2024年04月08日
働きやすさとは何か考えてみた話
ゲームと思って業務をデザインしてみる
働き方改革、働きやすさということが叫ばれて久しい。
しかし働きやすさとはなんだろうか? 仕事が楽なことなのだろうか?
取り組もうにもビジョンが曖昧では何もできない。そこで良い例えを考えてみた。
ちょうどいい例えは、ゲームをデザインするように仕事のやり方を整えてみる、ということではないだろうか。
逆に言うと、働きにくさとは失敗しているゲームの特徴を持つのではないだろうか。
まず次のミッションが明示されない、わかりにくいゲームは遊ばれない。
職場に行っても誰も何も教えてくれない、自分で仕事を見つけるんだ! という職場は働きにくいということだ。
なにもメンターがついて手取り足取り教えるわけではない。
画面の端っこであれこれ指示してもらってありがたいのは序盤だけだ。
ある程度手が離れたら、自由度の高い仕事ができるほうが働きやすいだろう。
しかしいつまで立っても序盤と同じ手順、やり方しかできないような仕事は働きにくい。
改善の提案などを受け止める余地のある職場かどうかが関わっている。
この他にも、何かアクションを一つ起こすために手順が簡便かどうかというのも重大なポイントだ。
薬草一つ使うのに手続きが2つ3つあるようではストレスが爆発してしまう。
ショートカットのボタン一つでなんとかなってほしいところだ。
いろんな操作に一貫性があることもゲームとしては重要だ。
魔法はパズルゲーム、物理攻撃はコマンド入力、などゲーム性がめちゃくちゃだったら混乱してしまう。
当然のようだが、レポートラインが一定していること、決済者が明確であることなど、意外といい加減になっている企業も多いのではないか。
最後に、仕事も所詮ゲームのようなものであること、も働きやすさに寄与するだろう。
仕事を通して怪我をしない、病気にならない、命を落とさない、ということだ。
労災での怪我がもってのほかなのは言うまでもなく、ストレスによるメンタルダウンなども含む。
安全第一の徹底ができているか。自問自答すべきだろう。
こうしてみると働きやすさというのは労働者にとって当然の環境を当然のものとして整備できているかどうか、という気がする。
この30年でいかに労働者の立場が低かったのかを思い知る気持ちだ。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/12503332
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック