「シュテルン」の原稿を投稿します。原稿文字数は857文字です。AISEOスコアでは97点をとっています。また、読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代順のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。
作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1888年2月17日生まれ ~ 1969年8月17日没】
シュテルンはドイツ生まれの物理学者でナチスに追われ
アメリカへ移ります。シュテルンは先ず、ポーランドの
プラハ大学でアインシュタインに会い、
共にチューリッヒ工科大学に移ります。
気の合う議論相手だったのでしょうか。
調べを進めていくと共にユダヤ系である事情
が大きい気がしてきました。何より、
ホロコーストが実際に行われていた時代ですからね。
同じ恐怖と憤りを感じて反体制の話もしていたことでしょう。
シュテルンはドイツ本国で当時の感心事であった原子線の研究をします。実験の様子としては、温度をどんどんあげていって金属が光り出してからもさらに温度をあげていきます。例えば、具体的に金属を恒温槽の中にいれて小さな窓から出てくる様子を見るのです。
その窓から連続して特定の粒子を放出する事で粒子の性質を明らかにしていきます。結果としてヴァルター・ゲルラッハと共に歴史的な実験を完成させました。この実験で注目されるのは「個別粒子の磁気的性質」です。加熱して蒸発させた銀の粒子をビーム状に放出した時にその粒子線に対して磁界をかけるのです。すると、粒子は二つに分かれて
一点だった輝点(粒子の当たった場所)が
二点の輝点となります。この事実は
粒子にスピンがある事で説明が出来るのです。
戦争に伴い、
ナチスにハンブルグ大学の
地位を追われたシュテルンは
アインシュタインと共に
1933年アメリカに亡命します。
戦後ナチス政権下で教授を続けた
ゲルラッハと対照的ですね。
最終的にはUCB
(カリフォルニア大学バークレー校)で
名誉教授を務めます。81歳の生涯でした。
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点には返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/31_初版投稿
2021/08/27_改定投稿
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