2024年09月04日
銚子電鉄2000形2002編成も廃車になる日も遠くない。
引用先 http://kisya.cocolog-nifty.com/muda/2015/04/post-c1c7.html
銚子電鉄 2001編成が廃車となりました。となると2002編成も廃車となるるのでしょうか?
●銚子電鉄2000形2002編成はいつ廃車になってもおかしくない。
引用先 https://raillab.jp/photo/93854
銚子電鉄2001編成が廃車となりその動向が注目されている銚子電鉄2000形の2002編成
はいつ廃車になってもおかしくありません。
●銚子電鉄2000形2002編が廃車になる理由。
引用先 https://o-totsupura.hatenablog.jp/entry/2023/08/27/144119
銚子電鉄2000形2002編成は元をたどっていくと京王電鉄の2010系で、いつ作られたのか
というと1962年ですから、作られてから62年が経過している車両になります。
そうしたこともあって2年前の2022年の1月に故障した際には、2001編成だけで列車を
運行しなければならなくなったということがありましたが、
この時は伊予鉄道と京王重機の支援で使える部品が確保できたことで、
1週間で修理が終わり、本線に復帰できたからよかったものの、
故障した当初は、復旧までに相当時間がかかるといわれていましたが、
うまい具合に予備の部品が確保できたからよかったものでしたが、
最悪、2000形2001編成だけで3000形の検査が終わるまで乗り切らなければ
ならなかったということでした。
そうしたこともあって銚子電鉄でも南海電鉄から22000系を譲渡してもらった
理由も、2000形の故障があったからではないでしょうか。
●銚子電鉄2000形2002編の引退はいつなのか?
引用先 https://ameblo.jp/eternalrailroad/entry-12475280940.html
銚子電鉄2000形2002編成がいつ引退になるかということについてですが、
鉄道車両でも全般検査を受けなればなりません。
電車の場合、全般検査は8年ごとに受けるようにと国も定めていますから、
それで見ていくと、銚子電鉄2000形2002編成ももしかしたら全般検査が
迫っているのではないでしょうか。
そうなりますと、今残っている2000形2002編成も廃車になる可能性が
出てきますし、あと南海電鉄から22000系を第2編成として譲渡された
際に廃車となる可能性もありますから、いずれにしても
銚子電鉄2000形2002編成も廃車となるのはまちがいありませんが、
いつ廃車になるかということですが、この辺は銚子電鉄からも
発表があるのではないでしょうか。
●銚子電鉄2000形2002編成の廃車はいつ来てもおかしくない。
引用先 https://suigousblog.cocolog-nifty.com/blog/2023/05/post-66d4e1.html
銚子電鉄の2000形2002編成はいつ廃車になってもおかしくありませんが、作られたから
60年近くが経過してきていますから、それらを含めてみても、廃車となるのも時間の
問題ではないでしょうか。
縁と運:銚子電鉄に譲渡されたデハ1000形の舞台裏。
引用先 http://asahi21.zero-yen.com/frame444871.html
銚子電での仲の町に今も残っている銚子電鉄デハ1000形はどういった事情で来たのでしょうか。
●銚子電鉄デハ1000形が来たのは日立電鉄が導入できなかったため。
引用先 https://plaza.rakuten.co.jp/thanarail/diary/200801160000/
銚子電鉄デハ1000形が銚子電鉄に来たのは、日立電鉄での導入が中止になったため。
●銚子電鉄デハ1000形も運のいい車両だった。
引用先 https://4travel.jp/travelogue/10174330
銚子電鉄デハ1000形ですか、当初の予定では営団地下鉄から日立電鉄に譲渡される予定の
車両でしたが、それが計画が中止になったということで、営団地下鉄から銚子電鉄に
譲渡されたという事情がありましたが、日立電鉄もその後廃止線となったことを考えたら、
日立電鉄に譲渡される予定だった営団地下鉄2000形ですが、銚子電鉄に譲渡して
正解だったということになります。
銚子電鉄に譲渡された元営団地下鉄2000形
は車体が両運転台に改造され、
営団地下鉄の2代目1500系と3000系の機器とパンタグラフをつけ、台車は
元小田急の2200系で富士急に譲渡されたモハ5700形の物が組み合わさった
車両ですが、
銚子電鉄デハ1000形も日立電鉄に譲渡されれる予定が中止になったことで、
銚子電鉄に来たのですから、銚子電鉄に譲渡された元営団地下鉄2000形も運のいい
車両だったのではないでしょうか。
●銚子電鉄デハ1000形もいろいろな塗装があった。
引用先 http://geo.d51498.com/glock1320031/sub8-12.htm
銚子電鉄で活躍したデハ1000形もいろいろと塗装変更され、
最初は新塗装となりましたが、
この後、デハ1001が桃電塗装に変わり。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/4060
デハ1002が鉄子の旅カラーに変わりましたが、
なぜ?そうなったかというと、初代の鉄子の旅で銚子電鉄が
作品で出てきたということが縁で、原作者の菊池直恵さんが考案
した特別塗装になりましたが、
ちなみに鉄子の旅 銚子電鉄応援boxでは鉄子の旅カラーの
デハ301がセットになっています。
引用先 https://krfj.net/hatenaki/cdk/1000/1002.html
そして2012年8月11日からはデハ1001が営団地下鉄時代の
銀座線の塗装に変わりましたが、
引用先 http://www.246.ne.jp/~kurosuke/cdk1001.html
デハ1002が2011年11月26日に赤い車体に白帯の丸ノ内線カラー
に変更されました。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/17463
ちなみに銚子電鉄デハ1000形も
鉄コレで製品化されており
新塗装が鉄コレ8弾で登場しましたが、
鉄コレ8弾では日立電鉄に譲渡された日立電鉄3000形
もラインナップされていますし、
シークレットは日立電鉄3000形の旧塗装のモハ3023号車
でありました。
その後、桃電のデハ1001、鉄子の旅カラーのデハ1002がそれぞれ
単品で製品化され、
営団地下鉄時代の銀座線のデハ1001と丸の内線のデハ1002が
2両セットで販売されましたが、
実物の銚子電鉄デハ1000形もいろいろと塗装が変わりましたが
銚子電鉄デハ2000形といい勝負ではないでしょうか。
銚子電鉄デハ2000形も登場したころは2001編成が京王電鉄時代の
緑色と2002編成が白に赤い帯を巻いた塗装になりましたが、
その後、銚子電鉄で活躍したデハ301などで
見られた赤電とそれより古いころの青電の
塗装となりましたから、
そのきっかけも作ったのも銚子電鉄デハ1000形
ではないでしょうか。
●銚子電鉄デハ1000形は今はどうなっているのか?
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引用先 http://geo.d51498.com/glock1320031/sub8-12.htm
銚子電鉄のデハ1000形は、2016年に現役を引退しました。
そしてデハ1001は現在、松戸市にある私設博物館昭和の
杜博物館で保存されていますし、
引用先 http://skp.my.coocan.jp/cyoshi1002/20160716.html
デハ1002は今も銚子電鉄の車庫がある仲ノ町に留置され、
たまに入替で使われることもありますが、
引用先 https://abcp108.fc2.net/blog-entry-1382.html
銚子電鉄でもデハ1002を運転体験ができる車両として修理する
計画がありますが、今のところ資金の問題などで実現できて
いないということですが、
仮に実現出来たらすごいことになりそうですね。
●銚子電鉄デハ1000形が銚子電鉄の来たのは正解だった。
引用先 https://plaza.rakuten.co.jp/thanarail/diary/200801160000/
銚子電鉄デハ1000形も本来ならば日立電鉄に譲渡されるはずが、銚子電鉄に
譲渡されたのも何かの縁で繋がっていたのでしょうか?
日立電鉄に譲渡された車両は路線自体が廃線となった関係で、旧塗装の3023号車が日立市内の模型店に移設され保存されていましたが、
2016年に解体処分されましたが、個人で鉄道車両を保存することのむずかしさ
を提示したものではないでしょうか。
あと、3025号車も保存の話がありましたが白紙となりました。
3023号車以外の車両は2006年の7月までに解体処分されましたから、
そうしたことを踏まえても銚子電鉄に譲渡されたデハ1000形は運のいい
車両でした。