相変わらずの超低空飛行中です。
さて、今回どうにか月末更新のプリンス社報を間に合わせました。
それでは早速・・・
今月号は1965年8月の通算第154号になります。
まずはいつも通り表紙から
季節は夏!
水の中を走るS50スカイラインが気持ちよさそうです・・・
って、この季節に見ても寒々しいだけですね。
しかも自分の車なら絶対に海水の中を走るなんてしません。
あっという間にサビサビになりますよ。
昔自動車整備士の仕事をしていた時、車検で入庫してきた日産サファリの下回りが錆でグズグズになっていたのを見たことがありましたが、恐らくそういう事をした後ちゃんと洗車しないまま使い続けたのではなかろうかと想像していました。
ボディは何ともないのに床下だけが酷くサビていて、そこまで年式は古くなかったのに(当時は現行車種)ナットなどは割れて花が咲いたようになってましたからね。(この表現でわかりますかね?)
ハンマーで床下の部品を叩くたびに盛大に錆が降り注ぐ始末で、最終的にどうしたのか?
ある程度錆を落としてシャシーブラックを盛大に吹き付けて誤魔化したのかな?
まあ、車検整備と直接関係ない部分に関してはそこまで手を掛けられませんでしたね。
・・・話を戻します。
表紙裏と目次のページです
地方のプリンスディーラー紹介は青森プリンスです。
いつものように地方のお祭りと共に記事にしています。
そして今号のメイン記事はマイラーのフルモデルチェンジです。
ここからは新型マイラーの紹介です。
この年の7月に発表、8月から発売になった新型マイラーは初の5速ミッションを採用。
しかも先代より価格を下げて発売され、プリンスの並々ならない期待を背負って登場しました。
あらゆる部分が洗練され、独特だった右側シフトレバーが通常の左に変更され、先にスカイラインやホーマーで採用された1年または3万キロ無給油シャシーの採用など一段と使いやすい車に生まれ変わりました。
この後日産合併後もT44系マイラーは継続生産されましたが、合併後のマイナーチェンジではエンジンを日産製に換装され、自慢の5速ミッションも通常の4速へとグレードダウンされてしまいました。
次のページはレースの話題
今は無き船橋サーキットでの全日本CCCレースの模様です。
CCCとは全日本自動車クラブ選手権の略称ですね。
このレースではT−Uクラスでスカイライン2000GTが優勝を飾りますが、GT−Uクラスではロータスエランに敗れています。
このエランを駆っていたのは浮谷東二郎氏で、この世界では超有名人の一人ですね。
この船橋サーキットの存続した期間はかなり短く、1965年に開業してわずか2年後の1967年には閉鎖されてしまいました。
こちらのページはツーリングセダンについて語っているもの。
スカイライン2000GTの宣伝のようなものでしょうか。
次のページは連載物のプリンス豆社史
ついに合併の所まで話が進んでしまいました。
この2年間で結構な数の新型を発売しているのですが、同時に他社も次々と新型車を発売しており、この時期は自動車業界は自由化を控えてかなりの動きがあったのですよね。
その波にプリンスは飲み込まれてしまった訳ですが、もし会社が存続していたら今の時代生き残れたのでしょうか?
この次のページもお馴染み自動車ジャーナルのページです。
クラウンがマイナーチェンジをしたことなどが書かれていますね。
次のページは社内のニュースを扱うプリンスジャーナル
スカイウェイ283台の記事が目立ちますね。
この殖産住宅という会社は既に無いそうですが、当時は大きな企業だったようです。
他には海外のレースでのスカイラインの活躍などが書かれていますが、表紙写真の説明もありますね。
これによると九十九里浜での撮影だったことが分かりますが、いまでも海岸まで来るまで入れるところはあるのでしょうか?
次のページも続きですが、この時期でもまだ新しくプリンスディーラーが発足しているんですよね。
翌年には合併してしまう訳ですが、その前に販売基盤を強化しようという事だったのでしょうかね。
そして最後になりますが、裏表紙の世界の乗用車シリーズ
今回はフランスのパナールが取り上げられています。
このメーカーも既に乗用車生産からは撤退してしまいましたが、現在では軍用車メーカーとして存続しています。
このパナールですが、独特のスタイリングで個人的には結構好きな形です。
パナールに限りませんが、フランス車は一種独特な雰囲気を醸し出しているスタイリングの車が多いように感じます。
今回は以上です。
それではまた来月・・・
更新できれば。。。
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昔は何はなくともまずは免許、ってな感じでしたが、今は違うんでしょうね〜
AT免許率が8割ですか。
自分は今でも趣味で乗るなら絶対MTですが、わざわざMT免許を取る人は少ないんですね。
こんばんは
二代目マイラーは確かに当時のライバルに比べても遜色ないというより一歩進んだ車だったと個人的には思います。
商売が下手だと言われていたプリンスですが、こう言ったメンテナンスフリーなどをいち早く採用しているのは、ユーザーのことをよく考えているなと思いますし、商品力も高かったと思うんですよね。
いまだからこそ勝手なことを言えますが、もしプリンスが今も残っていたら日産より大きな自動車メーカーになっていたのか?
今の日産の凋落ぶりを見ていると、あながちあり得ないことでもない様に思いますが、そのプリンスは日産に吸収されちゃったんですよね・・・
マイラーの紹介記事はかなり詳細で当時のプリンスは他社のトラックなんて目じゃないぜ!位の自信作だったと思います。
今とは道路状況も比較にならないほど悪い時代に過酷な使用条件のトラックに1年3万キロまでグリスアップ不要をうたうのは余程の品質に自信があったからに違いありません。
合併後もプリンスの車名や車種は継続し…などと希望的な文章、日産はことごとく反故にしました。そしてプリンスと違って勝手に日産は自滅したように思います。
息子も車好きなので2年前に限定なしで免許を取得しましたが今は限定なしは2割だそうです。