結局今月もこれだけの更新となってしまいした。
今号は前回から飛んで、1966年1月号の通算159号です。
今号は1965年の社報よりより一段と簡素化が進み、遂にわら半紙となってしまいました。
正にプリンスの状況を如実に表しているようです。
表紙もなくなり、いきなり目次からのスタートになっています。
石橋会長による新年の挨拶からスタートです。
この年に日産と合併になるので、その件について従業員へ訓示されていますが、その中でプリンスの名は永久に残ると言っています。
しかしご存じの通り、日産はこの約束をあっさりと反故にしました。
しばらくの間、旧プリンス系の車は車検証にはプリンスの名前は残りましたが、車名からは早々にプリンスの文字は消されてしまいました。
合併と言いつつも実質は吸収でしたから、この辺りに吸収される側の企業の悲哀が見えて悲しくなってしまいます。
次のページは小川社長へのインタビュー記事です。
この中で66年度以降のプリンスの展望を描いていますが、特に合併後の予測については興味深いです。
実際は書いているようには上手くはいかず、様々な軋轢を生んでしまいました。
従業員の差別の問題や車種別の開発のことなど、思っていたようには行きませんでした。
組合問題も相当生々しいやり取りがあったようです。
気になる方は色々調べてみてはいかがでしょうか。
こちらのページはユーザー訪問という記事と、新製品解説と言うことでグランドグロリアにBW付が新たに登場したことが書かれています。
今回紹介しているユーザーで使用されているホーマーは、プリンス時代最後の新開発車として登場した小型トラックで、販売も好調だったようです。
日産合併後も長く販売が続いたので、40代以上の年齢の方であれば実車を見たことある方も多いのではないかと。
見たことがあるといっても殆どは日産合併後のモデルだとは思いますが、基本のシルエットは長らくこの形でしたので、ホーマーと言えばこの形を連想するのではないでしょうか?
グランドのBW(ボルグワーナー)付は先行してマイナーチェンジした仕様で発売されました。
その為型式はS44PW-2となっています。(Wはボルグワーナーミッション仕様の意味)
その後3月頃には他のデラックス系グロリアに同様の改良が施されて2型にチェンジしたということは以前のブログ記事でも紹介した通りです。
具体的にはグランド独自のフロントディスクブレーキ化と燃料タンクの60リッターへの増量以外の部分で、リアのリーフスプリングの1枚化とフロントフェンダー横に新設された「P」マークのエンブレム、無給油シャシーなどです。
次のページは連載記事のやさしい自動車工学その12
この連載では毎回自動車の構造について出来る限り平易に解説してはいますが、ある程度知識が無いと理解するのは難しいかもしれないですね。
それ以前にどれくらいの方がこの記事を真剣に読んでいたのでしょう。
お次は自動車ジャーナルのページ
毎回個人的に注目している四輪車生産実績表ですが、プリンスの小型バスの生産数に注目。
この月はさりげなく生産数が一番多いです。
他には軽のトラック系の生産数を見るとダイハツが一番台数を作っています。
ダイハツに次いで多いのが意外にも三菱です。
軽の乗用車を見るとこちらは東洋工業(マツダ)が一番で、富士重工(スバル)は2位となっています。
現在では当時のスバルはベストセラーという認識が強いですが、必ずしもダントツだったと言う訳ではなかったことがこの表を見ると分かって興味深いです。
ただし、スバルの場合は360一車種のみでの台数ですので、マツダとは少し状況が違うので一概には言えない部分でもあります。(マツダは一応この時点でR360クーペもまだあった)
この時点ではまだダイハツは軽4輪乗用車の生産は無く(フェローはまだ発売前)、今では最大手のスズキは全く売れていません。
ホンダの乗用車と言えばスポーツ以外はまだ無い時代です。
次はプリンスジャーナル
村山の塗装工場の増築の記事の下に1966年1月1日現在の価格表が載っています。
この当時は毎年のように価格改定が行われており、コスト低減に伴う値下げ以外にもライバル各社の戦略に合わせてやむなく価格を下げるということもあったようです。
プリンスはトヨタや日産に比べて量産効果が低かったにもかかわらず、段階的に値下げに踏み切っていたので内情は厳しかったのではないかと想像します。
右のページでは輸出関連のニュースに続いてライトコーチの特装車のことが書かれています。
気象庁へ納入された移動レーダー車だそうです。
屋根上にパラボラアンテナが鎮座している様は何となく特撮映画に出てきそうな出で立ちです。
最後はいつもの世界の乗用車シリーズ
今号はロールスロイスです。
特に語る必要のないくらい有名な車ですので特にコメントは致しませんが、上の写真を良く見ると右奥にグランドグロリアが写っています。
宮内庁所有のロールスロイスの写真とのことなので、もしかするとS45Pだったりするかもしれませんね。
今回は以上です。
ではまた
【このカテゴリーの最新記事】
ご無沙汰しております。
私は世代的には日産合併後のホーマーはそれほど珍しいものでは無かったですが、純粋なプリンスホーマーは恐らく見たことはないと思います。
子供の頃のことですから、違いに気がついていない可能性もありますが…
世代的に実働車両は
この年の社報は、一気にコストを切り詰めて簡素化されているのが明らかで、こんなところにも懐事情が現れているなと思い、ちょっと切なくなりますね。
今号での日産との話し合いの内容も今となってみるとかなり不誠実な結果になったように部外者から見ると思われるので、実際当時内部にいた方はどのように感じてていたのでしょう?
日産は20世紀末には会社が傾くほどの赤字に転落して、外部から社長が送り込まれてくるほど落ちぶれました。
その後は今に至るまで当時の輝きを取り戻せているようには思えませんね。
結局ゴーン氏とは何だったのでしょう?
一時的に業績は回復しましたが、それ以上に失ったものの方が大きかったのではないかなと思います。
今は自動車に限らず鉄道車両も画一化が進み、昔のデザインや無駄の多い作りが懐かしく感じる世代には本当につまらなくなったと思います。
このあとの展開を知ってるだけに辛くなる社報です。
日産は数々の約束を反故にしましたがスカイラインでは櫻井氏を宣伝に使うなど都合のいいところでは利用していましたね。
プリンスの技術が生かされた数々の車、初代チェリーなど他メーカーに先駆けてFFに挑戦した歴史などもう忘れ去られていますね。
倒産寸前でゴーンが来ましたが所詮コストカッターで長年のファンを裏切り、高額の報酬で私腹を肥やしただけでした。
鉄道車両や大型車を含む自動車もすっかり統合画一化され興味がなくなりました。