2020年06月28日
プリンス社報 1963年1月号
どうもです。
相変わらずの超スローペースを維持しております・・・
最近は色々と億劫でだらだらと過ごしてました。
大丈夫か50歳?
・・・さて、相変わらず不定期にアップしているプリンス社報シリーズですが、今回は63年1月号です。
今回からタイトルに発行年月を記載するようにしました。
それに伴い以前のものも同じようにタイトルを変えました。
1963年1月号は通算123号になり、昭和38年最初の号となります。
この年の干支は卯(ウサギ)でしたので表紙もそれにちなんだもの。
目次
前年に発売されたS40グロリアと松のシルエットを背景に「謹賀新年」
正月っぽい写真です。
こちらは小松社長の「年頭所威」
5か年計画の達成とS40グロリアの発売、今後の自動車輸入自由化に対しての対応などについて述べられていますね。
次のページでは自工の天瀬専務と自販の外山副社長による対談です。
サムネイルをクリックすると大きくなりますんで、興味のある方はじっくり読んでみると面白いですよ。
このページは業界関連のニュースを紹介しているんですが、個人的に一番興味があるのは左ページの四輪車生産実績ですね。
これによると37年11月度のプリンスは合計3,721台生産していますが、業界3位と言われていたプリンスでもトヨタ、日産と比べるとたったこれだけの生産数なんですね。
こちらは以前からプリンスが実施している他メーカーの工場見学をした際の感想を述べている座談会の記事
当時のプリンス従業員から見たトヨタ、ホンダ、ダイハツについての率直な気持ちが分かり読むと面白いです。
お次は海外ネタ
数は少ないながらも、この頃から積極的に海外へ販路を広げようと努力していたことがよく分かります。
これはS40Dグロリアのモニター抽選会の様子
S40Dは発売後に全国からモニターを募集したのですが、その応募総数はなんと25万通もあったそう。
それだけ当時の人たちの話題になったということでしょうが、グロリアの人気が凄いというよりやはり当時の時代背景が大きいのではないかと。
車は欲しいけれど、まだまだ簡単に買えるような代物ではなかった当時(グロリアクラスになると小さな家が建つくらい?)、モニターに当選すればしばらく自由に乗ることが出来るというならばやっぱり応募したくなりますよね?
最後はちょっとページが飛んでいますが、先ほどの輸出ニュースに関連した記事
北欧へのサンプル輸出とウルグアイとのノックダウン輸出が決まったという話題。
こちらは裏表紙の毎号おなじみ「世界の乗用車シリーズ」
今回は「新型国産乗車のプロフィールその1」(プロフィルーその1?)として、自社のグロリアの紹介です。
どうでもよいですが、登場したばかりの頃はまだタイヤがホワイトウォールです。
これはスーパー6発売の頃になるとリボンタイヤに変わりますね。
それ以前の車種はみなホワイトウォールだったので、ちょうどS40発売の頃からタイヤのデザインも変わっていく時期だったんでしょう。
今回は以上です。
相変わらずの超スローペースを維持しております・・・
最近は色々と億劫でだらだらと過ごしてました。
大丈夫か50歳?
・・・さて、相変わらず不定期にアップしているプリンス社報シリーズですが、今回は63年1月号です。
今回からタイトルに発行年月を記載するようにしました。
それに伴い以前のものも同じようにタイトルを変えました。
1963年1月号は通算123号になり、昭和38年最初の号となります。
この年の干支は卯(ウサギ)でしたので表紙もそれにちなんだもの。
目次
前年に発売されたS40グロリアと松のシルエットを背景に「謹賀新年」
正月っぽい写真です。
こちらは小松社長の「年頭所威」
5か年計画の達成とS40グロリアの発売、今後の自動車輸入自由化に対しての対応などについて述べられていますね。
次のページでは自工の天瀬専務と自販の外山副社長による対談です。
サムネイルをクリックすると大きくなりますんで、興味のある方はじっくり読んでみると面白いですよ。
このページは業界関連のニュースを紹介しているんですが、個人的に一番興味があるのは左ページの四輪車生産実績ですね。
これによると37年11月度のプリンスは合計3,721台生産していますが、業界3位と言われていたプリンスでもトヨタ、日産と比べるとたったこれだけの生産数なんですね。
こちらは以前からプリンスが実施している他メーカーの工場見学をした際の感想を述べている座談会の記事
当時のプリンス従業員から見たトヨタ、ホンダ、ダイハツについての率直な気持ちが分かり読むと面白いです。
お次は海外ネタ
数は少ないながらも、この頃から積極的に海外へ販路を広げようと努力していたことがよく分かります。
これはS40Dグロリアのモニター抽選会の様子
S40Dは発売後に全国からモニターを募集したのですが、その応募総数はなんと25万通もあったそう。
それだけ当時の人たちの話題になったということでしょうが、グロリアの人気が凄いというよりやはり当時の時代背景が大きいのではないかと。
車は欲しいけれど、まだまだ簡単に買えるような代物ではなかった当時(グロリアクラスになると小さな家が建つくらい?)、モニターに当選すればしばらく自由に乗ることが出来るというならばやっぱり応募したくなりますよね?
最後はちょっとページが飛んでいますが、先ほどの輸出ニュースに関連した記事
北欧へのサンプル輸出とウルグアイとのノックダウン輸出が決まったという話題。
こちらは裏表紙の毎号おなじみ「世界の乗用車シリーズ」
今回は「新型国産乗車のプロフィールその1」(プロフィルーその1?)として、自社のグロリアの紹介です。
どうでもよいですが、登場したばかりの頃はまだタイヤがホワイトウォールです。
これはスーパー6発売の頃になるとリボンタイヤに変わりますね。
それ以前の車種はみなホワイトウォールだったので、ちょうどS40発売の頃からタイヤのデザインも変わっていく時期だったんでしょう。
今回は以上です。
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