こんにちはコウジです。
「日本での原爆開発」の原稿を改訂します。
今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
また、細かい文章も再考しています。しっかり正確に。
そして沢山情報が伝わるように努めます。
2022/7/31(日)の日経新聞よりトピックをお届けいたします。
太平洋戦争中に旧陸軍がすすめていた
原爆開発「二号計画」です。
計画主導者は当時の理化学研究所の仁科博士。
仁科博士の原稿でも触れていますが、
計画遂行のためにサイクロトロンを作り上げましたが、
終戦直後に米軍によって廃棄されています。
仁科博士を「計画の主導者」と表現しましたが
同氏の資料館の資料によると1938年から1947年
にかけてやりとりした手紙のカーボンコピーが同氏の
考え方の移り変わりを伝えていると言われています。
具体的には陸軍に基礎研究を進める資金を求めていく仁科氏が
現在の価格で言うと500万円程度の資金を得て
「核分裂エネルギーの研究」に対して予算を得ていきます。
当時は卓上の理論であった核分裂エネルギーの爆弾への利用が
具体的に進められていくのです。仁科博士の意識としても
「戦時欠くべからざる研究を重点的に推進」という
表現に代わってきています。@お国の為に
何処まで滅私奉公していくかという考えと、
A若い人を兵隊さんとして戦場に送らない為の基礎研究
の間で非常な葛藤があったようにも見えます。
そしてなにより、
戦後になって日本物理学会が核兵器に対して
明確に廃絶のスタンスを貫いていった事実こそ、
仁科氏が弟子に残していった「意志」であると
編集者の青木さんは綴っています。
仁科博士は毅然とスタイルを貫いた先人でした。
〆
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全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2022/09/20_初回投稿
2024/10/26‗改訂投稿