2024年03月13日
社会は何に金を使うべきなのか?
定番のお菓子が廃盤になるとの報を聞いた。
設備の更新ができないことが要因の一つとも言われている。
日本は貧しくなっていく、と思わざるを得ない話だが、なぜこのような事態になってしまったのか。
失われた30年と言われる間を失敗事例として振り返ろう。
ことコストカット、効率化に関してはひたすらに追求した時代だっただろう。
その結果、ありとあらゆる投資が「コスト」とみなされて絞られた。
筋肉質な組織などという表現で目指した未来が今だ。
全く無駄のない構成にした結果、短期的には効率化できたが、変化に対応できなかったり継続できなかったりという不具合が起こっている。
この失敗を教訓に、今後我々はどうすべきなのかを考える。
これは企業、社会は、何に金を使うべきなのか? という命題だ。
シンプルに今後数十年使える資産に投資していくべきだろう。
これは何も生産設備に限らない。
この30年でアップデートされたインフラもそうだ。
5Gなどの通信環境は言うまでもなく、耐震基準の向上した建物なども良い投資対象だろう。
能力のある人もそうだろう。
先ごろ、鳥山明の訃報が飛び込んできたが、偉大なクリエイターの育成、健康管理に投資することは必要だろう。
これらの投資は一朝一夕に効果が出るものではない。
この30年の視点では「無駄なコスト」と思われるようなものだ。
しかしこの投資を怠った先にあるのは「かつては偉大だったが、今や何もできなくなった国」だ。
心してかからねばならない。
上にいくつか例を挙げたが、真に投資対象としてふさわしいものは何だろうか?
投資が上手くいくビジョンは、今と状況がどんなに変わっていても無駄にならず、他の地域が金でキャッチアップできない、というものだ。
ぱっと思いつくのは人、教育への投資。
次に文化、特にエンタメ。
意外なところでは政治と行政のシステムが適しているだろう。
製造業はダメだ。あれは最終的には「金さえあればだれでも作れる」ものである。
工業という営み自体が人による差なしに大量に作る、を志向しているのだから。
人と教育への投資は無駄にならない。
ユダヤ人の格言を引用するまでもなく、頭の中にあるものは誰も奪えない。
またキャッチアップしようにも、人間が一人成長するには20年近くかかる。
教育への投資を惜しんでは行けない。
学びの場である学校の設備に不備があるなどもってのほかだ。
今ならまだ、学校は地域コミュニティの中心でもあり防災の拠点でもある。
絶対に無駄にならない投資だ。
文化への投資、というのはなかなかイメージが難しい。
一握りの天才を育成するのか、海外に向けて文化のマーケティングをするのか、人によってイメージは違うだろう。
私が思うには、多くの良いファンがいる状態を維持することである。
かつてドラゴンボールを呼んでいた無数の少年少女の中から今の文化を支えるクリエイターが出てきたように、
文化的なものと国民の接点を維持することが重要となる。
将来のクリエイターのための投資なので、当然のように対象は若い人向けのコンテンツになる。
資金に余裕のある大人のファンが多いジャンルを向いた方が金銭的には効率的かもしれないが、短期的な金のことなどどうでもいいのだ。
文化に触れた1000万人の中から1人、2人の天才が出てくることがある。その効果が大きいのだ。
ひょっとしたらこれも、人への投資、教育への投資とくくれるのかもしれない。
政治と行政、これは遅れているもの、変わらないものとしてやり玉に挙がることも多い分野だ。
不確実性の高い世界において政治と行政の動きは重要だ。
新型コロナの例で思い知った人も多いだろう。
何が投資対象なのか?
一つは優秀な官僚、政治家だ。
行政も政治も変わらなくてはならない。そのためには慣例を知ったうえで変化を提案実行できる優秀な人材がいる。
企業内での改革とは比にならないハードワークである。
役所のルーチーンワークを機械化するとか、そういうしょうもないことではない。
斬新な政策をリスクを踏まえながら実施し、その効果を見る。大きな仕事をしてもらわないといけない。
新しい技術に対する法律の整備なども含まれるだろう。
こうしてみるとどう考えても人、特に若い人へ投資しろ、という結論になる。
今の税金の構造はどう考えても若者から老人へ金が流れている。
これではどう考えても国に力は蓄積しない。由々しき問題だ。
設備の更新ができないことが要因の一つとも言われている。
日本は貧しくなっていく、と思わざるを得ない話だが、なぜこのような事態になってしまったのか。
失われた30年と言われる間を失敗事例として振り返ろう。
ことコストカット、効率化に関してはひたすらに追求した時代だっただろう。
その結果、ありとあらゆる投資が「コスト」とみなされて絞られた。
筋肉質な組織などという表現で目指した未来が今だ。
全く無駄のない構成にした結果、短期的には効率化できたが、変化に対応できなかったり継続できなかったりという不具合が起こっている。
この失敗を教訓に、今後我々はどうすべきなのかを考える。
これは企業、社会は、何に金を使うべきなのか? という命題だ。
シンプルに今後数十年使える資産に投資していくべきだろう。
これは何も生産設備に限らない。
この30年でアップデートされたインフラもそうだ。
5Gなどの通信環境は言うまでもなく、耐震基準の向上した建物なども良い投資対象だろう。
能力のある人もそうだろう。
先ごろ、鳥山明の訃報が飛び込んできたが、偉大なクリエイターの育成、健康管理に投資することは必要だろう。
これらの投資は一朝一夕に効果が出るものではない。
この30年の視点では「無駄なコスト」と思われるようなものだ。
しかしこの投資を怠った先にあるのは「かつては偉大だったが、今や何もできなくなった国」だ。
心してかからねばならない。
上にいくつか例を挙げたが、真に投資対象としてふさわしいものは何だろうか?
投資が上手くいくビジョンは、今と状況がどんなに変わっていても無駄にならず、他の地域が金でキャッチアップできない、というものだ。
ぱっと思いつくのは人、教育への投資。
次に文化、特にエンタメ。
意外なところでは政治と行政のシステムが適しているだろう。
製造業はダメだ。あれは最終的には「金さえあればだれでも作れる」ものである。
工業という営み自体が人による差なしに大量に作る、を志向しているのだから。
人と教育への投資は無駄にならない。
ユダヤ人の格言を引用するまでもなく、頭の中にあるものは誰も奪えない。
またキャッチアップしようにも、人間が一人成長するには20年近くかかる。
教育への投資を惜しんでは行けない。
学びの場である学校の設備に不備があるなどもってのほかだ。
今ならまだ、学校は地域コミュニティの中心でもあり防災の拠点でもある。
絶対に無駄にならない投資だ。
文化への投資、というのはなかなかイメージが難しい。
一握りの天才を育成するのか、海外に向けて文化のマーケティングをするのか、人によってイメージは違うだろう。
私が思うには、多くの良いファンがいる状態を維持することである。
かつてドラゴンボールを呼んでいた無数の少年少女の中から今の文化を支えるクリエイターが出てきたように、
文化的なものと国民の接点を維持することが重要となる。
将来のクリエイターのための投資なので、当然のように対象は若い人向けのコンテンツになる。
資金に余裕のある大人のファンが多いジャンルを向いた方が金銭的には効率的かもしれないが、短期的な金のことなどどうでもいいのだ。
文化に触れた1000万人の中から1人、2人の天才が出てくることがある。その効果が大きいのだ。
ひょっとしたらこれも、人への投資、教育への投資とくくれるのかもしれない。
政治と行政、これは遅れているもの、変わらないものとしてやり玉に挙がることも多い分野だ。
不確実性の高い世界において政治と行政の動きは重要だ。
新型コロナの例で思い知った人も多いだろう。
何が投資対象なのか?
一つは優秀な官僚、政治家だ。
行政も政治も変わらなくてはならない。そのためには慣例を知ったうえで変化を提案実行できる優秀な人材がいる。
企業内での改革とは比にならないハードワークである。
役所のルーチーンワークを機械化するとか、そういうしょうもないことではない。
斬新な政策をリスクを踏まえながら実施し、その効果を見る。大きな仕事をしてもらわないといけない。
新しい技術に対する法律の整備なども含まれるだろう。
こうしてみるとどう考えても人、特に若い人へ投資しろ、という結論になる。
今の税金の構造はどう考えても若者から老人へ金が流れている。
これではどう考えても国に力は蓄積しない。由々しき問題だ。
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