岩瀬家住宅(いわせけじゅうたく)は、富山県南砺市西赤尾町にある合掌造り家屋。重要文化財に指定されている。
概要
岩瀬家住宅は江戸時代後期[2]に加賀藩の塩硝上煮役である藤井長右エ門により8年間の歳月をかけ建てられた。現存する合掌造りとしては最大級の規模である。江戸時代末期に藤井家は絶え、以来岩瀬家の所有するところとなった。往時には35人もの人が住んでいたという。岩瀬家住宅は1958年(昭和33年)5月14日に重要文化財に指定された。現在も住居として使われているが、一部を除き内部を見学することが出来る。
構造
合掌造り。屋根は切妻造茅葺。
入口は「平入り」(屋根の長辺側に出入口を設ける)である。
準5階建てであり、3階から5階では養蚕が営まれていた。1階の囲炉裏から暖をとり、また風通しを良くする目的で2階から上の床板には隙間がある(そのため下の階が見える)。
大きさは間口14.5間(26.4m)、奥行き7間(12.7m)、高さ8間(14.4m)である。間口はかつては今より2間半(4.5m)長かったという。
1尺角(30cm)の大黒柱、24畳の出居(応接間)の床板などには当時武士階級以外には通常許されなかったケヤキ材が使われている。塩硝上煮役と言う役職ゆえに、加賀藩から特別に許されたという。
加賀藩の役人が毎年巡視に訪れたため、その宿泊に供するための書院、奥書院(武者隠しの間)がある。
塩硝について
塩硝(えんしょう)とは硝石のことを指し、即ち火薬の原料である。山がちで稲作が少ない五箇山では和紙、養蚕の他、塩硝の生産が重要な産業であった。 塩硝の原料はヨモギ、蕎麦殻、稗殻、麻などの雑草の他カイコの糞、五箇山の土である。床下に深い穴を掘り、これらを入れて混ぜ、数年かけて土壌分解させた後、精製・抽出工程を経て塩硝ができあがる。五箇山の塩硝は品質がよいことで知られた。それは五箇山の土壌の質が適していたからだと言われる。
塩硝上煮役とは五箇山地域で作られた塩硝を加賀藩に年貢として上納する役職である。
現地情報
岩瀬家住宅は南砺市西赤尾町にある。上平小学校の斜向かいにあたる。周辺の地域は五箇山と呼ばれ、かつての加賀藩が治めた越中と天領飛騨との境界付近でもある。一帯には、相倉、菅沼、荻町(白川郷)の合掌造り集落がある。近くには、塩硝を金沢まで運ぶルートである塩硝街道が今も残る。
アクセス
自動車:東海北陸自動車道五箇山インターチェンジを下り国道156号を南(白川郷方面)へ約1km。
自動車以外1:高岡駅より加越能バス「荻町神社前」(五箇山・白川郷方面)行きに乗車、「西赤尾」にて下車すぐ。
自動車以外2:JR城端線城端駅より加越能バス「荻町神社前」(五箇山・白川郷方面)行きに乗車、「西赤尾」にて下車すぐ。
公開時間・料金
8:00-17:00
入場料:大人300円、小人150円
所在地 富山県南砺市西赤尾町857-1
位置 北緯36度22分52.05秒 東経136度52分14.25秒
類型 役宅
形式・構造 合掌造り、切妻造、茅葺
延床面積 桁行26.4m×梁間12.7m
建築年 江戸時代後期
文化財 重要文化財(1958年5月14日指定)
2023年03月13日
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