乙寶寺(おっぽうじ)は、新潟県胎内市乙(きのと)にある真言宗智山派の寺院。猿供養寺、乙寺(きのとでら)とも呼ばれる。境内には国の重要文化財である三重塔や、大日堂(本堂)、本坊、方丈殿、六角堂、弁天堂、観音堂、地蔵堂が建つ。新潟県屈指の古寺で、釈迦の左眼を納めたと伝える舎利塔など、寺にまつわる伝説や逸話が多く残されている。宝物殿には多くの文化財を収蔵・展示している。
歴史
寺伝によれば、天平8年(736年)に聖武天皇の勅願により行基菩薩、婆羅門僧正らが北陸一帯の安穏を祈り開山したと伝えられる。婆羅門僧正が釈迦の左目を現在の六角堂のあたりに納めたとされる。寺の縁起によると右目は中国の甲寺に納めたことから、左目を納めた当寺の名前を乙寺(きのとでら)とし、後に「寶」の文字が付け加えられ「乙寶寺」になった。
また「今昔物語」や「古今著聞集」にみえる「写経猿」の説話にちなんで猿供養寺とも呼ばれる。
室町時代後期には、上杉氏が寺領300石を寄進し保護の手を加え、近世初期には、村上城(村上市)主村上義明の帰依が厚かった。重要文化財の三重塔は村上氏の寄進によるもので、観音堂前には村上家の墓があり寺と村上氏の関係が窺える。当時は塔頭寺院が数多くあり、明治時代以降はそれぞれの寺院が独立し、平成になってからでも残っている元塔頭寺院には地福院、宝常院、和光院がある。
かつての住職には、真言宗智山派第47代化主(管長)瑜伽教如僧正がおり、現代の真言宗智山派の声明の礎をつくった。
文化財
重要文化財(国指定)
三重塔 - 元和5年(1619年)建立
新潟県指定文化財
弁天堂
乙宝寺縁起絵巻
玉幡
金銅製華鬘(けまん)
ほかに旧国宝の木造大日如来坐像、木造阿弥陀如来坐像、木造薬師如来坐像があったが、昭和12年(1937年)に火災で焼失した。
弘法大師伝説
平安時代には、空海(弘法大師)が巡錫中に立ち寄った場所といわれており、空海が乙宝寺境内の地面を仏具の「独鈷杵」(とっこしょ)で突くと水が湧き出したという伝説がある。名前は独鈷で突いた水「独鈷水(どっこすい)」が次第に訛って「どっこん水」と呼ばれるようになり、その水は約1200年たった現代でも境内に豊富に湧き出ている。この水は飯豊連峰の伏流水で、胎内市乙周辺で広く水道水の代わりとして利用している。
交通アクセス
JR東日本羽越本線
平木田駅より車で約10分(最寄り駅)
中条駅より胎内市デマンド交通「のれんす号」利用
坂町駅より荒川道路経由で車で約10分
日本海東北自動車道-荒川胎内ICより約1分
所在地 新潟県胎内市乙1112
位置 北緯38度7分11.83秒 東経139度24分10.93秒
山号 如意山
宗派 真言宗智山派
本尊 金剛界大日如来
創建年 伝・天平8年(736年)
開山 行基、婆羅門僧正
正式名 如意山 乙寶寺
別称 乙寺、猿供養寺
札所等 越後三十三観音霊場第26番札所
文化財 三重塔(重要文化財)
弁天堂、乙宝寺縁起絵巻、玉幡、金銅製華鬘(県文化財)
2023年04月12日
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