2024年02月03日
生成AIは何を盗んでいるのか考えた話
生成AIでのお絵描きのどこに引っかかるのか?
生成AIでそれっぽいイラストを生成できるようになった。
技術は確立したと言っていい。
問題となっているのは成果物の取り扱いである。
手描きのイラストと生成AIのイラストを同列に扱っていいのか?
様々な議論がなされているが、「一市民としてどこに引っかかるのか?」を考えてみたい。
あくまでも感情的な引っ掛かりを分析する目的だ。
権利の保護や法律的な取り扱いは今後の判例などによって整備されてくることだろう。
議論する上で様々な「例え」が出回っているが、この記事では別分野での例に注目したい。
例えの近さ、遠さはあるだろうが、似た事例との共通点、相違点が見えれば問題の輪郭がつかめないか?
それでは挙げていこう。
・自分や他の人の論文のデータをもとに、マテリアルインフォマティクスで新規の材料が発見された。
・自分の特許で公開されているデータを見た人が、コピー商品をつくって売っていた。
・自分の絵柄を模写して練習した若い絵師が、漫画家としてデビューした。
・自分のモノマネをする人が人気になり、モノマネ芸人として仕事をしているようだ。
・自分の流派の秘伝の格闘術を盗まれ、試合に負けてボコボコにされた。
・自分の声をサンプリングし、メーカーが音声合成ソフト(vocaloid)として発売した。
・自作の一点ものの茶碗のデザインをコピーされ、工業生産で同じものを大量につくられた。
・自分の絵をトレースしてパクッた絵がSNS上でバズっていた。
・俳優である自分の姿かたち声そっくりのモデルが作られ、身に覚えのない内容の動画をつくって公開された。
・自分のイラストを一部改変された作品により、自分の仕事がなくなった。
思いつくまま書き連ねたが、最終的にお絵描きAIと「違和感が似てないもの」から「違和感が似ているもの」に向けて並べていった。
違和感が遠いものの特徴を見ると、
科学技術の分野のような「データの流用が公然と認められている」ことや、
身体技能のような「コピーに大きな苦労を要する」ことが挙げられる。
逆に言うと、AIお絵描きの感情的な引っ掛かりは「データの使用を認めた覚えがない」ことや「コピーに多大な(少なくとも自分がしたのと同等の)苦労を要しない」ことが問題としてありそうだ。
また、モノマネの例でいうと「本物で無いことがわかりにくい」ことも問題になりそうだ。
違和感が近いものの特徴にも似たものが見える。
トレースや一部改変など「苦労が少ない」点が問題として挙げられる。
一点ものの茶碗と工業品よりも、イラストの仕事の方がやはり近い印象があり、
これは「市場が競合する」ことも問題の根っことしてありそうに思う。
俳優の肖像権を侵害するような例と近いものを感じるのは「作品は単なる作品でなく作者のアイデンティティに深くかかわっている」ことがあるだろう。
vocaloidの例に違和感が少ないのは「アイデンティティの提出に見合った対価が払われて」いるからだろうか。
例の羅列から抽出されたAIお絵描きに感じる違和感の要素をまとめる。
「作品は単なる作品でなく作者のアイデンティティに深くかかわっている」
「本物で無いことがわかりにくい」
「コピーに多大な(少なくとも自分がしたのと同等の)苦労を要しない」
「データの使用を認めた覚えがない」
「アイデンティティの提出に見合った対価が払われていない」
「市場が競合するため作者の生活に実害がある」
感情的な違和感が少ない生成AIの実装とは?
上記の違和感を解消するには、学習データ元の作者が納得する形でのデータ収集に尽きる。
今はWeb上から実質無断で収集されていると聞く。
これを一つ一つ、合意を得る形で再度集めていくのだ。
悪い印象のついた今からとなると難しいかもしれないが、本来それだけの価値のあるデータだ。
時間とお金をかけて集めるしかあるまい。
それでもなお、市場の競合という問題は残る。
これは生成AI使用、のラベリングによって解決してくほかなかろう。
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