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2024年03月07日

大貫 義郎_【群論で素粒子を整理】
3/7改訂【ご存命中なので研究内容のご紹介】

こんにちはコウジです!
「大貫 義郎」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
大貫 義郎が生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 – 1827年3月26日)


初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように再推敲します。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。


↑Credit:Wikipedia↑


【1928年生まれ ~ ご存命中】




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大貫義郎の人脈


大貫義郎は愛知県の名古屋大で坂田昌一に教えを受けました。
2024年の時点で96歳ほどになられているでしょうか。
未だ個人情報非公開です。


Wikipediaで調べてもほとんど更新がありません。
「1965年と1966年の二度、マレー・ゲルマンやユヴァル・ネーマンらとの連名で、
ノーベル物理学賞候補となっていたことが判明」の部分以外はほとんど私のブログ
と一緒の検索結果が出てきます。(記.2024/2/26)


群論を使った素粒子論の構築を行いました。
そもそも低温物理学
では名古屋で発展してきた部分
が大きいです。
本ブログの別項で中嶋貞雄バーディン
エピソードをご紹介しましたが、
後にノーベル賞を
受賞する二人、
益川敏英と小林誠は大貫義郎が育てました。


名古屋大学でのつながりが素粒子論で大きな
役割を果たしていたと言えるでしょう。



大貫義郎の研究業績


大貫義郎は素粒子を構成する素子の対象性に着目して、
数学的手法として
群論」を使って整理していきました。


群論の中では「要素と演算」を意識して考えていき、
それらを使って単位元や逆元を考えていくのです。


素粒子の反応過程で関わる現象は多岐にわたり、
個別の要素に拘っているだけでは話が進まないのです。
反応に関わるグループを詳細に分類して個別の反応要素を
考えるよりもまず、一団の性格を見極めたうえで、
グループの性質に応じた個別粒子の役割をしっかり
考えていく作業が群論を使ったアプローチで
可能になっていったのです。
そのアプローチが大貫義郎の業績です。

より詳細には、坂田モデルにおける基本粒子同士の
入れ替えに対して「
素粒子としての性質が変わらない」
いう考え方を足掛かりに群論を組み立てたのです。


そうした考え方を駆使して議論を組み立てて、
大貫義郎はクォークを明確に分類し、整理していったのです。


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〆さいごに〆


以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点には適時、
返信・改定をします。


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2020/12/21_初版投稿
2024/03/07_改定投稿


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(2021年11月時点での対応英訳)



Onuki Yoshiro's personal connections


Yoshiro Onuki was taught by Shoichi Sakata at Nagoya University and constructed the theory of elementary particles using group theory. In the first place, in cryogenic physics, there is a big part that has developed in Nagoya. I introduced the episodes of Sadao Nakajima and Bardeen in another section of this blog, but Yoshiro Onuki raised the two Nobel Prize winners, Toshihide Maskawa and Makoto Kobayashi. It can be said that the connection at Nagoya University played a major role in particle physics.



Yoshiro Onuki's research achievements


Yoshiro Onuki focused on the symmetry of the elements that make up elementary particles, and used "group theory" as a mathematical method to organize them.
There are a wide variety of phenomena involved in the reaction process of elementary particles, and it is not possible to proceed just by focusing on individual elements. Rather than classifying the groups involved in the reaction in detail and considering the individual reaction elements, group theory was used to first identify the character of the group and then firmly consider the role of the individual appearance according to the nature of the group. The approach made it possible. That approach is the achievement of Yoshiro Onuki.


More specifically, we constructed a group theory based on the idea that the properties of elementary particles do not change when the basic particles are replaced with each other in the Sakata model.


By making full use of such ideas, Yoshiro Onuki clearly classified and organized quarks.


2024年03月06日

広重 徹
3/6改訂【科学史の社会的側面を深掘りしていった先人|早い最期】

こんにちはコウジです!
「広重 徹」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
広重 徹が生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)


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思想史のなかの科学
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【1928年8月28日生まれ ~ 1975年1月7日没】



 広重徹の育った時代


広重博士は京都大学の理学部を卒業した後に
大学院をドロップアウトしてます。


戦争の時代に青春時代を過ごし、
占領下の日本で多感な時期を過ごし、
世相として色々あった時代に
研究者としてのスタートをしていたので
大変だったろうかと思います。


広重徹は初め素粒子論を専攻していたそうです。



 広重徹と科学史


広重徹は特に科学史の中で社会的側面に焦点をあてて
研究をしていました。村上陽一郎
本を書いたり
ランダウローレンツの業績を
翻訳して
日本に紹介していたりしました。


それだから文章を読んだ時に、きっと感じます。
広重徹の守っていた立場があるのです。


社会の中で科学史が意味を持ちます。
科学史の大きな役割を感じます。
社会から過度な期待がある半面で、
ある意味で無理解な評価があるのかな、
覚悟しながら冷静に話して一般の人々に
理解してもらう事が大事です。


科学は発展し続けているのでその意味合いを吟味する事が大事です。何よりも、その理解の中で文章を読んでいる人に整理した形でその時々の「全体像」を伝えて、当時の現象理解と問題点を出来るだけ考えられるように出来るようにします。そうすれば、歴史を語りながら、科学技術の発展に繋がっていくのです。


科学の理解には助けがあると非常に有益な場合があります。新しい知見を身に付けていく中で概念の形成過程を詳細に追いかける事で、より深く科学が理解できるのです。私も科学史の文章を作っている一人だと考えると、少し身の引き締まる思いがします。




[caption id="attachment_5003" align="aligncenter" width="300"]名大 名古屋大学[/caption]

話し戻って、広重徹は30代で博士課程を終えて(於、名古屋大学)、40代で早くして亡くなります。もう少し話しが聞きたかったなぁ、って感じですね。その後、斯様な議論はあまり無いかと思うのです。


また、広重徹の奥様が自分史を残していたのでリンクを残します。広重徹のお人柄が偲ばれると同時に終戦後の世相が感じられて興味深いかと思えます。リンクがある間に是非、ご覧下さい。


http://www.asahi-net.or.jp/~fv9h-ab/kamakura/DrMiki.html





以上、間違い・ご意見は
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最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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2020/10/10_初稿投稿
2024/02/25_改定投稿


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 (2021年11月時点での対応英訳)



The era when Tetsu Hiroshige grew up


Dr. Hiroshige dropped out of graduate school after graduating from the Faculty of Science at Kyoto University. .. .. I think it was difficult because he spent his youth in the era of war, spent a sensitive time under the occupation, and started as a researcher in various times as a social situation. It seems that Tetsu Hiroshige initially majored in particle physics.



Tetsu Hiroshige and the history of science


Tetsu Hiroshige's research focused on social aspects, especially in the history of science. He wrote books with Yoichiro Murakami and translated the achievements of Landau and Lorenz and introduced them to Japan.


So when he reads the text, he surely feels.


There is a position that Tetsu Hiroshige protected. He feels the great role of the history of science in society. While he has excessive expectations from society, it is important to talk calmly and get the general public to understand, while being prepared to have an incomprehensible evaluation in a sense. Above all, if it is possible to convey an organized "overall picture" to the person reading the text in that understanding so that they can understand the current phenomenon and think about problems as much as possible, while talking about history, It will lead to the development of science.


Considering that I am one of the authors of the history of science, I feel a little tight. Returning to the story, Tetsu Hiroshige finished his doctoral course in his thirties (at Nagoya University) and died early in his forties.


I feel like I wanted to hear a little more. After that, I don't think there are many such discussions. Also, since Tetsu Hiroshige's wife left her own history, I will leave a link. At the same time as the personality of Tetsu Hiroshige is remembered, it seems interesting to feel the social situation after the end of the war. take a look.


http://www.asahi-net.or.jp/~fv9h-ab/kamakura/DrMiki.html

2024年03月05日

小出昭一郎
3/5改定【分かり易い教科書|金属錯塩の光スペクトルを研究】

こんにちはコウジです!
「小出昭一郎」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
小出昭一郎が生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)


初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように再推敲します。


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分光器
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【1927年3月25日生まれ ~ 2008年8月30日没】


小出昭一郎は多くの専門書を残した事
で知られています。東京に生まれ
東京帝大で学びました。第5回
ソルベー会議が開かれた年に生まれています。


教育に時間を捧げた人生だったのでしょうか。研究成果としては余り伝わっていません。ただ、金属錯塩の光スペクトルを研究していたようです。そこで手掛かりとして錯体について調べを進めてみます。錯体とは広義には、「配位結合や水素結合によって形成された分子の総称」(Wikipedia)狭義には、「金属と非金属の原子が結合した構造を持つ化合物」です。(Wikipedia)


何だか亀の甲羅みたいな記号が沢山出てきます。
そこからもう少し考えてみると、
光の吸光や発光に伴い対象物資内の
「状態遷移に関する情報」が得られるのです。
そしてそこから、電磁気特性や、
触媒の効果が理解出来るかと。


具体的に主な錯体としては
アンミン錯体_テトラアンミン銅錯体_[Cu(NH3)4]^2+
シアノ錯体_ヘキサシアニド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[Fe(CN)6]^3+
ハロゲノ錯体-テトラクロリド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[FeCl4]-
ヒドロキシ錯体 - アルミン酸_[Al(OH)4]-(または_[Al(OH)4(H2O)2]-
などがあるようです。


ただ、当時の日本物理学は
本丸を攻めきれてはいなかったのですね。
そう感じるのは現象整理に終始した研究内容
であると思えるからです。しかし、しかし、
私はその関心の中に大事なものを感じます。
たとえば対称性を考える時にこうした研究が
大いに有益だかと思えるからです。


プランクの黒体輻射理論発表から数十年がたち、
欧州ではハイゼンベルグが1925年に書いた論文を皮切りに
急速に各国
で議論が拡大されていた時代です。


小出昭一郎の暮らした敗戦国日本は
戦前・戦後の混乱の中で情報がどこまで
取れていたのでしょうか。


リアルタイムで議論が進まない環境で、
ソルベー会議の成果をタイムラグのある中で
把握しています。学会誌を見る度に興奮した筈です。


小出昭一郎はそんな中でも量子力学の
理解を進め国内に広めていたのです。
そして、何より後進を育てていたのです。
小出昭一郎は多くの教科書で
物理の世界を紹介していました。
イメージを作ってくださいました。



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2020/11/20_初回投稿
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Shoichiro Koide left behind many specialized books
Is known for. He was born in Tokyo and studied at Tokyo Imperial University. He was born in the year the 5th Solvay Conference was held.


Was he a life devoted to education? The results of his research have not been well communicated. However, he seems to have been studying the optical spectrum of metal complex salts. So he goes on to investigate the complex as a clue. In a broad sense, a complex is a "generic term for molecules formed by coordination bonds or hydrogen bonds" (Wikipedia). In a narrow sense, it is a "compound having a structure in which metal and non-metal atoms are bonded" (Wikipedia).


There are many symbols like the shell of a turtle. If you think about it a little more, you can get information about the state transition in the object as the light absorbs and emits light. And from there, can we understand the electromagnetic characteristics and the effect of the catalyst?


Specifically, the main complex
Ammine complex_Tetraamminecopper complex_ [Cu (NH3) 4] ^ 2 +
Cyanide complex_Hexacyanide iron complex_ [Fe (CN) 6] ^ 4- [Fe (CN) 6] ^ 3 +
Halogeno Complex-Tetrachloroauric Acid Complex _ [Fe (CN) 6] ^ 4- [FeCl4]-
It seems that there are hydroxy complexes – aluminate _ [Al (OH) 4]-(or _ [Al (OH) 4 (H2O) 2]-, etc. However, Japanese physics at that time was not able to attack Honmaru. It was.


Decades have passed since the announcement of Planck's theory of blackbody radiation, and in contrast to the times when discussions were taking place in other countries, Japan, the defeated country where Shoichiro Koide lived, was able to obtain information in the prewar and postwar turmoil. Was it?
In an environment where discussions do not proceed in real time, we grasp the results of the Solvay Conference with a time lag. Every time I read an academic journal, I should be excited.


Even so, Shoichiro Koide promoted his understanding of quantum mechanics and spread it throughout the country.
And, above all, he was raising the younger generation.
Shoichiro Koide introduced the world of physics in many textbooks.



2024年03月04日

西島 和彦
3/4改訂【素粒子のパラメターであるストレンジネスを提唱】

こんにちはコウジです!
「西島 和彦」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
西島 和彦が生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)


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物質の究極像
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【1926年10月4日生まれ ~ 2009年2月15日没】



 西島和彦の生い立ち


西島和彦は茨城県に生まれました。
東大を卒業後に大阪市立大学で教鞭
をとります。その後、イリノイ大学の後に
東京大学、京都大学で教鞭をとります。


そんな経歴の中において、西島和彦の業績として特筆すべきは
ストレンジネスの提唱でしょう。ストレンジネスは
素粒子の性質を吟味していく中で有用な概念です。


西島和彦が活躍した当時は電荷量バリオンといった
値が知られていたようですが、それに加えてストレンジネスといった
パラメターを西島和彦は導入して、素粒子の性質を語る
礎を固めていったのです。



  素粒子と西島和彦


西島和彦が素粒子を考えていく中で、特定の粒子と反粒子が
対になって生成される場合が多く見受けられたりしましたが、
そのメカニズムは説明されていませんでした。


生成にかかる時間を考察して、
反応の中間に存在するであろう中間子を考察
していったのです。保存される量として質量の他に別の量を
考えていき、散乱断面積の計算を追従し辻褄(つじつま)
の合う理論を構築します。果てしない思考の作業です。


西島和彦は学生時代に中野董夫、
マレー・ゲルマンとストレンジネスを法則化
しました。強い相互作用や電磁相互作用
において反応の前後でストレンジネスが
保存されるのです。そうした物理量を一つ一つ
生み出していく事がとても大事です。



 西島和彦とストレンジネス


西島和彦らが考え出したストレンジネスは直接観測にかかる
ものでは無く、反応の前後で、ストレンジクォークと
反ストレンジクォークの数を使って定義されます。


そして、ストレンジネスを使った中野西島ゲルマン・モデルは
坂田模型やSU3と呼ばれるモデルへ、クォークモデルと繋がり
素粒子の振る舞いを明らかにしていくのです。


そして、統一的な現象理解へと繋がるのです。




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この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
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2020/11/12_初稿投稿
2024/03/04_改定投稿


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History of Kazuhiko Nishijima


Kazuhiko Nishijima was born in Ibaraki prefecture.
He teaches at Osaka City University after graduating from the University of Tokyo
Take. Then he came after the University of Illinois
He teaches at the University of Tokyo and Kyoto University.


In such a career, the most notable achievement of Kazuhiko Nishijima is the advocacy of strangeness. It seems that values ​​such as charge amount and baryon were known at that time


while examining the properties of elementary particles, but in addition to that, Kazuhiko Nishijima introduced parameters such as strangeness and the foundation for talking about the properties of elementary particles. Was solidified.



Elementary particles and Kazuhiko Nishijima


While Kazuhiko Nishijima was thinking about elementary particles, it was often seen that specific particles and antiparticles were formed in pairs, but the mechanism was not explained. He considered the time it took to generate and the mesons that would be in the middle of the reaction. He considers other quantities in addition to mass as the quantity to be conserved, and follows the calculation of the scattering cross section to construct a theory that fits the bill. He is an endless task of thinking.


Kazuhiko Nishijima made strangeness a law with Tadao Nakano and Murray Gell-Man when he was a student. Strangeness is preserved before and after the reaction in strong and electromagnetic interactions. It is very important to create such physical quantities one by one.



Kazuhiko Nishijima and Strangeness


The strangeness devised by Kazuhiko Nishijima et al. Is not directly related to observation, but is defined using the number of strange quarks and anti-strange quarks before and after the reaction.


Then, the Nakano Nishijima German model using strangeness connects with the quark model to the Sakata model and the model called SU3, and clarifies the behavior of elementary particles.


And it leads to a unified understanding of the phenomenon.



2024年03月03日

小柴昌俊
3/3改訂【やればできる|素粒子の一つであるニュートリーを観測】

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ニュートリーノで探る
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【1926年9月19日生まれ ~ 2020年11月12日没】



小柴昌俊と新しい分野


小柴昌俊は物理学の新しい分野を切り開いた先人でした。


2020/11/12の夜に老衰の為、東京都内の病院で


お亡くなりになりました。大きな仕事を


成し遂げた後での享年94歳の大往生です。


小柴昌俊は物質の基本元素を構成する素粒子の1つである
ニュートリノを観測にかける事に成功しました。
その結果をもとに今ではニュートリノ天文学
という新しい分野を確立しています。



基本粒子ニュートリーノ 


ニュートリーノは星の進化過程で発生する基本粒子です。


驚いたことに、ニュートリーノを観測にかけたのは、
小柴昌俊が東京大学を定年退官する一月前の観測でした。


強運を指摘された小柴氏は
「運はだれにでも等しく降り注ぐが、捕まえる準備を
しているのか、していないのかで差がつく」(のですよ)、
と反論しました。強運の一言で片づけられないほど
沢山の実験をして、議論をして、下準備をしてきたから、
このように語れたのでしょう。
その前に沢山の知恵を巡らしてみたのでしょう。


東京大学宇宙線研究所に所属している梶田隆章は
小柴昌俊の弟子にあたりますが、ニュートリーノに
質量がある事を示しノーベル賞を受けています。


また、戸塚洋二も小柴昌俊の弟子にあたります。
小柴昌俊は朝永振一郎から可愛がられた若かりし時代を経て
梶田隆章教授、戸塚洋二教授を育てたのです。



小柴昌俊のカミオカンデ


晩年の小柴昌俊は岐阜県飛驒市にある鉱山地下、1000メートルに
3000トンの水を使った、巨大装置である通称「カミオカンデ」
を建設し、天体からのニュートリノを観測することに世界で初めて
成功しました。その装置ではニュートリーノが飛来する方向、
観測した時刻、エネルギー分布を明確に検出します。


その装置を使い小柴昌俊は実際に観測をしました。
カミオカンデの主目的はニュートリーノではありません
でしたが、ニュートリーノも観測したい、
という2段作戦で成功を得たのです。


執念の男・小柴昌俊はそうした結果を使い
ニュートリーノ物理学を進めたのです。
何より彼は大変な努力家でした。
そして温かい人柄で他人に接し、テレビでの
言動を覚えている人は多いのではないでしょうか。 


そして情熱家でした。科学に対する限りない愛を感じます。
そんな男が大きな仕事を成し遂げた後、
静かな眠りに落ちたのですね。


大きなお悔やみを申し上げます。合掌。




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2020/11/12_初稿投稿
2024/03/03_改定投稿


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Masatoshi Koshiba and new fields


Masatoshi Koshiba was a pioneer who pioneered a new field in physics. He died at a hospital in Tokyo on the night of November 12, 2020 due to senility. He is 94 years old after completing a big job.


Masatoshi Koshiba succeeded in observing neutrinos, which are one of the elementary particles that make up the basic elements of matter. Based on the results, we are now establishing a new field called neutrino astronomy.



Elementary particles Nutrino


Nutrino is an elementary particle generated during the evolution of stars.


Surprisingly, it was one month before Masatoshi Koshiba retired from the University of Tokyo that he went to observe Nutrino. Mr. Koshiba, who was pointed out for good luck, argued, "Luck falls equally on everyone, but it makes a difference whether you are preparing to catch it or not." I've done so many experiments, discussions, and preparations that I can't put away with just one word of luck.
I think he said this.
Before that, I think I tried a lot of wisdom.


Takaaki Kajita, who belongs to the Institute for Cosmic Ray Research, the University of Tokyo, is a disciple of Masatoshi Koshiba, but has received the Nobel Prize for showing that Nutrino has mass. Yoji Totsuka is also a disciple of Masatoshi Koshiba. Masatoshi Koshiba raised Professor Takaaki Kajita and Professor Yoji Totsuka after a young age loved by Shinichiro Tomonaga.



Masatoshi Koshiba's Kamiokande


Masatoshi Koshiba was the first in the world to succeed in observing neutrinos from celestial bodies by constructing a huge device known as "Kamiokande", which uses 3000 tons of water at 1000 meters underground in a mine in Hida City, Gifu Prefecture. bottom. The device clearly detects the direction in which the nutrino arrives, the time of observation, and the energy distribution.


Masatoshi Koshiba actually made observations using the device. Kamiokande's main purpose was not Nutrino, but he succeeded in a two-stage operation in which he wanted to observe Nutrino as well. Masatoshi Koshiba used these results to advance Nutrino physics. Above all, he was a hard worker. And he was a passionate person. He feels an endless love for science. After such a man did a big job, he fell asleep quietly, didn't he? He has great condolences. Gassho.



2024年03月02日

江崎玲於奈
3/2改訂【トンネル効果を応用してポテンシャル障壁を突破】

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「江崎玲於奈」の原稿を改定します。
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トンネル効果
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概説


江崎玲於奈は先の世界大戦時代の物理学者です。
2024年の3月に99歳になられるはずです。
電子デバイスを発明してスゥエーデンのグスタフ国王から
ノーベル賞を受けています。


量子力学を深く理解して、その原理を応用した
トンネル効果を応用したデバイスを作り出しています


因みに、このグスタフ国王って面白い人で、
結婚式の披露宴にABBAを呼んだら新曲の
ダンシング・クィーンを披露してくれて、
それが世界的な大ヒットになったという逸話なんかがあります。


その国王が26歳で初めてノーベル賞を手渡した一人が
江崎玲於奈だったのです。別の一人はブライアン・ジョゼフソン
でした。1973年、江崎玲於奈48歳の時でした。


そこで彼は国王に『自然科学の成果を称える式典では
「人種や差別無く」違った国から人々が集まってくるのだ』
、と喜びを伝えました。



江崎玲於奈の業績


デバイス工学においてミクロの性格を応用することは
とても重要です。対象としているデバイスの中で量子的な
性格が顕著に表れる部分を応用すると従来の考えでは
予測できなかったような機能が使えるようになったのです。


具体的にはゲルマニウムを対象として考えた時に、
そのPN接合幅に注目します。


そこにおける伝導電子の波動的側面が伝導率に関わり、
接合幅を薄くしていった時に量子効果が表れたのです。
ポテンシャルを考えた時に通過できない筈の場所を電子が
通過するイメージです。


実空間で想像して、「ポテンシャルの壁」を何故か
通過してしまう実験系を考えてみて下さい。
まさに量子的な効果なのです。



晩年の江崎玲於奈


江崎玲於奈は学者という立場で活躍した後、
筑波大学等で教育者として活躍しています。


第2の人生をしっかり歩んでいて、
とても尊敬出来ます。


更に語りたい部分はありますが、江崎玲於奈氏はご存命中なのでここまでと致します。更新のたびに幾つかのサイトでご存命であると確認していますが、少しでも長生きして頂きたいです。書き足したい気持ちはありますが、半面で今は少しでも静かに長生きして頂きたいと思っています。


2024年2月時点で98歳。
最高齡の日本人ノーベル賞受賞者
としてご存命中です!!



〆最後に〆


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2024/03/02_改定投稿


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(2021年11月時点での対応英訳)



Overview


Leo Esaki was a physicist from the previous World War era. She invented the electronic device and received the Nobel Prize from King Gustav of Sweden. She has a deep understanding of quantum mechanics and is creating devices that apply the tunnel effect that applies that principle. By the way, there is an anecdote that King Gustav was an interesting person, and when he invited ABBA to a wedding reception, he performed a new song, Dancing Queen, which became a big hit worldwide. Leo Esaki was the first person to hand over the Nobel Prize at the age of 26. Another was Brian Josephson. In 1973, Leo Esaki was 48 years old. So he rejoiced to the King, "At ceremonies celebrating the achievements of the natural sciences, people come from different countries" without race or discrimination. "



Achievements of Leo Esaki


It is very important to apply the micro character in device engineering. By applying the part of the target device where the quantum character appears prominently, it became possible to use functions that could not be predicted by conventional thinking. Specifically, when considering germanium, pay attention to its PN junction width. The wave-like aspect of the conduction electron there is related to the conductivity, and the quantum effect appears when the junction width is narrowed. It is an image of electrons passing through places that should not be able to pass when considering the potential. Imagine in real space and think of a system that somehow passes through the "potential wall". It's just a quantum effect.



Leo Esaki in her later years


After Leo Esaki was active as a scholar, she is active as an educator at the University of Tsukuba. She has a solid second life and she is very respectable. There is something I would like to talk about, but since Leo Esaki is still alive, I will end here. She wants to add more, but on the other hand she wants her to live a little quieter and longer.




2024年03月01日

物質同士が真空で引き合う?!3/1改訂【狭い空間でのカシミール効果とその検証】

こんにちはコウジです!
「カシミール効果」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、


初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように再推敲します。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。



カシミール効果の検証


先ず本稿は2024年1月7日の記事からの情報で起草しています。近接した2つの物体が量子力学的な効果で引き合うという現象です。


電磁力でもなく万有引力でもない力でマクロなスケールの物体が引かれ合う現象は不可思議だと言えますが、正に量子的な効果だと言えます。



蘭ヘンドリク・カシミール


そもそも、こうした現象は理論的に予言されていました!!オランダのヘンドリックカシミールが真空中で生じると1948年に予想していたのです。


量子力学的に考えて、板の内側の狭い空間(数十nm)での真空状態を考えた時に板の内側での波動関数が外側と異なる筈なのです。結果として板同士が引き合う力が生じます。板の内側の波動関数の方が外側よりも秩序を持っているからだとも言えますね。エネルギーに相当する振動(波)を観測する作業となります。



ゆらぎの効果と制御


カシミール効果の検証は困難でしたが技術の進展に伴い、最近観測されるようになりました。1997年に実験で確かめられています。(参考:京都大学での測定


産業ではトヨタ中研でロードベアリングでの応用を考えているそうです。またMEMS(超微小電気機械システム)への応用が検討されています。江崎ダイオードを実用化したように独自の技術が期待できますね。



名大での2012年の実験


そもそも「ゆらぎの」現象が顕著となる設定は不確定性原理を十分に考察する必要があります。


その不確定性原理を覆す観測が2012年に名古屋大学で報告されています。



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2024/02/18_ 初稿投稿
2024/03/01_改訂投稿


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2024年02月29日

中嶋 貞雄
2/29改訂【日本で超電導現象の土台を作っていた人|低温電子物性】

こんにちはコウジです!
「中嶋 貞雄」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
中嶋 貞雄が生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)


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超伝導
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【1923年6月4日生まれ ~ 2008年12月14日没】



 物理学者の中嶋貞雄


映画監督で似た名前の方が居ますが
映画監督の方は貞夫と書きます。
物理学者の中嶋さんは貞雄と書きます。
中嶋貞雄は私が昔使っていた量子力学での
教科書の著者でした。(発行元は岩波書店)


東京大学を卒業後に名古屋大で教授を務め、
東大物性研の所長を務めています。
超伝導現象の理論化に先鞭をつけた方です。


超電導の議論史の中で有名な
エピソードがありますのでご紹介します。



 バーディンと中嶋貞夫


中嶋貞雄は低温物理の物性に関わる研究をしていきました。
そんな中で
名古屋で会議が開かれ、くりこみ理論を応用した
低温電子物性の議論をします。
その話にアメリカのバーディーン
が着目し、
講演内容のコピーを中嶋に求めました。


その時点ではカメリー・オネスの発見した超伝導現象は
実験的に示されていま
したが理論的な説明はなされてません。
バーディーンはそれを作ろうとしていたのです。


個別電子のモデルはありましたがその電子が
集団励起していく姿は誰も想像していませんでした。


中嶋はきっと研究の方向性に自信を持った事でしょう。
半導体の大家と一緒に現象を追求したのです。
後に名古屋駅で
バーディンにコピーを渡します。


バーディンは帰国後に英訳し、共同研究者であるクーパー・
シュリーファーと共に
考察を進め、クーパー対のアイディア
を盛り込み、
BCS理論を完成させます。日本で無くアメリカ
で生まれた事が残念ですが、
そうした議論の端緒は
日本でも芽生えて
いたのです。



 科学技術と我々


私は科学技術は人類が共有する財産だと思っています。
それだから、
コピーを届けた中嶋貞雄の行為は正しかった
と感じています。これからの若い研究者達も知を共有して
育んで欲しいと思います。
そうした行為が、
ひいては日本の発展に
繋がっていくと信じています。
そして、世界人類の発展に繋がっていくと信じています。


最後は信念とか、
宗教っぽい話になりましたが
感動・情熱から繋がる話
ではないでしょうか。




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2020/12/19_初版投稿
2024/02/29_改定投稿


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Physicist Sadao Nakajima


There is a movie director with a similar name, but I write that as Sadao. This is written as Sadao. Sadao Nakajima was the author of a textbook on quantum mechanics that I used to use. (Published by Iwanami Shoten) He is a professor at Nagoya University after graduating from the University of Tokyo, and is the director of the Institute for Solid State Physics of the University of Tokyo. He was a pioneer in theorizing superconducting phenomena. I would like to introduce a famous episode in the history of superconductivity discussions.



Birdin and Sadao Nakajima


Sadao Nakajima has been conducting research related to the physical properties of low temperature physics. Under such circumstances, a conference will be held in Nagoya to discuss low-temperature electronic properties applying the renormalization theory. Bardeen of the United States paid attention to the story and asked Nakajima for a copy of the lecture. At that time, the superconducting phenomenon discovered by Kamerlingh Ones was experimentally shown, but no theoretical explanation was given. Bardeen was trying to make it.


Nakajima must have been convinced of the direction of his research. He later gives a copy to Birdin at Nagoya Station. After returning to Japan, Bardeen will translate it into English, discuss it with his collaborator Cooper Schriefer, incorporate ideas for Cooper vs., and complete the BCS theory. It's a pity that I was born in the United States instead of Japan, but the beginning of such discussions was also budding in Japan.



Science and technology and us


I think science and technology are a property shared by humankind. Therefore, I feel that Sadao Nakajima's act of delivering the copy was correct. I hope that young researchers in the future will share their knowledge and nurture them. I believe that such actions will eventually lead to the development of Japan. And I believe that it will lead to the development of humankind in the world.


At the end, it was a belief or a religion-like story, but I think it is a story that connects with emotion and passion.


2024年02月28日

P・アンダーソン
2/28改訂【”More is different”と語った物性論の大家】

こんにちはコウジです!
「アンダーソン」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
アンダーソンが生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)


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メゾスコピック系
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1923年12月13日生まれ ~ 2020年3月29日没



 物性論の大物、アンダーソン博士


その名の綴りは”Philip Warren Anderson”。


物性研究で有名なアンダーソン博士をご紹介します。


所属研究機関としてはハーバード大で学びベル研・ケンブリッジ大・
プリンストン大学
で勤務しました。米国や英国の綺羅星が並んでます。
素晴らしい研究人生です。


アンダーソンの研究で先ず思いつくものは
アンダーソン局在です。


無秩序系における電子の基本的な性格で、物性論の一つの基礎原理
になっています。
その理論では電子が実空間上で局在した状態は
非局在の状態と明らかに異なりエネルギー的に区別されます。



 アンダーソンと磁性


当たり前ですが、超電導の話で出てくる位相空間での局在と
明確に区別する必要があります。アンダーソン局在では電子が
空間的に局在するので、電気伝導について考えた時に
「固体中の電子が電導に寄与しなくなる」という事実が大事です。
導体が不導体に近いづいていくのです。


更にアンダーソンは、長さ・時間のスケールを変換する理論を
スケーリング理論として展開して
理論を発展させたのです。


また、磁性を紐解く解釈も行っています。こういった業績を評価され、
アンダーソンは
ノーベル物理学賞を受賞しています。
とある研究によると、論文引用の頻度から評価してアンダーソンは世界で
「最も創造的な物理学者」だという位置づけを得ています。


そしてアンダーソンは 東京大学から名誉博士号を贈られています。
その記念として
物性研で記念植樹されていたようですが、
赤坂・防衛省の近くでしょうか。柏でしょうか。
何時か見に行きたいと思います。


最後に、アンダーソンの
残した言葉を一つご紹介します。


”More is different”


アンダーソンは多様性の中から秩序を拾い出していました。皆さんも多様性に怯まないで下さい。寧ろ、多様性の中で
逍遥する心持で複雑怪奇の中で物事の本質を探って下さい。


数学的な手法に拘って、何度も検算を繰り返してみても良い
と思えます。数学はあくまで現実のモデル化なのですが、
本質に近いことが多いです。また、
別解を探してみると面白いかもしれません。

少しでも多くの手法で考え続けて下さい。私も励みます。



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2020/11/03_初稿投稿
2024/02/28_改定投稿


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Dr. Anderson, a big figure in condensed matter theory


The spelling of the name is "Philip Warren Anderson". Introducing Dr. Anderson, who is famous for his research on physical properties. As his research institute, he studied at Harvard University and worked at Bell Labs, Cambridge University, and Princeton University. He is lined with Great Britain in the United States and Britain. He has a wonderful research life.


The first thing that comes to mind in Anderson's research is Anderson localization. It is the basic character of electrons in a chaotic system, and is one of the basic principles of condensed matter physics. According to the theory, the state in which electrons are localized in real space is clearly different from the delocalized state and is energetically distinguished.



Anderson and magnetism


Obviously, it must be clearly distinguished from the localization in topological space mentioned in the story of superconductivity. In Anderson localization, electrons are spatially localized, so the fact that "electrons in a solid no longer contribute to the Hall of Fame" is important when considering electrical conduction. The conductor is getting closer to the non-conductor.


In addition, Anderson developed his theory by developing the theory of transforming the scale of length and time as a scaling theory.


He also interprets magnetism. In recognition of his achievements, Anderson has won the Nobel Prize in Physics.


According to one study, Anderson is positioned as the "most creative physicist" in the world, judging by the frequency of his dissertation citations.


Anderson has received an honorary doctorate from the University of Tokyo. It seems that a commemorative tree was planted at the Institute for Solid State Physics as a memorial, but is it near the Akasaka Ministry of Defense? Is it Kashiwa? I would like to go see it someday.


Finally, Anderson's
I would like to introduce one word he left behind.


“More is different”


Anderson was picking order out of diversity. Don't be scared of diversity. Rather, explore the essence of things in a complex mystery with a feeling of wandering in diversity. I think it's okay to repeat the checkup many times, regardless of the mathematical method. Mathematics is just a modeling of reality, but it is often close to the essence. Also, it may be interesting to look for another solution. Keep thinking in as many ways as you can. I also encourage you.


2024年02月27日

南部 陽一郎
2/27改訂【自発的対称性の破れを使って素粒子を研究|大戦時はレーダー研所属】

こんにちはコウジです!
「南部 陽一郎」の原稿を改定します。
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南部 陽一郎が生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
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対称性の破れ
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【1921年1月18日生まれ ~ 2015年7月5日没】

 戦時下の南部陽一郎


南部 陽一郎は第二次世界戦時に研究を志しました。
まさに時は戦時中。彼の頭脳は武器製造に貢献できる
と判断されて陸軍のレーダー研に配属されました。


戦時下ではどんな研究をしていたんでしょうね。
そして、どんな気持ちだったのでしょうね。


戦争の前後で東京帝国大学で研究を進めます。
戦後、南部 陽一郎は朝永 振一郎のグループで研究を続けます。
そして物質を構成する原子を考えていき、
今に続く素粒子論を完成させていきます。



南部陽一郎と自発的対称性


 南部陽一郎の新規性は真空概念の考え直しでしょう。


「特定の対称性をもった物理系がエネルギー


で色々な状態を考えた時に的に、より


安定な真空状態に自発的に落ち着く」のです。


BCS理論でのクーパ対生成はこの考え方


に従っています。電子対生成が安定なのです。


中間子をひもとき、素粒子間の総合作用を考え
、その形成に関して実験事実と、つじつまの合う
理論を展開していきます。


そうした研究を重ね南部陽一郎は「自発的対称性の破れ」で
ノーベル賞を受賞しています。


南部陽一郎の話の組み立てとしては、
強磁性体の自発磁化状態(外部からの磁場無しで
内部磁気モーメントを揃えている状態)が温度上昇に伴い
磁化を失う状態を考え、ラグラジアンを巧みに使い
素粒子に適用しているのです。


また彼は量子色力学や紐理論でも成果を上げています。



そういえば、


南部洋一郎は私が学生時代に使っていた教科書の著者でした。
その時点で米国の国籍を得ていた記憶
があり、
研究者に対しての日本での待遇に疑問を抱いたものです。


私は理論物理学の研究室に所属して居ましたが、
卒業後も研究を続けて研究者として身を立てている仲間は
今では数えるほどしかいません。多くは私のように、
民間の会社に所属して物理学とは全く関係のない業務に従事しています。


少子化という流れもありますが名誉職としての教授に対して
日本社会の扱いは低いとも感じていました。
狭き門である事に加えて扱いが低いのです。
そして、南部陽一郎のような優秀な頭脳は
どんどん海外に流出していきます。 


それだから


南部 陽一郎がアメリカに帰化した気持ちは


少しは理解出来る気がするのです。




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2020/09/10_初版投稿
2024/02/27_改定投稿


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Yoichiro Nambu during the war


Yoichiro Nambu aspired to his research during World War II. However, the time is during the war. Judging that his brain could contribute to the manufacture of weapons, he was assigned to the Army's Radar Lab. What kind of research did he do during the war? And what was your feeling? Before and after the war, he pursued research at the University of Tokyo. After the war, Yoichiro Nambu continued his research with Shinichiro Tomonaga's group. And he thinks about the atoms that make up matter, and completes the theory of elementary particles that continues to this day.



Spontaneous symmetry with Yoichiro Nambu


Yoichiro Nambu's novelty would be a rethinking of the vacuum concept. ・ "When a physical system with a specific symmetry considers various states with energy, it spontaneously settles into a more stable vacuum state." Cooper pair production in BCS theory follows this idea. The electron pair generation is stable.


We will consider the overall action between elementary particles when using mesons, and develop a theory that is consistent with experimental facts regarding the formation of mesons. After repeating such research, Yoichiro Nambu won the Nobel Prize for "spontaneous symmetry breaking". As for the construction of Yoichiro Nanbu's story, considering the state in which the spontaneous magnetization state of the ferromagnet (the state in which the internal magnetic moments are aligned without an external magnetic field) loses magnetization as the temperature rises, the Lagradian is skillfully used. It is applied to particles. He has also been successful in quantum chromodynamics and string theory.



by the way,


Yoichiro Nanbu was the author of the textbook I used when I was a student. I remember he had American citizenship at that time
I was skeptical about the treatment of researchers in Japan. I belonged to the laboratory of theoretical physics, but now there are only a few colleagues who continue their research after graduation and become researchers. Many, like me, belong to a private company and engage in work that has nothing to do with physics.


Although there is a trend toward a declining birthrate, I also felt that the treatment of Japanese society was low for professors as honorary positions. In addition to being a narrow gate, it is not easy to handle.


that is why


I feel that I can understand the feeling that Yoichiro Nambu was naturalized in the United States.