神魂神社(かもすじんじゃ)は、島根県松江市大庭町にある神社である。旧社格は県社で、意宇六社の一社。本殿は現存する日本最古の大社造りで国宝。地元では「神魂さん」、「大庭の大宮さん」と呼ばれ、大庭大宮、神納神社の別名もある。
本殿(国宝)
概要・歴史
社伝によれば、出雲国造の大祖・天穂日命がこの地に天降って創建したと伝わるが、『延喜式神名帳』、国史や『出雲国風土記』に当社が出現しないが、その理由として、出雲国造家が、自らの祖神を大庭にあった邸内で私的に祀り祭祀を行ったていた、または邸内に祀っていた社が起源であった可能性が強く、そのため文献に記載がなかったと考えられ、やがて現在地に勧請され、近隣住民の信仰を集める形となったと考えられている。文献における初見は承元2年(1208年)の鎌倉将軍家下文であり、実際の創建は平安時代中期頃とみられている。
神魂神社のある大庭(おおば)は、出雲の国分寺、国府に近く古代出雲の政治、交通、経済の中心地であり、天穂日命の子孫の出雲国造が住んだと伝わり、出雲国造は出雲大社の宮司家となるが、出雲国造として25代まで当社に奉仕していた。延暦17年(798年)以降、郡司兼務を禁じられ、大庭に別邸を残したまま、現・出雲大社のある杵築(きつき)に居を移すが、出雲国造家の代替わりのときに行われる「神火相続式(おひちぎしき)」、「古伝新嘗祭」の祭祀は、明治初年まで当社に参向して行われており、また大庭の別邸も明治初年まで神魂神社の社頭近くに存在していた。
祭神
主祭神
伊弉冊大神
配祀神
伊弉諾大神
祭神については、神魂神社神主を世襲で努めた秋上家の文書によると、中世末期から近世初期ごろに、上記の祭神とすることが多く、それ以前の祭神は不明である。時代が下って寛文年間ごろの新嘗会祝詞には、熊野大神・大己貴命などの神名が見えるが、当社の創始が出雲国造家の私的祭祀や邸内の社と考えられ、出雲国造家と関わりの深い熊野大社や出雲大社に深く関わる祭神であったからと考えられる。また社名から、出雲氏族の一つの神魂命が元の祭神であったとも考えられている。
本殿の彩色鮮やかな扉絵(日の扉)
境内
一の鳥居
二の鳥居
本殿 - 国宝(後述)
拝殿
本殿(国宝)
本殿は国宝に指定され、心御柱古材に「正平元年丙戌十一月日」の墨書銘がある。柱古材は、正平元年(1346年)の柱と考えられるが、社殿は落雷により消失したため、現在の社殿は天正11年(1583年)に古式に則って再建されたものである。室町時代の造営形態を引き継ぐ神魂神社本殿は、出雲大社よりも古い形式の大社造りをよく保存し、出雲国(島根県東半部)にのみ分布する大社造のなかの最古の遺構である。
出雲大社本殿に類似するが、規模は小さく広さは約5.5 メートル四方、切妻造り、妻入りの東向き、正面の右側に階段があり、内部は畳敷き。屋根は栃拭き、3本の鰹木と「女千木」と呼ばれる内削ぎの千木が乗る。本殿内の梁や柱は丹塗で、鏡天井に八雲、中央の梁に竜と雲が描かれ、8ケ所の壁面に、狩野山楽、土佐光起による彩色豊かな絵が描かれ、正面入り口の本殿向かって左の扉は「月の扉」、右の扉は「日の扉」とよばれ、それぞれ満月と太陽が昇る舞楽の図が扉内側に描かれている。扉は祭礼の日に開けられるため、舞楽の図を見ることができる。本殿外壁は丹塗がされていないが、内部に丹塗が残ることから、かつて外壁にも丹塗が施されていたと考えられている。
入口の階段は出雲大社と同様に正面に向かって右にあるが、殿内の中心に建つ心御柱(しんのみはしら)と脇の板壁および神座の位置と向きは、出雲大社とは反対になっており、大社造には男造(おづくり)・女造(めづくり)と呼ばれる二つの内部構造があり、出雲大社は男造、神魂神社は女造となる。
文化財
国宝
建造物
神魂神社本殿 附:内殿 1基、心御柱古材 1箇 - 1952年(昭和27年)3月29日指定。
重要文化財
建造物
神魂神社末社貴布祢稲荷両神社本殿 - 1952年(昭和27年)3月29日指定。
天正11年(1356年)建立、二間社流造、こけら葺。
交通
JR松江駅から市バスかんべの里(神魂神社)行きで25分。終点下車。
JR松江駅から一畑バス八雲行きで18分、風土記の丘入口下車徒歩10分
JR松江駅からタクシーで15分
本神社を起点とする島根県道248号神魂神社線が国道432号まで伸びている。
所在地 島根県松江市大庭町563
2022年12月12日
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