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2022年10月27日

熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区神宮にある神社

熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区神宮にある神社。式内社(名神大社)、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。

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祭神
主祭神
熱田大神(あつたのおおかみ)
三種の神器の1つ・草薙神剣(くさなぎのみつるぎ、草薙剣・天叢雲剣とも)[9]を神体とする天照大神を指すとしている。
相殿神
天照大神(あまてらすおおかみ)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやすひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)

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境内
本殿 - 本宮の中心である本殿は、1893年(明治26年)に造営された社殿を元とし、現在までに数度にわたり改修を受けたものである。建築面積は60.7平方メートル、建築様式は神明造で屋根には銅板を葺き、千木・勝男木を冠する。四方に廻椽と勾欄がめぐらされ、南正面に木階段が敷かれている。掘立柱が沓石で据えられている。
東宝殿
西宝殿
幄舎
瑞垣北御門
瑞垣御門
守衛舎
東掖御門
西掖御門
内玉垣御門
翼廊
拝殿
四尋殿
外玉垣御門

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文化財
草薙剣が御神体である所以から熱田神宮には多くの刀剣が市井から奉納されてきており、約450口の刀剣を所蔵する。そのうち30口以上が国と県の指定文化財である。
国宝
短刀 銘来国俊 正和五年十一月日
重要文化財
紙本著色法華経涌出品
木造舞楽面 12面(陵王1、納曽利2、還城楽1、崑崙八仙4、二ノ舞2、抜頭1、貴徳1)
菊蒔絵手筥
鏡及鏡箱
松竹双鶴文円鏡・桐鳳凰蒔絵鏡箱
松竹双鶴文八稜鏡・蓬莱蒔絵鏡箱
松竹双鶴文八稜鏡・蓬莱蒔絵鏡箱
古神宝類一括(明細は後出)
金銅装唐鞍 一具(附 黒漆鞍3背及び付属品、飾鞍図1巻)(明細は後出)[101]
金銅兵庫鎖太刀
太刀 銘国友
太刀 銘則国
剣 銘吉光
太刀 銘了戒嘉元三年三月日 山城国住人九郎左(以下切)
脇指 銘長谷部国信
短刀 銘長谷部国信 (切付銘)藤原友吉
短刀 銘国光 元徳三年(以下切)
太刀 銘宗吉作(1911年重文指定)
太刀 銘宗吉作(1912年重文指定)
剣 銘為清 身に熱田太神宮宗久と切付あり
太刀 銘長光
太刀 銘備州長船兼光
太刀 銘備州長船重光
太刀 銘元弘三年六月一日実阿作 鎬地に文祿四年守勝の寄進銘あり
剱 銘□利(包利)
太刀 銘真行 身の表に元亀二年辛未八月八日大久保与九郎、裏に熱田大名神奉寄進之と切付あり
太刀 無銘(伝真長)
脇指 銘指表に奉納尾州熱田大明神、指裏に両御所様被召出於武州江戸御劔作御紋康之字被下罷上刻籠越前康継とあり
日本書紀(紙背和歌懐紙)15巻 永和元年二年三年浄阿寄進奥書(附 永和三年霜月四日寄進状1巻)
後花園天皇宸翰御消息 永享五年十二月十二日(附 足利義教内書)
典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による(ト書きは現代式表記に改める)。

他に旧国宝建造物の海上門と鎮皇門があったが、第二次世界大戦時の空襲で焼失した。

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国宝 短刀 銘来国俊 正和五年十一月日

現地情報
所在地
愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
付属施設
愛知県神社庁、神職養成機関の熱田神宮学院がある。社務所に当たる組織は「熱田神宮宮庁」と呼ばれる。
交通アクセス
鉄道
JR logo (central).svgJR東海
CA東海道本線
(CA65)熱田駅(北緯35度07分48.6秒 東経136度54分31.74秒) - 熱田神宮境内の北東にあたる。
Meitetsu logo.png名鉄
NH名古屋本線・TA常滑線
(NH33)神宮前駅(北緯35度07分32.87秒 東経136度54分44.9秒) - 熱田神宮境内の東にあたる。
Nagoya Subway Logo (black).svg名古屋市営地下鉄
Nagoya Subway Logo V2 (Meijo Line).svg名城線
(M26)伝馬町駅(北緯35度07分14.65秒 東経136度54分37.37秒) - 熱田神宮境内の南にあたる。
(M27)神宮西駅(北緯35度07分40.16秒 東経136度54分23.84秒) - 熱田神宮境内の北西角にあたる。
バス
名古屋市営バス
神宮東門停留所
熱田伝馬町停留所
熱田駅西停留所
熱田区役所停留所
名鉄神宮前停留所 - 名鉄神宮前駅の東側にあるため、距離がある。
自動車
東門駐車場(約300台)、南門駐車場(約60台)、西門駐車場(約40台)がある[108]。ただし、祭典行事などで駐車が制限されることがある。
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2022年10月26日

熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮にある神社

熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮にある神社。熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。かつては式内社(大)であり、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

境内地は国の史跡「熊野三山」の一部。2002年(平成14年)12月19日、熊野三山が史跡「熊野参詣道」から分離・名称変更された際に、御船島を含む熊野速玉大社境内が追加指定された。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部。

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熊野速玉大社

祭神
上四社
第一殿 結宮 熊野夫須美大神(熊野結大神) 千手観音
第二殿 速玉宮 熊野速玉大神 薬師如来
第三殿 証誠殿 家津美御子大神・国常立尊 阿弥陀如来
第四殿 若宮 天照大神 十一面観音
神倉宮
高倉下命 (本地仏なし)
中四社
第五殿 禅児宮 天忍穂耳尊 地蔵菩薩
第六殿 聖宮 瓊々杵尊 龍樹菩薩
第七殿 児宮 彦火火出見尊 如意輪観音
第八殿 子守宮 鵜葺草葺不合命 聖観音
下四社
第九殿一万宮 国狭槌尊 文殊菩薩 十万宮 豊斟渟尊 普賢菩薩
第十殿 勧請宮 泥土煮尊 釈迦如来
第十一殿 飛行宮 大戸道尊 不動明王
第十二殿 米持宮 面足尊 多聞天

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入口鳥居

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拝殿

文化財
国宝
古神宝類
木造熊野速玉大神坐像・木造夫須美大神坐像・木造家津御子大神坐像・木造国常立命坐像 4躯(2005年〈平成17年〉6月9日指定)
重要文化財
木造伊邪那岐神坐像(1899年〈明治32年〉8月1日指定)
木造伊邪那美神坐像(1897年〈明治30年〉12月28日指定)
木造皇太神坐像(1899年〈明治32年〉8月1日指定)
髹漆金銅装神輿(きゅうしつこんどうそうしんよ)(1897年〈明治30年〉12月28日指定)
髹漆金銅装神幸用船(きゅうしつこんどうそうしんこうようふね)(1897年〈明治30年〉12月28日指定)
太刀 銘正恒(附・糸巻太刀拵)(1913年〈大正2年〉4月14日)
重要無形民俗文化財
新宮の速玉祭・御燈祭り(保護団体:熊野速玉大社祭事保存会)
国の史跡
熊野三山 - 熊野速玉大社境内(神倉神社境内地および千穂ヶ峯の一部含む)および御船島(速玉大社社地)は史跡「熊野三山」の一部である。

所在地 和歌山県新宮市新宮1
位置 北緯33度43分55.8秒 東経135度59分0.7秒
主祭神 熊野速玉大神
熊野夫須美大神
社格等 式内社(大)
旧官幣大社
別表神社
創建 伝・景行天皇58年
札所等 神仏霊場巡拝の道第1番(和歌山第1番)
例祭 10月15 - 16日(熊野速玉祭)
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2022年10月25日

菅田天神社(かんだてんじんしゃ)は、山梨県甲州市塩山上於曽にある神社

菅田天神社(かんだてんじんしゃ)は、山梨県甲州市塩山上於曽にある神社。祭神はスサノオノミコト、五男三女神、菅原道真。

県中東部、甲府盆地の北東縁に位置。塩山は恵林寺や向嶽寺などの古刹が集中し、武田氏の保護を受けた寺社も多い。

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甲州市 菅田天神社

歴史
『甲斐国社記寺記』によれば、承和9年(842年)、甲斐国司の藤原伊太勢雄が勅命により少目飯高浜成に命じて創建される。寛弘元年(1004年)には相神に菅原道真を祭っており、これが「菅田天」の由来となっている。

古くから甲斐源氏の鎮守と位置づけられ、特に甲斐武田氏の篤い保護を受け、神主は府中八幡宮への参勤を免除された。甲府の鬼門にあたることから、武田信光のころ御旗(雲峰寺所蔵)とともに武田氏の家宝として相伝されていた楯無が安置された。鎧は於曽氏が管理していた。『甲斐国志』によれば、永禄4年(1561年)2月には武田信豊から、永禄7年(1564年)5月には板垣信安からそれぞれ社領寄進を受けている。『国志』によれば、武田氏滅亡に際しては楯無鎧が塩山向嶽寺の杉下に埋められ、後に徳川家康により再び当社に安置されたとする伝承を持つが、鎧の詳細調査では埋められた形跡は確認されていない。

天正11年(1583年)には徳川氏から社領安堵を受けて、慶長8年(1603年)には禁制を下されている(『社記』による)。慶長7年と正徳3年には社殿造営が行われる。宝物殿には「楯無」と比定される小桜韋威鎧(こざくらがわおどしよろい国宝)を所蔵しており、これは現代に至るまで秘蔵であったが、江戸時代には幕命で甲州の古記録調査を行っていた青木昆陽が見聞し、『甲陽軍鑑』の流行もあり多くの参拝者が往来した。昭和40年(1965年)3月の火災で社殿を焼失するが、昭和44年(1969年)に復興。

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文化財
国宝
小桜韋威鎧 兜・大袖付(こざくらがわおどしよろい かぶと・おおそでつき)。
始祖新羅三郎義光以来、甲斐武田家代々の重宝として伝わった「楯無」と号する鎧に当たるものと伝えられている。『甲斐国志』に記される伝承、および鎧の威毛(おどしげ)裏の墨書には本鎧の由緒を以下のように伝える。武田信玄はこの鎧を鬼門除けのため、菅田天神社に奉納した。その後、天正10年(1582年)、武田氏の滅亡に際し、武田勝頼の臣・田辺左衛門尉は本鎧を向嶽寺の大杉の根元に埋めたという。江戸幕府の時代になって、徳川家康は鎧を掘り出させ、再び菅田天神社に奉納した。江戸時代には盗難に遭い、寛政年間(18世紀末)に修理し、文政10年(1827年)にも函工(甲冑師)岩井某に命じて修理をさせたという。
現存する鎧は、補修は多いが、平安時代後期の作。草摺を前後左右の4間(脇楯含む)に分ける通常の大鎧の型式だが、両胸の前に垂らす栴檀板(せんだんのいた)と鳩尾板(きゅうびのいた)は欠失している。威毛は、桜花文を藍で染め出した韋(かわ)をさらに黄色で染めて、桜花文が緑色に発色した、小桜黄返威(こざくらきがえしおどし)と呼ばれるものである。据文金物(すえもんかなもの)、八双鋲の台座には武田氏ゆかりの花菱文が用いられている。兜は鉄十枚張、八間の厳星兜(いかぼしかぶと)である。後世の補修による改変部分が多く、胴正面の弦走韋(つるばしりのかわ)や威毛の大部分は後補であるが、金具回りの形態などに古制を残している。特に、大袖の冠板の形態が、中央部が高く左右が低い山形の稜線をなすのは、『伴大納言絵巻』(平安時代末期作)には見られるが、現存する実物資料としては本鎧のみであり、兜鉢の勾配が急である点とともに、時代の古さを物語っている。
その他
境内にはカシをはじめスギ、ヒノキ、ケヤキが繁る。カシはツクバネガシと、アカガシとツクバネガシの雑種であるオオツクバネガシで構成されており、昭和38年(1963年)に県指定天然記念物となっている。

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国宝「小桜韋威鎧兜(こざくらかわおどしよろいかぶと)

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所在地 山梨県甲州市塩山上於曽1054
位置 北緯35度42分18.63秒 東経138度43分41.5秒
主祭神 スサノオノミコト
五男三女神
菅原道真
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2022年10月24日

アジサイ寺として知られる・阿弥陀寺(あみだじ)

阿弥陀寺(あみだじ)は、山口県防府市牟礼にある華厳宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。アジサイの寺として知られる。

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阿弥陀寺の山門(仁王門)

概要
1187年(文治3年)東大寺重源により、東大寺の周防別所として創建されたとされる寺。阿弥陀寺の住職は周防国の国司の任にあたった。1484年(文明16年)に焼失したが、大内氏の援助を受けて再興されている。かつては多くの塔頭を有していた。

東大寺再建のための木材伐り出しに従事する人夫たちのため、重源が設けたと言われる石風呂が文化財として残っている。また、後代に造られたもうひとつの石風呂があり、毎月第1日曜日には石風呂が焚かれるため、一般入山者でも有料(薪代)で入浴することができる。

山門の前で咲いているアジサイ
1975年(昭和50年)頃よりアジサイの植樹が始まり、1988年(昭和63年)には防府商工会議所青年部なども植樹に参加。現在では80種・約4000株のアジサイが植えられて、アジサイ寺として知られるようになる。1989年(平成元年)以降は、毎年6月頃にアジサイ祭を開催する。

中門は1871年(明治4年)に東大寺所管の惣門を移設したもので、本堂は1731年(享保16年)に右田毛利家の毛利広政によって再建された。

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文化財
国宝
鉄宝塔(水晶五輪塔共)
重要文化財
木造金剛力士立像
木造重源坐像
紙本墨書阿弥陀寺田畠注文並免除状
鉄印(東大寺槌印)
重要有形民俗文化財
阿弥陀寺の湯屋(附:旧湯釜、旧湯舟残欠)
市指定有形文化財
仁王門(1685年に右田領主毛利就信によって再建された)
地蔵石仏
市指定天然記念物
阿弥陀寺のヤマモモ

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鉄宝塔(国宝:鎌倉時代)

交通
JR山陽本線防府駅より防長交通の防府天満宮・毛利邸方面の阿弥陀寺行きで終点下車目の前。

所在地 山口県防府市大字牟礼字上坂本1869番地
位置 北緯34度4分37.2秒 東経131度36分52.3秒
山号 華宮山(かぐうざん)
宗派 華厳宗・真言宗御室派兼帯
寺格 東大寺別院 ← 東大寺周防別所
本尊 阿弥陀如来
創建年 文治3年(1187年)
開基 重源
正式名 東大寺別院 華宮山阿彌陀寺
文化財 鉄宝塔(国宝)ほか
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2022年10月23日

国宝指定の土偶の通称・縄文の女神(じょうもんのめがみ)

縄文の女神(じょうもんのめがみ)は、山形県舟形町にある西ノ前遺跡から出土した、縄文時代中期に製作されたと見られる国宝指定の土偶の通称である。

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土偶「縄文の女神」山形県立博物館展示。

概要
縄文の女神は、高さ45センチメートル (cm)、淡い赤褐色をした土偶である。縄文時代の人の姿が究極に再現された土偶であり、故意に壊された状態で発見され復元が不可能な土偶が多い中、完全な土偶は日本国内では珍しいとされる。

1986年、尾花沢新庄道路(東北中央自動車道)の建設工事の具体化に伴い、山形県教育委員会が行った遺跡詳細分布調査によって西ノ前遺跡が発見され、1992年6月から尾花沢新庄道路の建設ルートとなった最上小国川左岸(西ノ前遺跡内)の発掘調査が行われ、8月4日から8月6日の間に、直径約2.5メートル (m)、地下1 mの範囲から左足、腰、頭、胴、右足など5つに割れた土偶が次々と出土。その後復元され、高さは45 cmと日本で発掘された土偶の中で最大級とされる。均整のとれた八頭身の美しい容貌から、縄文の女神と呼ばれるようになった。また、この発掘調査で縄文の女神以外にも47点の土偶残欠が出土し、国宝の附(つけたり)として指定されている。

1998年6月30日に「土偶1箇 附 土偶残欠47箇 山形県西ノ前遺跡出土」の名称で国の重要文化財に指定され、2012年9月6日に同じ名称で国宝に指定された。山形県内としては6件目、土偶としては4件目の国宝指定である。

本土偶は山形県立博物館に保管されており、レプリカが舟形町歴史民俗資料館に展示されている。

イギリスの大英博物館で2009年に開催された土偶展にも展示されるなど、日本国外での出展歴もある。

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詳細
本土偶の出土地点周辺からは縄文中期の大木8a式土器が出土しており、本土偶の製作年代も同時期と見られる。本土偶は女性の身体を極限にまでデフォルメした造形に特色がある。顔面は扇形に形成され、扁平でわずかに内彎する。顔面には4か所に小孔を穿つほか、目鼻等の表現はない。後頭部は大きく内彎する。左右の乳房はそれぞれ逆三角形を呈し、2条の沈線で縁取る。胴部は正中に2条の沈線を垂直方向に施し、この沈線の下方には刺突によって臍を表す。臀部は後方に大きく屈曲している。腰部には沈線で入り組んだ文様を表す。左右の脚はそれぞれ角錐状に形成され、最下部で結合している。それぞれの脚の前面と背面は太めの沈線で斜線状の文様を密に表すが、側面は無文である。両脚とも、足裏に穴を空けて内部の土を掻き出しており、その深さは3 cm強である。このように内部の土を掻き出すのは、焼成時に内部が生焼けになるのを防ぐための技術的工夫であると考えられている。本土偶は5つに割れた状態で出土したものであるが、ほぼ完形に接続復元されている。縄文土偶は故意に破壊された状態で出土するものが多いなかで、本土偶は全体をほぼ完存する点で貴重であり、大きさ(高さ45 cm)も縄文土偶としては最大級であり、日本を代表する土偶の1つであると評価されている。

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縄文の女神
出土地 山形県最上郡舟形町舟形字西ノ前西ノ前遺跡(集落跡)
年代 縄文時代中期
高さ 45 cm
肩幅 16.8 cm
腹厚 約7 cm
股下脚長 約15 cm
重さ 3155グラム (g)
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2022年10月22日

眼病に霊験あらたかな神社との信仰を集める・生目神社(いきめじんじゃ)

生目神社(いきめじんじゃ)は、宮崎県宮崎市大字生目にある神社。亀井山と称する丘上に東面して鎮座し、「日向の生目様」と呼ばれる古くから眼病に霊験あらたかな神社との信仰を集める。旧社格は県社。

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祭神
品陀和気命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)と藤原景清公を主祭神に、彦火瓊々杵尊、彦火火出見尊、鵜茅葺不合尊の3柱を相殿に祀る。

由緒
鎮座地周辺は豊前宇佐八幡宮の神領地である宮崎庄に含まれるため、庄園の鎮守として八幡神を勧請したのが創まりと考えられ、『宇佐大鏡』に因れば天喜4年(1056年)には既に鎮座していたようであるが、元亀、天正の頃(16世紀末)、兵火に罹って記録類を焼失したために詳しい沿革は不明である。なお、「生目」の神社名については一説に、源平合戦(治承・寿永の乱)の後に源頼朝に捕らわれた藤原景清が、源家の栄達を目にすることを厭うとともに源家への復讐を断念するために自身の両眼を抉ったところ、その志を賞した頼朝から日向勾当という勾当職と日向国の地300町(およそ3,600坪)を与えられたといい、当地へ下向した景清の没後にその(抉った)両眼を祀ったことによると伝えるが、別に、古くからの眼病治癒の霊地であったために「生目(活目)八幡宮」と称したとも、景行天皇の熊襲征伐の途次、先帝である活目入彦五十狭茅尊(いきめいりひこいさちのみこと。垂仁天皇)の崩御日にその霊を祀る祭祀(先帝祭)を当地において営んだため、住民がこれを嘉して引き続き聖地として崇め、「活目八幡宮」と称えたともいう。なお、藤原景清が祀られるに至った経緯については庄官等の宮崎庄の経営に関係した人物に偶々「悪七兵衛」か「景清」を名とする者がおり、これを著名な藤原景清に付会する説が起こったためと解する説もある。

明治3年(1870年)に現在の社名に改め、同5年郷社に列し、翌6年県社に昇った。

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信仰
鎮座地の亀井山に湧く清水が6方へと流れ、亀の頭、尾、左右手足を髣髴とさせるが、かつては眼病を患う者がこの水を掬って目を濯ぐ習わしがあり、現在も眼疾治癒を望む参詣者はこの水で沸かした茶を飲む。戦前には熊本県の天草等の眼疾患者が農閑期を選んで参拝し、平癒祈願の成就を願ってこの水を汲みつつ1箇月、3箇月と逗留し、その間は筵を打つ等して生活費を稼いだという。

また、元祿2年(1689年)3月3日に豊後国日田郡の郡代、池田季隆が参詣し「かげ清く照らす生目の鑑(かがみ)山、末の世までも曇らざりけり」と詠じたところ、「鑑山」を「水鑑」と改め、これを唱える事で霊験が得られようとの神託が下ったため、季隆により「かげ清く照らす生目の水鑑、末の世までも曇らざりけり」と改められ、爾来神詠歌として参詣者に唱えられることとなった。

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文化財
重要文化財(国指定)
木造神王面(宝治二年銘) 附:木造神王面(天文五年銘)
宝治銘神面は縦51.2センチメートル、横31.1センチメートル、鼻の高さ22.7センチメートル。裏面の「土持右衛門尉田部通綱、宝治二年五月日」の墨書銘から鎌倉時代中期の宝治2年(1248年)の作である事が判り、現在確認されている県内最古の有銘仮面とされ、また県土持氏の2代目である通綱の存在を裏付ける史料ともなっている。天文銘神面は、縦62.1センチメートル、横44.0センチメートル、鼻の高さ26.3センチメートルで、裏の銘文に「生目八幡宮奉寄進大台面、石塚図書助藤原朝臣祐政、(中略)天文五年丙申十月」とあり、室町時代後期の天文5年(1536年)に伊東氏の支流と思われる石塚祐政が子孫繁昌を願って寄進したものであることが判る。
ともに紐孔が無いことや、形状や大きさ、型式からみて、被るための面ではなく当初から奉納を目的に制作されたものと考えられ、それぞれの時代様式を備えると共に、中世における地頭層の信仰とそれが神面史に与えた影響を窺わせるものでもあり、文化史や民俗学的に意義あるものと認められている。2003年(平成15年)10月16日、県の有形文化財(工芸品)に指定。2018年、国の重要文化財に指定。

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木造神王面(宝治二年銘) 附:木造神王面(天文五年銘)

所在地 宮崎県宮崎市大字生目小字亀井山345
位置 北緯31度55分05.8秒 東経131度22分36.4秒座
主祭神 品陀和気命・藤原景清公
社格等 旧県社
創建 不明
本殿の様式 入母屋造銅板葺
別名 生目八幡宮
例祭 11月23日
主な神事 縁日祭(旧暦1月15 - 17日)
里神楽祭(3月中旬)
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2022年10月21日

社殿(本殿・石の間・拝殿)は国宝に指定されている・大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)

大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)は、宮城県仙台市青葉区八幡にある神社である。旧社格は村社。社殿(本殿・石の間・拝殿)は国宝に指定されており、どんと祭の裸参りで知られる。

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拝殿(国宝)

祭神
応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
江戸時代に仙台で盛んとなった卦体神(けたいがみ、十二支の守り本尊)信仰に伴い、乾の守り本尊である阿弥陀如来とされたことから、現在でも戌亥歳生まれの人からの崇敬を集めている。

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石鳥居(宮城県指定有形文化財)

社名・歴史
創建年代は不明であるが、社伝では坂上田村麻呂が宇佐神宮を鎮守府胆沢城(現岩手県奥州市水沢)に勧請し鎮守府八幡宮と称したことに始まり、室町時代に入り奥州管領であった大崎氏が自領地内(現宮城県大崎市田尻町)に遷したため、大崎八幡宮と呼ばれるようになったという。

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大崎八幡宮御社殿 拝殿 石の間 本殿 

文化財
国宝
本殿、石の間、拝殿(1棟) - 慶長12年(1607年)竣工。昭和27年(1952年)国宝指定。解説は既出(「社殿」の項を参照)。
重要文化財
長床(1棟)
登録有形文化財
社務所
旧宮司宿舎
神馬舎
選択無形民俗文化財
能神楽

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社殿。手前が拝殿、奥の屋根が本殿で、これらの間を「石の間」で繋ぐ。

交通
どんと祭の日は、パークアンドライド用の駐車場が開設されたり、仙台市都心部との間などに臨時バスが運行されたりする。1941年(昭和16年)から1976年(昭和51年)までは仙台市電・八幡神社前駅が最寄り駅だった。

バス
仙台駅西口バスプールの10番乗り場(定義、作並温泉、白沢車庫、芋沢、大沢・青野木、茂庭、西花苑)、または、15番乗り場(南吉成団地、国見ヶ丘)より、仙台市営バス[840]・[844]・[845]・[846]・[850]・[855]系統に乗車し、「大崎八幡宮前バス停」下車。
仙台市地下鉄南北線・北四番丁駅付近の「二日町北四番丁バス停」より、上記系統に乗車し、「大崎八幡宮前バス停」下車。
仙台駅西口バスプールの10番乗り場より、仙台市営バス[X820]系統に乗車し、「大崎八幡宮前バス停」下車。
仙台駅西口バスプール15-3番乗り場より、仙台市営バスるーぷる仙台に乗車し、「大崎八幡宮前バス停」下車。ただし、瑞鳳殿、仙台城址、青葉山、宮城県美術館を経由するため、これらの施設を巡った後に立ち寄るのには便利だが、仙台駅前から直接訪れるためには、上記の路線バスの約2倍の所要時間(43分)がかかることに注意。
鉄道
JR logo (east).svg仙山線
東北福祉大前駅から北参道まで徒歩12分。
国見駅から表参道まで徒歩15分。
無料駐車場
北参道前にある。普通車:約70台、タクシー:4台、バス:2台
駐車場の出入口は、市道宮脇通線、市道小石沢通線、市道鈴虫荘公園前線がつくる変則五叉路に坂道で接続し、実質的に変則六叉路を形成しているので出入りに注意。

所在地 宮城県仙台市青葉区八幡四丁目6番1号
位置 北緯38度16分21.1秒 東経140度50分42秒
主祭神 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
社格等 村社
創建 不明
本殿の様式 権現造
例祭 9月14日 - 17日
主な神事 松焚祭(どんと祭)
posted by Kazu at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮城県

2022年10月20日

神社本庁の本宗(ほんそう。全ての神社の上に立つ神社)であり、「日本国民の総氏神」とされる・伊勢神宮(いせじんぐう)

伊勢神宮(いせじんぐう)は、日本の三重県伊勢市にある神社。正式名称は地名(伊勢)を冠しない「神宮」(じんぐう)であり]、他の神宮と区別するために伊勢神宮と通称される。

「伊勢の神宮」、または親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」[3]とも称される。古来、最高の特別格の宮とされ、現在は神社本庁の本宗(ほんそう。全ての神社の上に立つ神社)であり、「日本国民の総氏神」とされる。

律令国家体制における神祇体系のうちで最高位を占め、平安時代には二十二社の中の更に上七社の1社[注釈 2]となった。また、神階が授与されたことのない神社の一つ。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、全ての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。

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祭神
主祭神は以下の2柱。
皇大神宮:内宮(ないくう)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ) - 一般には天照大御神として知られる。
豊受大神宮:外宮(げくう)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)
主祭神以外については、各宮の項目を参照のこと。

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神宮125社
詳細は「神宮125社の一覧」を参照のこと。
神宮が管理する宮社は125社あり、俗に「神宮125社」と呼ばれる。内訳は内外両正宮に別宮14、摂社43、末社24、所管社42。伊勢市だけでなく、三重県内の度会郡大紀町、玉城町・度会町、志摩市、松阪市、鳥羽市、多気郡多気町の4市2郡に分布する。

正宮(しょうぐう) - 皇大神宮 (内宮)と豊受大神宮 (外宮)の2宮。
別宮(べつぐう) - 「正宮のわけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされる。
摂社(せっしゃ) - 『延喜式神名帳』に記載されている神社(正宮、別宮を除く)。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼ全てが廃絶となり、江戸時代の寛永年間(1630年代)から明治初頭(1870年代)にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある。
末社(まっしゃ) - 『延暦儀式帳』に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)。
所管社(しょかんしゃ) - 正宮・別宮・摂社・末社以外の神社。

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祭事
総説
伊勢神宮の祭祀は、通例の場合別宮、摂社、末社、所管社を合わせて年間1500回に及ぶが、これらの祭祀は稲作の周期に合わせて巡行するものであり、秋の収穫の季節に行われる神嘗祭に向かって集約される仕組みとなっている。『日本書紀』によれば、稲は天照大御神が天孫瓊瓊杵尊を通じて民のために授けた穀物とされる(斎庭稲穂の神勅)。伊勢神宮では、米を単なる食料としてではなく、神と人とを結ぶお供え物として重んじ、米を中心に大御神の神恩に感謝する祈りを行なっている。

現在の伊勢神宮の祭式は、大正4年に神宮司庁により決議された「神宮祭式行事作法」が概ね踏襲されている。伊勢神宮の祭式作法は、通常の神社と異なる点が多々ある。例えば、通常の神社では玉串は根本を神前に向けて奉るが、伊勢神宮においては根本を自分側に向けて奉る。これは、元々伊勢神宮では太玉串を内玉垣南御門の柱頭に向けて奉っていたからで、案上に奉奠する現在でもその時の本義のままに玉串を奉っているのである。このため、通常の神社では拝礼行事の中に玉串拝礼が組み込まれているが、伊勢神宮では丁重な太玉串の行事の伝統を背景に、拝礼行事と玉串奉奠が別事で行われ、奉幣の儀と神御衣祭で太玉串が奉られる。

また、拝礼では再拝二拍手一拝ではなく、八度拝という特殊な作法が用いられる。これは、坐した状態から起ち、さらに伏しながら坐して拝する「起拝」という作法をまず四度行い、続いて拍手を八つ打ち、さらに一つ打って坐したまま一拝するという作法であり、これを二度繰り返す。ただし、これは祭典に奉仕する神職の作法であり、通常の参拝者が板垣や御垣内で拝礼を行う際にはあくまで通常の作法で行う。この他に、神宮祭祀と他神社の祭祀との相違点として、神宮には拝殿や幣殿が存在しないため祭儀は御垣内の庭上、すなわち屋外で行われること、献饌(神饌の献上)と献幣(幣帛の献上)が別々に行われること、大祭および中祭において御扉の開閉が行われない(三節祭のみで行われる)ことなどが挙げられる。

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国宝
玉篇 巻第廿二

重要文化財(国指定)
紙本著色伊勢新名所絵歌合
神宮古神宝類(明細は後出)
太刀 銘吉信(附 糸巻太刀拵)
太刀 銘次家
太刀 銘俊忠(附 糸巻太刀拵)
刀 折返銘有国
毛抜形太刀
古事記上巻 1冊 応永三十三年春瑜書写奥書
古事記裏書 1冊 応永三十一年道祥書写奥書
古文尚書 13巻 自正和元年至正和三年清原長隆伝授奥書
神宮法楽和歌 16巻 霊元天皇以下歴代天皇宸翰
日本書紀私記 応永三十五年髪長吉叟書写奥書
日本書紀私見聞(道祥自筆本、応永三十三年抄出奥書)1冊・日本書紀私見聞(春瑜自筆本)2冊
皇太神宮儀式帳残巻・等由気太神宮儀式帳
度会氏系図(元徳元年十一月注進本)
天養記
神鳳鈔(附:神鳳鈔御巫本)
氏経卿神事記
氏経卿引付 7冊
金銅透彫金具 - 静岡県浜松市浜北区根堅出土
据台付子持はそう(「はそう」の漢字は左が「瓦」、右が「泉」)福岡市西区羽根戸出土
角屋家貿易関係資料(明細は後出)
渋川春海天文関係資料(明細は後出)
神宮祭主職舎本館(旧慶光院客殿)- 所在:伊勢市宇治浦田
出典:2000年までの国宝・重要文化財指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(毎日新聞社、2000年)の「所有者別総合目録」「名称総索引」「統計資料」による。
国の登録有形文化財
神宮徴古館
神宮農業館
国の選択無形民俗文化財
伊勢の「お木曳き」行事
伊勢の「白石持ち」行事
国の史跡
旧林崎文庫(伊勢市宇治今在家町所在)

おみくじ
伊勢神宮にはおみくじがない。神宮側の見解としては、おみくじは日頃から参拝できる身近な神社で引くものであることと、「一生に一度」とされたお伊勢参りをした日が大吉でないわけがないことを理由として挙げている。「伊勢神宮では個人的な吉凶を占うことがはばかられるから」という別の説もある。

おかげ横丁では、犬の置物とセットになった「おかげ犬」のおみくじや「おかげ干支みくじ」が売られているほか、第三銀行おかげ横丁出張所では利用明細票に運勢を表示するおみくじ機能付き現金自動預払機(ATM)を設置している。

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所在地
内宮(皇大神宮):三重県伊勢市宇治館町1
外宮(豊受大神宮):三重県伊勢市豊川町279
交通
内宮まで
鉄道
最寄駅:近鉄鳥羽線 五十鈴川駅
徒歩:約30分
バス:約10分 - 宇治山田駅・伊勢市駅・外宮からの路線
近鉄山田線・鳥羽線 宇治山田駅
バス:約15分
JR東海参宮線・近鉄山田線 伊勢市駅
バス:約15分(路面電車型バス「神都バス」も運行される)
自家用車
伊勢自動車道 伊勢西ICから、三重県道32号伊勢磯部線(御木本道路)を南へ2分、のち「浦田」交差点から伊勢街道を南へ2分。
駐車場:宇治橋周辺の参拝者用駐車場を利用。
混雑時には自家用車は浦田町交差点から内宮方面へ進入禁止の規制が行われるため、宇治浦田町の伊勢市営駐車場や、近隣の三重県営総合競技場(五十鈴公園)に併設されている駐車場などを利用(有料)。
初詣の期間には大晦日深夜より正月三が日を含む数日間は、三重県営サンアリーナ駐車場とバス専用レーンを利用したパークアンドライドが行われている(2003年初詣期間以降)。またゴールデンウイーク期間中も同様にパークアンドライドが実施されている(2010年時点)。
外宮まで
鉄道
最寄駅:JR東海参宮線・近鉄山田線 伊勢市駅 (徒歩約5分)
近鉄山田線 ・鳥羽線 宇治山田駅(バス約6分)
バス
三重交通「外宮前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
三重交通「伊勢市駅前」バス停下車 (下車後徒歩5分)
自家用車
伊勢自動車道 伊勢西ICから、三重県道32号伊勢磯部線(御木本道路)を北へ約5分
駐車場:北御門前に434台収容の無料駐車場あり。内宮同様正月の混雑時にはパークアンドライドが行われている。
補足事項
外宮から内宮へは、徒歩で約50分(バス運行あり)。
大鳥居より内には犬の同伴は不可である。内宮、外宮ともに大鳥居の横に位置する警備室で犬の預かりがある。
posted by Kazu at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 三重県

2022年10月19日

北海道内初の国宝に指定された中空土偶(ちゅうくうどぐう)

中空土偶(ちゅうくうどぐう)とは、中が空洞に作られている土偶のことである。

北海道旧南茅部町(現・函館市)著保内野(ちょぼないの)遺跡で出土した中空土偶が有名であり、以下ではこの土偶について記述する。

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国宝「中空土偶」、函館市縄文文化交流センター

著保内野遺跡出土
1975年(昭和50年)8月24日、北海道の旧南茅部町(現在の函館市尾札部町)でジャガイモ畑から中空土偶が発見された。

地元の主婦が農作業をしていたところ、畑から人型の焼き物が出土したもので、主婦が家族にその焼き物を見せたところ、教科書で見た土偶ではないかとの意見があったため、主婦は地元役場に相談した。これを受けて南茅部町教育委員会(当時)が発掘調査を行なったところ、出土地周辺には縄文時代後期の墳墓群が存在する可能性があることが判明し、著保内野遺跡として周知の遺跡となった。出土した土偶は1979年(昭和54年)重要文化財に指定された。

発見された土偶は、高さ41.5cm、幅20.1cm、重さ1,745gで、中空土偶としては国内最大である。作りが極めて精巧で写実的であり、表面がよく研磨されている。非常に薄づくりで紋様構成も優れていることから、縄文時代における土偶造形の頂点とも評価されている。出土した南茅部の「茅」と、中空土偶の「空」をとって「茅空(かっくう)」という愛称がつけられている。

2004年(平成16年)12月、いわゆる「平成の大合併」により、函館市と南茅部町が合併した。函館市は著保内野遺跡の内容把握を目的とした再調査を2006年(平成18年)に実施した。この調査により、遺跡の一帯からヒスイの勾玉や漆片などが発見されたため、改めてこの遺跡が縄文時代後期(約3200年前)の集団墓であり、配石を伴う土坑墓群に関連して埋葬された可能性が高く、当時の祭祀や呪術的な生活文化を知る手がかりとなった。 これらの調査結果などを受けて、2007年(平成19年)、中空土偶「茅空」は北海道内初の国宝に指定された(2022年現在道内唯一の国宝となっている)。

2016年現在、函館市役所正面玄関にてレプリカが展示されている。

2011年10月1日、「茅空」の現物を常設展示する博物館「函館市縄文文化交流センター」が函館市臼尻町にオープンした。[2]同時に、道の駅「縄文ロマンみなみかやべ」も同じ施設内にオープンした。

「茅空」が展示会等に貸し出される際、展示棚の現物が空の状態かレプリカが展示される。

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国宝「中空土偶」函館市所蔵
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国宝「中空土偶」函館市所蔵

製作 約3200年前
発見 1975年、北海道函館市尾札部町
所蔵 市立函館博物館
posted by Kazu at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道

2022年10月18日

勝常寺(しょうじょうじ)は福島県河沼郡湯川村にある真言宗豊山派の寺院

勝常寺(しょうじょうじ)は福島県河沼郡湯川村にある真言宗豊山派の寺院。会津中央薬師堂とも称される。山号は瑠璃光山。本尊は薬師如来。寺に安置されている仏像のうち、国宝の木造薬師如来及び両脇侍像をはじめとする12体は平安時代初期の9世紀にさかのぼる造立である。毎年4月28日には薬師如来の祭礼として念仏踊りが催されている。

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勝常寺 薬師堂  (福島県湯川村)

文化財
勝常寺には30余体の仏像があり、うち12体は平安時代初期のもので、おそらく創建時に造立されたものと思われる。平安時代以前の仏像が一寺院にこれだけ多数残っているのは畿内の寺院を除けば非常にまれであり、当寺がこの地域を代表する大規模な寺院であったことがうかがえる。これらの仏像の造立には徳一が何らかの形で関わっている可能性が高い。現在、木造薬師如来坐像は薬師堂に、他の諸仏は収蔵庫に安置されている。

国宝
木造薬師如来及び両脇侍像
中尊の薬師如来坐像、左脇侍(向かって右)の日光菩薩立像、右脇侍の月光(がっこう)菩薩立像の三尊。平安時代初期、9世紀の作。もとは3体とも薬師堂に安置されていたが、両脇侍像は収蔵庫に移されている。材質はケヤキで(かつてはハルニレ材とする説もあった)、薬師如来像は、両脚部を含む頭・体の大部分を一木から刻み、いったん前後に割り離して内刳(うちぐり)をしてから矧(は)ぎ合わせる一木割矧造と呼ばれる技法で制作されている。螺髪(らほつ、頭髪)は別材で、一つずつ造ったものを植え付けている。如来像特有の相である眉間の白毫相(びゃくごうそう)を表さない点が特徴である。胸板が厚く、大腿部の量感を強調した肉付け、額が狭く、厳しい表情の面相などに平安初期彫刻特有の様式が現れている。杉材を矧ぎ合わせ、浮き彫りで唐草文様を表した光背も当初のもの。なお、薬師如来像が坐している円形の蓮華座は後世のものと思われる。両脇侍像は一木造で、薬師像よりは細身で穏やかな面相に作られており、腰高のプロポーションなどに奈良時代風がうかがえる。両脇侍像は片腕を体側に下げ、片腕を曲げる対称的な姿をしており、右腕を下げる像を日光菩薩、左腕を下げる像を月光菩薩と称するが、本来の配置は左右逆だったとの説もある[1]。なお、中尊像、両脇侍像ともに部分的に乾漆を盛り上げる技法が用いられている。像高は薬師如来像が141.8cm、日光菩薩立像が169.4cm、月光菩薩立像が173.9cmである。平成8年(1996年)、東北地方の仏像では初めて国宝に指定された。(近畿地方以外の仏像では、高徳院阿弥陀如来像(鎌倉大仏)、臼杵磨崖仏に次いで3番目の国宝指定である)

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木造薬師如来像(国宝)

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木造日光・月光菩薩像(国宝)

重要文化財
薬師堂
木造四天王立像
四天王は持国天(東方)、増長天(南方)、広目天(西方)、多聞天(北方)の4体の総称で、須弥壇の四方を守護する護法善神像である。以前は薬師堂に安置されていたが、現在は収蔵庫に安置されている(ただし、広目天像は東京国立博物館に寄託)。四天王像もケヤキの一木造で、平安時代初期の彫像として一具がそろっているものは比較的珍しい。
木造十一面観音菩薩立像
木造聖観音菩薩立像
木造地蔵菩薩立像(延命地蔵)
木造地蔵菩薩立像(雨降り地蔵)
木造天部立像(伝・虚空蔵菩薩像)
以上の5体は収蔵庫に安置され、いずれも平安時代初期の作である。

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木造四天王立像のうち広目天・多聞天像(重要文化財)

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木造聖観音菩薩立像(重要文化財)

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「延命地蔵」こと木造地蔵菩薩立像(重要文化財)

所在地
福島県河沼郡湯川村勝常代舞1764

交通アクセス
JR東日本磐越西線笈川駅から車で約10分

位置 北緯37度33分48.7秒 東経139度52分12.28秒
山号 瑠璃光山
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
創建年 伝・弘仁年間(810年 - 824年)
開基 伝・徳一
別称 会津中央薬師堂
札所等 会津三十三観音10番
文化財 木造薬師如来坐像及び両脇侍立像(国宝)
薬師堂・木造四天王立像、木造十一面観音菩薩立像、木造聖観音菩薩立像、木造地蔵菩薩立像、木造地蔵菩薩立像、木造天部立像(重要文化財)
posted by Kazu at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島県
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