2016年04月14日
アガサ・クリスティから(34) (茶色の服を着た男*その13)
(茶色の服を着た男*その13)
下院議員サー・ユーステス・ペドラーが政府筋に頼まれて、首相との会談に持って行った書類は中味は何も書いていない白紙が1枚だった。
サー・ユーステス・ペドラーの日記にも白紙の書類のことも記されている。
わしはとうとう、恐ろしい事件の中に巻き込まれてしまったにちがいない。
その後のサー・ユーステス・ペドラーの日記の続きは、秘書パジェットが、もう1人の新しい秘書レイバン(何故か?乗船後、行方不明になっている)を疑い始め、警察に飛んでいって事情を訴えたり、数知れぬ電報を打ったり、イギリス人やオランダ人の役人を連れて来ては、サー・ユーステス・ペドラーの勘定で ウィスキーを振舞っていたことが書かれてもいる。
その晩に南アフリカに書類を運ぶよう依頼した政府筋のミルレーから返電があった。
今、一人の秘書の件は、彼の全く知らないことだったのだ!
つまり、今、一人の秘書=レイバンは、ミルレー(政府関係者)から念の為にと派遣された秘書だとのことであったが、実際には預かり知らないことが判明。
偽の理由でサー・ユーステス・ペドラーの秘書にうまく入り込んだのだ!
しばらくたって、
パジェットは、いよいよ張り切っている。
今や彼は、レイバンこそが【茶色の服を来た男】であると断定している。
おそらく彼が正しいものと、サー・ユーステス・ペドラーも考えている。
あの男の考えることは、結局、いつも正しい。
しかし事態はいよいよ不愉快になってきた。
サー・ユーステス・ペドラーは、ローデシア行きは早い方がいいようだ。と考えた。
パジェットには一緒に連れて行かないと言い渡していた。
パジェットは納得いかないようだった。しかし、サー・ユーステス・ペドラーは、イギリスの下院議員が最近、みっともない つかみ合いをやらかしたことがすぐに分かるような秘書を同行させるわけにはいかない。と言い切った。
パジェットは列車に車を積み込ませる手配を始め、全ての手配をおこなっていた。
「ブレア夫人は女中を連れて行かれるのでしょうか?」
サー・ユーステス・ペドラーは、すっかり忘れていた。
実は船上で酔っぱらった際、気が大きくなって半分はお愛想で、社交界の花形ブレア夫人をローデシアに行く電車に積み込む車に乗せてあげると言ったらしい。
しかもブレア夫人だけでなく、ブレア夫人の友人、レイス大佐も同乗することになっているらしい。
これには、さすがのサー・ユーステス・ペドラーもうなった。
(ふたたび、アンの話)
とても早く起き、甲板に出てテーブル・マウンテンを見て、アンは美しさに感動していた。
もうすぐ上陸する南アフリカ、ケープタウンの市街地が見え・・・・・ぐんぐん近寄ってくる市街地に夢中になっていると、ふと、もう一つの人影も甲板の手すりに寄りかかっていることが分かった。
その人影がこちらを振り向く前から、アンにはそれが誰だか分かった。
昨夜の突然襲撃された出来事が一場のお芝居にすぎなかったようにしか思えないような平和な朝の陽光。
アンは思いをふり切るように前を向いて、テーブル山を見つめた。
レイバンがここに1人になる為にやって来たのだったら、私はその邪魔をしないように隠れてやるべきだ。とアンは思った。
しかし意外なことに彼から静かで楽しい声で話しかけて来た。
「ミス・ベディングフェルド」
「はい?」
アンは後ろを振り返った。
「ぼく、おわびを言いたいんだ。ゆうべは無作法なことをしてしまって。」
レイバンは、それからアンにいかに危険な事件に彼女が巻き込まれているのかを警告した。
そしてアンが、どんなことでもやる本当に危険な相手達と悟っていない。とも伝えた。
その警告の中で最後にレイバンは言った。
「とにかく、気をつけたまえ。そしてもしもやつらに捕まった場合には、けっして言い逃れられようなどと考えてはいけないよ・・・・・事実をありのまま言うんだ。きみが助かる方法は、それしかないんだ。」
「これが僕がきみの為にしてあげられる最後のことなんだ。」
レイバンは、アンに警告を終えると、自分のことも少し伝えた。
茶色の服を着た男がレイバンだと知っているのは、アンだけではない。
この船に事件の一切を知っている人物が1人いる。
その男が一言喋りさえすれば、レイバンはそれでおしまいになる。が、そいつが喋らないというごくわずかなチャンスに掛けているという。
何故なら、その男は1匹狼でいることを好む。
そして警察に捕まったレイバンはその男は必要としていない。
捕まらない為にそこに賭けていると言う。
「いずれにせよ。もう僕らは会うことはないと思うよ。」
レイバンは最後にアンの手を強く握りしめ、食い入るように見つめたようだった。
・・・・・やがて、彼は身をひるがえすと去って行った。
この足音をアンはいつまでも聞いているのではないかな、という気がした。
・・・・・彼女の生活から遠ざかって行ってしまうその足音を。
(アガサ・クリスティから35に続く)
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