称名寺(しょうみょうじ)は、神奈川県横浜市金沢区金沢町にある真言律宗別格本山の寺院。山号は金沢山(きんたくさん)。本尊は弥勒菩薩。新四国東国八十八箇所霊場七十五番。
庭園
歴史
中世
北条氏の一族である金沢(かねさわ)北条氏の祖、北条実時(1224年 - 1276年)が開基した。創建時期については確実なことはわかっていないが、1258年(正嘉2年)実時が六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂(阿弥陀堂)がその起源とされる。のち1267年(文永4年)、鎌倉の極楽寺忍性の推薦により下野薬師寺の僧・審海を開山に招いて真言律宗の寺となった。金沢北条氏一族の菩提寺として鎌倉時代を通じて発展し、2代顕時、3代貞顕の代に伽藍や庭園が整備された。
称名寺と縁の深い金沢文庫(かねさわぶんこ)は、実時が病で没する直前の1275年(建治元年)ころ、居館内に文庫を設けたのが起源とされる。文庫には、実時が収集した政治、歴史、文学、仏教などに関わる書籍が収められていた。
嘉元4年(1306年)、称名寺造営料獲得のため元へ交易船(寺社造営料唐船)が派遣され、称名寺の僧である俊如房(快誉)が乗船したことが金沢文庫の古文書に見られる。また、鎌倉時代の千葉寺や大日堂で書写された仏教関係の文書が多数残されており、東京湾の水運を使って僧侶が金沢と千葉の間を頻繁に往来していたことが窺える。当時の称名寺は関東有数の学問寺であり、「金沢学校」とも呼ばれた。
1333年、鎌倉幕府とともに金沢北条氏が滅び、大きな後ろ盾を失った。金沢文庫の管理も菩提寺の称名寺にゆだねられたが、寺運の衰退とともに蔵書も次第に散逸した。
近世
徳川家康は多くの蔵書を紅葉山文庫に移した。金沢文庫印が捺された古書・古写本は「金沢文庫本」と呼ばれ、現在も日本各地に残っている。一方、大幅な復興が実現し、現存する建物が作られた。
近代以降
金沢文庫は、1930年(昭和5年)、神奈川県立金沢文庫(かなざわぶんこ)として復興、県立図書館として活動してきた。1990年(平成2年)には新館が完成し、現在は、中世文化に関する博物館兼図書館の役割を果たしている。称名寺所蔵の文化財は、本尊弥勒菩薩像など一部を除いて、金沢文庫に寄託されている。金沢文庫には、称名寺の文化財などを展示する展示室と図書閲覧室がある。
2005年(平成17年)11月20日 には、 明仁天皇・皇后美智子(いずれも当時)が来訪している。
称名寺赤門
境内
境内は国の史跡に指定されている。赤門、仁王門、金堂、釈迦堂などがある。
金堂前の阿字ヶ池を中心とする浄土式庭園は、1320年(元応2年)、金沢氏3代貞顕の代に整備されたものである。浄土式庭園とは、浄土曼荼羅に基づいて配置された庭園のことで、平安時代末期に盛んにつくられた。浄土式庭園は古図(重要文化財・称名寺絵図)や発掘調査の成果に基づいて、1987年(昭和62年)に復元整備が完了した。平橋、反橋の2橋が復元されており、平橋は橋長17m、反橋は橋長18mである。1991年(平成3年)にかながわの橋100選に認定されている。
塔頭としては光明院(運慶作の大威徳明王像を所蔵)と大宝院がある。
金堂
仁王門
交通
京急本線金沢文庫駅から京浜急行バス柴町行(文13系統)で10分
金沢シーサイドライン海の公園南口駅または海の公園柴口駅より徒歩10分
所在地 神奈川県横浜市金沢区金沢町212-1
位置 北緯35度20分39.05秒 東経139度37分49.41秒
山号 金沢山
院号 彌勒院
宗派 真言律宗
寺格 別格本山
本尊 弥勒菩薩(重要文化財)
創建年 伝・1258年(正嘉2年)
開山 審海
開基 北条実時
札所等 新四国東国八十八箇所霊場75番
金沢八景
文化財 絹本著色北条実時像・北条顕時像・金沢貞顕像・金沢貞将像、文選集注(国宝)
木造弥勒菩薩立像、銅鐘、金銅装宝篋印塔ほか(重要文化財)
境内(国の史跡)
2023年05月26日
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