2023年02月28日
プリンス社報 1965年9月号
どうもです。
相変わらず今月もこれだけしか更新が出来ませんでした。
申し訳ないですがもうしばらくこんな感じで行くと思います。
それでは早速中身の方へどうぞ
今号は1965年9月の通算では第155号になります。
早速いつものように表紙から
前号で発売になったばかりの新型マイラーが表紙です。
首都高速1号線だそうですが、後ろに写っている標識からすると今の羽田線でしょうか?
表紙裏と目次です。
鎌倉の鶴岡八幡宮での流鏑馬です。
と言うことで今号では神奈川プリンスの紹介です。
神奈川県にはこの時点で3つのプリンスディーラーが存在しており、この神奈川プリンスから京浜プリンスと横浜プリンスが分離して発足しています。
この後、プリンス時代末期には新たに湘南プリンスも発足しました。
目次には御料車の件について書かれています
後のプリンスロイヤルの事ですが、この頃にはほぼ仕様が決定していたようです。
プリンスとしてはロイヤルの市販化も検討していたことは割と知られていることではありますが、これを読むと宮内庁からもこの時点で市販化への許可は取れていたことが分かります。
しかし、実際には宮内庁と外務省向けに極少数しか生産されず、一般向けには販売されなかったのはご存じの通り。
次のページでは小川社長へのインタビューという形で、乗用車輸入化を控えて従業員へ望むこととして意見が書かれています。
乗用車輸入自由化については、当時の自動車メーカー各社はかなりの危機感をもっていましたが、結局いざ蓋を開けてみたら影響は限定的で、そこまで恐れる必要はなかったというのが実際のところでした。
残念ながらプリンスはこの輸入自由化の荒波に飲まれてしまったわけですが、もしこの時日産と合併しなかったとしたら果たしてプリンスというメーカーは生き残れたのか?
それは現在の我々には判断できない架空のお話ではありますが、いちプリンスファンとしては何とか生き残って今でも魅力的な車を作り続けていて欲しいなどと妄想してしまいます・・・
次からのページも輸入自由化についての記事になりますので、併せて読むと当時の考え方の一端が分かるかもしれません。
このページにはこっそりと矢田部でのR380スピード記録への挑戦予告が載っていますね。
結果は途中リタイヤとなりましたが、いくつかの記録は更新しましたね。
ここからは第30期の決算の総括。
興味のある方は詳しく読んでみては。
私は経営に関しては素人なので特に意見は述べません。
お次は連載記事の「プリンス豆社史」
前号とは打って変わり、たま時代から初代プリンス自動車時代の頃に販売した製品についての解説です。
この時代に電気自動車はトヨタも日産も市販化はしませんでしたね。
大手としてはプリンスのみ(この頃はまだ超弱小メーカーですが)が実際に販売まで漕ぎ着けたわけですが、現在とは時代が違うとは言え、やはり電気自動車はエンジンの技術が不要なので手が出し易かったのかもしれませんね。
現在では大手自動車メーカ以外にも各種のメーカーが電気自動車の開発に参入してきているのは、やはりエンジンの開発が出来なくても自動車が作れるからというのが理由として結構大きいのではと思います。
次項も連載記事の「やさしい自動車工学」のページ
今回は自動変速機とファイナルドライブについてです。
主にトルクコンバーター(略してトルコンなどと言いましたが今ではほぼ死語かな?)についてプリンスのスペースフローをもとに説明していますが、スペースフロー自体がやや中途半端なトルコンですのでボルグワーナーやトヨグライドなどの名前も出して解説しています。
デフについては軽い説明で終わっていますが、あまり専門的ではなく気軽に読んでもらおうという趣旨なんでしょうね。
次は業界のニュースを扱う自動車ジャーナルのページ
ホンダのL700の発売とファミリア2ドアデラックス発売の記事があります。
L700は結局あまり売れず、今ではマイナー車として有名な車となってしまいました。
ファミリアはこの頃はまだ800cc時代です。
当時のグレードは、基本デラックスとスタンダードの2車種なので分かりやすいです。
それにしても悲しいのは7月の4輪車生産実績のプリンスの普通自動車
グランドグロリアの生産がたったの3台しかありません。
こちらはプリンスジャーナルのページ
スカイラインGT-Aの記事が目立ちます。
スカイライン2000GT-Aは9月1日から発売され、それまでの3キャブ仕様の2000GT(S54B-2)は新たに2000GT-Bを名乗ることになります。
但し型式は今までと変わらずS54B-2のままなのでややこしいですが、型式は2型のままでも実際は生産途中で細かなところが変わっているので同じ2型でも初期と後期では色々と違いがあります。
この辺りについては54マニアの方々が詳しく、浅い知識しかない自分には全容は不明な部分です。
次のページでは車ではなくロケットの話題です。
プリンスが力を入れていた事業の一つにロケットがありましたが、この頃は盛んに実験を繰り返していたようです。
国産ロケットの開発では中心的な企業だったプリンスでしたが、日産合併後も事業として長らく継続していました。
しかしゴーン時代になってその他の色々な事業とともに売られてしまいました。
そこまで日産には余裕がなかったということなのでしょう。
御料車についてもロイヤル代替については辞退してしまいましたからね。
勿体ない話です。
この次のページでは新型マイラーの発表会の様子と、ホーミー発売の記事にご個人的には興味があります。
マイラーの発表会会場にはレース車も展示とありますが、記事内ではそれに対して触れていないのでどんな車が展示されていたのか気になりますね。
このホーミーも残存車の情報が無いクルマの一つです。
最後はいつもの世界の乗用車シリーズのコーナー
オペルのカデットです。
しかしオペルと言っても中身はアメリカのGM系なので、純粋なドイツ車ではありません。
スタイル的にはアメ車としては小さく見えますが、フロントグリルの形状などはやっぱりアメ車っぽいように思います。
エンジンはドイツ製なので排気量も993ccしかなく初期のフォルクスワーゲンと変わりないサイズだったのは知りませんでした。
(ワーゲンのエンジンは空冷の水平対向4気筒エンジンなので排気量が近いだけで全然違いますけどね)
今回は以上です
ではまた。
相変わらず今月もこれだけしか更新が出来ませんでした。
申し訳ないですがもうしばらくこんな感じで行くと思います。
それでは早速中身の方へどうぞ
今号は1965年9月の通算では第155号になります。
早速いつものように表紙から
前号で発売になったばかりの新型マイラーが表紙です。
首都高速1号線だそうですが、後ろに写っている標識からすると今の羽田線でしょうか?
表紙裏と目次です。
鎌倉の鶴岡八幡宮での流鏑馬です。
と言うことで今号では神奈川プリンスの紹介です。
神奈川県にはこの時点で3つのプリンスディーラーが存在しており、この神奈川プリンスから京浜プリンスと横浜プリンスが分離して発足しています。
この後、プリンス時代末期には新たに湘南プリンスも発足しました。
目次には御料車の件について書かれています
後のプリンスロイヤルの事ですが、この頃にはほぼ仕様が決定していたようです。
プリンスとしてはロイヤルの市販化も検討していたことは割と知られていることではありますが、これを読むと宮内庁からもこの時点で市販化への許可は取れていたことが分かります。
しかし、実際には宮内庁と外務省向けに極少数しか生産されず、一般向けには販売されなかったのはご存じの通り。
次のページでは小川社長へのインタビューという形で、乗用車輸入化を控えて従業員へ望むこととして意見が書かれています。
乗用車輸入自由化については、当時の自動車メーカー各社はかなりの危機感をもっていましたが、結局いざ蓋を開けてみたら影響は限定的で、そこまで恐れる必要はなかったというのが実際のところでした。
残念ながらプリンスはこの輸入自由化の荒波に飲まれてしまったわけですが、もしこの時日産と合併しなかったとしたら果たしてプリンスというメーカーは生き残れたのか?
それは現在の我々には判断できない架空のお話ではありますが、いちプリンスファンとしては何とか生き残って今でも魅力的な車を作り続けていて欲しいなどと妄想してしまいます・・・
次からのページも輸入自由化についての記事になりますので、併せて読むと当時の考え方の一端が分かるかもしれません。
このページにはこっそりと矢田部でのR380スピード記録への挑戦予告が載っていますね。
結果は途中リタイヤとなりましたが、いくつかの記録は更新しましたね。
ここからは第30期の決算の総括。
興味のある方は詳しく読んでみては。
私は経営に関しては素人なので特に意見は述べません。
お次は連載記事の「プリンス豆社史」
前号とは打って変わり、たま時代から初代プリンス自動車時代の頃に販売した製品についての解説です。
この時代に電気自動車はトヨタも日産も市販化はしませんでしたね。
大手としてはプリンスのみ(この頃はまだ超弱小メーカーですが)が実際に販売まで漕ぎ着けたわけですが、現在とは時代が違うとは言え、やはり電気自動車はエンジンの技術が不要なので手が出し易かったのかもしれませんね。
現在では大手自動車メーカ以外にも各種のメーカーが電気自動車の開発に参入してきているのは、やはりエンジンの開発が出来なくても自動車が作れるからというのが理由として結構大きいのではと思います。
次項も連載記事の「やさしい自動車工学」のページ
今回は自動変速機とファイナルドライブについてです。
主にトルクコンバーター(略してトルコンなどと言いましたが今ではほぼ死語かな?)についてプリンスのスペースフローをもとに説明していますが、スペースフロー自体がやや中途半端なトルコンですのでボルグワーナーやトヨグライドなどの名前も出して解説しています。
デフについては軽い説明で終わっていますが、あまり専門的ではなく気軽に読んでもらおうという趣旨なんでしょうね。
次は業界のニュースを扱う自動車ジャーナルのページ
ホンダのL700の発売とファミリア2ドアデラックス発売の記事があります。
L700は結局あまり売れず、今ではマイナー車として有名な車となってしまいました。
ファミリアはこの頃はまだ800cc時代です。
当時のグレードは、基本デラックスとスタンダードの2車種なので分かりやすいです。
それにしても悲しいのは7月の4輪車生産実績のプリンスの普通自動車
グランドグロリアの生産がたったの3台しかありません。
こちらはプリンスジャーナルのページ
スカイラインGT-Aの記事が目立ちます。
スカイライン2000GT-Aは9月1日から発売され、それまでの3キャブ仕様の2000GT(S54B-2)は新たに2000GT-Bを名乗ることになります。
但し型式は今までと変わらずS54B-2のままなのでややこしいですが、型式は2型のままでも実際は生産途中で細かなところが変わっているので同じ2型でも初期と後期では色々と違いがあります。
この辺りについては54マニアの方々が詳しく、浅い知識しかない自分には全容は不明な部分です。
次のページでは車ではなくロケットの話題です。
プリンスが力を入れていた事業の一つにロケットがありましたが、この頃は盛んに実験を繰り返していたようです。
国産ロケットの開発では中心的な企業だったプリンスでしたが、日産合併後も事業として長らく継続していました。
しかしゴーン時代になってその他の色々な事業とともに売られてしまいました。
そこまで日産には余裕がなかったということなのでしょう。
御料車についてもロイヤル代替については辞退してしまいましたからね。
勿体ない話です。
この次のページでは新型マイラーの発表会の様子と、ホーミー発売の記事にご個人的には興味があります。
マイラーの発表会会場にはレース車も展示とありますが、記事内ではそれに対して触れていないのでどんな車が展示されていたのか気になりますね。
このホーミーも残存車の情報が無いクルマの一つです。
最後はいつもの世界の乗用車シリーズのコーナー
オペルのカデットです。
しかしオペルと言っても中身はアメリカのGM系なので、純粋なドイツ車ではありません。
スタイル的にはアメ車としては小さく見えますが、フロントグリルの形状などはやっぱりアメ車っぽいように思います。
エンジンはドイツ製なので排気量も993ccしかなく初期のフォルクスワーゲンと変わりないサイズだったのは知りませんでした。
(ワーゲンのエンジンは空冷の水平対向4気筒エンジンなので排気量が近いだけで全然違いますけどね)
今回は以上です
ではまた。
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お名前変わりましたか?
マイラーはこの2代目でも初期モデルまでが純粋なプリンスなので、やはり独特なデザインですよね。
他メーカーに比べてやはりひと癖あるのがプリンスなのかなと。
しかしこの頃の国産車は皆特徴があって、それぞれ存在感は抜群だと思います。
ボンネットトラックでスタイリッシュで推しであります。
プリンスのロケット事業は案外知られていないのでしょうかね?
日産になってからも引き継がれていたのですが、もし今も継続していたらH3ロケットなどにも絡んでいたかもしれませんね。
が・・進取の企業プリンス、さもありなんと思いなおしました。