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2022年11月02日
全国にある山祇神社(大山祇神社)の総本社・大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)
大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、愛媛県今治市大三島町宮浦にある神社。式内社(名神大社)、伊予国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国にある山祇神社(大山祇神社)の総本社である。また、主祭神の大山祇神は「三島大明神」とも称され、当社から勧請したとする三島神社は四国を中心に新潟県や北海道まで分布する。

概要
瀬戸内海に浮かぶ大三島西岸、神体山とする鷲ヶ頭山(標高436.5メートル)西麓に鎮座する。古くは大三島南東部に位置した。
三島神社や大山祇神社の総本社であり、山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた。大山積神を祀る代表的な神社ということもあり、山神社の総本社とされることもある。
境内には国の天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」がある。また、源氏・平氏をはじめ多くの武将が武具を奉納して武運長久を祈ったため、国宝・国の重要文化財の指定をうけた日本の武具類の約8割がこの神社に集まっており、甲冑の保存は全国一である。社殿・武具等の文化財として国宝8件、国の重要文化財76件(2014年現在)を有し、これらは紫陽殿と国宝館に収納・一般公開されている。さらに、昭和天皇の「御採集船」として活躍した「葉山丸」と、四国の海に生息する魚介類や全国の鉱石、鉱物を展示した大三島海事博物館(葉山丸記念館)が併設されている。
近代においても、日本の初代総理大臣の伊藤博文、旧帝国海軍連合艦隊司令長官の山本五十六をはじめとして、政治や軍事の第一人者たちの参拝があった。現在でも、海上自衛隊・海上保安庁の幹部などの参拝がある。

祭神
祭神は次の1柱。
大山積神(おおやまづみのかみ、おおやまつみのかみ)
別名として「和多志大神(わたしのおおかみ)」とも、「三島大明神」とも。伊弉諾尊と伊弉冉尊の間の子で、磐長姫命と木花開耶姫命(瓊瓊杵尊の妃)の父。
元は山の神であるが、大山祇神社が瀬戸内海の要所に位置することなどから、大山祇神社では海の神としての性格も強い。
大山祇神社では社名「大山祇」と祭神名「大山積」とは異なる表記が用いられているが、かつては社名も「大山積」と表記されている。

境内
一の鳥居 - 瀬戸内海に面して建てられている(北緯34度14分53.08秒 東経132度59分42.84秒)。「日本総鎮守 大山積大明神」の額は、重要文化財指定の木造扁額(伝藤原佐理筆)の写しになる。本社境内入り口に建てられている二の鳥居も額は同じ。昭和8年建立。
二の鳥居と社号標 - 道路から境内への入口
総門 - 2010年4月14日奉祝。二層構え総檜造り銅板葺き高さ12mで、両脇に随身像(像高2.5m)が立つ。元亨2年(1322年)に焼失してから688年ぶりに復元。
乎千命御手植の楠 - 現在は、息を止めて正面より右回りに3周すると願いが叶う、また、一緒に写真を撮ると長生きできるとの信仰がある。
神門 - 寛文元年(1661年)松山藩主松平定長からの寄進で、素木造の屋根は切妻造檜皮葺であったが、老朽化のため355年ぶりに建て替えられ、2016年12月4日竣工式が行われた。今まではいなかった随身像が両脇に鎮座し随神門となった。なお、元の神門は高梁市川面町の大山祇神社へ平成29年に移築され屋根は銅板に葺き替えられた。
「隼人の舞」の金色のブロンズ像 - 神門を入って左の回廊にある。2010年11月3日除幕。中村晋也の製作。
拝殿【重要文化財】
元亨2年(1322年)の兵火での焼失を受け、室町時代の応永34年(1427年)の再建によるもの。慶長7年(1602年)に大修理が実施されている。素木造で屋根は切妻造檜皮葺。正面中央に一間の向拝を設ける。
本殿【重要文化財】
拝殿と同じく応永34年(1427年)に再建されたもの。三間社流造、檜皮葺。

神門

本殿(重要文化財)と神水の井戸

文化財
大山祇神社の文化財には、日本刀、甲冑、弓箭具などの武器武具類の多いことが特色である。これらの多くは三島水軍の河野一族からの奉納品である。特に甲冑は日本の国宝・重要文化財指定品の4割が当神社にある。これらは紫陽殿および国宝館で一般公開されている。
出典:2000年までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

伝河野通信奉納の紺糸威鎧(兜、大袖付)(国宝)

伝源義経奉納の赤糸威鎧(大袖付)(国宝)

禽獣葡萄鏡(国宝)
現地情報
所在地
愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地
付属施設
紫陽殿・国宝館
国宝・重要文化財含め、奉納された鎧・兜・刀剣類を展示。
海事博物館
昭和天皇の採集船である葉山丸を中心に、瀬戸内の動植物や全国の鉱山から奉納された鉱石を展示。
開館時間 8:30-17:00。料金 各館共通で大人1000円。
交通アクセス
バス
瀬戸内運輸・瀬戸内海交通バスで「大山祗神社前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
今治駅や松山市駅(瀬戸内運輸特急便の一部のみ)などを結ぶ瀬戸内運輸特急便・瀬戸内海交通急行便のほか、瀬戸内海交通の路線バス(宮浦港と出走を結ぶ路線)が停車する。
車
しまなみ海道(西瀬戸自動車道) 大三島IC - 西へ約4km。
東京から列車、バスで行く場合(一例)
@東京駅〜福山駅(広島県福山市):東海道・山陽新幹線
A福山駅〜大三島バスストップ:高速バス
B大三島バスストップ〜大山祗神社前:路線バスあるいはタクシー
全国にある山祇神社(大山祇神社)の総本社である。また、主祭神の大山祇神は「三島大明神」とも称され、当社から勧請したとする三島神社は四国を中心に新潟県や北海道まで分布する。

概要
瀬戸内海に浮かぶ大三島西岸、神体山とする鷲ヶ頭山(標高436.5メートル)西麓に鎮座する。古くは大三島南東部に位置した。
三島神社や大山祇神社の総本社であり、山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた。大山積神を祀る代表的な神社ということもあり、山神社の総本社とされることもある。
境内には国の天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」がある。また、源氏・平氏をはじめ多くの武将が武具を奉納して武運長久を祈ったため、国宝・国の重要文化財の指定をうけた日本の武具類の約8割がこの神社に集まっており、甲冑の保存は全国一である。社殿・武具等の文化財として国宝8件、国の重要文化財76件(2014年現在)を有し、これらは紫陽殿と国宝館に収納・一般公開されている。さらに、昭和天皇の「御採集船」として活躍した「葉山丸」と、四国の海に生息する魚介類や全国の鉱石、鉱物を展示した大三島海事博物館(葉山丸記念館)が併設されている。
近代においても、日本の初代総理大臣の伊藤博文、旧帝国海軍連合艦隊司令長官の山本五十六をはじめとして、政治や軍事の第一人者たちの参拝があった。現在でも、海上自衛隊・海上保安庁の幹部などの参拝がある。

祭神
祭神は次の1柱。
大山積神(おおやまづみのかみ、おおやまつみのかみ)
別名として「和多志大神(わたしのおおかみ)」とも、「三島大明神」とも。伊弉諾尊と伊弉冉尊の間の子で、磐長姫命と木花開耶姫命(瓊瓊杵尊の妃)の父。
元は山の神であるが、大山祇神社が瀬戸内海の要所に位置することなどから、大山祇神社では海の神としての性格も強い。
大山祇神社では社名「大山祇」と祭神名「大山積」とは異なる表記が用いられているが、かつては社名も「大山積」と表記されている。

境内
一の鳥居 - 瀬戸内海に面して建てられている(北緯34度14分53.08秒 東経132度59分42.84秒)。「日本総鎮守 大山積大明神」の額は、重要文化財指定の木造扁額(伝藤原佐理筆)の写しになる。本社境内入り口に建てられている二の鳥居も額は同じ。昭和8年建立。
二の鳥居と社号標 - 道路から境内への入口
総門 - 2010年4月14日奉祝。二層構え総檜造り銅板葺き高さ12mで、両脇に随身像(像高2.5m)が立つ。元亨2年(1322年)に焼失してから688年ぶりに復元。
乎千命御手植の楠 - 現在は、息を止めて正面より右回りに3周すると願いが叶う、また、一緒に写真を撮ると長生きできるとの信仰がある。
神門 - 寛文元年(1661年)松山藩主松平定長からの寄進で、素木造の屋根は切妻造檜皮葺であったが、老朽化のため355年ぶりに建て替えられ、2016年12月4日竣工式が行われた。今まではいなかった随身像が両脇に鎮座し随神門となった。なお、元の神門は高梁市川面町の大山祇神社へ平成29年に移築され屋根は銅板に葺き替えられた。
「隼人の舞」の金色のブロンズ像 - 神門を入って左の回廊にある。2010年11月3日除幕。中村晋也の製作。
拝殿【重要文化財】
元亨2年(1322年)の兵火での焼失を受け、室町時代の応永34年(1427年)の再建によるもの。慶長7年(1602年)に大修理が実施されている。素木造で屋根は切妻造檜皮葺。正面中央に一間の向拝を設ける。
本殿【重要文化財】
拝殿と同じく応永34年(1427年)に再建されたもの。三間社流造、檜皮葺。

神門

本殿(重要文化財)と神水の井戸

文化財
大山祇神社の文化財には、日本刀、甲冑、弓箭具などの武器武具類の多いことが特色である。これらの多くは三島水軍の河野一族からの奉納品である。特に甲冑は日本の国宝・重要文化財指定品の4割が当神社にある。これらは紫陽殿および国宝館で一般公開されている。
出典:2000年までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

伝河野通信奉納の紺糸威鎧(兜、大袖付)(国宝)

伝源義経奉納の赤糸威鎧(大袖付)(国宝)

禽獣葡萄鏡(国宝)
現地情報
所在地
愛媛県今治市大三島町宮浦3327番地
付属施設
紫陽殿・国宝館
国宝・重要文化財含め、奉納された鎧・兜・刀剣類を展示。
海事博物館
昭和天皇の採集船である葉山丸を中心に、瀬戸内の動植物や全国の鉱山から奉納された鉱石を展示。
開館時間 8:30-17:00。料金 各館共通で大人1000円。
交通アクセス
バス
瀬戸内運輸・瀬戸内海交通バスで「大山祗神社前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
今治駅や松山市駅(瀬戸内運輸特急便の一部のみ)などを結ぶ瀬戸内運輸特急便・瀬戸内海交通急行便のほか、瀬戸内海交通の路線バス(宮浦港と出走を結ぶ路線)が停車する。
車
しまなみ海道(西瀬戸自動車道) 大三島IC - 西へ約4km。
東京から列車、バスで行く場合(一例)
@東京駅〜福山駅(広島県福山市):東海道・山陽新幹線
A福山駅〜大三島バスストップ:高速バス
B大三島バスストップ〜大山祗神社前:路線バスあるいはタクシー
2022年11月01日
江戸時代の建築物。重要文化財に指定・伊藤家住宅(いとうけじゅうたく)
伊藤家住宅(いとうけじゅうたく)は、岩手県花巻市東和町に所在する江戸時代の建築物。重要文化財に指定されている。

概要
1600年(慶長5年)には伊藤氏の先祖は当地に居住していたと伝わる。建築年代については明確な資料はないが18世紀前半と推定される。建物は南面し、主屋部に小規模な馬屋を突出している。建物のある田瀬ダムの南覚間沢の山間部は、旧仙台藩領江刺郡との藩境に接した盛岡藩領最南端部にあたり、直家と曲り家の混在する地域である。1976年(昭和51年)2月3日、重要文化財に指定され、1977年から翌年にかけて補修工事が行われた。1979年の解体工事の際、明治以降に馬屋を増設し、曲り家に改造したことが判明したため、建造当時の直家に復元された。
建築
桁行13.7m、梁間8.7m、寄棟造、茅葺、南北面土庇付。南面突出部桁行5.6m、梁間4.8m。
交通アクセス
釜石線土沢駅よりタクシーで40分
釜石自動車道江刺田瀬インターチェンジより車で15分
用途 住宅
管理運営 ふるさと歴史資料館
所在地 〒028-0123
岩手県花巻市東和町田瀬第1地割170番地
座標 北緯39度17分11.4秒 東経141度18分47.8秒
文化財 重要文化財
指定・登録等日 1976年2月3日

概要
1600年(慶長5年)には伊藤氏の先祖は当地に居住していたと伝わる。建築年代については明確な資料はないが18世紀前半と推定される。建物は南面し、主屋部に小規模な馬屋を突出している。建物のある田瀬ダムの南覚間沢の山間部は、旧仙台藩領江刺郡との藩境に接した盛岡藩領最南端部にあたり、直家と曲り家の混在する地域である。1976年(昭和51年)2月3日、重要文化財に指定され、1977年から翌年にかけて補修工事が行われた。1979年の解体工事の際、明治以降に馬屋を増設し、曲り家に改造したことが判明したため、建造当時の直家に復元された。
建築
桁行13.7m、梁間8.7m、寄棟造、茅葺、南北面土庇付。南面突出部桁行5.6m、梁間4.8m。
交通アクセス
釜石線土沢駅よりタクシーで40分
釜石自動車道江刺田瀬インターチェンジより車で15分
用途 住宅
管理運営 ふるさと歴史資料館
所在地 〒028-0123
岩手県花巻市東和町田瀬第1地割170番地
座標 北緯39度17分11.4秒 東経141度18分47.8秒
文化財 重要文化財
指定・登録等日 1976年2月3日
2022年10月31日
鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社
鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社。式内社(名神大社)、常陸国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国にある鹿島神社の総本社。千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。

拝殿(国の重要文化財)
社名
神宮は常陸国鹿島郡の地に鎮座するが、その地名「カシマ」は、『常陸国風土記』では「香島」と記載される。風土記の中で、「香島郡」の名称は「香島の天の大神」(鹿島神宮を指す)に基づくと説明されている。「カシマ」を「鹿島」と記した初見は養老7年(723年)であり、8世紀初頭には「香島」から「鹿島」に改称されたと見られている。この変化の理由は史書からは明らかでないが、神宮側では神使の鹿に由来すると説明する。この「カシマ」の由来には諸説がある。主な説は次の通り。
「神の住所」すなわち「カスミ」とする説
建借間命(たけかしまのみこと)から「カシマ」を取ったとする説
建借間命(建借馬命)は、『先代旧事本紀』国造本紀に初代仲国造(那珂国造)として、また『常陸国風土記』に記述が見える人物。
「船を止める杭を打つ場所」を意味する「カシシマ」とする説
『肥前国風土記』に「杵島(きしま)」の由来として見える記述に基づくもの。
なお、神宮では現在社名に「島」の字を用いているが、自治体の茨城県鹿嶋市は佐賀県鹿島市との区別のため「嶋」の字が使用される。

祭神
江戸時代の鯰絵。上が要石を祀る鹿島神宮、下が剣をもち大鯰を抑える武甕槌神。
祭神は次の1柱。
武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ/たけみかづちのおおかみ)
『古事記』では「建御雷神」、『日本書紀』では「武甕槌神」と表記される。
別名を「建布都神(たけふつのかみ)」や「豊布都神(とよふつのかみ)」。
境内
神宮の鎮座する地は「三笠山(みかさやま)」と称される。この境内は日本の歴史上重要な遺跡であるとして、国の史跡に指定されている(摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)。
境内の広さは約70ヘクタールである。このうち約40ヘクタールは鬱蒼とした樹叢で、「鹿島神宮樹叢」として茨城県指定天然記念物に指定されている。樹叢には約800種の植物が生育しており、神宮の長い歴史を象徴するように巨木が多く、茨城県内では随一の常緑照葉樹林になる。

文化財
国宝
直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ) (附 刀唐櫃)(工芸品)
通称「韴霊剣」。昭和30年6月22日指定。
重要文化財(国指定)
本殿、石の間、拝殿、幣殿 4棟(附 棟札2枚)(建造物) - 本殿は明治34年3月27日指定、他3棟は明治44年4月17日指定。
摂社奥宮本殿(附 棟札1枚)(建造物) - 明治34年3月27日指定。
楼門(建造物) - 昭和41年6月11日指定。
仮殿(建造物) - 昭和51年5月20日指定。
梅竹蒔絵鞍(附 四手蒔絵居木一双)(工芸品)
鎌倉時代の作で、蒔絵の和鞍の中で最古のものである。社伝では『吾妻鏡』建久2年(1191年)の記事にある源頼朝寄進の軍陣鞍とするが、通常の軍陣鞍とは様式が異なっており、祭事に使用したものと推測されている。昭和34年6月27日指定。
国の史跡
鹿島神宮境内 附 郡家跡 - 指定対象は次の4か所。昭和61年8月4日指定、平成元年・11年・13年・17年・20年に追加指定。
鹿島神宮境内
摂社坂戸神社境内
摂社沼尾神社境内
鹿島郡家跡

現地情報
所在地
茨城県鹿嶋市宮中2306-1
付属施設
宝物館 - 開館時間:午前9時から午後4時。直刀(国宝)等の宝物を展示。
交通アクセス
鉄道
東日本旅客鉄道(JR東日本)鹿島線「鹿島神宮駅」(徒歩10分) - 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線も乗り入れ。
高速バス
都心方面(東京駅・羽田空港・東京テレポート駅)から、高速バス「鹿島神宮」バス停下車(徒歩7分)。(次のバス停である「鹿島神宮駅」との混同に注意が必要)
車
東京・千葉方面からは、東関東自動車道 潮来ICから、国道51号を鹿嶋方面へ約20分。
銚子・神栖方面からは、国道124号を経由、水戸方面からは、国道51号をそれぞれ経由。
駐車場:鹿島神宮第1・第2駐車場(有料)のほか、市営駐車場(有料)が鹿島神宮駅周辺に点在。
全国にある鹿島神社の総本社。千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。

拝殿(国の重要文化財)
社名
神宮は常陸国鹿島郡の地に鎮座するが、その地名「カシマ」は、『常陸国風土記』では「香島」と記載される。風土記の中で、「香島郡」の名称は「香島の天の大神」(鹿島神宮を指す)に基づくと説明されている。「カシマ」を「鹿島」と記した初見は養老7年(723年)であり、8世紀初頭には「香島」から「鹿島」に改称されたと見られている。この変化の理由は史書からは明らかでないが、神宮側では神使の鹿に由来すると説明する。この「カシマ」の由来には諸説がある。主な説は次の通り。
「神の住所」すなわち「カスミ」とする説
建借間命(たけかしまのみこと)から「カシマ」を取ったとする説
建借間命(建借馬命)は、『先代旧事本紀』国造本紀に初代仲国造(那珂国造)として、また『常陸国風土記』に記述が見える人物。
「船を止める杭を打つ場所」を意味する「カシシマ」とする説
『肥前国風土記』に「杵島(きしま)」の由来として見える記述に基づくもの。
なお、神宮では現在社名に「島」の字を用いているが、自治体の茨城県鹿嶋市は佐賀県鹿島市との区別のため「嶋」の字が使用される。

祭神
江戸時代の鯰絵。上が要石を祀る鹿島神宮、下が剣をもち大鯰を抑える武甕槌神。
祭神は次の1柱。
武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ/たけみかづちのおおかみ)
『古事記』では「建御雷神」、『日本書紀』では「武甕槌神」と表記される。
別名を「建布都神(たけふつのかみ)」や「豊布都神(とよふつのかみ)」。
境内
神宮の鎮座する地は「三笠山(みかさやま)」と称される。この境内は日本の歴史上重要な遺跡であるとして、国の史跡に指定されている(摂社坂戸神社境内、摂社沼尾神社境内、鹿島郡家跡も包括)。
境内の広さは約70ヘクタールである。このうち約40ヘクタールは鬱蒼とした樹叢で、「鹿島神宮樹叢」として茨城県指定天然記念物に指定されている。樹叢には約800種の植物が生育しており、神宮の長い歴史を象徴するように巨木が多く、茨城県内では随一の常緑照葉樹林になる。

文化財
国宝
直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ) (附 刀唐櫃)(工芸品)
通称「韴霊剣」。昭和30年6月22日指定。
重要文化財(国指定)
本殿、石の間、拝殿、幣殿 4棟(附 棟札2枚)(建造物) - 本殿は明治34年3月27日指定、他3棟は明治44年4月17日指定。
摂社奥宮本殿(附 棟札1枚)(建造物) - 明治34年3月27日指定。
楼門(建造物) - 昭和41年6月11日指定。
仮殿(建造物) - 昭和51年5月20日指定。
梅竹蒔絵鞍(附 四手蒔絵居木一双)(工芸品)
鎌倉時代の作で、蒔絵の和鞍の中で最古のものである。社伝では『吾妻鏡』建久2年(1191年)の記事にある源頼朝寄進の軍陣鞍とするが、通常の軍陣鞍とは様式が異なっており、祭事に使用したものと推測されている。昭和34年6月27日指定。
国の史跡
鹿島神宮境内 附 郡家跡 - 指定対象は次の4か所。昭和61年8月4日指定、平成元年・11年・13年・17年・20年に追加指定。
鹿島神宮境内
摂社坂戸神社境内
摂社沼尾神社境内
鹿島郡家跡

現地情報
所在地
茨城県鹿嶋市宮中2306-1
付属施設
宝物館 - 開館時間:午前9時から午後4時。直刀(国宝)等の宝物を展示。
交通アクセス
鉄道
東日本旅客鉄道(JR東日本)鹿島線「鹿島神宮駅」(徒歩10分) - 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線も乗り入れ。
高速バス
都心方面(東京駅・羽田空港・東京テレポート駅)から、高速バス「鹿島神宮」バス停下車(徒歩7分)。(次のバス停である「鹿島神宮駅」との混同に注意が必要)
車
東京・千葉方面からは、東関東自動車道 潮来ICから、国道51号を鹿嶋方面へ約20分。
銚子・神栖方面からは、国道124号を経由、水戸方面からは、国道51号をそれぞれ経由。
駐車場:鹿島神宮第1・第2駐車場(有料)のほか、市営駐車場(有料)が鹿島神宮駅周辺に点在。
2022年10月30日
尾崎神社(おざきじんじゃ)は、石川県金沢市にある神社
尾崎神社(おざきじんじゃ)は、石川県金沢市にある神社。天照大神、東照大権現、加賀藩三代藩主前田利常を祀る。朱塗りの社殿には徳川家康の紋が散りばめられ、金沢城の江戸、北陸の日光と呼ばれ崇められた。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。別名を金沢東照宮という。

尾崎神社
歴史
寛永20年(1643年)に加賀藩四代藩主前田光高が金沢城北の丸に東照三所大権現社として建立する。1874年(明治7年)、神仏分離により尾崎神社と改称する。
1878年(明治11年)、金沢城が陸軍省用地となり、現在地に移築された。
祭神
主祭神 - 天照大神、東照大権現、前田利常
境内
本殿
中門
幣殿
拝殿
神門
豊受稲荷社
裏門

文化財
重要文化財
本殿- 江戸時代初期、寛永20年(1643年)建立、三間社流造 本瓦型銅板葺、大工木原木工允
中門 - 江戸時代初期、寛永20年(1643年)建立、平唐門 本瓦型銅板葺、大工木原木工允
透塀 - 江戸時代初期、寛永20年(1643年)建立、桟瓦葺、大工木原木工允
拝殿及び幣殿[5] - 江戸時代初期、寛永20年(1643年)建立、入母屋造 平入 向拝一間 本瓦型銅板葺、大工木原木工允
附棟札3枚

所在地
〒920-0937 石川県金沢市丸の内5-5
交通アクセス
JR北陸本線 金沢駅東口下車 北陸鉄道バス 南町もしくは武蔵ヶ辻バス停下車

尾崎神社
歴史
寛永20年(1643年)に加賀藩四代藩主前田光高が金沢城北の丸に東照三所大権現社として建立する。1874年(明治7年)、神仏分離により尾崎神社と改称する。
1878年(明治11年)、金沢城が陸軍省用地となり、現在地に移築された。
祭神
主祭神 - 天照大神、東照大権現、前田利常
境内
本殿
中門
幣殿
拝殿
神門
豊受稲荷社
裏門

文化財
重要文化財
本殿- 江戸時代初期、寛永20年(1643年)建立、三間社流造 本瓦型銅板葺、大工木原木工允
中門 - 江戸時代初期、寛永20年(1643年)建立、平唐門 本瓦型銅板葺、大工木原木工允
透塀 - 江戸時代初期、寛永20年(1643年)建立、桟瓦葺、大工木原木工允
拝殿及び幣殿[5] - 江戸時代初期、寛永20年(1643年)建立、入母屋造 平入 向拝一間 本瓦型銅板葺、大工木原木工允
附棟札3枚

所在地
〒920-0937 石川県金沢市丸の内5-5
交通アクセス
JR北陸本線 金沢駅東口下車 北陸鉄道バス 南町もしくは武蔵ヶ辻バス停下車
2022年10月29日
水神社(すいじんじゃ)は、秋田県大仙市にある神社
水神社(すいじんじゃ)は、秋田県大仙市にある神社。

祭事
1月16日:初お篭り
4月上旬:春まつり
7月上旬:虫まつり
8月17日:例祭
11月23日:秋まつり
12月16日:末まつり

歴史
1677年(延宝5年):線刻千手観音等鏡像が発見され、これを祀るため水神社が建立される。
1938年(昭和13年):線刻千手観音等鏡像が旧・国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定される。
1953年(昭和28年):線刻千手観音等鏡像が文化財保護法に基づく国宝に指定される。
文化財
線刻千手観音等鏡像
現在秋田県唯一の国宝であり水神社の神体であるこの鏡は、もともとこの神社に奉納されるために作られたのではなく、工事中に偶然発見されたものである。1677年(延宝5年)玉川から窪堰川まで水路(下堰)を引いている途中、野中村三采女谷地(みむねやち)の地中1.5mから古鏡が発見され藩主の佐竹義処に差し出したところ、堰神として祀るようにと言われた。そのためこの水路を掘っていた草g理左エ門が水神社を創建し奉納した。1938年(昭和13年)7月4日、「瑞花蝶鳥八稜鏡(ずいかちょうちょうはちりょうきょう)」の名称で旧国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定され、1953年(昭和28年)11月14日には「線刻千手観音等鏡像(せんこくせんじゅかんのんとうきょうぞう)」の名称で文化財保護法に基づく国宝の指定を受けた。その後11月14日は発見地中仙町の町の記念日となった。
「鏡像」とは、金属製の鏡の表面に仏・菩薩などの像を線刻等で表したものである。本作品の鏡の直径は13.5cm、厚さ7mm、重さ520gの白銅製。鏡面には細い線で仏像が彫られている。鏡面中央には蓮台に立った十一面千手観音像を表し、左右に眷属8体、向かって右下に婆藪仙人(ばすせんにん)、左下に功徳天が配されている。鏡背は中央につまみがありそれを囲むように蝶、鳥、さらにその外側に宝相華が表されている。鏡背の模様の上には「仏師僧 崇紀 大趣具主延暦僧仁祐 女具主藤源安女子」の線刻銘がある。作風や銘文から、鏡自体は平安時代初期、線刻は平安時代後期(11世紀)の制作と推定される。銘文中の「仏師僧崇紀」(鏡面の線刻を行った僧)については不詳。「具主」は「旦主」すなわち施主の意であり、「延暦僧仁祐」は、11世紀半ばに延暦寺で活動した同名の学僧に比定される。「藤源安女子」は「源安の娘」の意であり、源安(みなもとのやすし)は源綱(渡辺綱)の孫にあたる武士である。
線刻千手観音像等鏡像を見られるのは年に一度の例祭の中で公開される僅か一時間ほどであるが、レプリカは中仙市民会館に常時展示されている。現物は本殿に保管されていたが、環境が悪かったため2007年11月16日本殿奥に新たに建造された専用の保管庫に移された。

国宝・線刻千手観音等鏡像
水神社の杉
水神社の鎮守の森は1679年(延宝7年)に植えられたスギ等で構成されており、そのうち4本のスギが大仙市の天然記念物に指定されている。
交通
JR 田沢湖線 羽後長野駅(最寄り駅)
秋田県道306号豊岡長野線 - 秋田県道11号角館六郷線約5km
駐車場有り
所在地 秋田県大仙市豊川字観音堂57番
位置 北緯39度33分1秒 東経140度35分14秒
主祭神 水波能売命
本殿の様式 入母屋流造
例祭 8月17日

祭事
1月16日:初お篭り
4月上旬:春まつり
7月上旬:虫まつり
8月17日:例祭
11月23日:秋まつり
12月16日:末まつり

歴史
1677年(延宝5年):線刻千手観音等鏡像が発見され、これを祀るため水神社が建立される。
1938年(昭和13年):線刻千手観音等鏡像が旧・国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定される。
1953年(昭和28年):線刻千手観音等鏡像が文化財保護法に基づく国宝に指定される。
文化財
線刻千手観音等鏡像
現在秋田県唯一の国宝であり水神社の神体であるこの鏡は、もともとこの神社に奉納されるために作られたのではなく、工事中に偶然発見されたものである。1677年(延宝5年)玉川から窪堰川まで水路(下堰)を引いている途中、野中村三采女谷地(みむねやち)の地中1.5mから古鏡が発見され藩主の佐竹義処に差し出したところ、堰神として祀るようにと言われた。そのためこの水路を掘っていた草g理左エ門が水神社を創建し奉納した。1938年(昭和13年)7月4日、「瑞花蝶鳥八稜鏡(ずいかちょうちょうはちりょうきょう)」の名称で旧国宝保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定され、1953年(昭和28年)11月14日には「線刻千手観音等鏡像(せんこくせんじゅかんのんとうきょうぞう)」の名称で文化財保護法に基づく国宝の指定を受けた。その後11月14日は発見地中仙町の町の記念日となった。
「鏡像」とは、金属製の鏡の表面に仏・菩薩などの像を線刻等で表したものである。本作品の鏡の直径は13.5cm、厚さ7mm、重さ520gの白銅製。鏡面には細い線で仏像が彫られている。鏡面中央には蓮台に立った十一面千手観音像を表し、左右に眷属8体、向かって右下に婆藪仙人(ばすせんにん)、左下に功徳天が配されている。鏡背は中央につまみがありそれを囲むように蝶、鳥、さらにその外側に宝相華が表されている。鏡背の模様の上には「仏師僧 崇紀 大趣具主延暦僧仁祐 女具主藤源安女子」の線刻銘がある。作風や銘文から、鏡自体は平安時代初期、線刻は平安時代後期(11世紀)の制作と推定される。銘文中の「仏師僧崇紀」(鏡面の線刻を行った僧)については不詳。「具主」は「旦主」すなわち施主の意であり、「延暦僧仁祐」は、11世紀半ばに延暦寺で活動した同名の学僧に比定される。「藤源安女子」は「源安の娘」の意であり、源安(みなもとのやすし)は源綱(渡辺綱)の孫にあたる武士である。
線刻千手観音像等鏡像を見られるのは年に一度の例祭の中で公開される僅か一時間ほどであるが、レプリカは中仙市民会館に常時展示されている。現物は本殿に保管されていたが、環境が悪かったため2007年11月16日本殿奥に新たに建造された専用の保管庫に移された。

国宝・線刻千手観音等鏡像
水神社の杉
水神社の鎮守の森は1679年(延宝7年)に植えられたスギ等で構成されており、そのうち4本のスギが大仙市の天然記念物に指定されている。
交通
JR 田沢湖線 羽後長野駅(最寄り駅)
秋田県道306号豊岡長野線 - 秋田県道11号角館六郷線約5km
駐車場有り
所在地 秋田県大仙市豊川字観音堂57番
位置 北緯39度33分1秒 東経140度35分14秒
主祭神 水波能売命
本殿の様式 入母屋流造
例祭 8月17日
2022年10月28日
国の重要文化財に指定されている・石場家住宅(いしばけじゅうたく)
石場家住宅(いしばけじゅうたく)は、青森県弘前市亀甲町にある商家にして歴史的建造物。国の重要文化財に指定されている。

概要
石場家は江戸時代、弘前藩出入りの商家であり、主に藁製品を取り扱っていたが、時代と共に扱う物も変遷し、今は酒と煙草の販売を行いながらも、連綿と家名を守り続けている。石場家の由来ははっきりしないが、菩提寺に元禄期の墓碑が残っていることから、少なくとも18世紀初頭から続く家柄であろう。当主は代々「清兵衛」を名乗った。
石場家住宅は度々改築が行われたが、最初の建築は18世紀前半であり、主屋は初め他所にあった物を19世紀初頭、現在地(弘前城北部の亀甲門前)に移築したと推定されている。
石場家住宅は、1973年(昭和48年)2月23日に国の重要文化財に指定された。現在も住居として使われているが、内部を見学することが出来る。

構造
敷地は正面37.9m、奥行き39.6m。
桁行18.1m、梁間18.2m、一部は二階建てとなっている。
屋根は南面が入母屋造、北面、東面突出部、北面突出部が切妻造、出入り口は妻入り。
東面突出部 桁行5.7m、梁間8.3m。
北面突出部 桁行2.8m、梁間9.2m。
主屋は角地にあり南面と西面が通りに面しており、津軽地方独特の「こみせ」(雨や雪をしのぐ、木造のアーケード)がある。


所在地
〒036-8332 青森県弘前市亀甲町88
アクセス
JR弘前駅より弘南バス浜の町方面行きに乗車、「亀の甲門前」にて下車徒歩1分。

概要
石場家は江戸時代、弘前藩出入りの商家であり、主に藁製品を取り扱っていたが、時代と共に扱う物も変遷し、今は酒と煙草の販売を行いながらも、連綿と家名を守り続けている。石場家の由来ははっきりしないが、菩提寺に元禄期の墓碑が残っていることから、少なくとも18世紀初頭から続く家柄であろう。当主は代々「清兵衛」を名乗った。
石場家住宅は度々改築が行われたが、最初の建築は18世紀前半であり、主屋は初め他所にあった物を19世紀初頭、現在地(弘前城北部の亀甲門前)に移築したと推定されている。
石場家住宅は、1973年(昭和48年)2月23日に国の重要文化財に指定された。現在も住居として使われているが、内部を見学することが出来る。

構造
敷地は正面37.9m、奥行き39.6m。
桁行18.1m、梁間18.2m、一部は二階建てとなっている。
屋根は南面が入母屋造、北面、東面突出部、北面突出部が切妻造、出入り口は妻入り。
東面突出部 桁行5.7m、梁間8.3m。
北面突出部 桁行2.8m、梁間9.2m。
主屋は角地にあり南面と西面が通りに面しており、津軽地方独特の「こみせ」(雨や雪をしのぐ、木造のアーケード)がある。


所在地
〒036-8332 青森県弘前市亀甲町88
アクセス
JR弘前駅より弘南バス浜の町方面行きに乗車、「亀の甲門前」にて下車徒歩1分。
2022年10月27日
熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区神宮にある神社
熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区神宮にある神社。式内社(名神大社)、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。

祭神
主祭神
熱田大神(あつたのおおかみ)
三種の神器の1つ・草薙神剣(くさなぎのみつるぎ、草薙剣・天叢雲剣とも)[9]を神体とする天照大神を指すとしている。
相殿神
天照大神(あまてらすおおかみ)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやすひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)

境内
本殿 - 本宮の中心である本殿は、1893年(明治26年)に造営された社殿を元とし、現在までに数度にわたり改修を受けたものである。建築面積は60.7平方メートル、建築様式は神明造で屋根には銅板を葺き、千木・勝男木を冠する。四方に廻椽と勾欄がめぐらされ、南正面に木階段が敷かれている。掘立柱が沓石で据えられている。
東宝殿
西宝殿
幄舎
瑞垣北御門
瑞垣御門
守衛舎
東掖御門
西掖御門
内玉垣御門
翼廊
拝殿
四尋殿
外玉垣御門

文化財
草薙剣が御神体である所以から熱田神宮には多くの刀剣が市井から奉納されてきており、約450口の刀剣を所蔵する。そのうち30口以上が国と県の指定文化財である。
国宝
短刀 銘来国俊 正和五年十一月日
重要文化財
紙本著色法華経涌出品
木造舞楽面 12面(陵王1、納曽利2、還城楽1、崑崙八仙4、二ノ舞2、抜頭1、貴徳1)
菊蒔絵手筥
鏡及鏡箱
松竹双鶴文円鏡・桐鳳凰蒔絵鏡箱
松竹双鶴文八稜鏡・蓬莱蒔絵鏡箱
松竹双鶴文八稜鏡・蓬莱蒔絵鏡箱
古神宝類一括(明細は後出)
金銅装唐鞍 一具(附 黒漆鞍3背及び付属品、飾鞍図1巻)(明細は後出)[101]
金銅兵庫鎖太刀
太刀 銘国友
太刀 銘則国
剣 銘吉光
太刀 銘了戒嘉元三年三月日 山城国住人九郎左(以下切)
脇指 銘長谷部国信
短刀 銘長谷部国信 (切付銘)藤原友吉
短刀 銘国光 元徳三年(以下切)
太刀 銘宗吉作(1911年重文指定)
太刀 銘宗吉作(1912年重文指定)
剣 銘為清 身に熱田太神宮宗久と切付あり
太刀 銘長光
太刀 銘備州長船兼光
太刀 銘備州長船重光
太刀 銘元弘三年六月一日実阿作 鎬地に文祿四年守勝の寄進銘あり
剱 銘□利(包利)
太刀 銘真行 身の表に元亀二年辛未八月八日大久保与九郎、裏に熱田大名神奉寄進之と切付あり
太刀 無銘(伝真長)
脇指 銘指表に奉納尾州熱田大明神、指裏に両御所様被召出於武州江戸御劔作御紋康之字被下罷上刻籠越前康継とあり
日本書紀(紙背和歌懐紙)15巻 永和元年二年三年浄阿寄進奥書(附 永和三年霜月四日寄進状1巻)
後花園天皇宸翰御消息 永享五年十二月十二日(附 足利義教内書)
典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による(ト書きは現代式表記に改める)。
他に旧国宝建造物の海上門と鎮皇門があったが、第二次世界大戦時の空襲で焼失した。

国宝 短刀 銘来国俊 正和五年十一月日
現地情報
所在地
愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
付属施設
愛知県神社庁、神職養成機関の熱田神宮学院がある。社務所に当たる組織は「熱田神宮宮庁」と呼ばれる。
交通アクセス
鉄道
JR logo (central).svgJR東海
CA東海道本線
(CA65)熱田駅(北緯35度07分48.6秒 東経136度54分31.74秒) - 熱田神宮境内の北東にあたる。
Meitetsu logo.png名鉄
NH名古屋本線・TA常滑線
(NH33)神宮前駅(北緯35度07分32.87秒 東経136度54分44.9秒) - 熱田神宮境内の東にあたる。
Nagoya Subway Logo (black).svg名古屋市営地下鉄
Nagoya Subway Logo V2 (Meijo Line).svg名城線
(M26)伝馬町駅(北緯35度07分14.65秒 東経136度54分37.37秒) - 熱田神宮境内の南にあたる。
(M27)神宮西駅(北緯35度07分40.16秒 東経136度54分23.84秒) - 熱田神宮境内の北西角にあたる。
バス
名古屋市営バス
神宮東門停留所
熱田伝馬町停留所
熱田駅西停留所
熱田区役所停留所
名鉄神宮前停留所 - 名鉄神宮前駅の東側にあるため、距離がある。
自動車
東門駐車場(約300台)、南門駐車場(約60台)、西門駐車場(約40台)がある[108]。ただし、祭典行事などで駐車が制限されることがある。

祭神
主祭神
熱田大神(あつたのおおかみ)
三種の神器の1つ・草薙神剣(くさなぎのみつるぎ、草薙剣・天叢雲剣とも)[9]を神体とする天照大神を指すとしている。
相殿神
天照大神(あまてらすおおかみ)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやすひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)

境内
本殿 - 本宮の中心である本殿は、1893年(明治26年)に造営された社殿を元とし、現在までに数度にわたり改修を受けたものである。建築面積は60.7平方メートル、建築様式は神明造で屋根には銅板を葺き、千木・勝男木を冠する。四方に廻椽と勾欄がめぐらされ、南正面に木階段が敷かれている。掘立柱が沓石で据えられている。
東宝殿
西宝殿
幄舎
瑞垣北御門
瑞垣御門
守衛舎
東掖御門
西掖御門
内玉垣御門
翼廊
拝殿
四尋殿
外玉垣御門

文化財
草薙剣が御神体である所以から熱田神宮には多くの刀剣が市井から奉納されてきており、約450口の刀剣を所蔵する。そのうち30口以上が国と県の指定文化財である。
国宝
短刀 銘来国俊 正和五年十一月日
重要文化財
紙本著色法華経涌出品
木造舞楽面 12面(陵王1、納曽利2、還城楽1、崑崙八仙4、二ノ舞2、抜頭1、貴徳1)
菊蒔絵手筥
鏡及鏡箱
松竹双鶴文円鏡・桐鳳凰蒔絵鏡箱
松竹双鶴文八稜鏡・蓬莱蒔絵鏡箱
松竹双鶴文八稜鏡・蓬莱蒔絵鏡箱
古神宝類一括(明細は後出)
金銅装唐鞍 一具(附 黒漆鞍3背及び付属品、飾鞍図1巻)(明細は後出)[101]
金銅兵庫鎖太刀
太刀 銘国友
太刀 銘則国
剣 銘吉光
太刀 銘了戒嘉元三年三月日 山城国住人九郎左(以下切)
脇指 銘長谷部国信
短刀 銘長谷部国信 (切付銘)藤原友吉
短刀 銘国光 元徳三年(以下切)
太刀 銘宗吉作(1911年重文指定)
太刀 銘宗吉作(1912年重文指定)
剣 銘為清 身に熱田太神宮宗久と切付あり
太刀 銘長光
太刀 銘備州長船兼光
太刀 銘備州長船重光
太刀 銘元弘三年六月一日実阿作 鎬地に文祿四年守勝の寄進銘あり
剱 銘□利(包利)
太刀 銘真行 身の表に元亀二年辛未八月八日大久保与九郎、裏に熱田大名神奉寄進之と切付あり
太刀 無銘(伝真長)
脇指 銘指表に奉納尾州熱田大明神、指裏に両御所様被召出於武州江戸御劔作御紋康之字被下罷上刻籠越前康継とあり
日本書紀(紙背和歌懐紙)15巻 永和元年二年三年浄阿寄進奥書(附 永和三年霜月四日寄進状1巻)
後花園天皇宸翰御消息 永享五年十二月十二日(附 足利義教内書)
典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による(ト書きは現代式表記に改める)。
他に旧国宝建造物の海上門と鎮皇門があったが、第二次世界大戦時の空襲で焼失した。

国宝 短刀 銘来国俊 正和五年十一月日
現地情報
所在地
愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
付属施設
愛知県神社庁、神職養成機関の熱田神宮学院がある。社務所に当たる組織は「熱田神宮宮庁」と呼ばれる。
交通アクセス
鉄道
JR logo (central).svgJR東海
CA東海道本線
(CA65)熱田駅(北緯35度07分48.6秒 東経136度54分31.74秒) - 熱田神宮境内の北東にあたる。
Meitetsu logo.png名鉄
NH名古屋本線・TA常滑線
(NH33)神宮前駅(北緯35度07分32.87秒 東経136度54分44.9秒) - 熱田神宮境内の東にあたる。
Nagoya Subway Logo (black).svg名古屋市営地下鉄
Nagoya Subway Logo V2 (Meijo Line).svg名城線
(M26)伝馬町駅(北緯35度07分14.65秒 東経136度54分37.37秒) - 熱田神宮境内の南にあたる。
(M27)神宮西駅(北緯35度07分40.16秒 東経136度54分23.84秒) - 熱田神宮境内の北西角にあたる。
バス
名古屋市営バス
神宮東門停留所
熱田伝馬町停留所
熱田駅西停留所
熱田区役所停留所
名鉄神宮前停留所 - 名鉄神宮前駅の東側にあるため、距離がある。
自動車
東門駐車場(約300台)、南門駐車場(約60台)、西門駐車場(約40台)がある[108]。ただし、祭典行事などで駐車が制限されることがある。
2022年10月26日
熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮にある神社
熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮にある神社。熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。かつては式内社(大)であり、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
境内地は国の史跡「熊野三山」の一部。2002年(平成14年)12月19日、熊野三山が史跡「熊野参詣道」から分離・名称変更された際に、御船島を含む熊野速玉大社境内が追加指定された。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部。

熊野速玉大社
祭神
上四社
第一殿 結宮 熊野夫須美大神(熊野結大神) 千手観音
第二殿 速玉宮 熊野速玉大神 薬師如来
第三殿 証誠殿 家津美御子大神・国常立尊 阿弥陀如来
第四殿 若宮 天照大神 十一面観音
神倉宮
高倉下命 (本地仏なし)
中四社
第五殿 禅児宮 天忍穂耳尊 地蔵菩薩
第六殿 聖宮 瓊々杵尊 龍樹菩薩
第七殿 児宮 彦火火出見尊 如意輪観音
第八殿 子守宮 鵜葺草葺不合命 聖観音
下四社
第九殿一万宮 国狭槌尊 文殊菩薩 十万宮 豊斟渟尊 普賢菩薩
第十殿 勧請宮 泥土煮尊 釈迦如来
第十一殿 飛行宮 大戸道尊 不動明王
第十二殿 米持宮 面足尊 多聞天

入口鳥居

拝殿
文化財
国宝
古神宝類
木造熊野速玉大神坐像・木造夫須美大神坐像・木造家津御子大神坐像・木造国常立命坐像 4躯(2005年〈平成17年〉6月9日指定)
重要文化財
木造伊邪那岐神坐像(1899年〈明治32年〉8月1日指定)
木造伊邪那美神坐像(1897年〈明治30年〉12月28日指定)
木造皇太神坐像(1899年〈明治32年〉8月1日指定)
髹漆金銅装神輿(きゅうしつこんどうそうしんよ)(1897年〈明治30年〉12月28日指定)
髹漆金銅装神幸用船(きゅうしつこんどうそうしんこうようふね)(1897年〈明治30年〉12月28日指定)
太刀 銘正恒(附・糸巻太刀拵)(1913年〈大正2年〉4月14日)
重要無形民俗文化財
新宮の速玉祭・御燈祭り(保護団体:熊野速玉大社祭事保存会)
国の史跡
熊野三山 - 熊野速玉大社境内(神倉神社境内地および千穂ヶ峯の一部含む)および御船島(速玉大社社地)は史跡「熊野三山」の一部である。
所在地 和歌山県新宮市新宮1
位置 北緯33度43分55.8秒 東経135度59分0.7秒
主祭神 熊野速玉大神
熊野夫須美大神
社格等 式内社(大)
旧官幣大社
別表神社
創建 伝・景行天皇58年
札所等 神仏霊場巡拝の道第1番(和歌山第1番)
例祭 10月15 - 16日(熊野速玉祭)
境内地は国の史跡「熊野三山」の一部。2002年(平成14年)12月19日、熊野三山が史跡「熊野参詣道」から分離・名称変更された際に、御船島を含む熊野速玉大社境内が追加指定された。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部。

熊野速玉大社
祭神
上四社
第一殿 結宮 熊野夫須美大神(熊野結大神) 千手観音
第二殿 速玉宮 熊野速玉大神 薬師如来
第三殿 証誠殿 家津美御子大神・国常立尊 阿弥陀如来
第四殿 若宮 天照大神 十一面観音
神倉宮
高倉下命 (本地仏なし)
中四社
第五殿 禅児宮 天忍穂耳尊 地蔵菩薩
第六殿 聖宮 瓊々杵尊 龍樹菩薩
第七殿 児宮 彦火火出見尊 如意輪観音
第八殿 子守宮 鵜葺草葺不合命 聖観音
下四社
第九殿一万宮 国狭槌尊 文殊菩薩 十万宮 豊斟渟尊 普賢菩薩
第十殿 勧請宮 泥土煮尊 釈迦如来
第十一殿 飛行宮 大戸道尊 不動明王
第十二殿 米持宮 面足尊 多聞天

入口鳥居

拝殿
文化財
国宝
古神宝類
木造熊野速玉大神坐像・木造夫須美大神坐像・木造家津御子大神坐像・木造国常立命坐像 4躯(2005年〈平成17年〉6月9日指定)
重要文化財
木造伊邪那岐神坐像(1899年〈明治32年〉8月1日指定)
木造伊邪那美神坐像(1897年〈明治30年〉12月28日指定)
木造皇太神坐像(1899年〈明治32年〉8月1日指定)
髹漆金銅装神輿(きゅうしつこんどうそうしんよ)(1897年〈明治30年〉12月28日指定)
髹漆金銅装神幸用船(きゅうしつこんどうそうしんこうようふね)(1897年〈明治30年〉12月28日指定)
太刀 銘正恒(附・糸巻太刀拵)(1913年〈大正2年〉4月14日)
重要無形民俗文化財
新宮の速玉祭・御燈祭り(保護団体:熊野速玉大社祭事保存会)
国の史跡
熊野三山 - 熊野速玉大社境内(神倉神社境内地および千穂ヶ峯の一部含む)および御船島(速玉大社社地)は史跡「熊野三山」の一部である。
所在地 和歌山県新宮市新宮1
位置 北緯33度43分55.8秒 東経135度59分0.7秒
主祭神 熊野速玉大神
熊野夫須美大神
社格等 式内社(大)
旧官幣大社
別表神社
創建 伝・景行天皇58年
札所等 神仏霊場巡拝の道第1番(和歌山第1番)
例祭 10月15 - 16日(熊野速玉祭)
2022年10月25日
菅田天神社(かんだてんじんしゃ)は、山梨県甲州市塩山上於曽にある神社
菅田天神社(かんだてんじんしゃ)は、山梨県甲州市塩山上於曽にある神社。祭神はスサノオノミコト、五男三女神、菅原道真。
県中東部、甲府盆地の北東縁に位置。塩山は恵林寺や向嶽寺などの古刹が集中し、武田氏の保護を受けた寺社も多い。

甲州市 菅田天神社
歴史
『甲斐国社記寺記』によれば、承和9年(842年)、甲斐国司の藤原伊太勢雄が勅命により少目飯高浜成に命じて創建される。寛弘元年(1004年)には相神に菅原道真を祭っており、これが「菅田天」の由来となっている。
古くから甲斐源氏の鎮守と位置づけられ、特に甲斐武田氏の篤い保護を受け、神主は府中八幡宮への参勤を免除された。甲府の鬼門にあたることから、武田信光のころ御旗(雲峰寺所蔵)とともに武田氏の家宝として相伝されていた楯無が安置された。鎧は於曽氏が管理していた。『甲斐国志』によれば、永禄4年(1561年)2月には武田信豊から、永禄7年(1564年)5月には板垣信安からそれぞれ社領寄進を受けている。『国志』によれば、武田氏滅亡に際しては楯無鎧が塩山向嶽寺の杉下に埋められ、後に徳川家康により再び当社に安置されたとする伝承を持つが、鎧の詳細調査では埋められた形跡は確認されていない。
天正11年(1583年)には徳川氏から社領安堵を受けて、慶長8年(1603年)には禁制を下されている(『社記』による)。慶長7年と正徳3年には社殿造営が行われる。宝物殿には「楯無」と比定される小桜韋威鎧(こざくらがわおどしよろい国宝)を所蔵しており、これは現代に至るまで秘蔵であったが、江戸時代には幕命で甲州の古記録調査を行っていた青木昆陽が見聞し、『甲陽軍鑑』の流行もあり多くの参拝者が往来した。昭和40年(1965年)3月の火災で社殿を焼失するが、昭和44年(1969年)に復興。

文化財
国宝
小桜韋威鎧 兜・大袖付(こざくらがわおどしよろい かぶと・おおそでつき)。
始祖新羅三郎義光以来、甲斐武田家代々の重宝として伝わった「楯無」と号する鎧に当たるものと伝えられている。『甲斐国志』に記される伝承、および鎧の威毛(おどしげ)裏の墨書には本鎧の由緒を以下のように伝える。武田信玄はこの鎧を鬼門除けのため、菅田天神社に奉納した。その後、天正10年(1582年)、武田氏の滅亡に際し、武田勝頼の臣・田辺左衛門尉は本鎧を向嶽寺の大杉の根元に埋めたという。江戸幕府の時代になって、徳川家康は鎧を掘り出させ、再び菅田天神社に奉納した。江戸時代には盗難に遭い、寛政年間(18世紀末)に修理し、文政10年(1827年)にも函工(甲冑師)岩井某に命じて修理をさせたという。
現存する鎧は、補修は多いが、平安時代後期の作。草摺を前後左右の4間(脇楯含む)に分ける通常の大鎧の型式だが、両胸の前に垂らす栴檀板(せんだんのいた)と鳩尾板(きゅうびのいた)は欠失している。威毛は、桜花文を藍で染め出した韋(かわ)をさらに黄色で染めて、桜花文が緑色に発色した、小桜黄返威(こざくらきがえしおどし)と呼ばれるものである。据文金物(すえもんかなもの)、八双鋲の台座には武田氏ゆかりの花菱文が用いられている。兜は鉄十枚張、八間の厳星兜(いかぼしかぶと)である。後世の補修による改変部分が多く、胴正面の弦走韋(つるばしりのかわ)や威毛の大部分は後補であるが、金具回りの形態などに古制を残している。特に、大袖の冠板の形態が、中央部が高く左右が低い山形の稜線をなすのは、『伴大納言絵巻』(平安時代末期作)には見られるが、現存する実物資料としては本鎧のみであり、兜鉢の勾配が急である点とともに、時代の古さを物語っている。
その他
境内にはカシをはじめスギ、ヒノキ、ケヤキが繁る。カシはツクバネガシと、アカガシとツクバネガシの雑種であるオオツクバネガシで構成されており、昭和38年(1963年)に県指定天然記念物となっている。

国宝「小桜韋威鎧兜(こざくらかわおどしよろいかぶと)

所在地 山梨県甲州市塩山上於曽1054
位置 北緯35度42分18.63秒 東経138度43分41.5秒
主祭神 スサノオノミコト
五男三女神
菅原道真
県中東部、甲府盆地の北東縁に位置。塩山は恵林寺や向嶽寺などの古刹が集中し、武田氏の保護を受けた寺社も多い。
甲州市 菅田天神社
歴史
『甲斐国社記寺記』によれば、承和9年(842年)、甲斐国司の藤原伊太勢雄が勅命により少目飯高浜成に命じて創建される。寛弘元年(1004年)には相神に菅原道真を祭っており、これが「菅田天」の由来となっている。
古くから甲斐源氏の鎮守と位置づけられ、特に甲斐武田氏の篤い保護を受け、神主は府中八幡宮への参勤を免除された。甲府の鬼門にあたることから、武田信光のころ御旗(雲峰寺所蔵)とともに武田氏の家宝として相伝されていた楯無が安置された。鎧は於曽氏が管理していた。『甲斐国志』によれば、永禄4年(1561年)2月には武田信豊から、永禄7年(1564年)5月には板垣信安からそれぞれ社領寄進を受けている。『国志』によれば、武田氏滅亡に際しては楯無鎧が塩山向嶽寺の杉下に埋められ、後に徳川家康により再び当社に安置されたとする伝承を持つが、鎧の詳細調査では埋められた形跡は確認されていない。
天正11年(1583年)には徳川氏から社領安堵を受けて、慶長8年(1603年)には禁制を下されている(『社記』による)。慶長7年と正徳3年には社殿造営が行われる。宝物殿には「楯無」と比定される小桜韋威鎧(こざくらがわおどしよろい国宝)を所蔵しており、これは現代に至るまで秘蔵であったが、江戸時代には幕命で甲州の古記録調査を行っていた青木昆陽が見聞し、『甲陽軍鑑』の流行もあり多くの参拝者が往来した。昭和40年(1965年)3月の火災で社殿を焼失するが、昭和44年(1969年)に復興。

文化財
国宝
小桜韋威鎧 兜・大袖付(こざくらがわおどしよろい かぶと・おおそでつき)。
始祖新羅三郎義光以来、甲斐武田家代々の重宝として伝わった「楯無」と号する鎧に当たるものと伝えられている。『甲斐国志』に記される伝承、および鎧の威毛(おどしげ)裏の墨書には本鎧の由緒を以下のように伝える。武田信玄はこの鎧を鬼門除けのため、菅田天神社に奉納した。その後、天正10年(1582年)、武田氏の滅亡に際し、武田勝頼の臣・田辺左衛門尉は本鎧を向嶽寺の大杉の根元に埋めたという。江戸幕府の時代になって、徳川家康は鎧を掘り出させ、再び菅田天神社に奉納した。江戸時代には盗難に遭い、寛政年間(18世紀末)に修理し、文政10年(1827年)にも函工(甲冑師)岩井某に命じて修理をさせたという。
現存する鎧は、補修は多いが、平安時代後期の作。草摺を前後左右の4間(脇楯含む)に分ける通常の大鎧の型式だが、両胸の前に垂らす栴檀板(せんだんのいた)と鳩尾板(きゅうびのいた)は欠失している。威毛は、桜花文を藍で染め出した韋(かわ)をさらに黄色で染めて、桜花文が緑色に発色した、小桜黄返威(こざくらきがえしおどし)と呼ばれるものである。据文金物(すえもんかなもの)、八双鋲の台座には武田氏ゆかりの花菱文が用いられている。兜は鉄十枚張、八間の厳星兜(いかぼしかぶと)である。後世の補修による改変部分が多く、胴正面の弦走韋(つるばしりのかわ)や威毛の大部分は後補であるが、金具回りの形態などに古制を残している。特に、大袖の冠板の形態が、中央部が高く左右が低い山形の稜線をなすのは、『伴大納言絵巻』(平安時代末期作)には見られるが、現存する実物資料としては本鎧のみであり、兜鉢の勾配が急である点とともに、時代の古さを物語っている。
その他
境内にはカシをはじめスギ、ヒノキ、ケヤキが繁る。カシはツクバネガシと、アカガシとツクバネガシの雑種であるオオツクバネガシで構成されており、昭和38年(1963年)に県指定天然記念物となっている。

国宝「小桜韋威鎧兜(こざくらかわおどしよろいかぶと)

所在地 山梨県甲州市塩山上於曽1054
位置 北緯35度42分18.63秒 東経138度43分41.5秒
主祭神 スサノオノミコト
五男三女神
菅原道真
2022年10月24日
アジサイ寺として知られる・阿弥陀寺(あみだじ)
阿弥陀寺(あみだじ)は、山口県防府市牟礼にある華厳宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。アジサイの寺として知られる。

阿弥陀寺の山門(仁王門)
概要
1187年(文治3年)東大寺重源により、東大寺の周防別所として創建されたとされる寺。阿弥陀寺の住職は周防国の国司の任にあたった。1484年(文明16年)に焼失したが、大内氏の援助を受けて再興されている。かつては多くの塔頭を有していた。
東大寺再建のための木材伐り出しに従事する人夫たちのため、重源が設けたと言われる石風呂が文化財として残っている。また、後代に造られたもうひとつの石風呂があり、毎月第1日曜日には石風呂が焚かれるため、一般入山者でも有料(薪代)で入浴することができる。
山門の前で咲いているアジサイ
1975年(昭和50年)頃よりアジサイの植樹が始まり、1988年(昭和63年)には防府商工会議所青年部なども植樹に参加。現在では80種・約4000株のアジサイが植えられて、アジサイ寺として知られるようになる。1989年(平成元年)以降は、毎年6月頃にアジサイ祭を開催する。
中門は1871年(明治4年)に東大寺所管の惣門を移設したもので、本堂は1731年(享保16年)に右田毛利家の毛利広政によって再建された。

文化財
国宝
鉄宝塔(水晶五輪塔共)
重要文化財
木造金剛力士立像
木造重源坐像
紙本墨書阿弥陀寺田畠注文並免除状
鉄印(東大寺槌印)
重要有形民俗文化財
阿弥陀寺の湯屋(附:旧湯釜、旧湯舟残欠)
市指定有形文化財
仁王門(1685年に右田領主毛利就信によって再建された)
地蔵石仏
市指定天然記念物
阿弥陀寺のヤマモモ

鉄宝塔(国宝:鎌倉時代)
交通
JR山陽本線防府駅より防長交通の防府天満宮・毛利邸方面の阿弥陀寺行きで終点下車目の前。
所在地 山口県防府市大字牟礼字上坂本1869番地
位置 北緯34度4分37.2秒 東経131度36分52.3秒
山号 華宮山(かぐうざん)
宗派 華厳宗・真言宗御室派兼帯
寺格 東大寺別院 ← 東大寺周防別所
本尊 阿弥陀如来
創建年 文治3年(1187年)
開基 重源
正式名 東大寺別院 華宮山阿彌陀寺
文化財 鉄宝塔(国宝)ほか
阿弥陀寺の山門(仁王門)
概要
1187年(文治3年)東大寺重源により、東大寺の周防別所として創建されたとされる寺。阿弥陀寺の住職は周防国の国司の任にあたった。1484年(文明16年)に焼失したが、大内氏の援助を受けて再興されている。かつては多くの塔頭を有していた。
東大寺再建のための木材伐り出しに従事する人夫たちのため、重源が設けたと言われる石風呂が文化財として残っている。また、後代に造られたもうひとつの石風呂があり、毎月第1日曜日には石風呂が焚かれるため、一般入山者でも有料(薪代)で入浴することができる。
山門の前で咲いているアジサイ
1975年(昭和50年)頃よりアジサイの植樹が始まり、1988年(昭和63年)には防府商工会議所青年部なども植樹に参加。現在では80種・約4000株のアジサイが植えられて、アジサイ寺として知られるようになる。1989年(平成元年)以降は、毎年6月頃にアジサイ祭を開催する。
中門は1871年(明治4年)に東大寺所管の惣門を移設したもので、本堂は1731年(享保16年)に右田毛利家の毛利広政によって再建された。

文化財
国宝
鉄宝塔(水晶五輪塔共)
重要文化財
木造金剛力士立像
木造重源坐像
紙本墨書阿弥陀寺田畠注文並免除状
鉄印(東大寺槌印)
重要有形民俗文化財
阿弥陀寺の湯屋(附:旧湯釜、旧湯舟残欠)
市指定有形文化財
仁王門(1685年に右田領主毛利就信によって再建された)
地蔵石仏
市指定天然記念物
阿弥陀寺のヤマモモ

鉄宝塔(国宝:鎌倉時代)
交通
JR山陽本線防府駅より防長交通の防府天満宮・毛利邸方面の阿弥陀寺行きで終点下車目の前。
所在地 山口県防府市大字牟礼字上坂本1869番地
位置 北緯34度4分37.2秒 東経131度36分52.3秒
山号 華宮山(かぐうざん)
宗派 華厳宗・真言宗御室派兼帯
寺格 東大寺別院 ← 東大寺周防別所
本尊 阿弥陀如来
創建年 文治3年(1187年)
開基 重源
正式名 東大寺別院 華宮山阿彌陀寺
文化財 鉄宝塔(国宝)ほか