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2020年09月30日
中間決算
毎年の9月末は中間決算で、3月末は(年度末)決算で、その日が近づくと休日出勤をしないと間に合わなくなるくらい忙しくなります。そうしている中で、そういえば人生の中間決算ってあるのかな?と、ふと思ったのです。
ところが人生というのは終わってみなければ決算時期が分からないので、逆算して「ああ、あの時が中間決算のときだったんだな」と思うしかないのです。
平均寿命の半分をひとつの目安と考えても良いのですが、人生の折り返し地点という言い方の方が馴染みがあるかもしれません。マラソンのような折り返し地点に例えると、そのときは人生のうちの普通の1日、あるいは普通の1年と捉えてしまうかもしれません。
人生の中間決算という言い方の方が、来し方行く末を見つめる重要な時期のように位置づけられるような気がします。
しかし、平均寿命の半分の時期は35歳〜40歳位で、勤め人の多くは重要な地位につき大事な仕事に取り組んでいて、今その瞬間に精いっぱい生きているようなときだと思います。過去を振り返り、将来を考える余裕があるかどうかは怪しいものです。
思いたったが吉日の言葉を受けて、何歳のときでもいいので気になった時に断捨離すれば良いと思いました。
中間決算と断捨離は本来まったく無関係な事柄だけど、私に中で結びついてしまいました。
ところが人生というのは終わってみなければ決算時期が分からないので、逆算して「ああ、あの時が中間決算のときだったんだな」と思うしかないのです。
平均寿命の半分をひとつの目安と考えても良いのですが、人生の折り返し地点という言い方の方が馴染みがあるかもしれません。マラソンのような折り返し地点に例えると、そのときは人生のうちの普通の1日、あるいは普通の1年と捉えてしまうかもしれません。
人生の中間決算という言い方の方が、来し方行く末を見つめる重要な時期のように位置づけられるような気がします。
しかし、平均寿命の半分の時期は35歳〜40歳位で、勤め人の多くは重要な地位につき大事な仕事に取り組んでいて、今その瞬間に精いっぱい生きているようなときだと思います。過去を振り返り、将来を考える余裕があるかどうかは怪しいものです。
思いたったが吉日の言葉を受けて、何歳のときでもいいので気になった時に断捨離すれば良いと思いました。
中間決算と断捨離は本来まったく無関係な事柄だけど、私に中で結びついてしまいました。
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2020年09月29日
2020年09月28日
どこでも除菌
コロナが蔓延する前は、「どこでも除菌」はごくごくローカルな消臭除菌剤でした。セールスポイントの「目に入ったり、吸い込んだり、お子様が誤って飲んでしまっても、害のない安全な除菌消臭水です」が個人的には非常に気に入っていたのです。ドラッグストアで在庫の棚から取り出してやや安く買うのが楽しみでした。
コロナが世に登場すると、アルコール消毒液をはじめとする消毒薬、除菌剤等は店の棚から全て消えました。「どこでも除菌」も例外ではありませんでした。店の棚に帰ってくるまで何か月もかかりました。
店頭から消えてしまった除菌剤ですが、ネットで検索すると、あるにはあるのです。ところが、普通ではありえへん値段で売っていました。そんな中、割と妥当な値段で売っているものを見つけました。除菌・消臭スプレー「エコノアクア」です。500mlが4本セットで2,400円程でした。
どこでも除菌が400mlで400円程度でしたので、コロナの時期としては超絶良心的な値段です。「購入する」をポチっとクリックして買いました。
今では「どこでも除菌」を「おひとり様1回のご購入に対して1本限定」などという購入数量の制限なく売っています。今日も「つけかえ用」を2本買ってきました。
「どこでも除菌」も「エコノアクア」も主成分は次亜塩素酸ナトリウムです。
どこでも除菌・・・どこでもドア的な響きも気に入っている要素です。
2020年09月27日
走るのはヒトの本性(ほんせい)だったはず
人類の祖先は、アフリカの大地で獲物を付かず離れず追跡し、熱中症に追い込んで弱ったところを仕留めたらしい。追跡のために長距離を走るので、体温上昇を抑える機構を獲得しました。獲物が熱中症になる前に自分がそうならないためです。
汗をかき、気化させて熱を奪わせるのです。効率的に汗を蒸発させるために体毛が退化しました。
走ることがヒトの本性(ほんせい)ならば、膝痛や腰痛が人を襲い、走ることを困難にしているのは何故でしょう。
走ることで生き残りの戦略を行使した頃の平均年齢は非常に短かったと思われます。30歳、40歳は古老の領域にあったと想像されます。
この年齢で寿命を迎えたならば、膝や腰はまだまだ元気です。激しい活動によって軟骨の部分が擦り減っていったとしても、まだまだ十分な余力を残していたのです。
現代は長寿の時代です。膝や腰の軟骨の使用限度を越えて使い続けているのです。そして増え続ける体重は膝や腰にさらなる負担を強います。これでは、人類は膝痛と腰痛の虜になってしまいます。
果たして人類は、この悩みから解放されて、質実剛健な生活を取り戻すための方策を手に入れることはできるのでしょうか。
2020年09月26日
茶渋が付いたら
茶渋が茶碗に付いたら漂白剤に浸けて茶渋を落とします。一晩浸けておくだけで茶渋が落ちます。悠長なことが嫌な人は激落ちくんで擦り落とせます。
内側が白い色の茶碗は茶渋が目立ちます。その分きれいになった時が一目瞭然です。ところが色がついている茶碗では、茶渋がついているのか付いていないのか判然としません。
分からないと茶渋を付いた燻(くす)んだまま使っていることになります。定期的な漂白が衛生的にも良いでしょう。激落ちくんを使用する場合、使用前と使用後の様子が分からないので、茶渋の落としそこないが出る可能性があります。
歯が黄ばんできたら激落ちくん使って白くした、安上がり、という話がネットに出ていました。激落ちくんは自分を削り落としながら汚れを落としていくので、口の中に衛生的でないものが残ります。非常によろしくないです。
茶渋だけでなくコーヒーを常飲していると、歯が燻んできます。そういうときは歯医者に行って歯垢を取ってもらうついでに研磨してもらいます。半年に一度、虫歯とは関係なく歯垢の除去という名目で、口内の健康チャックを歯医者さんにしてもらうことがお勧めです。
2020年09月25日
今でしょ
2020年09月24日
世界は脳が構築している
世界は脳が構築している。
だから脳が故障すれば世界は認識できなくなってしまう。
脳は神経のネットワークで構成されていて、その中を走る電気信号のパターンの違いによって、異なる反応をする。脳という言葉でひとつに括ってしまうけど、各人の脳のネットワークは似ているようで違う。
だから、例え同じものを見ていても、同じようにネットワークが反応しているわけではない。
例えば「赤いリンゴ」を見ていても、私の脳とあなたの脳が同じようなパターンに再構築されていることはあり得ない。
脳波を測定して、同じ波形だから、多分同じように「見えている」のではないのか、と類推するだけだ。同じような反応をするから、多分・・・としか言えない。
全て脳の中の錯覚かもしれない。
あるいは、データだけかもしれない。
あるいは次元の渦の中にできた虚ろな泡なのかもしれない。
だから脳が故障すれば世界は認識できなくなってしまう。
脳は神経のネットワークで構成されていて、その中を走る電気信号のパターンの違いによって、異なる反応をする。脳という言葉でひとつに括ってしまうけど、各人の脳のネットワークは似ているようで違う。
だから、例え同じものを見ていても、同じようにネットワークが反応しているわけではない。
例えば「赤いリンゴ」を見ていても、私の脳とあなたの脳が同じようなパターンに再構築されていることはあり得ない。
脳波を測定して、同じ波形だから、多分同じように「見えている」のではないのか、と類推するだけだ。同じような反応をするから、多分・・・としか言えない。
全て脳の中の錯覚かもしれない。
あるいは、データだけかもしれない。
あるいは次元の渦の中にできた虚ろな泡なのかもしれない。
2020年09月23日
インターネットで何ができるのか?
何でもできるようで、受け身のままでは何もできません。
受け身でない、ということは、能動的ということ。
インターネットで能動的とは、自ら情報を発信することです。
それでは、どんな情報を発信すれば良い?
発信するようなネタなんか無いよと豪語するひとにとっての情報発信とは?
自分に興味のあることで、他人(ひと)にしゃべりたい事ってあるでしょう。
知識を自慢する、という意味じゃあなくて、知らないのはもったいないよ、という感じ。
そういうことを、自分の言葉で書いていくのです。
自分の言葉とは、本に書いてある言葉とか、インターネットのサイトの言葉とかの丸写しではなくて、自分の中にいちど蓄積されたものを、何も見ないで吐き出してゆく作業のことです。
2020年09月22日
2020年09月21日
ヨビノリを観る
1+1=2 を証明する、をYOUTUBEの「予備校のノリで学ぶ『大学の数学・物理』」(通称「ヨビノリ」)でじっくり観て以来、少しハマっています。沼にハマるほどではなくて、積極的に見にはいっている、という感じです。
昔むかし、曽野綾子の「太郎物語」を読んで、高校時代にこの本に出会えていたら大学での過ごし方や学び方がもっと有意義になっていただろうと感じましたが、ヨビノリを観て同じような感覚に襲われました。
自分が理解したいと切望しているものを易々と手に入れて(苦労して勉強していることが分かっています。簡単にという意味ではなく、他人に楽しく教えられるほどに会得しているということです。)いることへの憧れです。そして、学びや研究に対するスタンスへの敬意です。
昔むかし、曽野綾子の「太郎物語」を読んで、高校時代にこの本に出会えていたら大学での過ごし方や学び方がもっと有意義になっていただろうと感じましたが、ヨビノリを観て同じような感覚に襲われました。
自分が理解したいと切望しているものを易々と手に入れて(苦労して勉強していることが分かっています。簡単にという意味ではなく、他人に楽しく教えられるほどに会得しているということです。)いることへの憧れです。そして、学びや研究に対するスタンスへの敬意です。