大山寺(おおやまでら)は、神奈川県伊勢原市にある真言宗大覚寺派の寺院である。大山不動の通称で知られる。山号は雨降山(あぶりさん)。本尊は不動明王。開基(創立者)は良弁と伝える。
高幡山金剛寺、成田山新勝寺と共にしばしば「関東の三大不動」に数えられ、江戸期には江戸近郊の観光地として賑わい、落語にも「大山詣り」として題材に取り上げられるほど、広く一般に浸透した。
歴史
大山寺開山
古代に不動明王像を本尊とする大山寺が建立され、大山山頂の磐座への「石尊権現」信仰(十一面観音菩薩)と大山全体を不動明王の霊場(修験道)とする信仰とが一体化していったとされる。『続群書類従』所載の『大山寺縁起』(内閣文庫本ほかでは一般に『大山縁起』)によれば、大山寺は天平勝宝7年(755年)、東大寺初代別当(住職の最高位)の良弁が自刻の木造不動明王像を本尊に聖武天皇の勅願寺として開創したという。天平宝字5年(762年)には行基の命により、光増が不動明王像を製作して本堂に奉納したとされる。寺伝では空海(弘法大師)を3世住持とし。元慶2年(878年)に地震に伴う火災で焼失したが、同8年(884年)安然が再興したなどの伝承から、顕密系山岳寺院として栄えていったと考えられる。
平安時代の末に、大山は糟屋氏が支配する糟屋荘に編入されたが、久寿元年(1154年)12月に糟屋荘は安楽寿院に寄進された。その後、大山は藤原得子(ふじわらのなりこ、鳥羽天皇の皇后、美福門院)の領地となり、さらに、得子の子であるワ子内親王(あきこないしんのう、八条院)の領地とされた。
文化財
鉄造不動明王二童子像(舊國寳→重要文化財) - 日本では鉄造の仏像は鎌倉時代を中心に制作されているが、鉄は銅に比べて衣文などの細部の鋳造がむずかしく、鋳造後の表面の仕上げも困難なため、優れた作品は比較的少ない。本作は、鎌倉時代の鉄仏のなかでも秀作の1つに数えられるものである。不動明王像に比べ、左右の二童子像は鋳型のずれが見られるなど、やや技法的に難がある。毎月8・18・28日に開帳。
交通アクセス
公共交通
小田急小田原線「伊勢原駅」北口(バス4番のりば)
神奈川中央交通西バス 伊10系統「大山ケーブル」行きに乗車、終点下車(約25分)
↓(下記の「大山ケーブル駅」まで徒歩約15分〈約600m〉)
大山ケーブルカー「大山ケーブル駅」〜「大山寺駅」(約2分)、下車後徒歩約3分(約200m)
車
東名厚木インターより国道246号経由伊勢原大山方面(約40分)、市営駐車場あり(駐車場からは上記の「大山ケーブル駅」まで徒歩約15分)
所在地 神奈川県伊勢原市大山724
位置 北緯35度25分45.4秒 東経139度14分21.7秒
山号 雨降山(あぶりさん)
宗旨 古義真言宗
宗派 真言宗大覚寺派
寺格 石尊大権現の神宮寺・別当寺
本尊 鉄造不動明王(重要文化財)
創建年 伝・天平勝宝7年(755年)
開基 伝・良弁
中興年 明治18年(1885年)(明王院として)
大正4年(1915年)(大山寺として)
正式名 雨降山大山寺
別称 大山不動、大山不動尊
札所等 関東三大不動
関東三十六不動 第1番
関東八十八箇所 第60番
文化財 鉄造不動明王二童子像(重要文化財)
2023年10月14日
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