アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索

メンズエステサロン
【エルセーヌMEN】

メタボリック対策やヒゲ脱毛など、男の魅力を引き出すエステ体験実施中!
<< 2024年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新記事
最新コメント

2021年09月11日

セシル パウエル
【1903年生まれ-9/11原稿改定】

「セシルパウエル」の原稿を投稿します。原稿文字数は4456文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。【1903年12月5日生まれ ~ 1969年8月9日没】


単なる偶然の産物といえば偶然ですが、
今回ご紹介するセシル パウエルと
ハイゼンベルクとゾンマーフェルトは
同じ誕生日でした。また同様に
西川 正治も同じ誕生日でした。


さて、
今回の紹介は英国のセシル パウエルです。

素粒子の軌跡を記録する方法
を改良しました。


つまり、


Photographic Emulsionsの中での粒子軌跡を


直接記録する方法を採用したのです。


当時は未知なる粒子が次々と発見され


様々に予想されていたのですが、


観測手段も試行錯誤が成されていました。


例えば、


霧箱で飛んでくる粒子の軌跡を捉えたり、


高い山の上で観測して飛来宇宙線の大気減衰を


克服したり写真技術を活用したりしました。


パウエルの手法は写真のイメージから考える


のでしょうか。機会があれば更に確認します。


 

またパウエルは湯川秀樹が予想した
パイ中間子の観測・発見の為に
研究スタッフを派遣しています。生成後の
寿命が短く地表に到達できないパイ中間子
観測の為にボリビアにあるアンデス山脈の
標高5000mの山から上記乾板を使って発見
しています。ダイナミックな観測だった
と言えるでしょう。加えて、気球を使い
高度を確保したりもしています。
観測の為に様々な工夫をこらして
結果を得ています。






以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
最近は返信出来ていませんが
全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致しします。


nowkouji226@gmail.com


2020/12/15_初稿投稿
2021/09/11_改定投稿


舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介

イギリス関連
ケンブリッジのご紹介
熱統計関連のご紹介
量子力学関係


【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

レイリー男爵 ; J・W・ストラット
【1842年生まれ-9/11原稿改定】

「レイリー卿」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は3336文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】




 レイリー卿について


この原稿ではURLに爵位である


”Baron Rayleigh”を使っています。


その名を改めて書下すと、第3代レイリー男爵


ジョン・ウィリアム・ストラット


John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh


 

分かり易い業績で紹介していくと、レイリー卿は


晴れた日の空の青さを説明しました。


子供が、「空はなぜ青いの?」って聞いた時に、


どうこたえるか考えてみて下さい。。



その業績


専門的に言えば散乱光の研究をしていた訳です。


そんなレイリー卿は入射波と反射側の散乱波を考え、


それらの波長と空気中の分子の性質を考えたのです。


結果、昼間の空は青く、夕方は赤いのです。


レイリー散乱と呼ばれる考え方です。


別途、ご紹介している


クィーンのブライアンの研究とも関連しています。


またその他のレイリー卿の業績は、


地震の表面波の解析(レイリー波)、


ラムゼーと研究したアルゴンの発見、


初期段階の熱放射理論である


レイリー・ジーンズの法則等があります。


 

その人柄


別の一面としてレイリー卿は量子論や相対論に厳しい立場をとっていたと言われています。実際の所レイリー卿は長い事、エーテルを考え続けていた様です。当時の考えでは否定する事は出来ない物だったとも言えるでしょう。実際にその何年後も実験的にエーテルを実証しようとしています。私はレイリー卿の肩を持ってしまいますが、実験事実の蓄積が無い状態で軽はずみに決断を求めるのは危険です。精査した考えを納得のいく説明で語っていかなければいけません。それだから、考えを育む時間も大切なのです。


またレイリー卿の素晴らしい栄誉を連ねていくと


コプリメダル受賞、ノーベル賞受賞、


第2代キャンデビッシュ研究所所長、


標準局(イギリス国立物理学研究所)の運営理事会議長


と続きます。何より


人材を育てた業績は大きくてジョセフ・ジョン・トムソン


ジャガディッシュ、チャンドラ、ボースを育てました。


爵位としてのレイリーは彼の長男で物理学者だったロバート・ジョン・ストラが受け継いでいます。物理学者が受け継いでいる事実が好印象でした。きっと息子さんと御弟子さんが議論したりもしたんでしょうね。そう考えたいです。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/10/28_初回投稿
2021/09/11_改定投稿


 

(旧)舞台別のご紹介
纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
イギリス関係
ケンブリッジ関連
力学関係
熱統計力学関係
量子力学関係


【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】


詳しくはコチラへ→【テキストポン】


[2021年9月時点での対応英訳]



About Sir Rayleigh


In this manuscript, the URL "Baron Rayleigh" is used.


To rewrite the name, John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh.


Introducing his easy-to-understand achievements,


This Sir Rayleigh explained the blueness of the sky on a sunny day.


Think about how your child will respond when asked, "Why is the sky blue?" ..



 


Achievements made by Sir Rayleigh's 


Technically speaking, he  had studyed scattered light." Sir Rayleigh" considered the incident waves and the scattered waves on the reflecting side, their wavelengths, and the properties of the molecules in the air. As a result, the daytime sky is blue and the evening is red. This is a concept called Rayleigh scattering. It is also related to Queen's Brian's research, which is introduced separately.


Other achievements of Sir Rayleigh include analysis of surface waves of earthquakes (Rayleigh wave), discovery of argon studied with Ramsey, and Rayleigh-Jeans' law, which is an early stage thermal radiation theory.



 Personality of Sir Rayleigh


It is said that Sir Rayleigh took a strict position on quantum theory and relativity. Everybody knows Sir Rayleigh  had been thinking about ether for a long time. It can be said that he was an undeniable thing at that time. He is actually trying to experimentally demonstrate ether years later. He will carry Sir Rayleigh's shoulders, but it is dangerous to lightly seek a decision without the accumulation of his experimental facts. He must explain his scrutinized ideas with a convincing explanation. That's why time to nurture his ideas is also important.


In addition, "Sir Rayleigh's wonderful honors will be followed by the Copley Medal, the Nobel Prize, the 2nd Director of the Candevis Institute, and the Chairman of the Steering Board of the Standards Bureau (National Institute of Physics, England)". He has cultivated talent above all, and his achievements have been great, and he has cultivated Joseph John Thomson and Jagdish Chandra Bose. And Rayleigh's title is inherited by his eldest son and physicist Robert John Stra. I was impressed by the fact that physicists have inherited it. I'm sure his son and his disciples had a discussion. I want to think so.


 

2021年09月10日

E・ウィグナー
_【1902年生まれ-9/10原稿改定】

「E・ウィグナー」の原稿を投稿します。原稿文字数は1164文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1902年11月17日 ~ 1995年1月1日】


 


その名を書き下すと


ユージン・ポール・ウィグナー


(Eugene Paul Wigner)。


ハンガリー生まれのユダヤ人です。


ポール・ディラックの義理のお兄さんで、


BCS理論の作成者3人組の中心、


バーディーンの指導教官です。


物凄い人脈を持っている人ですね。また、


「原子核と素粒子の理論における対称性の発見」


に対して1963年の


ノーベル物理学賞を受賞しています。


対称性に着目した素粒子の整理は有効で


その分類方法が無ければ


進まなかった話が沢山あります。


 

ユージン・ウィグナーは現在のベルリン工科大学


を卒業後そこで勤務していましたが


ナチスドイツのユダヤ人迫害に対して


研究継続の困難を感じアメリカに亡命をします。


米国に亡命後はウィスコンシン大学で


物理学の教授を務め、その後に


プリンストン大学で数学の教授を務めました。


そんなウィグナーはレオ・シラード


エドワード・テラーらと、ナチスドイツが


原子爆弾を開発した時の危険性を


アメリカ政府に対して訴えていきました。


実際にベルリンを追われた過去を持つ


ウィグナーは現実に当時の状況を分析


していたのだろうと思います。つまり、


当時のドイツの科学の水準を分かっていて


ナチスが有していた兵器を理解していたから、


ナチスによる原爆開発の危険を強く感じて


いたのだと思えます。ただ、


実際の歴史を知っている


今の我々にとって見たら取り越し苦労です。


ノルマンディー上陸作戦以降の連合軍の


通常兵器での反攻を思えば、優秀とはいえ、


一国のドイツがヨーロッパ大陸を長期間占領し続ける


事は出来なかったでしょう。


現在で考えると強大化する中国に対して欧米諸国


がどういった対応をするか


気になる所でありますよね。いずれにせよ、


英米が原爆を所有するきっかけを


ウィグナー達は作ったのです。


 

ウィグナーはアメリカの原爆開発のきっかけ


となったアインシュタイン名による大統領宛書簡


の起草対してシラードやテラーと連名で加わり


ました。加えて、原爆を開発するマンハッタン計画


にはメンバーとして加わりました。


晩年にウィグナーは哲学的な傾向を深め、講演録


「自然科学における数学の理不尽な有効性」を残しています。


著名なこの著作は多分野に影響を与えています。また、


ウィグナーの妹は食事の席にディラックを招いた縁で、


彼の奥さんになっています。とても意外な取り合わせですね。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をしていきます。


nowkouji226@gmail.com


2021/04/06_初版投稿
2021/09/10_改定投稿


纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
ドイツ関連のご紹介

アメリカ関連のご紹介へ
量子力学関係


【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

ウィラード・ギブズ
_【1839年生まれ-9/10原稿改定】

「ギブス」の原稿を投稿します。私が好きな物理学者のお話で古き良き時代のアメリカの味があり、ギブスが素朴な生活を送る中での暖かい味がある話だと思います。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英訳を加えたほかに大きな加筆はありません。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は3835文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1839年2月11日生れ ~ 1903年4月28日没】




その名は


ジョサイア・ウィラード・ギブズ


Josiah Willard Gibbsです。


米国コネチカット州に生まれて


イェール大学で博士号をとります。


その博士号はアメリカ大学での


最初の工学博士だったそうです。ギブズは


米国における物理学の先駆者だったのですね。


そして理学博士でなくて工学博士って所が


アメリカっぽいなと思いました。そして、


物理学者ギブスの父は同名で


宗教文学(Wikipediaへ)


の教授です。古き時代のアメリカですね。


その後、


ギブスは修行時代として、


パリ、ベルリン、ハイデルベルクで


一年ずつ滞在します。


今の感覚ではピンとこないのですが、


彼の人生で地元を離れたのは


この三年間だけだったそうです。



ギブズの業績


ギブスの業績として大きいものは物理学への


「統計手法」の導入でしょう。


個々の粒子固有の性質は別に考え、


粒子集団が持つ性質を統計的に


まとめあげていく事でその性質が


熱力学的な特性につながっていくのです。


その考えをまとめた論文を読んだ


マクスウェルは大変感動をして、


自身の思いを伝えるために石膏模型


を作ったと言われています。そして、


その抽象的な模型をギブスへ送ったのですが、


模型は今でもイェール大学で


大切に保管されているそうです。


 

ギブスのスタンス


数理的手法を物理学に取り入れたギブスですが、


その立場(スタンス)を表現している言葉をご紹介します。


A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.


【(私の訳)


数学者は望むがままに物事を言えますが、


物理学者は何とかして、しゃっきりと


物事を伝えなくてはいけないですよ。】


数学者と物理学者は社会から


求められている物が違うので


視点を変えていかねばいけないと駄目です。



ギブズの暮らし 


最後に、戸田先生の教科書
【岩波書店から出ていた熱・統計力学の本】
でギブスの人柄を伝えるエピソード
が載っていたので
ご紹介します。
(小さな物語の始まりです)


ギブスは結婚をしないで父の残した家に
妹夫婦と共に住んでいました。
その家は彼の研究室から近い場所、
道を渡ったところにあって、
ギブスは午前の講義を終えた後に、
食事の為に家に戻っていました。


お昼を食べた後にギブスは
研究室に帰ってそこで過ごし、
夕方五時頃に散歩をしながら帰宅
するという、静かな暮らし
を送っていました。何年も。何年も。


そして、
ギブスは妹の家事を手伝い、
一緒に料理もしました。
特に、不均一系の研究をしていたギブスは
サラダを混ぜる仕事がとても得意だったそうです。


うまく作業できた時には大層、
ご機嫌になれたでしょう。
そんな静かで温かい生活を重ねていました。







以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/10/31_初稿投稿
2021/09/10_改定投稿


舞台別のご紹介へ
時代別(順)のご紹介
アメリカ関係へ
電磁気関係

イェール大学関連のご紹介へ
熱統計関連のご紹介


【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】


 


教科書買取専門店による教科書買取サービス【テキストポン】


【2021年9月時点での対応英訳】



His name d Gibbs


Its name is Josiah Willard Gibbs. Born in Connecticut, USA, he holds his PhD from Yale University.


His PhD was the first PhD in engineering at an American university. Gibbs was a pioneer in physics in the United States.


And he thought that the doctor of engineering,


not the doctor of science, was American.


And the father of physicist Gibbs is a professor of


religious literature (to Wikipedia)


with the same name. He's an old American, isn't he?


After that, Gibbs will stay in Paris, Berlin and Heidelberg


for one year each as his training period.


It doesn't seem like it's right now, but he's been away from home


for the last three years in his life.



Gibbs achievements


One of Gibbs' major achievements is the introduction of "statistical methods" into physics. Apart from the unique properties of individual particles, by statistically summarizing the properties of the particle population, those properties lead to thermodynamic properties.


It is said that Maxwell, who read the treatise summarizing his thoughts, was very impressed and made a plaster model to convey his thoughts. He sent the abstract model to Gibbs, who is still kept at Yale University.



Gibbs's stance


He is a Gibbs who has incorporated mathematical methods into physics,
Here are some words that express that position (stance).
A mathematician may say anything he pleases,
but a physicist must be at least partially sane.


[(My translation)
Mathematicians can say things as they wish,
The physicist manages to be crisp
He has to tell things. ]


Mathematicians and physicists have


different perspectives because


the things that society demands are different.



Gibbs life


Lastly, I would like to introduce an episode that conveys Gibbs' personality in Professor Toda's textbook [Book of Thermal and Statistical Mechanics from Iwanami Shoten].
(Beginning of a small story)


Gibbs lived with his sister and his wife in the house left by his father without getting married.
The house was near his lab, across the road,
After Gibbs finished his morning lecture, he returned home for a meal.
After having lunch, Gibbs lived a quiet life, returning to his lab and spending time there, taking a walk around 5 pm and returning home. For years. For years.


Gibbs then helped his sister with the housework and cooked with her.
In particular, Gibbs, who was studying heterogeneous systems, was very good at mixing salads.


He would have been in a good mood when he was able to work well.
He lived such a quiet and warm life.



2021年09月09日

ポール・ディラック
【1902年生まれ-9/9原稿改定】

「ディラック」の原稿を投稿します。原稿文字数は2098文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1902年8月8日生まれ ~ 1984年10月】



イギリスのディラックは


とても謙虚で無口な人でした。


ノーベル賞が決まった際には、


有名になる事を恐れて受賞の辞退を


考えていた様です。そんな人なのですが、


20世紀初頭の天才達がひしめく中で


ファインマンハイゼンベルクシュレディンガーなど


と量子力学を確立します。特にシュレディンガーとは


同じタイミングでノーベル賞を受賞します。


ディラックの人柄を考えるにあたり少し、


その家族について言及します。


ディラックが10代後半の時期にスイスから


家族は国籍を移しています。そしてディラックの


性格形成を語っていく上で家庭環境は大きな要素


だったようです。まず1924年にディラックの


兄が自ら命を断っています。


色々考えた末だったのでしょうか。


ディラック自身も、その父と会話し辛い


場面が多々あったようです。そして、


極端に無口な人になっていったようです。


しかしディラックは、闇に沈まずに数学を駆使して輝かしい成果を残しています。特にデルタ関数やブラケット記法は素晴らしいのです。そんな足跡を沢山残しました。


デルタ関数は超関数の仲間で
積分を使って定義されます。
多分野で有用である関数ですが、
物理の分野では観測に伴い、
波束が収束する様子が表現出来るのです。
数学上ではヘビサイド関数を表現出来ます。
現象は捉え方次第で色々な観測が出来て
周波数軸の観点で物事を考える時と
実座標軸(長さの観点)で考える時と
数式上の表現が異なります。
工学的にこの視点を応用した解析も
実用上で非常に便利に利用されていて
市販品のアナライザーで簡単に
業務解析をする事が出来ます。


ブラケット記法とは日本語で「括弧」
の記号を使った表記です。その定式化では
カギカッコ<>の形の 「<」 の部分
だけを「ブラベクトル」と呼び
カギカッコ<>の形の 「>」 の部分
だけを「ケットベクトル」と呼びます。
非常に分り易い表現でブラの部分がベクトル量
に相当してケットの部分が、それと作用するベクトル量に相当する定式化です。作用する前のケットが固有値を持つ場合に固有状態を持つと表現されます。ここでのベクトルがヒルベルトベクトル(無限次元に対応)であることが学部時代の私にとって感動的でした。一瞬にして物理量に対応する状態が記述された気がしました。一次元が線で、二次元が平面で、三次元が立体空間だというくらいしか想像がつかなかった高校時代から想像は大きく膨らみ、いきなり無限次元に話が拡張したのです。一つのベクトルが多くの情報を担います。他方でデルタ関数は観測が一瞬にして波束の収縮を引き起こす様子を表現していると思います。こうした定式化をディラックは進め、理論から提唱される物質を考え出しています。具体的に反物質と呼ぶ存在がいくつも提唱され、見つかっています。反物質は寿命が通常の物質より若干短かったりしますので日常的ではありませんが、粒子の生成消滅を論じたりする際に大事な要素です。陽子には反陽子があり中性子には反中性子があります。


そして、何よりディラックは無口な人です。多くの成果を出していく中で各国の物理学会で招待する動きがあって日本にも来ていたようです。ただ性格が性格でですので余り逸話が残っていません。「仁科さんとお茶飲んだ時に・・・」みたいな話が残っていないのです。無論、歳下の朝永さんとか湯川さんは尚更の事、話しづらかったと思えます。話しかけても無言だったのでしょう。多分オランダでも日常会話はほとんどなかったと思われます。ケンブリッジでは「1Dirac」という単位を使われていました。仲間内での意味としては
「1Word/1Hours」が「1Dirac」に相当して
一時間あたりに単語二つを使ったら「2Dirac」消費されたとして換算されました。ディラックは一時間に数Dirac程度しか言葉を残さなかったそうです。


しかし、そんなディラックは真面目な性格、人を騙さない性格もあって周囲から大事にされていた様子が伺われます。このブログのTOP画面で使っている集合写真でも真ん中の列の中央に居ます。若き天才ディラックをアインシュタインやキューリ夫人が尊重して「君の研究は素晴らしい。これからも頑張って下さいよ!」といった気持で尊重しているような気がするのです。そして、
ディラックはイギリスの伝統を受け継いだ人でもあります。
ケンブリッジではルーカス教授職を務めました。この名誉は初代・アイザック・バローから始まり二代目・アイザック・ニュートンと続き、最近では宇宙論で名を成したS・W・ホーキング博士が受け継いでいます。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては
適時、返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/08/17_初稿投稿
2021/09/09_改定投稿


詳しくはコチラへ→【テキストポン】


舞台別のご紹介へ
時代別(順)のご紹

イギリスのご紹介へ
ケンブリッジのご紹介へ
オランダ関係の紹介へ
ライデン大学のご紹介へ

アメリカ関連のご紹介へ
熱統計関連のご紹介
量子力学関係


【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

E・マッハ
【1838年生まれ-9/9原稿改定】

「マッハ」の原稿を投稿します。原稿文字数は4205文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】【1838年2月18日 ~ 1916年2月19日】



マッハの人生


以前ご紹介した石原さんはアインシュタイン直後の時代の一人、今回はご紹介するエルンスト・マッハはアインシュタインに影響を与えた一人です。その存在と考え方は当時の物理学会と思想に大きな影響を与え、後の認識論に影響を与えました。ボルツマンプランクがマッハの議論の土台を参照して独自の論理を展開していきます。マッハは最終的には国の政治に参加していたようです。そんな議論を進めたマッハの業績はとても大きいと思います。また、マッハは最初の科学史家だと言われています。昔から正しいと言われてきた科学に関わる方法論を一つ一つ再定義・確認して議論していったのです。



マッハの業績と独自性


エルンスト・マッハはオーストリアに生まれた


物理学者です。その研究範囲は


数学・物理学・感覚分析・心理分析に及びます。


マッハの残した業績はまさにパラダイム
シフトと呼べます。それは時間と空間の
概念に対しての挑戦でした。そもそも、
ニュートン以降の時代に、空間の概念は
絶対空間・絶対時間しかありませんでした。
背景として神様の概念に端を発する世界観
があったのです。宇宙も自然も神の作り
たもうた産物だと万人が考えていました。


所がマッハの考え方は徹底的に相対的です。
マッハの考え方によると空間は全て相対的で絶対空間という概念は設けません。論理的に考えて絶対空間の意義を感じない所が凄いのです。時間に関しても同様で絶対空間で流れる時間に意義を感じていません。後に議論される双子のパラドックスを知ると、複数の系を考える時にもっと我々には設定が必要な筈なのですが、そこまで議論を進めるべきなのです。


アインシュタインはそこを考え抜き相対論
に至ります。新しい考えを哲学的思考
方法で打ち出し、明確なメッセージ
を伝えたマッハの業績は素晴らしかったです。
晩年のマッハをアインシュタイン
表敬訪問しています。


 

マッハの進めた認識改革


またマッハは物理学に於ける認識の変革


にも大きく関わりました。ボルツマン


プランクらの実在論に対してマッハは


実証主義を展開し、自然に対する測定を


通じた認識の問題を議論しました。


観測者の感覚を重視した認識に対して


独特の立場をとっています。事物を認識


するのは認識者であって「個人個人の


感覚を通じて認識する過程」を含めて


マッハは議論を進めていったのです。


音速をこえる時の画像は万人に説得力を持ちます。
Photography of bow shock waves around a brass bullet, 1888


 ↑ cf;Wikipedia  パブリック・ドメイン ↑


我々は未だに音速を表現する際に「マッハ」


という単位で彼の名前を使い続けています。


それは後世・我々が出来た小さな評価、


とも言えるのでは無いいか、と私は思っています


論敵も多かったマッハでしたが、しっかりと


今に残る確かな足跡を残しています。



〆最後に〆


以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/08/13_初稿投稿
2021/09/09_改定投稿


(旧)舞台別のご紹介
纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
オーストリア関連のご紹介
ウィーン大関連のご紹介
力学関係
熱統計関連のご紹介


【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】




【英訳】



Mach life


Mr. Ishihara, who I introduced earlier, was one of the people immediately after Einstein, and Ernst Mach, who I will introduce this time, was one of the people who influenced Einstein. Its existence and way of thinking had a great influence on the Physical Society of Japan and ideas at that time, and influenced later epistemology. Boltzmann and Planck develop their own logic by referring to the foundation of Mach's argument. It seems that Mach eventually participated in national politics. I think Mach's achievements in promoting such discussions are very large. Mach is also said to be the first historian of science. He redefined, confirmed, and discussed science-related methodologies that have long been said to be correct.



Mach achievements and uniqueness


Ernst Mach is an Austrian-born physicist. His research interests cover mathematics, physics, sensory analysis, and psychological analysis.


The achievements left by Mach are just a paradigm
You can call it a shift. It's time and space
It was a challenge to the concept. in the first place,
In the post-Newton era, the concept of space was
There was only absolute space and time.
A world view that originates from the concept of God as a background
There was. The universe and nature are made by God
Everyone thought it was a product of humanity.


However, Mach's way of thinking is completely relative.
According to Mach's idea, all spaces are relative and do not have the concept of absolute space. It is amazing that I think logically and do not feel the significance of absolute space. The same is true for time, and I don't feel the significance of time flowing in absolute space. Knowing the twin paradox that will be discussed later, we should have more settings when considering multiple systems, but we should proceed to that point.


Einstein thinks about it and comes to the theory of relativity. Mach's achievements in delivering his new ideas in a philosophical way and delivering a clear message were wonderful. Einstein pays a courtesy visit to Mach in his later years.



Mach's cognitive reform


Mach was also heavily involved in the transformation of cognition in physics. Mach developed positivism against the realism of Boltzmann, Planck and others, and discussed the problem of cognition through measurement of nature.


He takes a unique position on the observer's sense-oriented perception. It is the recognizer who recognizes things, and Mach proceeded with the discussion, including the process of recognizing things through individual senses. Images when the speed of sound is exceeded are persuasive to everyone.


We still continue to use his name in the unit "Mach" when expressing the speed of sound. I think it can be said that it is a small evaluation that we have made in posterity.


He was Mach, who had a lot of controversy, but he has a solid footstep that remains.


2021年09月08日

ハイゼンベルク
【1901年生まれ9/8原稿改定】

「ハイゼンベルグ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1318文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1901年12月5日生まれ ~ 1976年2月1日没】


 



ハイゼンベルクは行列形式


の導入や、不確定性関係等


の適用で、量子論を形作った


一人です。バイエルン王国


に生まれミュンヘン大学


ゾンマーフェルトに学び


マックス・ボルンの下で


助手を務め、コペンハーゲン


ニールス・ボーアの下で


修業します。そうした一線級の


議論の中で理論の形式を整えます。


量子論の本質的な概念である


不確定性原理はボルンやヨルダン、


ハイゼンベルクによって確立されました。


可視化で想像できる世界がどこまで細かく


考えていけるかという命題に対しての一つの


回答が不確定性関係を含む量子力学の体系です。


そして加えて、ハイゼンベルクはシュレディンガーポール・ディラックと同じ時代に生き、積極的に行動すればアインシュタインボースとも議論が出来ました。。そうした天才達がミクロの原理を一つ一つ解きほぐしたのです。まだ見えない原子レベルの大きさの事象を推察する手法が色々と試みられて、その結果を説明する理論が発展したのです。不確定性関係の発表が1927年なのですが、同時期には数多くの革新的な発表がされて量子力学の対象の理論と応用技術が飛躍的に発展した時代でした。


同時に大変な時代背景、第二次世界大戦があり
ハイゼンベルクはアインシュタインが作った
相対論を駆使したりユダヤ人物理学者を養護
していたので、ナチス党員の物理学者から
「白いユダヤ人」と呼ばれ苦労しています。
プランクからの指摘もあり
戦後の体制を見据えてハイゼンベルクはドイツ
に残りました。しかし戦時下ですので物理の知識を
ナチスの為に使う事になり、色々考えたようです。
実際にハイゼンベルクのシンクロトロンが火災を起こし
世界でニュースとなったと聞き、アメリカに亡命していた
アインシュタインは大変驚きます。
実際にその事件が彼に原爆開発を決意させたとも言われています。そして、大戦が深まる中でナチス側も原子力爆弾の実用化を模索していた中で当時のドイツ内でのハイゼンベルグの立場は極めて苦しくなります。実際にハイゼンベルグが積極的な態度をとったとしたら恐ろしい事です。歴史には「たら・れば」はよく語られていて、、仮にナチスが原爆を持っていたら、
連合国との原爆の応酬で
とても恐ろしい状況になっていた筈です。


量子力学の計算を進めていて感じたのですが、オブザーバブルに対する状態の時間発展を表す表式は数学的な厳密さを持つ半面で、状態を表している物理表現として洗練されてます。ハイゼンベルク等の提唱した行列形式はそこにつながっていきます。又、いくつかの思考実験で裏打ちされた不確定性関係は量子力学の現象理解の中では本質的です。


またハイゼンベルクはピアノの名手
だったと言われていています。
聞いてみたかったですね。


 





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/08/19_初回投稿
2020/09/08_改訂投稿


旧舞台別まとめ
舞台別の纏め
時代別(順)のご紹介
オランダ関係
ライデン大学

ドイツ関係のご紹介
デンマーク関係
量子力学関係


【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】


 

E・W・モーリー
【1838年生まれ-9/8原稿改定】

「モーレー」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は2115文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1838年1月29日 ~ 1923年2月24日】


 

稀代の実験家E・W・モーレー


その名を書き下すとエドワード・ウィリアムズ・モーリー


(モーレーとも書き下します)、Edward Williams Morley、


アメリカニュージャージー生まれの物理学者です。


ニュージャージと言えば晩年のオッペンハイマーとか


エジソンと同郷ですね。個人的印象としては


米国4台研究拠点の一つです。他は


カリフォルニア・シカゴ・コネチカット州だと思えます。


其々で議論が繰り広げられてきたはずです。


何より、モーリーはマイケルソン・モーレの実験で有名です。


別項でも記述しましたが、この実験ではエーテルの


存在に起因する「光速度の変化」は見てとれませんでした。


その事が結果として「光速度普遍の原理」に


繋がっていったのが歴史的な事実です。




モーレの歴史的な位置付け


更に話を掘り下げていくと、等速運動をする


慣性系においてローレンツやアインシュタインが


考えていたような系の間の関係式が導き出せれて、


それが更に考える為の材料となって


相対論の理論体系が構築出来ています。


理論の起点と確認点はあくまで実験で


確かめられた自然界の事実なのです。


こういった理論と実験の両輪を考えていく


ダイナミックさが物理学の醍醐味です。


その議論の中で

モーレの仕事は大きな役割を果たしました。

 

その他。モーレーは、熱拡散に関する研究を行い、


磁場中の光速に関する研究を行い、実績を残しています。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
頂いたメールは全て見ています。
必要箇所は適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2021/01/25_初稿投稿
2021/09/01_改定投稿


纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
アメリカ関係へ
電磁気関係

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

詳しくはコチラへ→【テキストポン】


【2021年9月時点での対応英訳】


If you write down the name, Edward Williams Morley,

A physicist born in New Jersey, USA. Speaking of New Jersey, it's the same hometown as Oppenheimer and Edison in his later years. As a personal impression

It is one of the four research bases in the United States. The other seems to be California, Chicago, Connecticut. There must have been discussions in each case. Above all, Morley is famous for Michaelson Moret's experiments.

As described in another section, the "change in speed of light" due to the presence of ether could not be seen in this experiment. It is a historical fact that this led to the "universal principle of the speed of light" as a result.

Further digging into the story, we can derive the relational expression between the systems that Lorenz and Einstein thought in the inertial system that moves at a constant velocity, which becomes the material for further consideration and the theory of relativity. The system has been built.

The starting point and the confirmation point of the theory are the facts of the natural world confirmed by experiments. The dynamic of thinking about these two wheels of theory and experiment is the real thrill of physics.

others. Morley has a track record of conducting research on thermal diffusion and research on the speed of light in a magnetic field.




 

2021年09月07日

エンリコ・フェルミ
【1901年9月生まれ-9/7原稿改定】

以下原稿改定します。ご覧下さい。


【以下原稿とします】


【1901年9月29日 ~ 1954年11月28日没】



フェルミはイタリアのローマに生まれアメリカで没してます。


アメリカではフェルミの名前を冠した研究所が今でも


シカゴ大学内にあって、そこで議論が交わされています。


その業績は社会的側面が大きいものもある一方で


純理論を突き詰めた後世の多くの物理学者が使う


原理・概念もあります。まさにパラダイムシフトを起こした


立役者です。ミクロの世界を切り開きました。


 

そもそも、フェルミは学生時代から抜きん出た優秀さ


を備えています。一歩一歩、フェルミは議論を展開して


ノーベル賞を受け、その授賞式の際にイタリアから


アメリカに亡命しました。時節柄、奥様がユダヤ人


だつた為迫害されていたのです。アメリカ移住後に


フェルミは有名なマンハッタン計画に参画し、


原子力発電所の創設に携わり社会を大きく変えていきます。


そもそも、計画への参加はオットー・ハーンが


ドイツで核分裂実験に成功した事情が大きいです。


フェルミを初めとした物理学者達が時代に


危惧感を抱いたのです。アメリカを中心とする


資本主義圏が自由を謳歌した点でフェルミの業績は


計り知れないです。反面でスリーマイル島の事故や


福島での原発事故を思い起こすと、


気楽に賞賛ばかりはしていられません。


このブログの中で私が何回か主張しているように


識者が知恵を集結して問いかけなければいけません。


かってのラッセルーアインシュタイン宣言を


思い起こしたいです。一方で我々、大衆も


皆で分かる範囲の言葉を使い意見を交わさねばなりません


可能な範囲で意見を交わして民衆の英知を集結させるべきです。個人個人が平和に対して語る時に少しでもしっかりした考えをもって話さないといけないのです。色々な人と語る時に話が繋がっていく様な議論の土壌を、少しずつ育んでいかないといけないのです。会話をする個人それぞれが、より平和と現実に対してしっかりした考えを持ってほしいです。そんな人が話しやすい雰囲気を出していけるような人になって下さい。自分が話を広げるだけではなくて、相手の意見や気分を理解する力も大きいです。
考えを作るうえで政治家には頼れない昨今です。
各人、しっかりした考えを育んで下さい。


さてフェルミに話を戻します。
フェルミは純理論の中で
スピン角運動量に関して議論を進めました。
別のご紹介でボゾン・アインシュタイン
の系を紹介しましたが、フェルミと
ディラック
は別の粒子群に着目します。

後世の理解ではスピン角運動量が
半整数(1/2とか3/2とかいった数)
の粒子はフェルミ粒子(フェルミオン)
と呼ばれボゾンとは別の振る舞いを示します。
具体的なフェルミオンとしてはク
ォークや電子、ミュー粒子、ニュートリノ、
陽子、中性子もフェルミ粒子の仲間です。

こうした概念は電気伝導率の物性を
議論するときには欠かせません。


フェルミの排他律に従う電子の集団を統計的に扱い、
フェルミ統計を確立したのです。例えばこの理論で
金属他の熱伝導が非常によく説明されます。。


こうして沢山の業績を世に残し、


フェルミは天に召されました。


彼は病床で点滴が落ちるのを眺めて、


その流速を出していたと言われています。


フェルミこそ、生粋の物理学者でした。


謹んでご冥福をお祈り致します。






以上、間違いやご意見があれば
以下アドレスまでお願いします。
問題点に会しては適時、
改定・訂正を致します。


nowkouji226@gmail.com


2020/09/13_初回投稿
2021/09/07_改定投稿


旧舞台別まとめ
舞台別の纏め
時代別(順)のご紹介
イタリア関係のご紹介

オランダ関係の紹介へ
ライデン大学のご紹介へ
アメリカ関連のご紹介へ
量子力学関係


教科書買取専門店の教科書買取サービス【テキストポン】


【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

J・C・マクスウェル
【1831年生まれ-9/7原稿改定】

「マクスウェル」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は3244文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1831年6月13日 ~ 1879年11月5日】




マクスウェルの人物概要


その名を細かく記載すると、J・C・マクスウェル


:James Clerk Maxwell_。


マクスウェルは電磁気学を確立しました。


そこでは場の理論の基礎を作りあげ、


電場と磁場の関係をマクスゥエル方程式


で関連付けてまとめ上げ、


定式化をしたのです。更には、


直行する電場と磁場からなる「電磁波」


の関係を数式として確かにして、


その進行相度が


光速度となる事を理論的に導きました。



天才肌のマクスウェル


大英帝国のエディンバラで生まれたマクスウェルは


文理の面で、それぞれ早熟な才能を示ました。


14歳の時に書いた詩が地元の新聞に掲載されています。


言語学・修辞学の高度な習得を感じさせますね。


また同時期に、焦点を用いて「卵形線」を定義して、


「ピンと糸」を使った工夫で描き出す手法を提案していて、


論文に纏めています。マクスウェルに限らず当時の


物理学者は今よりも多面的に現象を論じ、


考えてていてた傾向はあるようです。


時代を差し引いても天才肌ですね。


マクスウェルも光学・熱力学で業績を残します。


電磁波が光学的に縦波・横波で議論されています。


現代では高校レベルの知識ですが


当時、説明するのは大変だったと思います。



マクスウェルの残した業績


マクスウェルの業績で個人的にもっとも


評価したいのは何よりも「場の考え」の確立です。


静的な意味での場と時系列で変化する


動的な意味での場は大きく違うと思えます。


マクスゥエルは後者の意味での「場」を


定式化して後の理論家達に


進むべき道を示したパイオニアでした。


実際に後のアインシュタインニュートンよりも


マクスウェルを近しく感じています。共に「場」を


考えていった系譜の人々なのではないでしょうか。


「ニュートンよ許したまえ」という言葉を使い、


アインシュタインは絶対時間を否定して


相対性理論を構築していくのです。


そして偶然ですが、マクスウェルの没年に


アインシュタインが生まれています。


マクスウェルが亡くなったのは40代なので


もう少し活躍して欲しかったと思います。 



〆最後に〆


 



以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
適時、返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/09/04_初稿投稿
2021/08/31_改定投稿


纏めサイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
イギリス関係
ケンブリッジ関連
電磁気学関連のご紹介


【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】




 

【2021年9月時点での対応英訳】



Maxwell's personal profile


To elaborate on its name, James Clerk Maxwell.


Maxwell established electromagnetics.


There, he laid the foundation for field theory, and formulated the relationship between electric and magnetic fields by associating them with the Maxuel equation. Furthermore, he confirmed the relationship between the orthogonal electric field and the "electromagnetic wave" consisting of the magnetic field as a mathematical formula, and theoretically derived that the progressive phase is the speed of light.



Genius skin Maxwell


Born in Edinburgh, the British Empire, Maxwell showed precocious talent both in literature and in science. A poem he wrote when he was 14 was published in a local newspaper. He makes us feel the advanced acquisition of linguistics and rhetoric.


At the same time, he proposed a method of defining an "oval line" using focus and drawing it with a device using "pins and threads", and summarized it in a treatise. It seems that physicists at that time, not just Maxwell, tended to discuss and think about phenomena from a more multifaceted perspective than they do now. It's a genius skin even if the times are subtracted.


Maxwell also makes a mark in optics and thermodynamics. Electromagnetic waves are optically discussed as longitudinal waves and transverse waves. Today, it's high school level knowledge, but I think it was difficult to explain at that time.



Achievements left by Maxwell


What I personally want to evaluate most about Maxwell's achievements is the establishment of the "electromagnetic field idea". It seems that the electromagnetic field in the static sense and the electromagnetic field in the dynamic sense that change over time are very different.


Maxuel was a pioneer who formulated the "electromagnetic field" in the latter sense and showed the way to later theorists.


In fact, later Einstein feels closer to Maxwell than Newton. I think they are people of genealogy who both thought about "electromagnetic field". Using the phrase "Forgive me, Newton," Einstein denies absolute time and builds the theory of relativity.


And by chance, Einstein was born in the year of Maxwell's death.


Maxwell died in his 40s, so I hope he's a little more active. Twice