨエースは多分このどちらかで間違いないとは思いますが、もう少し後ろまで映り込んでいればはっきりしたんですけどね。
今回は以上です
ではまた
トヨエースの他にも当時の小型トラックがたくさん掲載されてて楽しい1冊です
価格:4,180円 |
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個人的にはトヨエースはあまりに当たり前にいた車なので、特に好きとか嫌いと言う気持ちはないのですが、好きな車の時代は70年台初めくらいまでなので、好きな年代には収まってます。
その後の70年代後半から80年代前半くらいのデザインは私もあまり好みではありませんが、殺意を覚えるほどでは無いので自分は流石にそこまで過激な感情にはなれないです。
お久しぶりです。
まあ、更新があまり出来てないので久しぶりなのは当然ですね(笑)
トヨエース
懐かしいけど特に所有欲とかを全く感じない、あえて言えば空気のような存在のトラックですが、1960年代という時代を語るなら無くてはならない存在なのは間違いないです。
例えばその当時を映画化するならば是非街中にいて欲しい一台です。
子供の頃は当たり前すぎて思い出らしい思い出が無いトヨエースでしたが、顔を見ると懐かしさは感じるんですよ。
どこで見たのかなんて聞かれても思い出せませんが、何時も何処かに居たのでしょうね。
ジュピターの話なんか可笑しいですね。
子供の頃ジュピターを見た記憶は全く無いので、当時すでに珍しい部類のトラックだったのかもしれません。
その後のT620?系は一時期父が仕事に使っていたので記憶に残ってるんですけど、ドライバーに聞こえる程の声で心の叫びを言ってしまうというのは、大人からすると結構ヒヤヒヤ物ではないかと思いますよ。
私も夏が苦手、ようやく涼しくなってホッとしています。
この型のトヨエース懐かしいです。当時しょっちゅう見る珍しくも何ともないトラックでした。顔がブリキの玩具のロボットのようで子供心に「カッコ悪い」と思っていました。
トミカリミテッドビンテージから発売されたのは知っていましたが、今見てもカッコ悪いので(笑)所有欲が湧かず購入していません。
私は子供の頃思ったことをすぐ口にするので母親にしょっちゅう怒られていました。あるとき古いボンネットトラックに三菱ジュピターのステッカーが貼ってあるのを見て「ジュピターなんて大げさな!」と叫んで運転手さんに睨まれました。殴られなくてよかった!(笑)