2023年01月03日
プリンス社報 1965年7月号
どうもです。
遅ればせながら
あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
昨年後半はあまり更新が出来ませんでした。
今回も本当なら昨年末に更新予定だったプリンス社報シリーズなんですが、このタイミングとなってしまいました。
今年もこんな更新頻度になりそうですが、宜しかったらまたお付き合いしていただければと思います。
さて、今回は1965年7月の通算153号です。
お正月ですが、季節を全く無視した夏の号の紹介になります。
それでは早速いつものように表紙から
S50スカイラインがいかにも南国風な場所にいます。
それもそのはず、ここはハワイなんですね。
ハワイにはレンタカーとして結構な台数のスカイラインが輸出されていたんです。
よく見るとこのスカイライン、外観はスタンダード系ですがホイルキャップはデラックス系の物を装着している辺りがいかにも輸出用な雰囲気です。
表紙裏と目次
今回は阿波踊りと徳島プリンスの紹介
今の規模がどれくらいか分かりませんが、四国はこの頃まだまだ小さな商圏だったみたいですね。
目次のページには村山工場のテストコースが完成したという記事があります。
ここで名前の出ている中村氏とは第2回日本グランプリの帰路、箱根で一泊した際そこでお亡くなりになってしまった方ですが、今でいう所の過労死だと思われ、当時相当なご無理をされてグランプリに全精力を捧げて戦われたのでしょう・・・
今回最初の記事はレース関係の話題から
耐久レースとラリーでの結果報告ですが、こういったラリーは当時結構開催されていたんですね。
次は連載記事の「プリンス豆社史」のFです
富士精密工業からプリンス自動車工業への社名変更と、新しい村山工場でのS4系グロリアの生産開始辺りのことが書かれていますね。
悲しいかな、グロリアも村山工場もすでに過去のものとなってしまいました・・・
次のページも連載記事の「やさしい自動車工学」その6
今回はエンジンの仕組みについての解説です。
こういった説明は一般人にはあまり興味のない話なのではないかと思うのですが、社内報でこれを真剣に読んでいた人はどれくらいいたのでしょう。
今は余計にこういった部分に関して興味のある人は減っているように思いますが、当時も自分で弄る人以外は男の人でも知識としては案外持っていなかったのではないかなと勝手に想像します。
そしてお次は私の大好きは自動車ジャーナルのページ
プリンスの新小型バス(後のホーミー)がこの度発売になるということが最初に書かれています。
ここで疑問が一つ。
前回のプリンス社報の記事で生産実績の表の台数についてコメントしているのですが、プリンスの小型バスが以前は生産数が記載されていなかったのに、今回(先月の)プリンス社報の記事の表には生産数が記載されていたので何でだろうということで、恐らくホーミーの生産数がカウントされるようになったのでは?と勝手に解釈していたのですが、今回の記事ではまだ発売前なんですよね。
新型車の発売は、凡そ発表の2〜3か月前くらいには生産が始まってはいるはずですが、それにしても1965年の4月時点で生産開始していたのかと言うとちょっと疑問です。
しかもそこまで販売数が見込めないと思われる小型バスを、いきなり100台単位で生産するものだろうかと個人的には思ってしまいましたので、はたして表に記載されている小型バスの生産と言うのがどの車種を指しているのか?
ちょっと気になってしまいました。
それ以前の表には全く生産数の記載がないので余計に謎に思っています。
本来ならばライトコーチなどの生産数が記載されているのではと思うのですが、今まで全く記載がなかったんで良く分かりません。
・・・などと悩みながら生産実績表を見ていたら、バスの分類が新たに普通と小型が記載されるようになっていることに今更気が付きました。
そのタイミングが5月からだったということだけの事でした。
単純に今までは分類が無かっただけと言うことです。
なので、プリンスの小型バスと言うのはこの時点ではライトコーチの事でしょう。
勝手に悩んで勝手に解決しました(笑)
気を取り直して次のページです。
主に社内の事を取り扱うプリンスジャーナルです
テレックス導入で通信費が大幅に節約できるようになったと書かれています。
今はもう使われなくなったテレックスですが、当時はまだ導入されて10年弱と言う頃でしょうか。
電報よりも長文が送信可能で、電話よりも通信費が安く済むということですが、使い勝手はどうだったんでしょう?
私はテレックスを実際に使用したことが無いので何とも言えません。
次のページにはベルギーへの輸出について書かれています。
ごく少数のグロリアが試験的に輸出されたようですが、その後はどうだったのでしょう?
本格的は輸出につながったのかは検証していませんが、あまりプリンス車の左ハンドルは残存していない為、そもそもの台数が多くは無かったことと思います。
同じ輸出仕様でも右ハンドル車は意外と残っており、主にオーストラリアやニュージーランドから里帰りして国内で再登録された個体は何台か実際に見ていますし、現地にもかなり残存しています。
左ハンドルはほぼお目に掛かったことはありませんが、結構昔に左ハンドル車の売り情報は聞いたことがあるので、全く残っていないということでもないようです。
最後は裏表紙の世界の乗用車
スウェーデンのサーブです。
今はもう自動車生産からは撤退してしまいましたが、一時期は個性的な車の生産をしており、結構国内でも見ることが出来ましたね。
この記事の時代は独特の丸っこいフォルムで、一目でサーブと分かるスタイルをしていました。
最近ではアカデミー賞を受賞した映画「ドライブ・マイカー」に、主人公の愛車として赤いサーブ900が使われていましたね。
(私は見ていませんが・・・)
今回は以上です。
今回、目次にあった日本気化器の記事など、自分でも興味のある部分を何故かスキャンしておらず、ちょっと物足りない内容だったかもしれませんが、そもそもこのシリーズ自体が内容を軽く抜粋して紹介するスタンスで始めたので、これくらいでも内容としては充分な気はしています。
本当はもっと簡単でも良いのかなとは思っているんですよね。
そうしないと更新自体がおろそかになってしまうので・・・
(既にそうなっているのですが)
今年もしばらくこのペースでの更新になりそうですが、皆さん宜しくお願い致します。
ではまた
遅ればせながら
あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
昨年後半はあまり更新が出来ませんでした。
今回も本当なら昨年末に更新予定だったプリンス社報シリーズなんですが、このタイミングとなってしまいました。
今年もこんな更新頻度になりそうですが、宜しかったらまたお付き合いしていただければと思います。
さて、今回は1965年7月の通算153号です。
お正月ですが、季節を全く無視した夏の号の紹介になります。
それでは早速いつものように表紙から
S50スカイラインがいかにも南国風な場所にいます。
それもそのはず、ここはハワイなんですね。
ハワイにはレンタカーとして結構な台数のスカイラインが輸出されていたんです。
よく見るとこのスカイライン、外観はスタンダード系ですがホイルキャップはデラックス系の物を装着している辺りがいかにも輸出用な雰囲気です。
表紙裏と目次
今回は阿波踊りと徳島プリンスの紹介
今の規模がどれくらいか分かりませんが、四国はこの頃まだまだ小さな商圏だったみたいですね。
目次のページには村山工場のテストコースが完成したという記事があります。
ここで名前の出ている中村氏とは第2回日本グランプリの帰路、箱根で一泊した際そこでお亡くなりになってしまった方ですが、今でいう所の過労死だと思われ、当時相当なご無理をされてグランプリに全精力を捧げて戦われたのでしょう・・・
今回最初の記事はレース関係の話題から
耐久レースとラリーでの結果報告ですが、こういったラリーは当時結構開催されていたんですね。
次は連載記事の「プリンス豆社史」のFです
富士精密工業からプリンス自動車工業への社名変更と、新しい村山工場でのS4系グロリアの生産開始辺りのことが書かれていますね。
悲しいかな、グロリアも村山工場もすでに過去のものとなってしまいました・・・
次のページも連載記事の「やさしい自動車工学」その6
今回はエンジンの仕組みについての解説です。
こういった説明は一般人にはあまり興味のない話なのではないかと思うのですが、社内報でこれを真剣に読んでいた人はどれくらいいたのでしょう。
今は余計にこういった部分に関して興味のある人は減っているように思いますが、当時も自分で弄る人以外は男の人でも知識としては案外持っていなかったのではないかなと勝手に想像します。
そしてお次は私の大好きは自動車ジャーナルのページ
プリンスの新小型バス(後のホーミー)がこの度発売になるということが最初に書かれています。
ここで疑問が一つ。
前回のプリンス社報の記事で生産実績の表の台数についてコメントしているのですが、プリンスの小型バスが以前は生産数が記載されていなかったのに、今回(先月の)プリンス社報の記事の表には生産数が記載されていたので何でだろうということで、恐らくホーミーの生産数がカウントされるようになったのでは?と勝手に解釈していたのですが、今回の記事ではまだ発売前なんですよね。
新型車の発売は、凡そ発表の2〜3か月前くらいには生産が始まってはいるはずですが、それにしても1965年の4月時点で生産開始していたのかと言うとちょっと疑問です。
しかもそこまで販売数が見込めないと思われる小型バスを、いきなり100台単位で生産するものだろうかと個人的には思ってしまいましたので、はたして表に記載されている小型バスの生産と言うのがどの車種を指しているのか?
ちょっと気になってしまいました。
それ以前の表には全く生産数の記載がないので余計に謎に思っています。
本来ならばライトコーチなどの生産数が記載されているのではと思うのですが、今まで全く記載がなかったんで良く分かりません。
・・・などと悩みながら生産実績表を見ていたら、バスの分類が新たに普通と小型が記載されるようになっていることに今更気が付きました。
そのタイミングが5月からだったということだけの事でした。
単純に今までは分類が無かっただけと言うことです。
なので、プリンスの小型バスと言うのはこの時点ではライトコーチの事でしょう。
勝手に悩んで勝手に解決しました(笑)
気を取り直して次のページです。
主に社内の事を取り扱うプリンスジャーナルです
テレックス導入で通信費が大幅に節約できるようになったと書かれています。
今はもう使われなくなったテレックスですが、当時はまだ導入されて10年弱と言う頃でしょうか。
電報よりも長文が送信可能で、電話よりも通信費が安く済むということですが、使い勝手はどうだったんでしょう?
私はテレックスを実際に使用したことが無いので何とも言えません。
次のページにはベルギーへの輸出について書かれています。
ごく少数のグロリアが試験的に輸出されたようですが、その後はどうだったのでしょう?
本格的は輸出につながったのかは検証していませんが、あまりプリンス車の左ハンドルは残存していない為、そもそもの台数が多くは無かったことと思います。
同じ輸出仕様でも右ハンドル車は意外と残っており、主にオーストラリアやニュージーランドから里帰りして国内で再登録された個体は何台か実際に見ていますし、現地にもかなり残存しています。
左ハンドルはほぼお目に掛かったことはありませんが、結構昔に左ハンドル車の売り情報は聞いたことがあるので、全く残っていないということでもないようです。
最後は裏表紙の世界の乗用車
スウェーデンのサーブです。
今はもう自動車生産からは撤退してしまいましたが、一時期は個性的な車の生産をしており、結構国内でも見ることが出来ましたね。
この記事の時代は独特の丸っこいフォルムで、一目でサーブと分かるスタイルをしていました。
最近ではアカデミー賞を受賞した映画「ドライブ・マイカー」に、主人公の愛車として赤いサーブ900が使われていましたね。
(私は見ていませんが・・・)
今回は以上です。
今回、目次にあった日本気化器の記事など、自分でも興味のある部分を何故かスキャンしておらず、ちょっと物足りない内容だったかもしれませんが、そもそもこのシリーズ自体が内容を軽く抜粋して紹介するスタンスで始めたので、これくらいでも内容としては充分な気はしています。
本当はもっと簡単でも良いのかなとは思っているんですよね。
そうしないと更新自体がおろそかになってしまうので・・・
(既にそうなっているのですが)
今年もしばらくこのペースでの更新になりそうですが、皆さん宜しくお願い致します。
ではまた
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