2019年02月16日
クラウゼヴィッツ 戦争論
私の尊敬する人の一人相羽涼さんがツイートしていた本を紹介したいと思います。
その本はクラウゼヴィッツの「戦争論」なのですが、この本は弁証法を使っているので活字で読むのは難しいと思いましたので、まんがで読破のほうを読んでみました。漫画形式でしたら、すぐに読むこともできるので、難しい内容でもすっと頭に入りやすいです。
この本では、どんなことが書かれているかというと、
「戦争」とは、どのようなものかということで、決して「戦争に勝つためにはどうしたらよいかということ」や「戦争を推奨するもの」ではないです。
この本が書かれたのは、ちょうどフランス革命が終了して、ナポレオンがヨーロッパの派遣を獲得しようとする時代です。著者のクラウゼヴィッツは、もともとプロイセンの軍に所属しており、大変優秀な存在でした。しかし、この時プロイセンはある戦争に巻き込まれます。それが、ナポレオンの台頭です。この中で、プロイセンはナポレオンとの戦争に負けてしまい、フランスの捕虜となってしまいました。その経験から著者は戦争とは何かを考え始めるようになりました。
そして著者によると戦争とは以下のように定義されています。
「戦争とは、相手に自分の意思を強要するための暴力的行為である」と。
そして戦争は三つのことに依存します。政府の目的、軍の戦力、そして、国民の支持です。
それと並行して、なぜプロイセンはフランスに負けてしまったのかについて考え始めるようになりました。
その過程で、それまでの戦争とこのナポレオンとの戦争との違いを考えるようになりました。
まずこれまでの戦争とはどのようなものだったのか?
従来の戦争は、政治や経済など様々な要因の影響を受けて、あまり過激なものにならないように制限されやすいものでした。
それに対して、ナポレオンとの戦争は、相手を撃滅することを目的として「絶対的戦争」と定義されており、それはかなり攻撃を重視した戦争で、出来る限り少ない可能ならば一回で相手の戦意をくじくことが目的の戦争です。
そのためにそれぞれの戦略は全く異なるものになります。
従来の戦争ではできる限り人々の流血を少なくし、講話や条約等で最終的に目的を達成するために、軍事的な行為を行っていたのに対して、絶対的戦争では、相手の戦意を徹底的にくじくために多くの犠牲をいとわない戦い方をするようになっていったのです。
この後で、当時の戦争に関する戦い方に関するハウツーが書いてありますが、ここは省略します。その中でも最も重要と思われることを一つ紹介します。それが、戦争とは常に政府の目的に従属するものであり、それが一人歩きしたり、逆に政府が軍事に従属するようなことがあっては決して目的を達成することができないということです。要するに、戦争はある政治目的を達成するための手段という面しか持ち合わせていないということです。このことがよく表れているのが、第二次世界大戦中の日本の敗戦です。日本は戦争の前半では、れbb号哭の包囲網の中いかに国家を防御するかを考えた結果、出来る限り燃料を書くh叙しなければならないという目標にたどり着きます。そしてそのために、東南アジアなどを的確に統治下において燃料の確保することに成功していました。そこまでは、軍事が政治に従属しており、安定的に戦うことができていたのでしょう。しかし、そこで調子に乗ってしまったのか日本は予定にない範囲まで戦線を広げてしまいました。それに伴ってますます軍事が独り歩きしてしまい、その行き過ぎを抑えることができずに負けてしまったというのが実情です。このことから私たちが学ぶことができることがたくさんあると思います。物事をうまく進めるためには、手段から考えるよりも目的から逆算して考えていったの方が、確実に目的を遂行できるという点です。これは戦争に限った話ではなくて、勉強、仕事、スポーツ、きっと他の様々なことにも言えることでしょう。
さてこの本の最後に書かれていることに戻ります。
最後に、このまんがで読破のほうでは、第二次世界大戦後の戦争観に関して述べています。というのも、第二次世界大戦以前と以後とでまた戦争が大きく変わっているからです。どういうことかというと、第二次世界大戦以後では核兵器という超強力な軍事力が出現し始めたからです。この核兵器の誕生によって、それまでの絶対的戦争も大きく変化し、制限的な戦争になったと考察されています。制限的な戦争とはその時を表す言葉で、要するに「冷戦」ということです。冷戦がどのようなことかというと、その当時の二大国家アメリカとソ連が主に核兵器を保有していましたが、その両国とも兵器を利用した絶対的戦争は起こす子tができないという状況です。というのも、ひとたび核兵器を値要した戦争を始めてしまえば、お互いにそれを打ち合う形になってしまい、結果的に双方とも崩壊してしまうという結果が見え見えだったからです。そのような意味ではこの当時は核兵器というのは戦争への抑止力という意味合いを持っていました。
しかし、今はその時からまた技術力が進歩しました。核兵器の小型化、正確性が上昇し、核兵器自体の威力を抑えることにも成功しています。さらに、核兵器が二大国家の専売特許ではなく、他の二大国家に対抗する国家も開発することができるようになってしまう可能性があります。そして、もしそうなってしまえばそういった国家は核兵器を攻撃手段として使うようになってしまうかもしれません。そのような意味でも核兵器が抑止力になりえないかもしれません。そして、第三次世界大戦が起きてしまうかもしれません。それを防ぐためにも、私たちは戦争は悪いものだから絶対ダメと頭ごなしに否定するのではなくて、戦争とはどのようなもので戦争を防ぐためにはどうしたらいいのかということを考えていかなければならないのでしょか?
最後に、核兵器を開発したアインシュタインの言葉を記しておきます。
「第三次世界大戦がどんな戦いになるかわからないが、第四次世界大戦ならわかる。人々は石を投げあって戦うだろう。」
この記事を見て、この本を読んでみたいと思った方はぜひ「いいね」などのボタンを願いします。
その本はクラウゼヴィッツの「戦争論」なのですが、この本は弁証法を使っているので活字で読むのは難しいと思いましたので、まんがで読破のほうを読んでみました。漫画形式でしたら、すぐに読むこともできるので、難しい内容でもすっと頭に入りやすいです。
この本では、どんなことが書かれているかというと、
「戦争」とは、どのようなものかということで、決して「戦争に勝つためにはどうしたらよいかということ」や「戦争を推奨するもの」ではないです。
この本が書かれたのは、ちょうどフランス革命が終了して、ナポレオンがヨーロッパの派遣を獲得しようとする時代です。著者のクラウゼヴィッツは、もともとプロイセンの軍に所属しており、大変優秀な存在でした。しかし、この時プロイセンはある戦争に巻き込まれます。それが、ナポレオンの台頭です。この中で、プロイセンはナポレオンとの戦争に負けてしまい、フランスの捕虜となってしまいました。その経験から著者は戦争とは何かを考え始めるようになりました。
そして著者によると戦争とは以下のように定義されています。
「戦争とは、相手に自分の意思を強要するための暴力的行為である」と。
そして戦争は三つのことに依存します。政府の目的、軍の戦力、そして、国民の支持です。
それと並行して、なぜプロイセンはフランスに負けてしまったのかについて考え始めるようになりました。
その過程で、それまでの戦争とこのナポレオンとの戦争との違いを考えるようになりました。
まずこれまでの戦争とはどのようなものだったのか?
従来の戦争は、政治や経済など様々な要因の影響を受けて、あまり過激なものにならないように制限されやすいものでした。
それに対して、ナポレオンとの戦争は、相手を撃滅することを目的として「絶対的戦争」と定義されており、それはかなり攻撃を重視した戦争で、出来る限り少ない可能ならば一回で相手の戦意をくじくことが目的の戦争です。
そのためにそれぞれの戦略は全く異なるものになります。
従来の戦争ではできる限り人々の流血を少なくし、講話や条約等で最終的に目的を達成するために、軍事的な行為を行っていたのに対して、絶対的戦争では、相手の戦意を徹底的にくじくために多くの犠牲をいとわない戦い方をするようになっていったのです。
この後で、当時の戦争に関する戦い方に関するハウツーが書いてありますが、ここは省略します。その中でも最も重要と思われることを一つ紹介します。それが、戦争とは常に政府の目的に従属するものであり、それが一人歩きしたり、逆に政府が軍事に従属するようなことがあっては決して目的を達成することができないということです。要するに、戦争はある政治目的を達成するための手段という面しか持ち合わせていないということです。このことがよく表れているのが、第二次世界大戦中の日本の敗戦です。日本は戦争の前半では、れbb号哭の包囲網の中いかに国家を防御するかを考えた結果、出来る限り燃料を書くh叙しなければならないという目標にたどり着きます。そしてそのために、東南アジアなどを的確に統治下において燃料の確保することに成功していました。そこまでは、軍事が政治に従属しており、安定的に戦うことができていたのでしょう。しかし、そこで調子に乗ってしまったのか日本は予定にない範囲まで戦線を広げてしまいました。それに伴ってますます軍事が独り歩きしてしまい、その行き過ぎを抑えることができずに負けてしまったというのが実情です。このことから私たちが学ぶことができることがたくさんあると思います。物事をうまく進めるためには、手段から考えるよりも目的から逆算して考えていったの方が、確実に目的を遂行できるという点です。これは戦争に限った話ではなくて、勉強、仕事、スポーツ、きっと他の様々なことにも言えることでしょう。
さてこの本の最後に書かれていることに戻ります。
最後に、このまんがで読破のほうでは、第二次世界大戦後の戦争観に関して述べています。というのも、第二次世界大戦以前と以後とでまた戦争が大きく変わっているからです。どういうことかというと、第二次世界大戦以後では核兵器という超強力な軍事力が出現し始めたからです。この核兵器の誕生によって、それまでの絶対的戦争も大きく変化し、制限的な戦争になったと考察されています。制限的な戦争とはその時を表す言葉で、要するに「冷戦」ということです。冷戦がどのようなことかというと、その当時の二大国家アメリカとソ連が主に核兵器を保有していましたが、その両国とも兵器を利用した絶対的戦争は起こす子tができないという状況です。というのも、ひとたび核兵器を値要した戦争を始めてしまえば、お互いにそれを打ち合う形になってしまい、結果的に双方とも崩壊してしまうという結果が見え見えだったからです。そのような意味ではこの当時は核兵器というのは戦争への抑止力という意味合いを持っていました。
しかし、今はその時からまた技術力が進歩しました。核兵器の小型化、正確性が上昇し、核兵器自体の威力を抑えることにも成功しています。さらに、核兵器が二大国家の専売特許ではなく、他の二大国家に対抗する国家も開発することができるようになってしまう可能性があります。そして、もしそうなってしまえばそういった国家は核兵器を攻撃手段として使うようになってしまうかもしれません。そのような意味でも核兵器が抑止力になりえないかもしれません。そして、第三次世界大戦が起きてしまうかもしれません。それを防ぐためにも、私たちは戦争は悪いものだから絶対ダメと頭ごなしに否定するのではなくて、戦争とはどのようなもので戦争を防ぐためにはどうしたらいいのかということを考えていかなければならないのでしょか?
最後に、核兵器を開発したアインシュタインの言葉を記しておきます。
「第三次世界大戦がどんな戦いになるかわからないが、第四次世界大戦ならわかる。人々は石を投げあって戦うだろう。」
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