2022年06月30日
プリンス社報 1965年1月号
どうもです。
前々回の更新の際に「梅雨真っただ中」なんて書いたらすぐに梅雨が明けました。
こんなに梅雨が早く明けるなんてビックリですね。
個人的には梅雨が早く明けるのは嬉しいんですけど、心配なのは水不足ですね。
農産物などに影響が出ないと良いのですが。
さて、季節はもうすぐ夏になりますが、今回のプリンス社報は1965年1月の通算147号です。
今の季節とは真逆の冬の号ですが、手持ちは12月号が抜けているので年明けの1月号の紹介になります。
それではいつものように表紙から
ホーマー高床車を船へ積み込みしている写真です。
船の煙突にはプリンスのPマークがあるので、この船は間違いなくプリンス海運所属のプリンス丸でしょう。
表紙裏と最初のページ
表紙裏は大阪の今宮十日戎さんの説明に絡めて大阪地区のプリンスディーラーを紹介しています。
十日戎は今も毎年盛大に行われる有名なものだそうですね。
私は関東在住なので詳しくは知りませんでしたが、関西ではかなりメジャーなんですね。
隣の1ページ目には年頭の挨拶ということで、会長の石橋正二郎氏の言葉が並びます。
前年に勲二等瑞宝章を受章されたという事で、胸に瑞宝章を付けての写真です。
次のページは年頭恒例の役員総出の写真と目次のページ
目次ページには正月っぽい行事などのイラストが描かれています。
ここからが今号の本編ですが、まずは朝日新聞社で使用されているV43グロリア6ワゴンの写真電送車です
エンジンをグランドグロリアと同じG11に換装しているという今あったら是非に欲しい一台です。
次のページではプリンスとしての昭和40年度はどうすべきかと言う課題が述べられています。
中身を読むと、39年度で一応の完了を見た第1次5ヵ年計画の後、第2次5ヵ年計画以降についての展望などが書かれていますが、ご存じの通りこの年には日産との合併が発表され翌66年にはプリンス自動車自体が消滅してしまいます。
もし合併が無く、記事のような計画が予定通り進んでいたならどのような結果になっていたでしょうね。
こちらのページは自動車ではなく繊維機械関係の話題です。
プリンスは自動車以外に織機部門や、この後に出てくるロケット事業なども行っていました。
ロケット部門は日産に引き継がれましたが、後にゴーン時代にIHI系列へ売却されてしまいましたね。
こちらがそのロケット関係の記事です。
プリンスのロケット事業は当時国内でもトップレベルの物でした。
お次は打って変わり戦時中の航空機のお話です。
プリンスと言うメーカーが元をただせば戦時中航空機メーカーだったというのは知られた話ですが、記事を読むとその辺りのことが少し理解できるのではないかと。
次は自動車ジャーナルのページ
1964年11月の4輪車生産実績を見るとプリンスの普通車(=グランドグロリア)の生産数は84台となっています。
トヨタのクラウンエイトは150台、日産セドリックスペシャルは306台となっておりこの頃はセドリックスペシャルの生産数が一番多かったというのが分かります。
他に気になるのは富士重工の小型4輪車の7台ですが、これはスバル450ですね。
かなり少ないですが、元々スバル450は生産数がとても少ないんですね。
他にホープ自動車の生産は軽4輪トラック23台のみと寂しい限りです。
あと、ホンダの小型4輪車はS600の台数と言うことになり、同じく小型4輪トラックと言うのはT500でしょう。
一つ気になるのは、その他の欄にある前月4台と言う所。
いったい何が4台生産されたんでしょうね?
こちらは中近東へ輸出されたプリンス車の状況と、名神高速養老サービスエリアにプリンスが受け持ちを担当したサービスセンターが完成したという記事です。
中近東へはどれくらいの台数が輸出されたのか分かりませんが、あちらの気候では車の劣化も早かったのではないかと想像します。
今回最後のページには1965年1月1日現在の価格表が載っています。
この表を見ると既にスカイラインスポーツは消えており、V23スカイウェイは新しいV51Aへとモデルチェンジされています。
他によく見るとスカイラインGTの価格が載っていますが、見ての通り型式がS54Aになっているのでグランプリのホモロゲーション取得用に作られた最初の100台の事です。
この時点(65年頭)で在庫車はとっくに無かったはずですが・・・
そして裏表紙の世界の乗用車シリーズ
ヒルマンインプです。
同じヒルマンでもミンクスとは違いリアエンジン車で、排気量も875ccと小さいです。
小さいですが好ましいサイズで使いやすそうに思えます。
今回から記事の執筆者が変わり、ユーモアのある文体となってますね。
以上で1月号の紹介は終わりますが、内容を見る限りではまだ合併の気配すらありません。
社員も新たな気持ちで新年を迎えたことでしょう。
まさか自分たちの会社が日産と合併するとは夢にも思わずに・・・
今回は以上です。
ではまた
前々回の更新の際に「梅雨真っただ中」なんて書いたらすぐに梅雨が明けました。
こんなに梅雨が早く明けるなんてビックリですね。
個人的には梅雨が早く明けるのは嬉しいんですけど、心配なのは水不足ですね。
農産物などに影響が出ないと良いのですが。
さて、季節はもうすぐ夏になりますが、今回のプリンス社報は1965年1月の通算147号です。
今の季節とは真逆の冬の号ですが、手持ちは12月号が抜けているので年明けの1月号の紹介になります。
それではいつものように表紙から
ホーマー高床車を船へ積み込みしている写真です。
船の煙突にはプリンスのPマークがあるので、この船は間違いなくプリンス海運所属のプリンス丸でしょう。
表紙裏と最初のページ
表紙裏は大阪の今宮十日戎さんの説明に絡めて大阪地区のプリンスディーラーを紹介しています。
十日戎は今も毎年盛大に行われる有名なものだそうですね。
私は関東在住なので詳しくは知りませんでしたが、関西ではかなりメジャーなんですね。
隣の1ページ目には年頭の挨拶ということで、会長の石橋正二郎氏の言葉が並びます。
前年に勲二等瑞宝章を受章されたという事で、胸に瑞宝章を付けての写真です。
次のページは年頭恒例の役員総出の写真と目次のページ
目次ページには正月っぽい行事などのイラストが描かれています。
ここからが今号の本編ですが、まずは朝日新聞社で使用されているV43グロリア6ワゴンの写真電送車です
エンジンをグランドグロリアと同じG11に換装しているという今あったら是非に欲しい一台です。
次のページではプリンスとしての昭和40年度はどうすべきかと言う課題が述べられています。
中身を読むと、39年度で一応の完了を見た第1次5ヵ年計画の後、第2次5ヵ年計画以降についての展望などが書かれていますが、ご存じの通りこの年には日産との合併が発表され翌66年にはプリンス自動車自体が消滅してしまいます。
もし合併が無く、記事のような計画が予定通り進んでいたならどのような結果になっていたでしょうね。
こちらのページは自動車ではなく繊維機械関係の話題です。
プリンスは自動車以外に織機部門や、この後に出てくるロケット事業なども行っていました。
ロケット部門は日産に引き継がれましたが、後にゴーン時代にIHI系列へ売却されてしまいましたね。
こちらがそのロケット関係の記事です。
プリンスのロケット事業は当時国内でもトップレベルの物でした。
お次は打って変わり戦時中の航空機のお話です。
プリンスと言うメーカーが元をただせば戦時中航空機メーカーだったというのは知られた話ですが、記事を読むとその辺りのことが少し理解できるのではないかと。
次は自動車ジャーナルのページ
1964年11月の4輪車生産実績を見るとプリンスの普通車(=グランドグロリア)の生産数は84台となっています。
トヨタのクラウンエイトは150台、日産セドリックスペシャルは306台となっておりこの頃はセドリックスペシャルの生産数が一番多かったというのが分かります。
他に気になるのは富士重工の小型4輪車の7台ですが、これはスバル450ですね。
かなり少ないですが、元々スバル450は生産数がとても少ないんですね。
他にホープ自動車の生産は軽4輪トラック23台のみと寂しい限りです。
あと、ホンダの小型4輪車はS600の台数と言うことになり、同じく小型4輪トラックと言うのはT500でしょう。
一つ気になるのは、その他の欄にある前月4台と言う所。
いったい何が4台生産されたんでしょうね?
こちらは中近東へ輸出されたプリンス車の状況と、名神高速養老サービスエリアにプリンスが受け持ちを担当したサービスセンターが完成したという記事です。
中近東へはどれくらいの台数が輸出されたのか分かりませんが、あちらの気候では車の劣化も早かったのではないかと想像します。
今回最後のページには1965年1月1日現在の価格表が載っています。
この表を見ると既にスカイラインスポーツは消えており、V23スカイウェイは新しいV51Aへとモデルチェンジされています。
他によく見るとスカイラインGTの価格が載っていますが、見ての通り型式がS54Aになっているのでグランプリのホモロゲーション取得用に作られた最初の100台の事です。
この時点(65年頭)で在庫車はとっくに無かったはずですが・・・
そして裏表紙の世界の乗用車シリーズ
ヒルマンインプです。
同じヒルマンでもミンクスとは違いリアエンジン車で、排気量も875ccと小さいです。
小さいですが好ましいサイズで使いやすそうに思えます。
今回から記事の執筆者が変わり、ユーモアのある文体となってますね。
以上で1月号の紹介は終わりますが、内容を見る限りではまだ合併の気配すらありません。
社員も新たな気持ちで新年を迎えたことでしょう。
まさか自分たちの会社が日産と合併するとは夢にも思わずに・・・
今回は以上です。
ではまた
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おはようございます
この年にプリンスは合併が決まり、翌年には日産となってしまうわけですが、新年号ではその気配すらありません。
当時の従業員一同、まさか自分の会社がそんなことになるなんて思いもよらなかったでしょうね。
しかし、その合併先の日産がここまで落ちぶれるとは・・・
部外者ながら残念でなりません。
読んでいると切ない気分になってしまいます。社員の誰もが順風満帆な会社と自身の明るい未来を信じていたはずですから。
それ以上は考えたくない気持ちになってしまいます。
数十年後日産が外資の軍門に下り、トヨタとの販売競争など遠い昔の話になりました。
今の日産車にプリンス自動車の面影を見ることはなく、もう日産車というか新形自動車に興味がなくなってしまいました。