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2023年02月10日

H・アルプレヒト・ベーテ
【星の進化を考え、また原子核反応を考えた】

こんにちはコウジです!
「H・ベーテ」の原稿を改定します。


投稿作業としては関連リンク、内部リンクの改定、個別の人物の追加をしています。
今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使いません。
2021/7/11(日)から始めていてSNSの感じが分かりました。
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何より紹介の内容を吟味します。日本語として読みやすい文章になっているか、
なおかつ論理が追いかけやすいか、そして記述に誤解を生む表現がないかをチェックし続けます。
【以下改訂した原稿です】


 


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【1906年7月2日~2005年3月6日没】



イギリスに逃れたベーテ


ベーテはユダヤ系なのでナチス政権下で


苦労します。国を追われイギリスに逃れ、


マンチェスター大学で職を得ます。


第二次大戦の間はオッペンハイマー招きでUCB
(カリフォルニア大バークレー校)
の特別会議に参加します。
そこでは核兵器の
開発が始められ、ロスアラモス研究所が出来る
とベーテは理論部門の監督を務めます。


戦後はトルーマン大統領が水素爆弾の開発を断行した流れで
ベーテは引き続き開発
において重要な役割を果たします。



ベーテの提唱した星の進化


その他、ベーテの業績としては大きく二点があげられます。
一つは恒星の内部で核融合反応が起きうると指摘をして、
重力と釣り合う内側からの力を考えたことです。


星の進化を考える時に超高圧下で起こりうる現象を予見したのです。
現在考えられている進化過程でベーテの考え方は不可欠です。
大まかに星の進化を考えていくと


@万有引力でガスや、チリが集まっていき、
段々に中心方向に向かって『まとまり』が出来てきて
Aまとまりの質量がどんどん増えていくのですが、
この時にB星の内部で内部で核融合反応が起きて
外側方向に広がる力が働き、
C万有引力で集まる力と内部から核反応で
外側へ広がっていく力がつりあう」


と考えられています。


そして、重量が増えていき星の進化が進むと
恒星として光を発するようになり、
白色矮星、ブラックホールの段階を踏むだろうと考えます。


地球や木星などの光っていない星は現在内部からの
核融合の膨張と、内部への引力でが釣り合っている状態です。


また星の話とは別に、加速器で実現される様々な現象を
説明していく内に超高圧下・超高温下で起こり得る
原子核の崩壊状態をベーテは理論立てて説明して新たな知見としました。



ベーテとラムシフト


また、ベーテのもう一つの業績は
量子電磁気学に繋がっていくラムシフト
を非相対論的に厳密に突き詰めていって
極めて正確な計算をしていったのです。
この面でファインマンは弟子にあたります。


ベーテは大変な時代を生きた偉大な理論家でした。


「原子核反応理論への貢献、特に星の内部


におけるエネルギー生成に関する発見」で


ノーベル賞を受けています。




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Bethe fled to England


Bethe is of Jewish descent, so he has a hard time under the Nazi regime. He was driven out of the country and fled to England to get a job at the University of Manchester. He attends a special UCB (University of California, Berkeley) conference at the invitation of Oppenheimer during World War II. Bethe will oversee the theory department when the development of nuclear weapons begins there and the Los Alamos National Laboratory is established. After the war, Bethe continued to play an important role in the development of the hydrogen bomb as President Truman decided to develop it.



Bethe's advocated evolution of stars


In addition, I think there are two major achievements of Bethe. One is to point out that a fusion reaction can occur inside a star, and to consider the internal force that balances gravity. When he considered the evolution of stars, he foresaw possible phenomena under ultra-high pressure. Bethe's thinking is indispensable in the evolutionary process currently being considered. Roughly thinking about the evolution of stars,


"(1) gas and dust gather with universal gravitation, and gradually" cohesion "is formed toward the center, and (2) the mass of the cohesiveness increases steadily. At this time, (3) a nuclear fusion reaction occurs inside the star and the force that spreads outward works, and (4) the force that gathers by universal gravitation and the force that spreads from the inside to the outside by the nuclear reaction are balanced. "


Then, as the weight increases and the evolution of the star progresses, it will emit light as a star, and I think that it will go through the stages of white dwarfs and black holes. Non-shining stars such as Earth and Jupiter are currently in a state where the expansion of nuclear fusion from the inside and the attractive force to the inside are in balance. In addition to the story of stars, Bethe theoretically explained the decay state of atomic nuclei that can occur under ultra-high pressure and ultra-high temperature while explaining various phenomena realized by accelerators, and made new knowledge. bottom.



Bethe and Lamb shift


In addition, Bethe's other achievement was to rigorously and non-relativistically scrutinize the Lamb shift that leads to quantum electrodynamics, and to perform extremely accurate calculations. Feynman is his disciple in this respect.


Bethe was a great theorist who lived in difficult times. He has received the Nobel Prize for his "his contributions to his theory of nuclear reactions, especially his discoveries of energy generation inside the stars."


2023年02月09日

朝永 振一郎
2/9改訂【1906年3月31日生まれ ~ 1979年7月8日没】

こんにちはコウジです!
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【↑_Credit:Wikipedia】



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【1906年3月31日生まれ ~ 1979年7月8日没】



朝永振一郎の生い立ち


朝永振一郎は私が使っていた教科書


【Diracの「量子力学」】の訳者でした。


また、湯川秀樹の著作では「スピンはめぐる」と
物理学とは何だろうか」が有名です。
沢山の著書を残しました。


朝永振一郎のご先祖様は大村藩


(現在の長崎県内にありました)の流れをくみます。


そして、そんな朝永振一郎の父は京都大学哲学科教授でした。そんな生い立ちをもった、朝永振一郎は現在の筑波大学の前身となった大学、東京教育大学で教鞭をとり、最終的には学長を務めます。東京に生まれ京都で育ち、世界で議論しました。



朝永振一郎の業績


朝永振一郎の研究業績で私が最も偉大であると思えるのは繰り込み理論です。
ファインマン・ダイアグラムと呼ばれる不可思議な模式図で
表現される
素粒子の反応がありますが、そこでの過程における
数学的矛盾を見事に説明しています。


ファインマンの経路積分にも数学的な美点を感じますが
朝永振一郎の理論の方が
直感に訴える説得力を持っています。


好みといえば好みの問題ですが、発散・∞という大問題に対して
ラムシフトを正しく吟味して相対論的に計算が出来た時に
一瞬にして話が繋がり
感覚的に「正しかったんだ」と思えるのです。


朝永振一郎の理解で量子電磁気学の整理が進み、
素粒子物理学が大きく進歩したのです。


朝永振一郎はまた晩年、大学入学以前の若者に対し
科学的な啓蒙を進めていました


最後に、朝永振一郎は湯川秀樹


京都大学で同期でした。それぞれの形で


当時の物理学で完成形を作り上げたのです。




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The background of Shinichiro Tomonaga


Shinichiro Tomonaga was the translator of the textbook I was using [Dirac's "Quantum Mechanics"]. Its ancestors follow the flow of the Omura domain (currently in Nagasaki prefecture).


And Shinichiro Tomonaga's father was a professor of philosophy at Kyoto University. With such a background, Shinichiro Tomonaga teaches at Tokyo University of Education, the predecessor of the current University of Tsukuba, and eventually becomes the president. He was born in Tokyo, raised in Kyoto, and discussed around the world.



Achievements of Shinichiro Tomonaga


The greatest research achievement of Shinichiro Tomonaga is the renormalization theory. There is a reaction of elementary particles that is also expressed in a mysterious schematic diagram called the Feynman diagram, but it explains the mathematical contradiction in the process. Feynman's path integral also has a mathematical beauty, but Shinichiro Tomonaga's theory is more intuitive and convincing.


Speaking of taste, it is a matter of taste, but when the Lamb shift is correctly examined for the big problem of divergence and ∞ and the calculation can be done relativistically, the story is connected in an instant and it seems that it was "correct" sensuously. is.


With the understanding of Shinichiro Tomonaga, quantum electrodynamics was organized and particle physics made great progress. Shinichiro Tomonaga also promoted scientific enlightenment for young people before entering university in his later years.


Finally, Shinichiro Tomonaga was in sync with Hideki Yukawa at Kyoto University. Each form was completed by the physics of the time.

2023年02月08日

J・R・オッペンハイマー
2/8改訂【あだ名はオッピーとか原爆の父とか】

改訂こんにちはコウジです!
「オッペンハイマー」の原稿を改定します。


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【1904年4月22日生まれ~1967年2月18日没】



 原爆の父オッペンハイマー


オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面
ありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)
では学生からオッピーという愛称で呼ばれていた
側面もありました。オッペンハイマーの人生は
喜怒哀楽に満ちています。


オッペンハイマーの人生を考えるにあたり、
筆者の第一の着眼点は彼もユダヤ系の血を
引いている
という部分です。


ヒットラーが民族としてのユダヤ人達に焦点を当て迫害し、
敵視していた現実は
動かしがたい事実です。
強制収容所に連行
されるような世相の中で
ユダヤ人達は非常な
危機感を感じていたはずです。


ユダヤ人たちが抱く危機感の中で20世紀初頭の歴史は進み、
天才達が育ち・団結して
新しい物を生み出していた
という側面があるのだと言えます。


そんな時代に兵器製造の行為は肯定される話ではないのですが、
当時の論客達はユダヤ人迫害
から話を初めて、
マンハッタン計画に進む流れ
を紹介していき、
大衆に納得し易い話を組み立て
られたでしょう。



ユダヤ系の物理学者達


大戦終結後、100年近くがたとうとしています。
ユダヤ人に対しての考えは幾多の人が繰り広げてきた
のではないかと思えますが、再度、私も強調します。


具体的な物理の世界での登場人物はアインシュタイン 、
シュテルンマックス・ボルンD・J・ボーム 、
E・パウリ 、ランダウファインマン


そして今回ご紹介するオッペンハイマーです。


(今は此処迄しか思い浮かびませんが
後日、思い付くたびに補記します。)


ユダヤ人メンバー中心に居てがもたらした今世紀初頭の
物理学の進展は急速でした。


その進展は物理学に留まらず、工学、産業、
果ては政治体制に繋がっていきました。


1917年ロシア革命に始まった社会体制の変化とも
同期していた、
と言えるのでは無いでしょうか。


20世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって
大きく様変わりしていたと思えます。そして、昨今コロナで
不満が高まり、米中関係が緊張していく世相は、やもすれば
危ない世界に近づいてるようにも思えます。


各人で理性的な判断・発言をしましょう。
今、方向付けが重要です。



 オッペンハイマーの関心


さて実際、オッパンハイマーは最終的に6つの言葉を操ります。
少年時代には
鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し
ハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学します。


そこから理論物理学のゲッティンゲン大学に進み
ボルンと出会います。オッペンハイマーは
ボルンの指導の下で
研究を進め共同で
ボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。


その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学やUCBで
教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴い、
オッペンハイマーは
ロスアラモス国立研究所の
初代所長に任命されます。


ロスアラモス国立研究所で原爆を開発したのです。
この仕事は、世界のパワー・バランスを変え、
後の世界を大きく変えました。



晩年のオッペンハイマー


晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、
後悔の言葉さえ残しています。


戦争時代の原爆開発・使用は国としての
アメリカの中で必要と判断されていましたが、
それ以後の時代では原爆を使わなくても各国が
持つだけで攻撃対象とされたりしますし、
外交で原爆が脅迫の道具として使われていたりします。


そういったことにつながった発明をオッペンハイマーは
「罪」として捉えていて、
水爆の開発には反対していたりもしました。


オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。
オッペンハイマーの時代は冷戦時代なので
学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、
最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。


常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)
監視下にあったのです。1965年、
がんの為に
ニュージャージーの自宅で
静かに生涯を終えました。


合掌。




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Atomic bomb father Oppenheimer


Oppenheimer was sometimes called the father of the atomic bomb, but at UCB (University of California, Berkeley), he was also nicknamed Oppenheim by students. Oppenheimer's life is full of emotions. When thinking about Oppenheimer's life, the first point to look at is that he also has Jewish blood.


The reality that Hitler focused on and persecuted the Jews as an ethnic group and was hostile to them is an immovable fact. The Jews must have felt a great sense of crisis in the world of being taken to concentration camps. In that sense of crisis, the history of the early 20th century may have been that geniuses grew up and united to create new things. The act of manufacturing weapons is not affirmed in such an era, but the debaters at that time also started talking about the persecution of Jews and introduced the flow to the Manhattan Project, and assembled a story that is easy for the public to understand. Probably.



Jewish physicists


Almost 100 years have passed since then, and I suspect that many people have developed this idea, but I would like to emphasize it again. The characters in the concrete world of physics are Einstein, Stern, Max Born, DJ Baume, E. Pauli, Landau, Feynman,


And this is Oppenheimer. (I can only think of it here now, but I will add it later whenever I come up with it.) The progress of physics at the beginning of this century brought about by such members was rapid. Its progress went beyond physics to engineering, industry, and even the political system.


It can be said that it was in sync with the changes in the social system that began in the Russian Revolution in 1917. It seems that the feeling of obstruction at the beginning of this century was greatly changed by various efforts to overcome it. And it seems that the world, where dissatisfaction with Corona has increased and US-China relations have become tense these days, is approaching a dangerous world. Let's make rational judgments and remarks by each person. Direction is important now.



Oppenheimer's interest


Well, in fact, Oppanheimer finally manipulates six words. As a boy, he became interested in mineralogy, mathematics, geology and chemistry, finishing Harvard in three years and studying abroad in Cambridge. From there he goes to the University of Göttingen in theoretical physics and meets Born.


Oppenheimer conducts research under the guidance of Born and jointly achieves achievements such as the Born-Oppenheimer approximation. He then returned to the United States to teach at the California Institute of Technology and UCB, but with the outbreak of World War II, Oppenheimer was appointed as the first director of the Los Alamos National Laboratory. So he developed the atomic bomb. This work changed the power balance of the world and changed the world later.



Oppenheimer in his later years


In his later years, Oppenheimer asked himself what the work he had accomplished and even left a word of regret. It was judged that the development and use of the atomic bomb during the war was necessary in the United States as a country, but in the subsequent era, even if each country did not use the atomic bomb, it would be the target of attack, and diplomacy. The atomic bomb is used as a threatening tool. Oppenheimer saw the invention that led to that as a "sin," and he even opposed the development of the hydrogen bomb.


Oppenheimer also has another sin (?). Since Oppenheimer's era was the Cold War era, he was pointed out that he had a connection with the Communist Party since he was a student, and eventually continued to be the target of the Red Scare. He was always under the supervision of the FBI (Federal Bureau of Investigation under the Department of Justice). In 1965, he quietly ended his life at his home in New Jersey because of cancer. Gassho.

2023年02月06日

セシル パウエル
2/6改訂【素粒子の軌跡を記録する方法 を改良】

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【1903年12月5日生まれ ~ 1969年8月9日没】



パウエルとハイゼンベルグとゾンマーフェルト


単なる偶然の産物といえば偶然ですが、
今回ご紹介するセシル パウエルと
ハイゼンベルクとゾンマーフェルトは
同じ誕生日でした。また同様に
西川 正治も同じ誕生日でした。


さて、
今回の紹介は英国のセシル パウエルです。

素粒子の軌跡を記録する方法
を改良しました。


つまり、


Photographic Emulsionsの中での粒子軌跡を


直接記録する方法を採用したのです。


当時は未知なる粒子が次々と発見され様々に予想
されていたのですが、
観測手段も試行錯誤が成されていました。
例えば、霧箱で飛んでくる粒子の軌跡を捉えたり、
高い山の上で観測して飛来宇宙線の大気減衰を克服したり
写真技術を活用したりしました。


パウエルの手法は写真のイメージから考えるのでしょうか。
456t機会があれば更に確認します。


 

 パウエルによるπ中間子の観測


またパウエルは湯川秀樹が予想したパイ中間子の
観測・発見の為に
研究スタッフを派遣しています。


生成後の寿命が短く地表に到達できないパイ中間子観測の為に
ボリビアにあるアンデス山脈の
標高5000mの山から
上記乾板を使って発見
しています。


ダイナミックな観測だったと言えるでしょう。
加えて、気球を使い
高度を確保したりもしています。
観測の為に様々な工夫をこらして結果を得ています。



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Powell, Heisenberg and Sommerfeld


It's just a coincidence, but C. Powell, Heisenberg, and Sommerfeld have the same birthday. Similarly, Shoji Nishikawa had the same birthday.


By the way, this time I would like to introduce you to Cecil Powell in the United Kingdom. The method of recording the trajectory of elementary particles has been improved. In other words, we adopted the method of directly recording the particle trajectory in Photographic Emulsions. At that time, unknown particles were discovered one after another and various expectations were made, but the observation method was also trial and error. For example, we captured the trajectory of particles flying in a cloud chamber, observed them on a high mountain to overcome the atmospheric attenuation of flying cosmic rays, and used photographic technology. Do you think of Powell's method from the image of a photograph? I will check further if there is an opportunity.



Observation of pions by Powell


Powell also dispatches research staff to observe and discover the pions predicted by Hideki Yukawa. It has been discovered using the above-mentioned dry plate from a mountain at an altitude of 5000 m in the Andes Mountains in Bolivia for the purpose of observing pions that have a short life after formation and cannot reach the surface of the earth. It can be said that it was a dynamic observation. In addition, we also use balloons to secure altitude. We have obtained results by making various efforts for observation.


2023年02月05日

ユージン・ポール・ウィグナー2/5改訂
_【ディラックの義理の兄でバーディンの(BCS理論のB)指導教官】

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その名を書き下すと


ユージン・ポール・ウィグナー


(Eugene Paul Wigner)。


ハンガリー生まれのユダヤ人です。


後程詳しくご紹介しますが、ウィグナーは


ポール・ディラックの義理のお兄さんで、


BCS理論の作成者3人組の中心、


バーディーンの指導教官です。


物凄い人脈を持っている人ですね。


また、「原子核と素粒子の理論における対称性の発見」
に対して1963年のノーベル物理学賞を受賞しています。


対称性に着目した素粒子の整理は有効でその分類方法が
無ければ
進まなかった話が沢山あります。


 

 ドイツでのウィグナー


ユージン・ウィグナーは現在のベルリン工科大学
卒業後にベルリン工科大学で
勤務していましたが
ナチスドイツのユダヤ人迫害に対して研究継続の困難
を感じアメリカに亡命をします。


米国に亡命後はウィスコンシン大学で物理学の教授を務め、
その後にプリンストン大学で数学の教授を務めました。


そんなウィグナーはレオ・シラードエドワード・テラーらと、
ナチスドイツが原子爆弾を開発した時の危険性を
アメリカ政府に対して訴えていきました。


実際にベルリンを追われた過去を持つウィグナーは
現実に当時の状況を分析していたのだろうと思います。


つまり、当時のドイツの科学の水準を分かっていて
ナチスが有していた兵器を理解していたから、
ナチスによる原爆開発の危険を強く感じていたのだと思えます。
ただ、実際の歴史を知っている今の我々にとって見たら取り越し苦労です。


ノルマンディー上陸作戦以降の連合軍の通常兵器での反攻を思えば、
優秀とはいえ、
一国のドイツがヨーロッパ大陸を長期間占領
し続ける
事は出来なかったでしょう。


現在で考えると強大化する中国に対して
欧米諸国
がどういった対応をするか気になる所でありますよね。


いずれにせよ、
英米が原爆を所有するきっかけをウィグナー達は作ったのです。



 原爆とウィグナー


ウィグナーはアメリカの原爆開発のきっかけとなった
アインシュタイン名による大統領宛書簡の起草対して
シラードや
テラーと連名で加わりました。


加えて、
原爆を開発するマンハッタン計画
にはメンバーとして加わりました。


晩年にウィグナーは哲学的な傾向を深め、
講演録
「自然科学における数学の理不尽な有効性」
を残しています。
著名なこの著作は多分野に影響を与えています。


また、ウィグナーの妹は食事の席にディラックを招いた縁で、


彼の奥さんになっています。とても意外な取り合わせですね。




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(2021年11月時点での対応英訳)



If you write down the name


Eugene Paul Wigner.


He is a Hungarian-born Jew. As I will explain in detail later, Wigner is Paul Dirac's brother-in-law and the supervisor of Bardeen, the center of the trio of creators of BCS theory. He has a tremendous network of contacts, isn't he? He also received the 1963 Nobel Prize in Physics for his "discovery of symmetry in the theory of nuclei and elementary particles". There are many stories that the arrangement of elementary particles focusing on symmetry is effective and would not have progressed without the classification method.



Wigner in Germany


Eugene Wigner worked there after graduating from the current Berlin Institute of Technology, but found it difficult to continue his research on the persecution of Jews in Nazi Germany and went into exile in the United States.


After his exile in the United States, he was a professor of physics at the University of Wisconsin and then a professor of mathematics at Princeton University. Wigner, along with Leo Szilard and Edward Teller, appealed to the US government about the dangers of Nazi Germany developing an atomic bomb.


I think Wigner, who had a past of being ousted from Berlin, was actually analyzing the situation at that time. In other words, he knew the level of German science at the time and understood the weapons that the Nazis had, so it seems that he was strongly aware of the danger of the Nazis developing an atomic bomb. However, for those of us who know the actual history, it is a difficult move. Given the counterattack of the Allied forces with conventional weapons since the Invasion of Normandy, Germany would not have been able to continue to occupy the continent for a long time, albeit excellent. When you think about it now, you are wondering how Western countries will respond to the growing power of China. In any case, the Wigners created the opportunity for Britain and the United States to own the atomic bomb.



Atomic bomb and Wigner


Wigner joined Szilard and Teller jointly in drafting a letter to the president in the name of Einstein, which triggered the development of the American atomic bomb. In addition, he joined the Manhattan Project to develop the atomic bomb as a member.


In his later years Wigner deepened his philosophical tendencies, leaving behind his lecture "The Unreasonable Effectiveness of Mathematics in the Natural Sciences". His prominent work has influenced many disciplines. Wigner's sister is also his wife because he invited Dirac to his dining table. It's a very surprising combination.



2023年02月04日

和達清夫
2/4改訂【マグニチュードの概念を考え始めて、気象台長を務めた】

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【1902年(明治35年)9月8日 - 1995年1月5日】


愛知県に生まれた和達(わだち)清夫は和達三樹のお父様です。
(和達三樹の名は教科書でおなじみなのではないでしょうか)
和達清夫は地球科学に足跡を残し、特に気象学や地震学で
有名です。いわゆる「マグニチュード」の概念は和達清夫の研究が
ヒントとなったと言われています。


個々の地点で感じられる(観測される)
「震度」に対して地震そのものの大きさ(震源地での大きさ)を
表す指標が「マグニチュード」です。

マグニチュードの概念はその後、地震が起きるたびに活用されて
非常に重宝な概念として使われています。あたり前に使われています。
先進的な研究を続けて震源の深さから範囲も考えてマグニチュード
の概念に至ります。


地震について更に深く考えてみたいと思います。
今では子供でも知っていますが地震は波で震源から
遠ざかれば遠ざかる程に減衰します。


そして具体的には初期微動と本震から構成され(P波とS波から構成され)、
其々が 振動数と振幅を持ちます。
2つの構成波が、それぞれパラメターを持つのです。


そもそも和達清夫の博士論文は
「Shallow and deep earthquakes」
でした。


和達清夫の経歴を振り返れば、


東京帝國大学理学部物理学科を卒業


後に中央気象台に勤務していきます。


気象台では第6代気象台長を務めました。


和達清夫の時代から物理学が


実学として活用されていきます。


地球物理学を実務に適用したのです。


和達清夫は気象観測の黎明期において


指導的な役割を果たしました。


1960年から(第5代)日本学術会議議長


(第17代)日本学士院院長、


埼玉大学学長、日本環境協会会長


などを歴任しました。


和達清夫は1985年には


文化勲章を受勲しています。


そして92歳で亡くなっています。


 



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〆最後に〆


以上、間違い・ご意見は
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 (2021年10月時点での対応英訳)


Wadachi Kiyoo born in Aichi is father of Miki Wadachi.(whether the name of Miki Wadachi is not familiar with a textbook)
Kiyoo Wadachi leaves a footprint for earth science and is famous for meteorology in particular and seismology.


It is said that a study of Kiyoo Wadachi became the hint as for the concept of so-called "magnitude". Whenever an earthquake gets up afterwards, the concept of the magnitude to express size (size at the epicenter) of the earthquake itself for "the seismic intensity" that is felt to be individual points (is observed) is utilized and is used as a very useful concept. It is used in front of the area.
Wadachi continue an advanced study and think about the range from the depth of the seismic center and lead to a concept of the magnitude.


In the first place the doctoral dissertation of Kiyoo Wadachi
"Shallow and deep earthquakes"
I did it in this.


If look back on a career of Kiyoo Wadachi, Tokyo emperor country University department of science physics subject


After graduating from this, the Central Meteorological Observatory works.


Wadachi acted as Mayor of the sixth meteorological observatory in the meteorological observatory.


Physics is utilized as practical science from the times of Kiyoo Wadachi.


Wadachi applied geophysics to business.


Kiyoo Wadachi played a leading role in the dawn of the weather observation.


In 1960 (the fifth) Chairperson of Science Council of Japan (the 17th) Japan Academy's director,


Wadachi successively held Saitama University's president, Japanese environmental association's chairperson.


As for Kiyoo Wadachi, Conforment of honor is doing the Order of Culture in 1985.


Wadachi die at 92 years old.


 

2023年02月03日

ポール・ディラック
2/3改訂【数々の逸話を生んだケンブリッジの天才】

こんにちはコウジです!
「ディラック」の原稿を改定します。


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【1902年8月8日生まれ ~ 1984年10月20日】



無口なディラック


イギリスのディラックは


とても謙虚で無口な人でした。


ノーベル賞が決まった際には、


有名になる事を恐れて受賞の辞退を


考えていた様です。そんな人なのですが、


20世紀初頭の天才達がひしめく中で


ファインマンハイゼンベルクシュレディンガーなど


と量子力学を確立します。特にシュレディンガーとは


同じタイミングでノーベル賞を受賞します。


ディラックの人柄を考えるにあたり少し、


その家族について言及します。


ディラックが10代後半の時期にスイスから


家族は国籍を移しています。そしてディラックの


性格形成を語っていく上で家庭環境は大きな要素


だったようです。まず1924年にディラックの


兄が自ら命を断っています。


色々考えた末だったのでしょうか。


ディラック自身も、その父と会話し辛い


場面が多々あったようです。そして、


極端に無口な人になっていったようです。



ディラックと数学


しかしディラックは、闇に沈まずに数学を駆使して
輝かしい成果を残しています。


特にデルタ関数やブラケット記法は素晴らしいのです。
独自の足跡を沢山残しました。


デルタ関数は超関数の仲間で積分を使って定義されます。


多分野で有用である関数ですが、物理の分野では観測に伴い、


波束が収束する様子が表現出来るのです。


数学上ではヘビサイド関数を表現出来ます。
現象は捉え方次第で色々な観測が出来て
周波数軸の観点で物事を考える時と
実座標軸(長さの観点)で考える時と
数式上の表現が異なります。
工学的にこの視点を応用した解析も
実用上で非常に便利に利用されていて
市販品のアナライザーで簡単に
業務解析をする事が出来ます。


ブラケット記法とは日本語で「括弧」
の記号を使った表記です。その定式化では
カギカッコ<>の形の 「<」 の部分
だけを「ブラベクトル」と呼び
カギカッコ<>の形の 「>」 の部分
だけを「ケットベクトル」と呼びます。


非常に分り易い表現でブラの部分がベクトル量
に相当してケットの部分が、
それと作用するベクトル量に相当する定式化です。


作用する前のケットが固有値を持つ場合に
固有状態を持つと表現されます。


ここでのベクトルがヒルベルトベクトル(無限次元に対応)
であることが学部時代の私にとって感動的でした。
一瞬にして物理量に対応する状態が記述された気がしました。


一次元が線で、二次元が平面で、三次元が立体空間だ
というくらいしか想像がつかなかった高校時代から
想像は大きく膨らみ、いきなり無限次元に話が拡張したのです。


一つのベクトルが多くの情報を担います。
他方でデルタ関数は観測が一瞬にして
波束の収縮を引き起こす様子を表現していると思います。


こうした定式化をディラックは進め、
理論から提唱される物質を考え出しています。


具体的に反物質と呼ぶ存在がいくつも提唱され、
見つかっています。反物質は寿命が通常の物質より
若干短かったりしますので日常的ではありませんが、
粒子の生成消滅を論じたりする際に大事な要素です。


陽子には反陽子があり中性子には反中性子があります。



ディラック来日


そして、何よりディラックは無口な人です。


多くの成果を出していく中で各国の物理学会で招待する
動きがあって日本にも来ていたようです。


ただ性格が性格でですので余り逸話が残っていません。
「仁科さんとお茶飲んだ時に・・・」みたいな話が
残っていないのです。無論、歳下の朝永さんとか湯川さんは
尚更の事、話しづらかったと思えます。


話しかけても無言だったのでしょう。
多分オランダでも日常会話はほとんどなかったと思われます。


ディラックの笑い話


そんなディラックについて伝わっている有名な話があります。
ディラックの無口な性格を表す逸話です。


周りの人々が奇妙に思いながらも尊重していた様子が伺えます。
ケンブリッジでは「1Dirac」という単位を使われていました。
仲間内での意味としては

「1Word/1Hours」が「1Dirac」に相当して
一時間あたりに単語二つを使ったら「2Dirac」消費
されたとして換算されました。


ディラックは一時間に数Dirac程度しか言葉を残さなかったそうです。


しかし、そんなディラックは真面目な性格、人を騙さない性格
もあって周囲から大事にされていた様子が伺われます。


本ブログのTOP画面で使っている集合写真でも
真ん中の列の中央に居ます。若き天才ディラックに
アインシュタインキュリー夫人が気を遣って
「君の研究は素晴らしい。これからも頑張って下さいよ!」
といった気持で尊重しているような気がするのです。


そして、写真の真ん中にニュートンの伝統を受け継ぐ
ケンブリッジで研究をするディラックが居て、
時代を重ねていくパウリハイゼンベルクが居るのです。


そして、
ディラックはイギリスの伝統を受け継いだ人でもあります。
ケンブリッジではルーカス教授職を務めました。


この名誉は初代・アイザック・バローから始まり
二代目・アイザック・ニュートンと続き、
最近では宇宙論で名を成したS・W・ホーキング博士が受け継いでいます。



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2020/08/17_初稿投稿
2023/02/03_改定投稿


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(2021年10月時点での対応英訳)



Quiet Dirac


Dirac in England was a very humble and reticent person. When the Nobel Prize was decided, he seemed to be thinking about declining the award for fear of becoming famous. Although he is such a person, he establishes quantum mechanics with Feynman, Heisenberg, Schrodinger, etc. in the midst of the geniuses of the early 20th century. In particular, he won the Nobel Prize at the same time as Schrodinger. In considering Dirac's personality, I would like to mention his family for a moment.


His family transferred nationality from Switzerland when Dirac was in his late teens. And it seems that the family environment was a big factor in talking about Dirac's personality formation. First, in 1924, Dirac's brother died himself. Was he the end of many thoughts? It seems that Dirac himself had many difficult conversations with his father. And he seems to have become an extremely reticent person.



Dirac and math


However, Dirac has achieved brilliant results by making full use of mathematics without sinking into the darkness. Especially the delta function and bracket notation are great. I left a lot of such footprints.


The delta function is a family of generalized functions defined using integrals. It is a useful function in many fields, but in the field of physics, it is possible to express how the wave packet converges with observation. Heaviside functions can be expressed mathematically. Various observations can be made depending on how the phenomenon is perceived, and the mathematical expression differs between when thinking about things from the perspective of the frequency axis and when thinking from the perspective of the actual coordinate axis (from the perspective of length). Analysis that applies this viewpoint engineeringly is also very convenient in practical use, and business analysis can be easily performed with a commercially available analyzer.


Bra-ket notation is a notation that uses the "parentheses" symbol in Japanese. In that formulation
Only the "<" part in the shape of the key bracket <> is called the "bra vector".
Only the ">" part in the shape of the key bracket <> is called the "ket vector".
The bra part is a vector amount in a very easy-to-understand expression
The part of the ket corresponding to is the formulation corresponding to the amount of vector acting on it.



Eigenstate and dirac


It is expressed as having an eigenstate when the pre-acting ket has an eigenvalue. It was impressive to me when I was an undergraduate that the vector here is a Hilbert vector (corresponding to infinite dimensions). I felt that the state corresponding to the physical quantity was described in an instant. From high school, when I could only imagine that one dimension was a line, two dimensions were a plane, and three dimensions were a three-dimensional space, my imagination expanded greatly, and the story suddenly expanded to infinite dimensions. One vector carries a lot of information. On the other hand, I think that the delta function expresses how the observation causes the wave function collapse in an instant.


Dirac is proceeding with this formulation and has come up with substances proposed by theory. A number of specific antimatter entities have been proposed and found. Antimatter is not routine because it has a slightly shorter lifespan than normal matter, but it is an important factor when discussing the formation and annihilation of particles. Protons have antiprotons and neutrons have antineutrons.



Dirac visits Japan


And above all, Dirac is a reticent person. While he has produced many achievements, he seems to have come to Japan as he was invited to the Physical Society of Japan. He just doesn't have much anecdotes because he has a personality. There is no such thing as "when I drank tea with Nishina-san ...". Of course, it seems that Mr. Tomonaga and Mr. Yukawa, who are younger, were even more difficult to talk to.


He would have been silent when he spoke. Perhaps there was little daily conversation in the Netherlands. In Cambridge, the unit "1 Dirac" was used. As for the meaning within the group, "1 Word / 1 Hours" is equivalent to "1 Dirac", and if two words are used per hour, it is converted as "2 Dirac" consumed. Dirac left only a few words per hour.


However, it seems that such Dirac was taken care of by the people around him because of his serious personality and personality that does not deceive people. The group photo used on the TOP screen of this blog is also in the center of the middle row. I feel that Einstein and Mrs. Curie care about the young genius Dirac and respect him with the feeling that "Your research is wonderful. Please continue to do your best!"


And Dirac is also a man who inherited the British tradition.
He was a Lucas professor in Cambridge. This honor begins with the first Isaac Barrow, continues with the second Isaac Newton, and has recently been inherited by Dr. SW Hawking, who has made a name for himself in cosmology.

2023年02月02日

ハイゼンベルク
2/2改訂【白いユダヤ人と呼ばれながら不確定性関係を構築】

こんにちはコウジです!
「シュレディンガー」の原稿を改定します。


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【1901年12月5日生まれ ~ 1976年2月1日没】



 ハイゼンベルグの不確定性関係


ハイゼンベルクは行列形式の導入や、


不確定性関係等の適用で、


量子論を形作った一人です。


バイエルン王国に生まれミュンヘン大学ゾンマーフェルトに学び
マックス・ボルンの下で助手を務め、コペンハーゲンニールス・ボーア
の下で
修業します。そうした一線級の議論の中で理論の形式を整えます。


量子論の本質的な概念である不確定性原理はボルン
ヨルダン、
ハイゼンベルクによって確立されました。


可視化で想像できる世界がどこまで細かく考えていけるか
という命題に対しての
一つの回答が不確定性関係を含む量子力学の体系です。



 ハイゼンベルグと同時代の偉人達


加えて、ハイゼンベルクはシュレディンガーポール・ディラック
と同じ時代に生き、積極的に行動すればアインシュタイン
ボースとも議論が出来ました。。そうした天才達がミクロの原理を
一つ一つ解きほぐしたのです。


まだ見えない原子レベルの大きさの事象を推察する
手法が色々と試みられて、その結果を説明する理論が発展したのです。
不確定性関係の発表が1927年なのですが、同時期には数多くの
革新的な発表がされて量子力学の対象の理論と応用技術が
飛躍的に発展した時代でした。


同時に大変な時代背景として、
第二次世界大戦(1939-45)があったのです。

ハイゼンベルクはアインシュタインが作った
相対論を駆使したりユダヤ人物理学者を養護
していたので、ナチス党員の物理学者から
「白いユダヤ人」と呼ばれ苦労しています。
プランクからの指摘もあり
戦後の体制を見据えてハイゼンベルクはドイツ
に残りました。



 サイクロトロンとハイゼンベルグ


しかし戦時下ですので物理の知識を
ナチスの為に使う事になり、色々考えたようです。
実際にハイゼンベルクのシンクロトロンが火災を起こし
世界でニュースとなったと聞き、アメリカに亡命していた
アインシュタインは大変驚きます。


実際にその事件が彼に原爆開発を決意させたとも言われています。
そして、
大戦が深まる中でナチス側も原子力爆弾の実用化を模索していた中で当時の
ドイツ内でのハイゼンベルグの立場は極めて苦しくなります。


実際にハイゼンベルグが積極的な態度をとった
としたら恐ろしい事です。歴史には「たら・れば」
はよく語られていて、、仮にナチスが原爆を持っていたら、

連合国との原爆の応酬でとても恐ろしい状況になっていた筈です。


私自身も量子力学の計算を進めていて感じたのですが、
オブザーバブルに対する状態の時間発展を表す表式は
数学的な厳密さを持つ半面で、
状態を表している物理表現として洗練されてます。


ハイゼンベルク等の提唱した行列形式はそこにつながっていきます。
又、いくつかの思考実験で裏打ちされた不確定性関係は
量子力学の現象理解の中では本質的です。


またハイゼンベルクはピアノの名手
だったと言われていています。
聞いてみたかったですね。


 




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2020/08/19_初回投稿
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(2021/10月時点での対応英訳)



Heisenberg's Uncertainty Principle


Heisenberg is one of the people who shaped quantum theory by introducing the matrix form and applying the uncertainty relation. Born in the Kingdom of Bavaria, he studied under Sommerfeld at the University of Munich, worked as an assistant under Max Born, and trained under Niels Bohr in Copenhagen. He formalizes his theory in such first-class discussions. The uncertainty principle, which is an essential concept of quantum theory, was established by Born, Jordan, and Heisenberg. One answer to the proposition of how finely the world that can be imagined by visualization can be considered is the system of quantum mechanics including the uncertainty relation.



Heisenberg and his contemporaries


In addition, Heisenberg lived in the same era as Schrodinger and Paul Dirac, and if he acted positively, he could argue with Einstein and Bose. .. These geniuses unraveled the micro-principles one by one. Various methods have been tried to infer events of atomic level that are not yet visible, and the theory that explains the results has been developed. The Uncertainty Principle was announced in 1927, and at the same time, many innovative announcements were made and the theory and applied technology of the object of quantum mechanics developed dramatically.


At the same time, due to the difficult historical background and World War II, Heisenberg used the relativity created by Einstein and cared for Jewish physicists, so he was called "white Jew" by Nazi physicists. I'm having a hard time. Heisenberg remained in Germany in anticipation of the postwar regime, as pointed out by Planck.



Cyclotron and Heisenberg


However, since it is during the war, knowledge of physics
It was decided to use it for the Nazis, and it seems that he thought about various things.
The Heisenberg synchrotron actually ignited
Einstein, who was in exile in the United States, is very surprised to hear that he has become news in the world.
It is said that the incident actually made him decide to develop the atomic bomb.


And as the war deepened, the Nazi side was also searching for the practical application of nuclear bombs, and Heisenberg's position in Germany at that time became extremely difficult. It would be scary if Heisenberg actually took a positive attitude. "Tara, if" is often spoken in history, and if the Nazis had an atomic bomb, it would have been a very scary situation due to the exchange of the atomic bomb with the Allies.


He felt that he was proceeding with the calculation of quantum mechanics, but the expression that expresses the time evolution of the state with respect to the observable is mathematically rigorous, but it is refined as a physical expression that expresses the state. .. The matrix format proposed by Heisenberg and others will lead to that. Also, the uncertainty relation backed by some thought experiments is essential in understanding the phenomenon of quantum mechanics.


Heisenberg is a master of the piano
It is said that it was.
I want to listen.


2023年02月01日

エンリコ・フェルミ
2/1改訂【マンハッタン計画に参画し排他律に従う原理を構築】

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イタリア生まれのフェルミ


フェルミはイタリアのローマに生まれアメリカで没してます。


アメリカではフェルミの名前を冠した研究所が今でも


シカゴ大学内にあって、そこで議論が交わされています。


その業績は社会的側面が大きいものもある一方で


純理論を突き詰めた後世の多くの物理学者が使う


原理・概念もあります。まさにパラダイムシフトを起こした


立役者です。ミクロの世界を切り開きました。


 

そもそも、フェルミは学生時代から抜きん出た優秀さを備えています。
一歩一歩、フェルミは議論を展開して
ノーベル賞を受け、その授賞式
の際にイタリアから
アメリカに亡命しました。


フェルミの時代にはナチスが猛威をふるっていて、
奥様がユダヤ人
だつた為もフェルミは迫害されていたのです。



フェルミとマンハッタン計画


アメリカ移住後にフェルミは有名なマンハッタン計画に参画し、
原子力発電所の創設に携わり社会を大きく変えていきます。


そもそも、計画への参加はオットー・ハーンがドイツで
核分裂実験に成功した事情が大きいです。


フェルミを初めとした物理学者達が時代に危惧感を抱いたのです。
アメリカを中心とする
資本主義圏が自由を謳歌した点で
フェルミの業績は
計り知れないです。


反面でスリーマイル島の事故や福島での原発事故を思い起こすと、
気楽に賞賛ばかりはしていられません。


このブログの中で私が何回か主張しているように
識者が知恵を集結して問いかけなければいけません。


かってのラッセルーアインシュタイン宣言を思い起こしたいです。
一方で我々、大衆も皆で分かる範囲の言葉を使い意見を交わさねばなりません


可能な範囲で意見を交わして民衆の英知を集結させるべきです。
個人個人が平和に対して
語る時に少しでもしっかりした
考えをもって
話さないといけないのです。


色々な人と語る時に話が繋がっていく様な議論の土壌を、
少しずつ育んでいかないといけないです。その為には
会話をする個人それぞれが、より平和と現実に対して
しっかりした考えを持ってほしいです。そんな人が話しやすい雰囲気を
出していけるような人になって下さい。自分が話を広げるだけではなくて、
相手の意見や気分を理解する力も大きいです。

考えを作るうえで政治家には頼れない昨今です。
各人、しっかりした考えを育んで下さい。



 フェルミトとスピン


さてフェルミに話を戻します。フェルミは純理論の中で
スピン角運動量に関して議論を進めました。


別のご紹介でボゾン・アインシュタインの系を紹介しましたが、
フェルミとディラックは別の粒子群に着目します。


後世の理解ではスピン角運動量が半整数(1/2とか3/2とかいった数)
の粒子はフェルミ粒子(フェルミオン)と呼ばれボゾンとは
別の振る舞いを示します。
具体的なフェルミオンとしてはクォークや電子、
ミュー粒子、
ニュートリノ、陽子、中性子もフェルミ粒子の仲間です。
こうした概念は電気伝導率の物性を議論するときには欠かせません。


フェルミの排他律に従う電子の集団を統計的に扱い、
フェルミ統計を確立したのです。
例えばこの理論で金属他の熱伝導が非常によく説明されます。


こうして沢山の業績を世に残し、フェルミは天に召されました。


彼は病床で点滴が落ちるのを眺めて、


その流速を出していたと言われています。


フェルミこそ、生粋の物理学者でした。


謹んでご冥福をお祈り致します。




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Italian-born Fermi


Fermi was born in Rome, Italy and died in the United States. In the United States, there is still a research institute named after Fermi at the University of Chicago, where discussions are held. While some of its achievements have a large social aspect, there are also principles and concepts used by many posterity physicists who have pursued pure theory. He is the driving force behind the paradigm shift. He opened up the micro world.


In the first place, Fermi has outstanding excellence since his school days. Step by step, Fermi developed his discussions, received the Nobel Prize, and went into exile from Italy to the United States at the award ceremony. At his time, his wife was persecuted because he was Jewish.



Fermi and Manhattan Project


After moving to the United States, Fermi participated in the famous Manhattan Project and was involved in the creation of a nuclear power plant, which would significantly change society. In the first place, participation in the project is largely due to Otto Hahn's successful nuclear fission experiment in Germany. Fermi and other physicists were worried about the times. Fermi's achievements are immeasurable in that the capitalist sphere centered on the United States enjoyed freedom. On the other hand, when he recalls the Three Mile Island accident and the nuclear accident at Fukushima, he cannot easily praise him. As I have argued several times in this blog, wisdom must be gathered and questioned. I want to recall the old Russell-Einstein Declaration. On the other hand, we, the general public, must exchange opinions using words that everyone can understand.


We should exchange opinions to the extent possible and bring together the wisdom of the people. When an individual talks about peace, he or she must have a firm idea. We have to gradually nurture the ground for discussions that will connect the conversations when talking to various people. I want each individual who has a conversation to have a firmer idea of ​​peace and reality. Please become a person who can create an atmosphere that makes it easy for such people to talk. Not only do I spread the story, but I also have a great ability to understand the opinions and moods of the other person. Nowadays, we cannot rely on politicians to make ideas. Please nurture a solid idea for each person.



Fermit and spin


Now let's get back to Fermi. Fermi proceeded with the discussion on spin angular momentum in pure theory. He introduced the Boson Einstein system in another introduction, but Fermi and Dirac focus on different particle swarms. In later understanding, particles with a half-integer spin angle momentum (numbers such as 1/2 and 3/2) are called fermions and behave differently from bosons. As specific fermions, quarks, electrons, muons, neutrinos, protons, and neutrons are also fermions. These concepts are indispensable when discussing the physical characteristics of electrical conductivity.


He established the Fermi statistics by statistically treating the group of electrons that obey the Fermi exclusion principle. For example, this theory explains the heat conduction of metals and others very well. .. In this way, Fermi was called to heaven, leaving many achievements in the world.


Fermi is said to have watched the drip drop on the bed and set the flow velocity. Fermi was a true physicist. He humbly prays for his soul.



 

2023年01月31日

E・O・ローレンス
【サイクロトロンを発明し人工放射性元素を実現】

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【1901年8月8日~1958年8月27日】

 優れた実験家ローレンス

その名はErnest Orlando Lawrence。

ローレンスは優れた実験家で今でも頻繁に

応用されているサイクロトロンを発明した事

で広く知られています。




米サウスダコタでノルウェー系の両親に生まれ少年時代は
Merle Tuveと共に簡易無線装置を作成したりしていました。

その後、サウスダコタ大学時代は医学を志望してましたが、
化学の学士号、物理学の修士号を習得します。

Tuveと共にスワン先生の下で学びますローレンスがイェール大学で
博士号をとった時には光電効果に関する研究をしていたようです。

その後、恩師だったスワン先生がイェール大学を去るタイミングで
カリフォルニア大に移ります。ローレンスは実験家として大変、
有望視されていました。

ローレンスの業績 

サイクロトロンを使った実験で、ローレンスがその装置を
活用した応用例が人工放射性元素でした。

ローレンスと彼の率いるバークレー国立研究所は自然界に
存在する元素だけでなく、不安定な元素を作り出したのです。

強い磁場を使い帯電しているイオンをビーム状に出す事が出来るので
ローレンスの作ったサイクロトロンはイオンが反応する状態を作れるのです。

日本、イギリスが同様な措置を計画していきます。
サイクロトロンを使えば特定金属にイオンビームを
当て続ける事が出来たりする訳です。

こうした装置の開発を通じてローレンスは
人類に新しい知見をもたらしたのです。



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2020/10/31_初回原稿
2023/01/31_改定投稿

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(2021年10月時点での対応英訳)

Excellent experimenter Lawrence

Its name is Ernest Orlando Lawrence. Lawrence is a well-known experimenter and widely known for inventing the cyclotron, which is still frequently applied.

Born to Norwegian parents, he worked with Merle Tuve as a boy to create simple radios.

Later, Lawrence aspired to medicine when he was at the University of South Dakota, but he earned a bachelor's degree in chemistry and a master's degree in physics. He studies with Tuve under Dr. Swan. When Lawrence got his PhD at Yale University, he seems to have been studying the photoelectric effect.

After that, his teacher, Swan, will move to the University of California when he leaves Yale University. Lawrence was very promising as an experimenter.

Lawrence's achievements

In his cyclotron experiments, Lawrence's application of using the device was an artificial radioactive element. Lawrence and his Berkeley National Laboratory created unstable elements as well as those that exist in nature.

Since it is possible to emit charged ions in the form of a beam using a strong magnetic field, the cyclotron made by Lawrence can create a state in which the ions react. Japan and the United Kingdom will plan similar measures.

If you use a cyclotron, you can keep shining an ion beam on a specific metal.

Through the development of such equipment
Lawrence gives humanity new insights
he brought it.