2012年08月14日
それをお金で買いますか――市場主義の限界
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★★★★★
モノと情報がこれでもかとばかりに溢れる時代。さらには、様々な金融商品やら色んな口述業者とか広告業者とか、絶妙な隙間を担ぐ仲介業者とかが、これでもかとばかりに巧みなサービスや急進的な戦略で、世の中をかき回している。
そんなことを長いことひしひしと感じていたところに、この本のタイトルが目に留まった。
原題が"What Money Can't Buy" に対して、邦題がこれである。日本語に翻訳されたときにタイトルが過剰に演出されるパターンに今までいくつか遭遇しているので、その点については少しだけ嫌な予感がしたが、いやいや中身はとても興味深いものだった。
内容を一言二言でいうと、人々がお金で売買するまでもなく今まで自主的に普通にやってきたこととか、従来なら賄賂っぽいとされてきたことを、市場原理の効率法則みたいなものに従って何でもかんでも売買の対象にしてしまうと、不平等や腐敗が起こるよ、ってことである。
紹介されていた事例はというと、私が期待していた部分よりもさらに外郭の部分のお話だった。それは、野球の特等席だとか、ダフ屋だとか、命名権だとか、保険の転売だとか、誰かや何かの死や致命的被害を予想する賭博だとか、まあ言うなれば少し極端な部分のことだった。
それでも、それらが相当な勢いで今の世の中に増えていっているんだということが分かった。おそらく、日本よりはアメリカがこういう分野でも先をいってるんだろう。日本ではまだ広まっていると感じられない事例も多かったが。
でも命名権については、身近では「東京スタジアム」→「味の素スタジアム」になってたことを思い出したりした。
しかし、それらは分かりやすい氷山の一角であって、根ざしたものはすぐ身近にもある気がする。
本書は、経済をテーマに、市場に関する原理主義に対して問題定義をしていると言える。
しかしこれらの根本的な問題は、経済界に限らず、他の分野にも言えると思う。
たとえば、原発推進とか、宗教・思想的な問題とか。
つまり、あらゆる分野に少なからず内在する原理主義に対する問題提起や批判をするためにも、応用できるお話だと思う。
現実を一定の頻度で顧みない、もしくは顧みても何もせず「原理に従えばすべてうまくいく「はず」だ」という原理主義は、何につけても危険な考えだろうと思う。
サンデル教授の中ではほとんどの問題提起に対する答えが既に決まっているのであろう。しかし、そこを敢えて読者に回答権を委ねることにより、民主主義的ないくつかのことを彼は実践しているのではないだろうか。
一つは、あくまで一人ひとりが社会が抱えている重要な問題について考えるべきだということ。もう一つは、強制的な回答渡しでは受け手が納得しきれない可能性があることに対する考慮だろうか。
また、読者との対話との中で、新たな可能性が開けてくることもあるのだろう。例え同じ講堂にいるのではなくても、出版した時の反響は大きいのだろう。
しかし、なかなかもどかしかったところもある。この本ではあまり書かれていなかったこと。それは、なぜ「友情」とか「寛容」とか「愛情」とか、そういう道徳的と言われることを腐敗させるのはよくないことなのか。その答えは当たり前すぎて、言うまでもないことなのかもしれない。でももう少しそこに踏み込んでもよかったと思う。
でもそこは、また違う大きなテーマに踏み込んでしまうことになるので、本書に書ききれないことなのかもしれない。社会心理学の領域とかなんだろうか。
あと、繰り返しを多用していた。本書の結論的なことがらを、各章の各事例ごとに繰り返していた。それほど大事なことなのだろうが、少ししつこい感じもある。その代わり、頭の中にその内容を深く刻みこまれた。
これも、優れた話術や文章術ということなんだろうか。
訳書独特の感じはしたものの、こういうテーマを扱う訳書としては分かりやすかったと思う。翻訳の技術にも感服した
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