2023年03月26日
スカイラインS54系についての軽い考察
どうもです。
珍しく久しぶりに車のネタで更新したいと思います。
今回は、先月末紹介のプリンス社報に載っていたスカイライン2000GT-Aを見て長年思っていたことを、個人的な見解として書いてみたものです。
54系スカイラインをしっかり体系的に解説するものではありませんので、その辺りを期待されて読むとガッカリするかもしれません。
かなりあやふやなことも書いていますので、あくまでも仮説だったり個人的解釈だと思って読んでいただければと思います。
ご存じの通り、プリンスのスカイラインは第2世代になって全く新しい車に生まれ変わりました。
具体的にはそれまでの高級車路線から大衆車路線へと大きく舵を切り、高級車路線はグロリアシリーズに任せてスカイラインは今までよりも小さくなり、新たにファミリー向けのクルマへと大きくモデルチェンジを遂げたわけです。
しかし、発売翌年にはグランプリ用に急遽ホモロゲーション取得の為、100台のみ製作されたスカイラインGTを発売。
こちらには本来搭載されている水冷4気筒1500ccOHVのG1エンジンではなく、当時はグロリアスーパー6専用だった水冷6気筒2000ccOHCのG7をエンジンルームを200ミリ伸ばして無理やり搭載したとんでもないクルマでした。
この初代スカイラインGTは型式S54A-1を名乗ります。
S54A-1オリジナルの仕様はグロリアと同じくワンキャブで、出力もグロスで105馬力というもの。
ミッションもグロリア用を流用した4速でした。
これをレースの為にウェーバー3連装にしてパワーアップし、ノンスリやトルクロッドなどで足回りを強化。
実際の市販車とは似ても似つかない仕様でレースに臨んでいます。
この仕様に準じたモデルが後のS54B-2、スカイライン2000GTです。
発売は1965年の2月の事です。
その後9月には新たにシングルキャブ仕様のスカイライン2000GT・A、型式S54A-2型が発売。
それ以降は3キャブ仕様はスカイライン2000GT・Bを名乗るようになります。
しかし型式はS54B-2のまま。
ちょっとややこしいです。
その後、日産との合併後間もない1966年10月にはA・B共にモデルチェンジ(マイナーチェンジ)して各々S54A-3とS54B-3となります。
ここで外観上大きく変わったところとして、グリル形状が通称縦グリルから横基調の物へ変更になり、リアピラーにはエアアウトレットが追加され、Bのリアフェンダーはワイド化されます。
ここまでで一応まとめ。
1964年3月発表5月発売 スカイラインGT S54A-1
1965年2月発売 スカイライン2000GT S54B-2
1965年9月発売 スカイライン2000GT-A S54A-2
1965年9月発売 スカイライン2000GT-B S54B-2(継続生産)
1966年10月発売 スカイライン2000GT-A S54A-3
1966年10月発売 スカイライン2000GT-B S54B-3
上記のようにS54スカイラインは1型から始まり3型まで続きますが、Aのみ1型があってBには1型がありません。
本当にややこしいのですが、S54A-1の次はS54B-2になっており、ここだけはあくまでもS54の1型2型と言う分類なのでしょう。
AとBの分類はやっぱり1キャブと3キャブの分類なんでしょうか?
そして65年の9月にGT・A発売の際に型式はS54A-2となりました。この時S54B-2は何故か3型になりませんでした。
スカイライン2000GTからスカイライン2000GT・Bへと名称は変更されましたが、型式変更を伴うまでの事ではなかったと言う事なのでしょう。
素人考えですが、本来なら3キャブ仕様を発売した際にS54B-1としておけばGT・A発売の際にややこしい事にはならなかっただろうと思ったりするのですが、当時の社内ではどのように考えていたのでしょうね。
スカイラインS54系は1964年5月から途中日産との合併を挟み、1968年にC10スカイラインへのモデルチェンジまで約4年間のモデルサイクルでした。
次にちょっとした謎のお話。
以前より初代スカイラインGT(S54A-1)の生産数は、レース出場にあたり公認取得の為に必要な100台を急遽生産したというのが定説ではありますが、どうもその辺りについてはかなり怪しいと一部では言われています。
実際に計画が決定してから数か月間で100台生産しなくてはいけなかったわけですが、どうやら100台生産はされなかったというのが最近では定説になりつつあるようです。
54A-1は生産後にレース用としてスペアカーを含めてある程度の台数が引き抜かれた後は市販に回されており、それもすぐに完売してしまったと言われています。
一説には5月のグランプリの際にはほぼ売り切れ状態だったともいわれており(発表は3月で発売は5月1日からなので微妙な話ではある)、その後も54A-1という車は残っているという話が全く出てこない幻のクルマになっているところがとても不思議な気がします。
現在実車の存在が確認されているのは、日産に残されているレース仕様の1台のみ(これも実際にはレースに出場していないスペアカーだったと言われている)しかなく、本当に100台生産されていたならばもう少し残っていても良さそうに思うのですが、どうにも残っているという話がでてきません。
毎回引き合いに出すのですが、スカイラインスポーツやグランドグロリアのS45Pは複数台の存在が確認されているのでもう少し残っていても良さそうに思うのですが、この2車に比べればそこまで貴重で特殊な車ではなかったということなのでしょうか?
私自身は日産の保存車以外にはスピードメーター部品単体と、シリアルプレート(コーションプレート)ぐらいしか見たことがありませんが、これも当時プリンス系の自動車整備工場に残されていた解体部品と聞いているので実車から外された部品なのは間違いないですが、それらが市販された車なのかレースに使われていたクルマなのかまでは把握できません。
一説によると、総生産数は70台前後ではないかと一部で言われており、生産時にかなり番号を飛ばして刻印していたらしいという話を元プリンスの関係者の方から直接聞いたことがあるので、あながち噂だけではないのではと私個人は思っています。
最後に大まかな各型の違いについて写真を見ながら軽く解説して終わりたいと思います。
まずは日産に保存されているS54A-1
最初の2枚はまだレストア前の状態の頃。
3枚目はレストア完了後に撮影したものでかなり綺麗になっているのが分かりますが、レストア前には付いていなかったフェンダーに付くGTバッジ手前の「スカイライン」エンブレムが、レストア後にはちゃんと装着されてます。
プレートはこの頃使われていたゴールドの物です。
こちらは54Bの2型
最初の個体は座間の記念車庫に保管されていた車で、2型の3桁半ばの番号でした。
なのでテールランプがまだリムの付いていないものが装着されています。
3枚目は2型でも割と後期の方で、2000番台手前です。
リム付になるのはパーツリストの記載によれば54AS-61からと、54BS-897以降と言うことになっています。
有名なところでは、54の極初期型では縦グリルの本数が11本だったものが、その後割と早い段階で10本の物に変更されます。
写真の54A-1と54B-2のグリルの本数を比べてみると確かに本数が違うのが分かります。
(お時間のある方は写真を拡大して数えてみては如何でしょう)
因みにスカイラインデラックスのS50D-1では11本のままです。
この頃になるとプレートはシルバーの物に変わっています。
次の車は3型になってまだそれほど経っていない頃の個体で、プレートもプリンス・ニッサン時代の物が装着されています。
この頃は番号もプリンス時代からの続番になっているのでわかりやすく、現車は2000番台後半の車でした。
3型の見た目で最大の特徴は、写真の通りグリルが通称縦グリルから横グリルに変わったことで、他にはリアピラーに新たに装着されたエアアウトレットが2型との違いです。
Bについてはリアフェンダーも広げられてワイド化しています。
こちらはプレートが完全に日産になってからの個体です。
この頃になるとプレートには車両番号ではなく、車台番号が記載されるようになる為以前のプレートとの連続性が失われて分かり難くなりました。
まあ、調べればわかることなんですが。
プレートが完全に日産の仕様になったのはいつ頃なのか調べていませんので不明ですが、恐らく1966年度中はまだ切り替わっていないのではないかと勝手に想像します。
どの辺りから変更になっているのか、詳しい方にご教授いただけると嬉しいです。
2型までの生産数はパーツリストに記載されている車両番号で把握できるのですが、3型になると最終的な生産数は不明です。
2型と3型、どちらの方が生産数は多かったのでしょう?
最後は2型と3型のお尻
手前の2台が2型で奥は全て3型です。
先ほどの説明通り、リアピラーに付くエアアウトレットが3型の印。
後年フロントグリルが2型用に交換されている場合でも、この部分まで取り外して加工している車は滅多にないので、おおよそはここで判断可能です。
以上今回はかなり適当に書きたいことを書きました。
内容も中途半端になってしまい、余計にモヤモヤする方もおられるかもしれませんがご勘弁のほどを。
今回は以上となりますが、また何か思いついたら書きたいと思います。
それではまた
珍しく久しぶりに車のネタで更新したいと思います。
今回は、先月末紹介のプリンス社報に載っていたスカイライン2000GT-Aを見て長年思っていたことを、個人的な見解として書いてみたものです。
54系スカイラインをしっかり体系的に解説するものではありませんので、その辺りを期待されて読むとガッカリするかもしれません。
かなりあやふやなことも書いていますので、あくまでも仮説だったり個人的解釈だと思って読んでいただければと思います。
スカイラインS54シリーズの概要
ご存じの通り、プリンスのスカイラインは第2世代になって全く新しい車に生まれ変わりました。
具体的にはそれまでの高級車路線から大衆車路線へと大きく舵を切り、高級車路線はグロリアシリーズに任せてスカイラインは今までよりも小さくなり、新たにファミリー向けのクルマへと大きくモデルチェンジを遂げたわけです。
しかし、発売翌年にはグランプリ用に急遽ホモロゲーション取得の為、100台のみ製作されたスカイラインGTを発売。
こちらには本来搭載されている水冷4気筒1500ccOHVのG1エンジンではなく、当時はグロリアスーパー6専用だった水冷6気筒2000ccOHCのG7をエンジンルームを200ミリ伸ばして無理やり搭載したとんでもないクルマでした。
この初代スカイラインGTは型式S54A-1を名乗ります。
S54A-1オリジナルの仕様はグロリアと同じくワンキャブで、出力もグロスで105馬力というもの。
ミッションもグロリア用を流用した4速でした。
これをレースの為にウェーバー3連装にしてパワーアップし、ノンスリやトルクロッドなどで足回りを強化。
実際の市販車とは似ても似つかない仕様でレースに臨んでいます。
この仕様に準じたモデルが後のS54B-2、スカイライン2000GTです。
発売は1965年の2月の事です。
その後9月には新たにシングルキャブ仕様のスカイライン2000GT・A、型式S54A-2型が発売。
それ以降は3キャブ仕様はスカイライン2000GT・Bを名乗るようになります。
しかし型式はS54B-2のまま。
ちょっとややこしいです。
その後、日産との合併後間もない1966年10月にはA・B共にモデルチェンジ(マイナーチェンジ)して各々S54A-3とS54B-3となります。
ここで外観上大きく変わったところとして、グリル形状が通称縦グリルから横基調の物へ変更になり、リアピラーにはエアアウトレットが追加され、Bのリアフェンダーはワイド化されます。
ここまでで一応まとめ。
1964年3月発表5月発売 スカイラインGT S54A-1
1965年2月発売 スカイライン2000GT S54B-2
1965年9月発売 スカイライン2000GT-A S54A-2
1965年9月発売 スカイライン2000GT-B S54B-2(継続生産)
1966年10月発売 スカイライン2000GT-A S54A-3
1966年10月発売 スカイライン2000GT-B S54B-3
上記のようにS54スカイラインは1型から始まり3型まで続きますが、Aのみ1型があってBには1型がありません。
本当にややこしいのですが、S54A-1の次はS54B-2になっており、ここだけはあくまでもS54の1型2型と言う分類なのでしょう。
AとBの分類はやっぱり1キャブと3キャブの分類なんでしょうか?
そして65年の9月にGT・A発売の際に型式はS54A-2となりました。この時S54B-2は何故か3型になりませんでした。
スカイライン2000GTからスカイライン2000GT・Bへと名称は変更されましたが、型式変更を伴うまでの事ではなかったと言う事なのでしょう。
素人考えですが、本来なら3キャブ仕様を発売した際にS54B-1としておけばGT・A発売の際にややこしい事にはならなかっただろうと思ったりするのですが、当時の社内ではどのように考えていたのでしょうね。
スカイラインS54系は1964年5月から途中日産との合併を挟み、1968年にC10スカイラインへのモデルチェンジまで約4年間のモデルサイクルでした。
スカイラインS54A-1の生産数についての噂
次にちょっとした謎のお話。
以前より初代スカイラインGT(S54A-1)の生産数は、レース出場にあたり公認取得の為に必要な100台を急遽生産したというのが定説ではありますが、どうもその辺りについてはかなり怪しいと一部では言われています。
実際に計画が決定してから数か月間で100台生産しなくてはいけなかったわけですが、どうやら100台生産はされなかったというのが最近では定説になりつつあるようです。
54A-1は生産後にレース用としてスペアカーを含めてある程度の台数が引き抜かれた後は市販に回されており、それもすぐに完売してしまったと言われています。
一説には5月のグランプリの際にはほぼ売り切れ状態だったともいわれており(発表は3月で発売は5月1日からなので微妙な話ではある)、その後も54A-1という車は残っているという話が全く出てこない幻のクルマになっているところがとても不思議な気がします。
現在実車の存在が確認されているのは、日産に残されているレース仕様の1台のみ(これも実際にはレースに出場していないスペアカーだったと言われている)しかなく、本当に100台生産されていたならばもう少し残っていても良さそうに思うのですが、どうにも残っているという話がでてきません。
毎回引き合いに出すのですが、スカイラインスポーツやグランドグロリアのS45Pは複数台の存在が確認されているのでもう少し残っていても良さそうに思うのですが、この2車に比べればそこまで貴重で特殊な車ではなかったということなのでしょうか?
私自身は日産の保存車以外にはスピードメーター部品単体と、シリアルプレート(コーションプレート)ぐらいしか見たことがありませんが、これも当時プリンス系の自動車整備工場に残されていた解体部品と聞いているので実車から外された部品なのは間違いないですが、それらが市販された車なのかレースに使われていたクルマなのかまでは把握できません。
一説によると、総生産数は70台前後ではないかと一部で言われており、生産時にかなり番号を飛ばして刻印していたらしいという話を元プリンスの関係者の方から直接聞いたことがあるので、あながち噂だけではないのではと私個人は思っています。
S54スカイライン各型の写真など
最後に大まかな各型の違いについて写真を見ながら軽く解説して終わりたいと思います。
まずは日産に保存されているS54A-1
最初の2枚はまだレストア前の状態の頃。
3枚目はレストア完了後に撮影したものでかなり綺麗になっているのが分かりますが、レストア前には付いていなかったフェンダーに付くGTバッジ手前の「スカイライン」エンブレムが、レストア後にはちゃんと装着されてます。
プレートはこの頃使われていたゴールドの物です。
こちらは54Bの2型
最初の個体は座間の記念車庫に保管されていた車で、2型の3桁半ばの番号でした。
なのでテールランプがまだリムの付いていないものが装着されています。
3枚目は2型でも割と後期の方で、2000番台手前です。
リム付になるのはパーツリストの記載によれば54AS-61からと、54BS-897以降と言うことになっています。
有名なところでは、54の極初期型では縦グリルの本数が11本だったものが、その後割と早い段階で10本の物に変更されます。
写真の54A-1と54B-2のグリルの本数を比べてみると確かに本数が違うのが分かります。
(お時間のある方は写真を拡大して数えてみては如何でしょう)
因みにスカイラインデラックスのS50D-1では11本のままです。
この頃になるとプレートはシルバーの物に変わっています。
次の車は3型になってまだそれほど経っていない頃の個体で、プレートもプリンス・ニッサン時代の物が装着されています。
この頃は番号もプリンス時代からの続番になっているのでわかりやすく、現車は2000番台後半の車でした。
3型の見た目で最大の特徴は、写真の通りグリルが通称縦グリルから横グリルに変わったことで、他にはリアピラーに新たに装着されたエアアウトレットが2型との違いです。
Bについてはリアフェンダーも広げられてワイド化しています。
こちらはプレートが完全に日産になってからの個体です。
この頃になるとプレートには車両番号ではなく、車台番号が記載されるようになる為以前のプレートとの連続性が失われて分かり難くなりました。
まあ、調べればわかることなんですが。
プレートが完全に日産の仕様になったのはいつ頃なのか調べていませんので不明ですが、恐らく1966年度中はまだ切り替わっていないのではないかと勝手に想像します。
どの辺りから変更になっているのか、詳しい方にご教授いただけると嬉しいです。
2型までの生産数はパーツリストに記載されている車両番号で把握できるのですが、3型になると最終的な生産数は不明です。
2型と3型、どちらの方が生産数は多かったのでしょう?
最後は2型と3型のお尻
手前の2台が2型で奥は全て3型です。
先ほどの説明通り、リアピラーに付くエアアウトレットが3型の印。
後年フロントグリルが2型用に交換されている場合でも、この部分まで取り外して加工している車は滅多にないので、おおよそはここで判断可能です。
以上今回はかなり適当に書きたいことを書きました。
内容も中途半端になってしまい、余計にモヤモヤする方もおられるかもしれませんがご勘弁のほどを。
今回は以上となりますが、また何か思いついたら書きたいと思います。
それではまた
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コメントありがとうございます。
もしかしたらそういった可能性もあるかも知れないですね。
そんなところも含めて色々と考察するのが楽しいので、これからも調べて行きたいと思います。