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2021年07月04日

竹内均_1920年7月2日 ~ 2004年4月20日



私の中での竹内均のイメージは特徴的な眼鏡かけたコメンテーターです。実際、文筆活動もあんな感じでしているそうで、沢山本を出していますが作業はテープレコーダへの録音一辺倒です。文章に起こす秘書さんが居て一緒に作業します。独特の書き方ですね。それでもお人柄から悪い印象は持ちません。人から好かれる性格ですね。

竹内均は自分に厳しくて子供に優しい人だったと言われています。独特の喋り口調が印象的で通り易い声で聴きやすいリズムで人に語りかけていました。子供向けの伝記を沢山、監修してい居て「キューリー夫人伝」とか「エジソン伝」とかの表紙に小さく竹内均の名前が入っていたりしました。そんな啓蒙活動を考え続けて初代NEWTON編集長として日本でも一般向け教育書を作っていきます。物理学の理解には個人の勉強も必要ですが、学問の性質上、万物を人がどう考えるか(モデル化していき理解するか)という論点が欠かせません。個人が理解するという考え方と同時に日本人が、そして人類が理解していくというプロセスが欠かせません。大衆にも理解出来る物理モデルが作れた時に理論は出来上がるのです。ギブスの文章を書くときに協調しましたが「数学者と物理学者の視点は異なる」のです。数学は論理として完結しているモデルであれば現実と対応が付かないでも問題がないです。そんなものです。物理学は絶えず現実と対応する理論を作らないと意味がありません。竹内均はそういった民衆との対話をとても大事にしていました。

竹内均の業績を考えていくと寺田寅彦の系譜です。具体的には直接の講義・指導を受けていない孫弟子にあたります。地球物理学に関心を持って、特にプレートテクトニクス理論をを広く広めています。実際に地面が少しずつ動いていく様子を伝える際に物理学者として地球の内部構造や境界面での様子を伝えたのです。深い知見を持って伝えたのです。そして何より、竹内均独特の「優しい言葉」で伝えたのです。





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2021年07月02日

ロジャー・ペンローズ_1931年8月8日 ~ (ご存命中)



その名はロジュー・ベンローズ;Sir Roger Penrose OM FRS。英国の物理学者ですが、まだご存命の方なので簡単に取り上げたいと思います。有名人のブライアンとは少し系統が違う気がするのです。
(芸能系ではない純理論の学者さんです。/ムツゴロウさんとも雰囲気が違いますね)

ロジャー・ペンローズは神科医にして遺伝学者の父を持ち、父方母方共に沢山の学者、芸術がいる家庭に生まれました。ロジャー自身もケンブリッジに進みます。ホーキングと共にブラックホールにおける特異点を示し、後にノーベル賞を受賞します。授賞理由はブラックホールと相対論の関係に対しての評価でした。

また、その他の研究業績で気になってしまうのは認識に関する仮説に関してです。脳内での活動については個人的に昔から気になっている部分ではあるのですが、ロジャー・ベンローズの話の展開に、ほんの少しの違和感を覚えるのです。その主張はロジャーの著書:皇帝の新しい心_で示されているのそうですが脳内の情報処理には量子力学が関わる。即ちユニタリー発展(U)と波束の収束(R)が含まれている仮定のもとに、片方のRに対する議論が欠けているという立場で話を進めているのです。その系統の話をきちんと読み通してはじめて分かる話なのか、考落としを含んでいる危うい話なのか、失礼ながら気になってしまうのです。本稿の中で私が使っている「違和感」が本物の違和感なのか取り越し苦労の違和感なのか確かめたいと思います。その意味で非常に興味深いです。






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2021年04月06日

ユージン・ウィグナー_Eugene Paul Wigner 1902年11月17日 ~ 1995年1月1日

登場場所の整理(http://wwwのドメインでの作業)に伴い、以下にSEO対策で「ウィグナー 」の原稿を投稿します。マンハッタン計画に関わった人物で、BCS理論バーディンの指導教官だった人物です。ご覧下さい。


また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしてて、以下の4アカ計で考えて4/6(火)朝の時点で、前日と比較すると【11366⇛11439】です。こんなペース。焦らず作業。
@コウジ@kouji_Aバンドリ好き太郎_B浩司_Ckouji kazeno


【以下が投稿原稿です】


 
その名を書き下すとユージン・ウィグナー(Eugene Paul Wigner)。ハンガリー生まれのユダヤ人です。ポール・ディラックのお嫁さんのお兄さんで、BCS理論の作成者の一人バーディンの指導教官です。また、「原子核と素粒子の理論における対称性の発見」に対して1963年ノーベル物理学賞を受賞しています。

ユージン・ウィグナーは現在のベルリン工科大学を卒業後そこで勤務していましたがナチスドイツのユダヤ人迫害に対して研究継続の困難を感じ、アメリカに亡命をします。米国に亡命後はウィスコンシン大学で物理学の教授を務め、その後にプリンストン大学で数学の教授を務めました。


そんなウィグナーはレオ・シラードやエドワード・テラーらと、ナチスドイツが原子爆弾を開発した時の危険性をアメリカ政府に対して訴えていきました。実際にベルリンを追われた過去を持つウィグナーは現実に当時の状況を分析していたのだろうと思います。つまり、当時のドイツに残っていた科学の水準を理解していて、ナチスが有していた兵器を理解していたから、ナチスによる原爆開発の危険を強く感じていたのだと思えます。ただ、実際の歴史を知っている今の我々にとって見たら取り越し苦労です。ノルマンディー上陸作戦以降の連合軍の通常兵器での反攻を思えば、優秀とはいえ、一国のドイツがヨーロッパ大陸を長期間占領し続ける事は出来なかったでしょう。現在で考えると強大化する中国に対して欧米諸国がどういった対応をするか気になる所でありますよね。いずれにせよ、英米が原爆を有するきっかけをウィグナー達は作ったのです。
ウィグナーはアメリカの原爆開発のきっかけとなったアインシュタイン名による大統領宛書簡の起草対してシラードやテラーと連名で加わりました。加えて、原爆を開発するマンハッタン計画にメンバーとして加わりました。


晩年にウィグナーは哲学的な傾向を深め、講演録「自然科学における数学の理不尽な有効性」を残しています。著名なこの著作は多分野に影響を与えています。また、ウィグナーの妹は食事の席にディラックを招いた縁で、彼の奥さんになっています。意外な取り合わせですね。



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2021年01月27日

砂川 重信_1925年 ~ 1998年8月7日



砂川重信は東京に生まれ、大阪大学理学部物理学科卒業。大阪大学教授や東北大学教授を務めました。何より砂川重信は数多くの物理学の書物を出しています。特に私の印象に深いのは電磁気学の著書です。超・有名です。





砂川重信は「丸暗記ではなく、納得して理解していけば」物理学は面白い。といった考え方を持っていました。そうしか考えを聞くにつけ自分の子供が勉強している時に、どんな一言をかけてあげようか悩みます。若い人が物事を理解していく時間は大事です。その人の一生を通じて問題に直面した時にどう対応するか、それはどんな勉強してきたかに大きくつながると思います。





砂川重信の業績は場の理論、散乱理論、量子論的多胎問題に及びますが、それぞれの議論の場で基礎に立ち返って物事を考え直す姿勢は物理学ならではだと思えます。それこそが物理の物の考え方なんだと感じるのです。初学者は少しでも多くの物理の枠組みを理解してそこで共通する問題の追及方法を理解していって下さい。そんな考え方はきっと貴方の人生で大きな力になると思います。





砂川重信が行った波束を用いた散乱詩論の定式化は、
まさに彼が残した業績であると言えるでしょう。





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2021年01月24日

ブライアン・ハロルド・メイ_1947年7月19日~ご存命中





有名なロックバンド・クィーンのブライアンですが、その名を英語で書き下すと Brian Harold May、CBEです。勲章を頂いているのでCBEがつきます。CBEって分かり辛いので補足しますと騎士団時代の表現での司令官で、階級としてはナイトに次ぐ立場です。部下に将校と団員がいる位置づけです。所謂、女王陛下を守る騎士団の仲間達ですね。For God and the Empire がモットーです。





ブライアンは学生時代に天文学を天文学を専攻していました。研究を再開して論文を書き博士号をとったので物理学者として取り上げています。





ヘルムホルツの時代から音響解析がより定量的なものとなり、振動数・音の振幅・増減比が記録可能な情報として共有されています。ブライアンは彼なりに物理学を駆使してギターの中での「音を出す仕組み」を解析していって作りこんでオリジナリティーを突き詰めていく作業をしています。無論、学者が同様の試みを今まで何度もしてきたと思いますがブライアンの取り組みは著名なロックバンドの主要メンバーとしての活動でした。楽器メーカーとのコラボレーションも可能ですし、一線級の技術者や職人との会話もブライアンの財産となっていった筈です。無形時代からギターを自作した日々が最上級の経験の中で更に進化していったのです。他の誰にもできないい「音」を確立していったと感じています。

ロック活動で暫く活動を休止していたブライアンは天体に関する研究としてカナリア諸島の天文台で研究を進め、母校インペリアル・カレッジでの審査を通過して博士号を得ました。また別の機会に語りたいと思います。











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2021/01/24_改定投稿





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2020年12月28日

大貫 義郎_1928年 ~ ご存命中



大貫義郎は坂田昌一に教えを受け、
群論を使った素粒子論の構築を
行いました。そもそも低温物理学
では名古屋で発展してきた部分があります。



本ブログの別項で中嶋貞雄とバーディン
のエピソードをご紹介しましたが、
後にノーベル賞を受賞する二人、
益川敏英と小林誠は大貫義郎が育てました。



ダイソン・私も使ってます♪

大貫義郎は素粒子を構成する素子の
対象性に着目して、数学的手法として
群論を使って整理していきました。
より詳細には、坂田モデルにおける
基本粒子同士の入れ替えに対して
素粒子としての性質が変わらないと
いう考え方を足掛かりに群論を組み
立てたのです。






そうした組み立てを使い大貫義郎は
クォークを明確に分類、整理した
のです。






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2020/12/21_初版投稿





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2020年12月25日

中嶋 貞雄_1923年6月4日 ~ 2008年12月14日





映画監督で似た名前の方が居ますが
あちらは貞夫と書きます。
こちらは貞雄と書きます。

中嶋貞雄は私が昔使っていた教科書の著者
でした。超伝導現象の理論化に先鞭
をつけた方です。



中嶋貞雄は低温物理の物性に関わる
研究をしていきました。そんな中で
名古屋で会議の席で、くりこみ理論を
応用した電子物性の議論をします。
それをアメリカのバーディンが着目
し、コピーを中嶋に求めました。
その時点ではカメリー・オネスの
超伝導現象は実験的に示されていま
したが理論的説明はなされてません。
バーディンはそれを作ろうとしてた
のです。

中嶋はきっと研究の方向性に確信を
持った事でしょう。後に名古屋駅で
バーディンにコピーを渡します。
バーディンは帰国後に英訳し、
クーパー対のアイディアを盛り込み
BCS理論を完成させます。日本で無く
アメリカで生まれた事が残念ですが、
そうした議論の場は日本でも芽生えて
いたのです。



私は科学技術は人類が共有する財産
だと思っています。それだから、
コピーを届けた中嶋貞雄の行為は立派
だったと感じています。若い研究者達も
知を共有して育んで欲しいと思います。
そうした行為が、ひいては日本の発展に
繋がっていくかと。



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2020/12/19_初版投稿





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2020年11月30日

ハンス・アルプレヒト・ベーテ_1906年7月2日 ~ 2005年3月6日



ベーテはユダヤ系なのでナチス政権下で苦労します。
国を追われイギリスに逃れ、マンチェスター大学で職を得ます。第二次大戦の間はオッペンハイマーの招きでUCB(カリフォルニア大バークレー校)の特別会議に参加します。そこでは核兵器の開発が始められ、ロスアラモス研究所が出来るとベーテは理論部門の監督を務めます。戦後はトルーマン大統領が水素爆弾の開発を断行した流れでベーテは引き続き開発において重要な役割を果たします。





その他、ベーテの業績としては大きく二点があげられると思います。一つは恒星の内部で核融合反応が起きうる指摘をして、重力と釣り合う内側からの力を考えたことです。加速器で実現される様々な現象を説明していく内に超高圧下・超高温下で起こり得る原子核の崩壊状態をベーテは理論立てて説明して新たな知見としました。





また、ベーテのもう一つの業績は量子電磁気学に繋がっていくラムシフトを非相対論的に厳密に突き詰めていって極めて正確な計算をしていったのです。この面でファインマンは弟子にあたります。ベーテは大変な時代を生きた偉大な理論家でした。「原子核反応理論への貢献、特に星の内部におけるエネルギー生成に関する発見」でノーベル賞を受けています。











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2020年11月28日

小出昭一郎_1927年3月25日 ~ 2008年8月30日



小出昭一郎は多くの専門書を残した事
で知られています。東京に生まれ
東京帝大で学びました。第5回
ソルベー会議が開かれた年に生まれています。





教育に時間を捧げた人生だったのでしょうか。
研究成果としては余り伝わっていません。
ただ、金属錯塩の光スペクトルを研究していた
ようです。そこで手掛かりとして錯体について
調べを進めてみます。錯体とは広義には、
「配位結合や水素結合によって形成された分子の総称」(Wikipedia)狭義には、「金属と非金属の原子が結合した構造を持つ化合物」(Wikipedia)

何だか亀の甲羅が沢山出てきます。もう少し
考えてみると、光の吸光や発光に伴い対象物資
内の状態遷移に関する情報が得られ、
電磁気特性や、触媒の効果が理解出来るかと。





具体的に主な錯体としては
アンミン錯体_テトラアンミン銅錯体_[Cu(NH3)4]^2+
シアノ錯体_ヘキサシアニド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[Fe(CN)6]^3+
ハロゲノ錯体-テトラクロリド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[FeCl4]-
ヒドロキシ錯体 - アルミン酸_[Al(OH)4]-(または_[Al(OH)4(H2O)2]-
などがあるようです。ただ、当時の日本物理学は
本丸にを攻めきれてはいなかったのですね。

プランクの黒体輻射理論発表から数十年がたち、
他国で議論が交わされていた時代に対して、
小出昭一郎の暮らした敗戦国日本は
戦前・戦後の混乱の中で
情報がどこまで取れていたのでしょうか。
小出昭一郎はそんな中でも量子力学の
理解を進め国内に広めていたのです。
そして、何より後進を育てていたのです。










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2020/11/20_記
2021/01/07_改定投稿





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2020年11月22日

アイザック・アシモフ_1920年1月2日 ~ 1992年4月6日



今回、少し物理から離れます。
アシモフはロボット3原則が有名なSF作家です。
正式な研究分野としては生化学者ですが、
作家としての顔が有名ですね。ロシア生まれです。
リニアモーターカーが走る今日の世界を
見せてあげたいと、個人的には考えてしまいます。
もはやロボットも日常的ですよね。
そんな未来をアシモフは予見していました。



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アシモフは1938年に初めてのSF作品を
雑誌に持ちかけ認められ、
1939年から作家デビューしています。
才能を認めるアメリカっぽいですね。
この年にコロンビア大学を卒業して
大学院に進みます。
所謂、ロボット三原則などを提唱していますが、
時代は第二次大戦に向かう時代でアシモフは
学校を休学したりしています。

科学が知識を集めるスピードの速さに
アシモフは驚愕していて、
社会が叡智を集結する事を求めていました。
相変わらず分断している世界をどう
見るのでしょうか。



そして、意外な結末なのですが、
1992年にHIV感染が元でこの世を去ってます。










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