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2024年02月26日

竹内均
2/26改訂【科学の啓蒙活動を続けた初代Newton編集長】

こんにちはコウジです!
「竹内均」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
竹内均が生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)


初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように再推敲します。


SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。



科学雑誌NEWTON
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【1920年7月2日生まれ ~ 2004年4月20日没】


 竹内均のメガネ


私の中での竹内均さんのイメージは


特徴的な眼鏡かけたTVコメンテーターです。


実際、文筆活動中もあんな感じだったそうです。
沢山本を出していますが、作業はテープレコーダ
への録音一辺倒です。文章に起こす秘書さんが居て
一緒に作業します。独特の書き方ですね。




それでもお人柄から悪い印象は持ちません。
人から好かれる性格ですね。竹内均は自分に厳しくて
子供に優しい人だったと言われています。


独特の喋り口調が印象的で通り易い声で
聴きやすいリズムで人に語りかけていました。


子供向けの伝記を沢山、監修していて
キューリー夫人伝」とか「エジソン伝」とかの表紙に
小さく竹内均の名前が入っていたりしました。


そんな啓蒙活動を考え続けて初代NEWTON編集長
として日本の一般向け教育書を作っていきます。

ちなみに、
非常に名前が似ていると思える方で
竹内薫さん
という方が居まして、私は時々混同してしまいます。
失礼。。。



 民衆と竹内均


物理学の理解には個人の勉強も必要ですが、
学問の性質上、万物を人がどう考えるか
(モデル化していき理解するか)
という論点が欠かせません。


個人が理解するという考え方と同時に日本人が、
そして人類が理解していくというプロセスが欠かせません。


大衆にも理解出来る物理モデルが作れた時に理論は出来上がる
のです。ギブスの文章を書くときに協調しましたが
「数学者と物理学者の視点は異なる」のです。


数学は論理として完結しているモデルであれば
現実と対応が付かないでも問題がないです。
そんなものです。


物理学は絶えず現実と対応する理論を作らないと
意味がありません。


竹内均はそういった民衆との対話をとても大事にしていました。

 竹内均と地球物理学


竹内均の仕事を考えていくと寺田寅彦の系譜です。
具体的には直接の講義・指導を受けていない孫弟子
にあたります。


地球物理学に関心を持って、特にプレートテクトニクス理論
を広く広めています。実際に地面が少しずつ動いていく様子
を伝える際に物理学者として地球の内部構造や
境界面での様子を伝えたのです。
深い知見を持って伝えたのです。


そして何より、

竹内均さんの独特の「優しい言葉」で伝えたのです。


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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


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2021/07/04_初版投稿
2024/02/26_原稿改定


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Hitoshi Takeuchi's glasses


The image of Hitoshi Takeuchi in me is

It is a commentator with characteristic glasses.

In fact, he was like that during his writing activities.

I have published a lot of books, but the work is a tape recorder

It's all about recording to. There is a secretary who wakes up in the text

Work together It's a unique way of writing.

 

Still, I don't have a bad impression from my personality. It's a personality that people like. Hitoshi Takeuchi is said to have been a strict and child-friendly person. His unique speaking tone was impressive, and he spoke to people with an easy-to-listen voice and an easy-to-listen rhythm. I supervised a lot of biographies for children, and there was a small name of Hitoshi Takeuchi on the cover of "Mrs. Curie's biography" and "Edison's biography". Continuing to think about such enlightenment activities, as the first editor-in-chief of NEWTON, I will make educational books for the general public in Japan as well.

People and Hitoshi Takeuchi


Understanding physics requires individual study, but due to the nature of scholarship, the issue of how people think of everything (modeling and understanding) is indispensable. At the same time as the idea of ​​individual understanding, the process of understanding by the Japanese and humankind is indispensable. The theory is completed when a physical model that can be understood by the general public is created. I collaborated when writing Gibbs' writing, but "the perspectives of mathematicians and physicists are different." If mathematics is a model that is complete as logic, there is no problem even if it does not correspond to reality. That's it. Physics is meaningless without constantly creating a theory that corresponds to reality. Hitoshi Takeuchi cherished such dialogue with the people.

Hitoshi Takeuchi and Geophysics


Considering Hitoshi Takeuchi's achievements, it is the genealogy of Torahiko Terada. Specifically, he is his grandchild who has not received direct lectures or guidance. He has an interest in geophysics and is particularly widespread in plate tectonics theory. As a physicist, he told us about the internal structure and boundaries of the Earth when he actually told us how the ground was moving little by little. He conveyed it with deep knowledge. And above all, I conveyed it with Hitoshi Takeuchi's unique "gentle words."




2024年02月25日

久保 亮五
2/25改訂【線形応答理論を使ったフーリエ変換NMR理論を展開】

こんにちはコウジです!
「久保 亮五」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
久保 亮五が生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)


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デジタルフーリエ変換
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【1920年2月15日生まれ ~ 1995年3月31没】



物理学者久保亮五


久保亮五と同名(漢字違い)の別人が居ますが、
以下記載は物理学者に関する文章で、ここでの
久保亮五は統計力学で
私が使った教科書の著者です。


私の指導教官は久保先生の講義を受けていたそうです。
そんな時代の
物理学者についての記載です。


久保亮五は学者肌の家で育ち、お父様の仕事で
子供時代には
台湾で生活しています。高校まで
台湾で過ごし、
帰国後に旧制高校へ入学、
東大へ入学、その後に助手、助教授、教授をつとめました。



久保亮五の業績 


久保亮五の仕事で何より特筆すべきは物性論での成果です。
ゴムの弾性に関する研究と、線形応答理論を使った
フーリエ変換NMRへの応用研究があげられます。


久保亮五の基礎理論を構築したNMRの概説を
一般の人向けに記し
てみたい
と思います。先ず
フーリエ変換理論は端的には
「時系列の波形を周波数を基準に考えた
波形に変換し
て解析する技術」です。


そうした「数学的に確立されているフーリエ変換」
を理論的基礎として電子回路で応用されています。
離散化された電気信号に対して回路上で
実質的に
マトリクス変換を加えます。



久保亮五とNMR 


診察で実際にNMRを使った経験のある人はNMRの中で
測定を受けている時を思い出してみてください。
頭の中を調べる時などに、強磁場を人間の頭部に
二次元的に与えます。
その時に大きな音がしますが、
音がしている時に「時系列でインパルス的な情報」
機械的に処理して「周波数応答に関する情報」を得ます。


作業として、吸収スペクトルを測定することで
各スピンの情報を集め、そこから
最終的には
断面の画像を処理します。


最終的な写真で見える画像は、
これらの処理の結果です。


そして今、久保亮五はこの世に居ませんが、
その仕事を応用したNMRは世界中の病院で
患者達の情報を集めています。きっと今、
この瞬間も医療行為の中
NMRの機械が動い
ています。


【参考:東大理学部での退官当時の広報




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Physicist Ryogo Kubo


There is another person with the same name (different Chinese characters) as Ryogo Kubo, but the following is a sentence about a physicist, and Ryogo Kubo here is the author of the textbook I used in statistical mechanics. My supervisor took a lecture. This is a description of physicists of that era. Ryogo Kubo grew up in a scholarly-skinned house and lived in Taiwan as his childhood for his father's work. He spent his time in Taiwan until high school, and after returning to Japan he entered a high school, the University of Tokyo, and then an assistant, associate professor, and professor.



Achievements of Ryogo Kubo


The most notable thing about Ryogo Kubo's work is the result of condensed matter theory. His research on the elasticity of rubber and his applied research to Fourier transform NMR using linear response theory can be mentioned. I would like to write an overview of NMR that Ryogo Kubo thought about for the general public. First of all, the Fourier transform theory is simply "a technology that converts a time-series waveform into a waveform that is considered based on frequency and analyzes it." Such "mathematical established Fourier transform" is applied in electronic circuits as a theoretical basis. Substantially matrix transformation is applied on the circuit to the discretized electrical signal.



Ryogo Kubo and NMR


If you have actually used NMR in a medical examination, remember when you were taking measurements in it. A strong magnetic field is applied to the human head two-dimensionally when examining the inside of the head. There is a loud noise at that time, but the impulse-like information is mechanically processed in that time series to obtain information on the frequency response. As a result, the information of each spin is collected by measuring the absorption spectrum, and finally the image of the cross section is processed from there. The image you see in the final photo is the result of these processes.


And now, Ryogo Kubo is not in the world, but NMR, which applies his work, collects information on patients at hospitals around the world. I'm sure I'm collecting this moment as well.


2024年02月24日

アイザック・アシモフ
2/24改訂【「ロボット3原則」で有名なSF作家】

こんにちはコウジです!
「アシモフ」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
アシモフが生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)


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ロボット戦士
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アシモフの人物像


今回、少し物理から離れます。アシモフは


「ロボット3原則」で有名なSF作家です。


具体的に3原則とは、


第1条:ロボットは人間に危害を与えてはならない。
また、その危険を看過することによって人間に危害を及ぼしてはならない.


第2条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。


3条:ロボットは前掲第1条及び第2条に反する恐れがない限り、
自己を守らなければならない。


となります。


悪い人が善人を攻撃しなさいと命じたらどうなるか?
と考えていくと議論のネタになるのですが、
そうした考察を現代の我々は当然していかなければ
いけない段階に来ています。
鉄腕アトムも色々と悩んでいましたよね。


最近のウクライナ紛争ではドローンが強力な兵器となり、
白兵戦での戦局に影響を与えています。


平和利用として地雷探査ロボが活躍していますが、
殺傷能力を持ったロボットが戦う日も想定できます。
ロボットの動きは性格で素早いので殺傷能力が
どこまで期待できるのでしょう。怖いことです。


何故ならロボットに殺されていく貧しい国の人々が
想像出来るからです。尚更無念な死が現実として
迫ってきているのです。


過去に、人類は核兵器を具現化して
暗黒の歴史を作りました。悲劇は繰返しありません。


実際のアシモフの研究分野としては生化学なのですが、
作家としての顔
の方が有名ですね。


また調べてみるとアシモフはロシア生まれでした。
リニアモーターカー
が走る今日の世界を見せてあげたいと、
個人的には考えてしまいます。また、もはやロボットも日常的ですよね。


そんな未来をアシモフは20世紀の初めにに予見していました。


20世紀の知見で機械化が進む未来を描き、進んだら
どうなるだろうと考えますが、
好ましい方向性を指摘して
大衆に問いかける。
つまり、科学の夢を投げかけていたのです。



アシモフの作家デビュー


アシモフは1938年に初めてのSF作品を雑誌に持ちかけて認められ、
1939年から作家デビュー
しています。


才能を認めるアメリカっぽいですね。
この年にコロンビア大学を卒業して大学院に進みます。


所謂、ロボット三原則などを提唱していますが、
時代は第二次大戦に向かう時代でアシモフは学校を休学したりしています。


科学が知識を集めるスピードの速さにアシモフは驚愕していて、
社会が叡智を集結
する事を求めていました。
相変わらず分断
している世界をどう見るのでしょうか。



意外な結末


そして、意外な最後なのですが、アシモフは


1992年にHIV感染が元でこの世を去ってます。


心臓バイパス手術の時に使用された
輸血血液が感染源のようです。


本当に色々と経験してきた人生だったと思います。



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2024/02/24_改定投稿



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Asimov's portrait


This time, I'm a little away from physics. Asimov is a science fiction writer famous for "Three Laws of Robotics". Biochemistry is the actual research field of Asimov, but his face as a writer is more famous. When I looked it up, Asimov was born in Russia. He personally wants to show us the world of today's maglev trains. Also, robots are no longer commonplace. Asimov foresaw such a future in the 20th century. He envisions a future of mechanization with his knowledge of the 20th century, and wonders what will happen if it progresses, but he points out a favorable direction and asks the public. In short, he was throwing a dream of science.



Asimov's writer debut


Asimov was recognized for his first science fiction work in a magazine in 1938, and has made his debut as a writer since 1939. He's like America, who recognizes his talent. He graduated from Columbia University this year and went on to graduate school.


He advocates the so-called Three Laws of Robotics, but Asimov is taking a leave of absence from school in the era of World War II. Asimov was amazed at the speed at which science gathered knowledge, and he wanted society to gather wisdom. How does he see the world that is still divided?



Unexpected ending


And, surprisingly, Asimov died in 1992 due to HIV infection. He seems to be infected with the transfused blood used during heart bypass surgery. I think he really had a lot of experience in his life.

2024年02月23日

R・P・ファインマン
2/23改訂【天才|経路積分やファインマンダイヤグラムを考案】

こんにちはコウジです!
「ファインマン」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
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経路積分
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アメリカのファインマン


有名な教科書の著者で、私が学生時代からその著書は
日本で使われていました。
世界中でその教科書は使われています。
またファインマンは量子電磁気学の業績で
朝永 振一郎と共にノーベルを受賞しています。。


具体的に、ファインマンの名を聞いて
真っ先に
思い出す業績は経路積分です。
数学的な定式化が驚異的なのです。
【参考_Wikipedeiaの記載:経路積分


その発想はとてもユニークだとも言えます。



経路積分の考え方


二つの経路を初めに考えて、其々からの寄与を
考えていく時に拡張が出来て二つ、三つ、四つ、、、
そして無限大の経路。と経路を
無限大に広げていくのです。


もう少し具体的にファインマンの考えを紹介しますと、
「ダブルスリットの実験を拡張した場合に、
無限の経路を想定すると何も無い空間
を考える事になっていく」という考え方なのです。


この経路に関するファインマンの考え方には数学的な難点
も指摘されているようですが物理の世界では非常に面白い
考えであり、考え進めていきたい視点です。


また、素粒子の反応を模式化したファインマンダイアグラムは
視覚的に、直感的に秀逸です。本当に天才の技に見えました。


業績の話が先行しましたが、最後に
生い立ち,人つながりの話を致します。


ファインマンはユダヤ系なので苦労を強いられています。
ユダヤ人枠で大学に入れなかったりした時代もありました。
後にMITやプリンストン大学で研究を進めます。


電気力学の量子論についてのゼミをプリンストン大学で
行うことになった時には、ゼミの話を聞きつけて
ユージン・ウィグナー、ヘンリー・ノリス・ラッセル、
フォン・ノイマンE・パウリアインシュタイン
が参加していたそうです。天才大集合ですね。


そして、ファインマンはアインシュタインと共に
原爆開発の計画であるマンハッタン計画に参画しています。その中で、率直に意見を述べたメモが
没後の2018年にサザビースで落札されています。



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American Feynman


He is the author of a well-known textbook, and his book has been available in Japan since I was a student. The textbook is used all over the world. He has won the Nobel Prize with Shinichiro Tomonaga for his achievements in quantum electrodynamics. .. Specifically, the first achievement that comes to mind when I hear Feynman's name is path integral.


The mathematical formulation is amazing.
[Reference_Wikipedeia description: Path integral]



Concept of path integral


Two, three, four, ... infinite routes that can be expanded when considering the two routes first and then the contributions from each. And expand the route to infinity. To introduce Feynman's idea a little more concretely, the idea is that if we expand the double-slit experiment, we will think of an empty space. It seems that Feynman's way of thinking about this path has some mathematical difficulties, but it is a very interesting idea in the world of physics, and I would like to continue thinking about it. In addition, the Feynman diagram, which models the reaction of elementary particles, is visually and intuitively excellent. It really looked like a genius.


I talked about achievements first, but at the end I will talk about how I grew up and how people connect. Feynman is struggling because he is Jewish. There was a time when he couldn't enter university because of the Jewish quota, but he pursued research at MIT and Princeton University. When it was decided to hold a seminar on quantum theory of electromechanics at Princeton University, Eugene Wigner, Henry Norris Russell, von Neumann, E. Pauli, and Einstein were attending the seminar. is. Feynman and Einstein are participating in the Manhattan Project, a plan to develop the atomic bomb.
Among them, a memo that frankly expressed his opinion
It was sold at Sotheby's in 2018 after his death.


2024年02月22日

D・J・ボーム
_2/22改訂【マンハッタン計画に参画しボーム解釈を提唱】

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ロシア革命
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【1917年12月20日 ~ 1992年10月27日】



 ペンシルバニアに生まれたボーム


細かく記載すると、その名は、


デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム_


David Joseph Bohm、ヘブライ語表記


ではדייוויד ג'וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם。


偶然ですが、ボームはロシア革命の年に生まれてます。
閉塞的な社会が打破された様子を新大陸で知ったのです。


そんな時代背景もボームの人生に影響を残しているのでは
ないでしょうか。ハンガリー系‎‎ユダヤ人の父と
リトアニア系ユダヤ人の母の間に
ペンシルベニア州で生まれ、
UCB(カリフォルニア州立大学バークレー校)
オッペンハイマーの教えを受けます。


そんな時期に学生時代に当時の知人の影響で
思想的
に影響を受け、異なった社会モデルを持つ
急進的な主義の考えをボームは抱きます。
後にはその為にFBIにマークされます。



 マンハッタン計画とボーム


第2次世界対戦の時にはボームは師であるオッペンハイマー
に従いマンハッタン計画
に参加します。その計画は
陽子と重陽子の
衝突研究を進め、濃縮ウランを作り原爆を製造
する計画で実行に移されました。


戦後、ボームはプリンストン大学でアインシュタイン
と共に働いていましたが、
いわゆるマッカーシズム(政治的な圧力)
にあい、
プリンストン大学を追われます。


社会主義者としての過去の活動を当局に問題視されたのです。
アインシュタイン
ボームに彼の助手として大学に残る事を勧めました。


ところが、その願いは叶わずにボームはブラジルの
サンパウロ大学に移りました。少し島流し的な印象を持ってしまいます。
菅原道真公の左遷も思い起こされます。


研究者としてボームは幾多の成果を残しています。
先ず
量子力学の解釈の面でボーム解釈。
EPRパラドックスの確認。そして、電磁気学でのA-B効果です。
それぞれ問題の本質をとらえようと考え続けていたように思えます。


こうした業績で、その分野の考えに
今でも残る影響を与えています。


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Baume born in Pennsylvania


To be precise, its name is David Joseph Bohm, in Hebrew notation דייוויד ג'וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם.


Coincidentally, Baume was born in the year of the Russian Revolution. I think that such a historical background has also influenced Baume's life. Born in Pennsylvania to a Hungarian Jewish father and a Lithuanian Jewish mother, he is taught by Oppenheimer at the UCB (University of California, Berkeley). At that time, Baume embraced the idea of ​​radicalism, which was ideologically influenced by his acquaintances at the time when he was a student and had a different social model. He was later marked by the FBI for that.



Manhattan Project and Baume


During World War II, Baume follows his teacher Oppenheimer to participate in the Manhattan Project. The plan was put into practice with a plan to produce enriched uranium and produce an atomic bomb by proceeding with research on the collision of protons and deuterium. After the war, Baume worked with Einstein at Princeton University, but was ousted from Princeton University due to so-called McCarthyism. His past activities as a socialist were questioned by the authorities. Einstein advised Baume to stay in college as his assistant. However, that wish did not come true and Baume moved to the University of Sao Paulo in Brazil.


As a researcher, Baume has made many achievements. He first interprets Baume in terms of the interpretation of quantum mechanics. Proposal of the EPR paradox. And the AB effect in electromagnetism. It seems that each of them kept trying to capture the essence of the problem. These achievements still have an impact on his thinking in the field.

2024年02月21日

矢野 健太郎
2/21改訂【数々の数学書を監修|「解法のテクニック」の著者】

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矢野健太郎の多彩な活躍


矢野健太郎は私が使っていた数学の教科書の著者でした。
同名の方で漫画家の「矢野健太郎」と
サッカー選手の「矢野健太郎」が居ますが、
本稿は数学者の矢野健太郎に関する原稿です。


因みに、名前の「矢野」に関するエピソードとして
有名なものがあります。外人との雑談
をする中で
「矢野」って英語でいえばどんな表現?
と聞かれた際に矢野さんは当意即妙で
矢野さんは次のように答えました。


「矢」=「Vector」、「野(野原)」=「Field」。


だから「矢野」って「ベクトル場」ですね。


そう答えたそうです。当然、外人は大喜び。


専門は幾何学関係か解析学関係だったかと。


彫刻家の子として生まれ東京帝大で学びます。



矢野健太郎とパリ大学


矢野健太郎の小学生時代にアインシュタインが来日し
健太郎
は刺激を受けました。また、
帝大の山内恭彦先生から
物理学の理解には
代数幾何学が必要だと教えを受けました。


物理現象のモデル化の有用性を感じた筈です。
その後、矢野はカルタン先生の下で学ぶべく
パリ大学
留学します。パリ大学で纏めた博士論文は
射影接続空間に
関する論文でした。


この頃から統一場理論にも関心を持ちます。



 矢野健太郎とアインシュタイン


戦後にはプリンストン高等研究所で微分幾何学の研究
をしていき、同時期に在席していたアインシュタイン
交流
を持ちます。奥様と一緒にアインシュタイン
写った写真は
大事にしていて、家宝としたそうです。


 

その他、矢野健太郎の著作は多岐に渡り、


受験参考書の定番だった(今でも定番)


解法のテクニック」は矢野健太郎の著作です。


また、アイザックアシモフポアンカレアインシュタイン
書物を日本に紹介する際に監修をしたりしました。


私や皆さんが知った情報も矢野健太郎
の仕事かも知れませんね。そんな、


矢野健太郎はバイオリンが好きな静かな人でした。


安らかな印象を持ち続けたいと思います。



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Various activities of Kentaro Yano


Kentaro Yano was the author of the textbook I was using. There is a manga artist "Kentaro Yano" and a soccer player "Kentaro Yano" who have the same name, but this article is about the mathematician Kentaro Yano. By the way, there is a famous episode about the name "Yano". What kind of expression is "Yano" in English while chatting with foreigners? When asked, Mr. Yano was selfish
"Arrow" = "Vector", "Field (field)" = "Field", so "Yano" is a "vector field". I heard that he answered. Naturally, foreigners are overjoyed. Was my specialty related to geometry or analysis? He was born as a child of a sculptor and studied at the University of Tokyo.



Kentaro Yano and the University of Paris


Kentaro Yano was inspired by Einstein's visit to Japan when he was in elementary school. Also, Professor Yasuhiko Yamanouchi of Imperial University taught me that algebraic geometry is necessary to understand physics. It seems that he found the usefulness of modeling physical phenomena. After that, Yano will study abroad at the University of Paris to study under Professor Cartan. His dissertation he compiled was a dissertation on the projective connection space. From this time on, he was also interested in unified field theory.



Kentaro Yano and Einstein


After the war, he studied differential geometry at the Princeton Institute for Advanced Study and interacted with Einstein, who was present at the same time. He cherished the photo of Einstein with his wife and made it a heirloom.


Kentaro Yano has a wide variety of authors, and Kentaro Yano's "Solution Technique", which was a staple of examination reference books. He also supervised the introduction of Isaac Asimov, Poincaré and Einstein's books to Japan. The information that I and everyone knew may be Kentaro Yano's work. Kentaro Yano was a quiet person who liked the violin. He wants to keep a peaceful impression.


2024年02月20日

武谷三男 
2/20改訂【利益・便益と それに伴う被曝の有害さ・リスクを考察|三段階理論での現象把握を考察】

こんにちはコウジです!
「武谷三男」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
武谷三男が生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)


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原爆の秘密






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【1911年10月2日生まれ - 2000年4月22日没】

武谷三男の研究基盤


武谷三男は京大理学部で理論物理学の基礎を修めました。

武谷三男の主な関心は原子核の振る舞いや素粒子論です。

湯川秀樹や坂田昌一と共同で研究を進めていった時代の人です。
反ファシズムの立場だった武谷は原子核関連の開発と
発展についての発言で
政治的ともいえる言葉を
残しています。
原爆や水爆の
開発に対しての是非について発言しています。

また会津に亡命していたロシア人の奥様との縁
にも興味を覚えます。まさかあの人と、
とかいった話が出てきそうです。

いずれにしても武谷は未だ曖昧だった原子核に対して
形を与えていった時代の人なのです。


一つ一つ現象を見ていき、定式化していったのです。
何より武谷は独自の方法論を駆使したのです。

武谷の三段階理論

ここで、方法論として三段階理論と呼ばれた
論法を用いて武谷は論拠としていましたので
ご紹介します。
(以下ウィキペディアから引用)

@現象論的段階
量子力学の範疇に入る現象で
「測定にかかるもの」を
そのまま記述する
(第一)段階

A実体論的段階
上記現象の方程式を作る前に、
現象論的段階に出てこない実体
(模型、粒子など)を知る
(場合によっては新たに導入する)
(第二)段階

B本質論的段階
現象論的段階で記述される現象を、
実体論的段階で導入した実体も含めて、
方程式など主として
数学的手法で記述する
(第三)段階
【引用ここまで】

この武谷の理論は測定方法の面から考えたときに、

「観測問題の制限」を意識した理論だと言えるでしょう。

その時代から数十年遡って思い返せば、
量子力学創設の時代以前にはすべての段階
意識化されていなかったのです。


また、米国のビキニ環礁での水爆実験に際し、
問題点を掘り下げて定量的な指標を考察して
放射線の許容量(がまん量とも表現しました)
議論していきました。

具体的に「急性の放射線障害」と「長期的に蓄積される効果」
を明確に区別して
議論すべきだと主張していきました。
昨今の福島原発での処理水放出でこうした議論が
生かされているでしょうか。一行の価値ありです。


当時、立教大学の教授であった武谷は、
放射線防護の概念を考え直し、「自然科学的な対象の概念」
に留まらず、
放射線利用の「利益・便益と
それに伴う被曝の有害さ・
リスク
ともいえる社会的概念」
として
考え直した功績も指摘されています。


〆最後に〆


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 Base of Taketani


Taketani Mitsuo studied the basics of theoretical physics

at the Faculty of Science, Kyoto University.

His main interests are nuclear behavior and particle physics.

He is in collaboration with Hideki Yukawa and Shoichi Sakata

He is a man of the era when he was advancing research.
T
aketani, who was in an anti-fascist position

Remarks on nuclear-related development and development

He leaves behind words that can be called political.

He is about the pros and cons of atomic and hydrogen bombs.

Also, a Russian wife who was in exile in Aizu

I am also interested in the relationship with. No way, with that person

There seems to be a story like that.

In any case, Takeya was still ambiguous

He was a man of the era that gave shape to the atomic nucleus.

He looked at the phenomena one by one and formulated them.

Above all, Takeya established a methodology.

Three step of Taketani


Here, as a methodology, a three-step theory

Because Takeya used the reasoning called

I will introduce you. (Quoted from Wikipedia below)

@ Phenomenon stage
A phenomenon that falls into the category of quantum mechanics
"What is measured"
Describe as it is
(the first stage

A Realistic stage
Before making the equation of the above phenomenon
Entities that do not appear in the phenomenological stage
Know (models, particles, etc.)
(In some cases, newly introduced)
(Second) stage

B Essentialist stage
Phenomena described at the phenomenological stage,
Including the substance introduced at the realist stage,
Mainly equations etc.
Describe with mathematical methods
(Third) stage
[Quote so far]

This Takeya's theory is based on the measurement method.

It can be said that the theory is conscious of the limitation of the observation problem.

Looking back decades from that era,

All stages before the era of quantum mechanics

Was not conscious.

Also, during a hydrogen bomb test at Bikini Atoll in the United States,

Dig into the problem and consider quantitative indicators

Radiation allowance (also referred to as the amount of radiation)

I continued to discuss.

Specifically, "acute radiation injury"

A clear distinction between "long-term accumulated effects"

I insisted that it should be discussed.

Takeya, who was a professor at Rikkyo University at that time,

Rethinking the concept of radiation protection,

Beyond the "concept of natural science objects"

"Benefits / benefits of radiation use and the harmful effects of radiation exposure /

As a "social concept that can be called a risk"

His rethinking achievements have also been pointed out.

2024年02月19日

坂田 昌一
2/19改訂【相互作用の過程を議論|電磁場の量子化を行った先駆者】

こんにちはコウジです!
「坂田 昌一」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
坂田 昌一が生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)


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星新一ショートショート
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【1911年1月18日生まれ ~ 1970年10月16日没】



坂田晶一の生きた時代 


坂田昌一は素粒子を研究した物理学者です。


湯川秀樹朝永一郎らと同じ時代を生き、議論を交わし、
物理学会を切り開きました。
京都帝国大学を卒業していて
名古屋帝国大学で教えています。


また意外なご縁なのですが、坂田昌一の奥様の信子さんは
SF作家・星新一の従兄弟になのです。



坂田モデルの坂田博士 


坂田昌一の理論物理学での業績は「電磁場の量子化」
に関するものが
あげられます。質点の議論が進んで、
相互作用の過程を議論していったのです。


その当時は場を量子化する時に電子の
「質量が発散する」現象が
問題でした。
その問題に対して坂田昌一は
中間子の概念を使って問題解決に挑みます。


最終的には、この量子電磁力学での問題は
朝永振一郎がくりこみ理論使い説明し解決します。
また
坂田昌一は湯川秀樹の中間子に
関する論文で
協同執筆者を務めています。坂田さんって
そんな仕事をしていった人なんですね。


また、坂田昌一の業績としては、
陽子・中性子・ラムダ粒子を基本粒子と考え、
その構成に対する「坂田モデル」
を提唱した点が、
特筆すべきでしょう。その坂田モデルは
大貫 義郎益川敏英、小林誠
ら次の理論的な土台となり
議論が進んだのです。
それぞれ次世代の議論へと繋がった、確かな成果です。



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2020/10/12_初稿投稿
2024/02/19_改定投稿


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(2021年11月時点での対応英訳)



The time when Dr. Sakata lived


Shoichi Sakata is a physicist who studied elementary particles. He lived in the same era as Hideki Yukawa and Ichiro Tomonaga, exchanged discussions, and opened the Physical Society of Japan.


He is a graduate of Kyoto Imperial University and teaches at Nagoya Imperial University. In addition, Shoichi Sakata's wife, Nobuko, is a cousin of science fiction writer Shinichi Hoshi.



Dr. Sakata of Sakata model


Shoichi Sakata's achievements in theoretical physics are related to the quantization of electromagnetic fields. At that time, the problem was that the mass of the electron diverged when the field was quantized.


Shoichi Sakata tries to solve the problem by using the concept of mesons. Finally, this problem in quantum electrodynamics will be explained by Shinichiro Tomonaga using renormalization theory. Shoichi Sakata is also a co-author of a paper on Hideki Yukawa's mesons.


It should be noted that Shoichi Sakata's achievements are that he considered protons, neutrons, and lambda particles as elementary particles, and proposed a "Sakata model" for their composition. The Sakata model became the next theoretical foundation for Yoshiro Onuki, Toshihide Maskawa, and Makoto Kobayashi, and discussions proceeded. These are solid results that have led to discussions for the next generation.


2024年02月18日

ニコライ・N・ボゴリューボフ
2/18改訂【固有値を使い定常状態を表現したロシア人】

こんにちはコウジです!
「ボゴリューボフ」の原稿を改定します。
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カピッツァの手紙
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【1909年8月21日 ~ 1992年2月13日】



ロシアの物理学者


名前から分かるかとおもいますが、


ボゴリューボフはロシアの物理学者です。


本稿を記載するにあたり改めて
ボゴリューボフ
の「人となり」
を調べてみましたが
伝わっていません。
ボゴリューコフの名で検索をかけると
私のブログが上位に出てきてしまう有様です。


ボゴリューコフは20世紀初頭の生まれなので
革命前後のソビエト連邦で青年期を迎え、
閉鎖的な学会環境で研究を進めていた
考えるべきなのでしょう。


因みに、プランクメダルを受けていますので
ドイツ関係の画像を使っています。



ボゴリューボフの業績


何よりも、数学的にボゴリューボフ変換と呼ばれる
考えを打ち出し
行列形式で表される
状態遷移を角化する事で表現していると言えるでしょう。


別言すれば、観測にかかる定常状態を数学手法を使って作りだしています。つまり、数学的にいう固有値問題に帰着させて定常的な状態を表現しているのです。数学的な作業をしてみた結果がどういった現象に対応しているか物理的に説明する事が出来るのです。 


この定常状態を使い、ボゴリューボフは現実にヘリウムの超流動状態を表しました。ボーズ粒子の超流動をボゴリューボフ変換で示しフェルミ粒子の超電導をボゴリューボフ変換で示す訳です。役にたちますね。





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2020/10/08_初稿投稿
2024/02/18_改定投稿


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(2021年11月時点での対応英訳)



Russian physicist


As you can see from the name, Bogoliubov is a Russian physicist. In writing this article, I re-examined Bogoliubov's "becoming a person", but it has not been conveyed. If you search by that name, my blog will appear at the top.


Since Bogoryukov was born in the early 20th century, it should be considered that he was adolescent in the Soviet Union before and after the revolution and was conducting his research in a closed academic environment. By the way, he has received a Planck medal, so he uses images related to Germany.



Bogoliubov achievements


Above all, it can be said that he mathematically expresses the idea called Bogoliubov transformation by diagonalizing the state transitions expressed in the form of a matrix.


In other words, the steady state of observation
It is created using mathematical methods.
In other words, reduce it to the mathematical eigenvalue problem.
It represents a steady state.


The result of doing mathematical work
What kind of phenomenon is supported
It can be explained physically. Twice


Using this steady state, Bogoliubov
He actually represented the superfluid state of helium.
Bogoliubov transformation shows the superfluidity of boson particles
Superconductivity of fermions by Bogoliubov transformation
It is a translation to show. It will be useful.


2024年02月17日

伏見康治
2/17改訂【原子力三原則|対象の美・折り紙を考えた物理学者|国会議員】

こんにちはコウジです!
「伏見康治」の原稿を改定します。
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紋様の科学【伏見康治著】
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【1909年6月29日 〜 2008年5月8日】



伏見先生の多彩な活躍


伏見康治は愛知県名古屋市に生まれます。そして東京で育ちます。
何だか一般サラリーマン家庭の生まれ育ちを想像してしまいます。
伏見先生は20世紀の生まれの人ですから、それはそれで納得です。


ただし、その後の動きが活発です。
東大の 理物を卒業し東大で助手を務めた後に、
新設された阪大に着任して1934年には理学部長を務めます。


更には1936年には年には名古屋大学プラズマ研究所の新設に伴い、
所長として就任しています。結果として
二つの旧制大学の名誉教授を務める事となります。


併せて1952年からは日本学術会議会長、
1958年から6年間は公明党所属の参議院議員として科学者の立場で政策に関わっています。


以下では国会議員も勤めた「伏見先生」について語っていきたいと思います。
「先生お願いします!」って感じです。



一貫した科学者サイドの見識


科学者として伏見先生は
「原子力の平和利用」を推進し、大きな役割を果たしました。
日本における原子力の研究がとても大事であると認識しています。
被爆国である日本独自の視点から平和利用を考えていました。
具体的に「原子力三原則」でまとめています。


「自主、民主、公開」の三原則を起草して茅誠司と連名で
伏見先生は「茅・伏見の原子力三原則」を考えています。



対称の美


物理学を研究・体感する中で伏見先生は
「対称の美」に対する美学を持っていました。
特に、その数式的な表現と万人受けする印象に着目しています。


例えば自分の子供が幾何学模様に対して関心を抱いたら、
そこを掘り下げて「どこまで習ったの?」とか
「何で学校で教えないんだろう?」とか色々な視点で
議論していったのです。1960年代には「紋様の科学」としてまとめています。



水素エネルギーの推進


朝日新聞が水素エネルギー開発の全面的にバックアップを表明したタイミングで、
伏見先生は原子力開発に関わっていきます。


1952年に朝日新聞の木村部長(科学部の部長)から声をかけられたことがきっかけです。


伏見先生は2月に朝日講堂で開催された公開講演会で講師として
「核融合の現状と問題点」と題して講演しました。


その時の御縁と元来、伏見先生が水素エネルギーを支持していたこともあり
次世代燃料として水素を勧めておられました。
クリーンなエネルギーだと考えていたのです。




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2023/04/02‗初稿投稿
2024/02/17‗改訂投稿


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(2023年4月時点での対応英訳)


Dr.Fushimi's Diverse Activities


Koji Fushimi was born in Nagoya, Aichi Prefecture. And he grows up in Tokyo.
I somehow imagine that he was born and raised in an ordinary office worker family.
Fushimi-sensei was born in the 20th century, so that makes sense.


However, there has been a lot of activity since then.
After graduating from the University of Tokyo with a degree in physics and working as an assistant at the University of Tokyo,
He joined the newly established Osaka University and in 1934 he became the Dean of the Faculty of Science.


In 1936, he assumed the post of Director of the newly established Nagoya University Plasma Research Institute. as a result
He will serve as an emeritus professor at two old-system universities.


He also served as president of the Science Council of Japan from 1952.
For six years from 1958, he was involved in policy as a member of the House of Councilors belonging to the New Komeito Party from the standpoint of a scientist.


Below, I would like to talk about Mr. Fushimi, who also served as a Diet member.
It's like, "Teacher, please!"


Consistent Scientist Insight


Professor Fushimi played a major role in promoting the "peaceful use of nuclear energy." He recognizes that nuclear research in Japan is very important. He was thinking about peaceful uses from the unique perspective of Japan, a country that suffered atomic bombings. He specifically sums it up in the "Three Principles of Atomic Energy."


He drafted the three principles of "independence, democracy, and openness", and jointly with Seiji Kaya, he considered "three principles of nuclear power of Kaya and Fushimi".


beauty of symmetry


Fushimi-sensei had an aesthetic for "symmetrical beauty." In particular, he focuses on its mathematical expression and universal impression.


For example, if my child was interested in geometric patterns, I would delve into it and discuss things from various perspectives, such as "How much did you learn?" is. In the 1960s he summarized it as "The Science of Patterns".


Promotion of hydrogen energy


When the Asahi Shimbun announced its full support for hydrogen energy development, Professor Fushimi became involved in nuclear power development.


In 1952, he was approached by the head of the Asahi Shimbun,
Mr. Kimura (head of the science department).


In February, Prof. Fushimi gave a lecture titled "Current Status and Problems of
Nuclear Fusion" at a public lecture held at the Asahi Auditorium.


At that time, Dr. Fushimi originally supported hydrogen energy,
and he recommended hydrogen as a next-generation fuel.
He was clean energy, he thought.