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2017年01月16日
関西・鉄道あるある【阪急電車編】
阪急電車の最初のテーマは『ダイヤモンド・クロス』です。
ダイヤモンド・クロス…線路同士が平面交差している部分をダイヤモンド・クロスと呼びます。
ダイヤモンド・クロスの例
Wikipediaより
1984年(昭和59年)まで、阪急電車・西宮北口駅には『ダイヤモンド・クロス』が存在していました。
映画『阪急電車 - 片道15分の奇跡 -』の舞台となった阪急電車・今津線は現在、西宮北口駅で北と南に分断されていますが、昔は 宝塚⇔今津 間で直通運転されていたのです。
今津線は、まず 1922年に西宮北口〜宝塚間で『西宝線』として開業しました。
次に、1926年には西宮北口〜今津まで延伸。
阪神電車・今津駅に接続され『西宝線』は『今津線』に改称されました。
この時に西宮北口駅構内で、東西路線の『神戸本線』と南北路線の『今津線』が平面交差となり『ダイヤモンド・クロス』が誕生しました。
ダイヤモンド・クロスを通過する阪急電車
Wikipediaより
ダイヤモンド・クロスは、路面電車等の低速路線での採用が多く、運転本数が多くて高速運転されている都市間鉄道での採用は珍しいものでした。
平面交差では電車の通過待ちや徐行運転が必要になるので、ダイヤの過密化に対応出来なくなり、そのうえ危険も伴います。
半世紀以上運用され続けた西宮北口駅のダイヤモンド・クロスも時代の流れに勝てず、1984年(昭和59年)に今津線の南北分断と言う形で廃止されてしまいました。
この記事はWikipediaを参考に作成しました。
2017年01月11日
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2017年01月06日
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2016年12月29日
関西・鉄道あるある【阪神電車編A】
2009年、阪神なんば線の開通によって、阪神と近鉄の線路が繋がり、相互乗り入れが開始されました。
● 神戸三宮から直接、難波〜奈良方面へ
阪神なんば線が開通するまでは、神戸方面から難波へ行くには、梅田から地下鉄に乗り換えるのが一般的でした。
神戸三宮→梅田経由→地下鉄難波までの現在の運賃は 320円+240円=560円です。
一方、神戸三宮→阪神なんば線経由→難波までの現在の運賃は 410円です。
乗り換え不要で運賃は150円のお得!
また、奈良方面⇔神戸方面の相互アクセスも大変便利になりました。
しかし、車両規格や運転形態が違う電車同士の相互乗り入れには当然、不具合が発生します。
● 車両の分割・併合が必要
阪神線へ乗り入れて来る近鉄車両は、快速急行のみが神戸三宮まで、それ以外は尼崎駅止まりです。
阪神本線内は最大6両運転なので、ラッシュ時には最大10両で運転されている近鉄の快速急行は、尼崎駅で6両に切り離され神戸三宮方面へ向かいます。
● 近鉄車は御影駅に停車できない?
阪神本線内で、一番の難所は阪神御影駅ではないでしょうか?
阪神御影駅は、それまで併用軌道(路面線)だった部分を高架線に移設、昭和初期に完成した急カーブ上にある駅です。
待避線を持つ2面4線島式ホームは6両対応済み、特急停車駅でもあります。
しかし、同じ6両でも阪神車両と近鉄車両には違いがあります。
一両あたりの車両寸法(長さ)は、阪神車両は19mだけど、近鉄車両は21m!
6両編成で比べると、近鉄車両は阪神車両より12mも長い!
阪神本線の主要駅では、長い近鉄車両にも対応するため、ホームの延伸工事を行いました。
しかし、阪神御影駅にはこれ以上ホームを延伸するスペースが無く、近鉄車両は停車不能。
結果、阪神御影駅では『快速急行』を通過させる事になりました。
● 急カーブに注意!?
阪神御影駅は急カーブ上にあるため、35km/hの速度制限があります。
通過するのにスピードを落とし、徐行する必要があるのです。
急カーブの弊害はまだあります。
急カーブ上にホームを設置すると、電車とホームの間隔が極端に広い部分が発生し、乗降に大変危険が伴います。
そのうえ、ホームの幅が狭く、ホームの両端は更に狭くなっており、危険度は阪神線内でトップクラスだそうです。
(阪神御影駅 Wikipedia より)
駅ホーム両端の延伸した部分が特に急カーブで幅が狭くなっている事が確認できます。
ホームの待避場所(黄色い線の内側)部分は1人分のスペースしかありません。
線路には脱線防止ガードが取り付けてあります。
阪神御影駅は今でこそギリギリの状態で運用されていますが、昭和初期の駅開業当時の阪神電車は全長15m程度の小型車両、短編成で運行されており、急カーブもそれほど問題視されていなかったのでしょうね。
【Wikipediaを参考に記事を作成しました】
2016年12月27日
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2016年12月22日
関西・鉄道あるある【阪神電車編】
阪神電車は『普通電車』にも力を入れている!
● 加速が凄い『ジェットカー』の導入!
駅間距離の短さをカバーする為、日本最高加速度の普通車専用車両『ジェットカー』を導入して所要時間の短縮を実現しました。
(初代ジェットカーは1958年導入)
5000系 ジェットカー (2代目)
Wikipediaより
5500系 ジェットカー
Wikipediaより
1998年、TV番組『ザ!鉄腕!DASH!!』で
TOKIOとリレー対決をした事で有名ですね。
5700系 ジェットカー
Wikipediaより
2015年、前回の対決から17年を経て、今回はデビューしたばかりの5700系 新型ジェットカー (ジェット シルバー)とリレー対決しました。
5700系は LED照明の採用等で、従来車両と比較して約 33%の省エネを実現!
● 他社に先駆けて冷房化率100%を達成!
今では、電車の冷房なんて当たり前ですが、当時は古い車両も数多くあり、冷房車への改造は大変だったようです。
阪神電車では1983年、特急や急行などの優等車専用車両だけではなく、普通車専用車両を含む全車両の冷房化を他社に先駆けて達成しています。
Wikipediaの記事を参考に『阪神電車のいい所』2件紹介しました。
2016年12月20日
関西・鉄道あるある【歴史編】
阪急電車 vs 阪神電車と開業の歴史
現在は『阪急阪神ホールディングス株式会社』に経営統合して、仲良し?になった両社ですが、開業当初はライバル意識が非常に強かったようです。
阪神間は、北は山(六甲山系) 南は海(大阪湾)に挟まれた狭い土地に現在は3本もの鉄道が平行して走る、非常に旅客獲得競争が激しい路線です。
● 阪神電気鉄道
1905年(明治38年)
大阪出入橋〜神戸三宮間が開業。
後に、大阪側のターミナルは梅田地下駅へ移転。
三宮駅も地下駅へ移転しました。
阪神間では初の私鉄になる阪神電気鉄道は、阪神間の人口が多い南部下町や芦屋・東神戸の住宅街に沿うよう線路を敷設し、途中駅での集客を狙い多くの駅を設置しました。
その結果、短い駅間距離と急カーブが多数発生し、高速運転に適さない路線になってしまいました。
◎ 当時のキャッチフレーズは
『待たずに乗れる阪神電車』
開業当初は競合相手である、今のJRにあたる官営鉄道では、蒸気機関車が走っており、駅間距離が長く、列車本数も少なかったので、沿線住民にとっては不便な存在でした。
一方、可能な限りのスピードアップと運転間隔の短縮などで、待たずに乗れて便利な阪神電車に利用客が集中しました。
● 阪急電鉄
1910年(明治43年)
箕面有馬電気軌道鰍フ会社名で、
大阪梅田〜宝塚間と支線である石橋〜箕面間にて開業。
現在の宝塚本線と箕面線です。
社名から、最終的に有馬まで延伸する計画だったのでしょう(実現せず)
次に、大阪〜神戸間に参入を機に『阪神急行電鉄梶xに社名変更。
この社名が後の『阪急電鉄』の由来になったそうです。
ライバルはもちろん、一足先に開業した『阪神電気鉄道』です。
この社名に阪神電気鉄道は嫌悪感を表明します(当たり前)
◎ 空気を運ぶ阪急電車?
1920年(大正9年)
大阪梅田〜神戸間が開業。
当時、阪神間の北部地域は田畑が広がる過疎地でした。
その為、土地の買収が容易で高速運転に適した直線の線路を敷設できました。
その為、スピード競争では阪急電車の圧勝!
しかし、過疎地を走る電車はいつもガラガラ状態で、そんな状態を皮肉ったキャッチフレーズが
『いつも空いてる阪急電車』でした。
そんな状態を脱却するべく、沿線での集客対策が急務でしたが…
神戸側のターミナル駅予定であった三宮への乗り入れは、工事費用の関係で高架線を希望する阪神急行電鉄側と地下線を主張する神戸市側との折り合いが付かず、一旦断念。
神戸側の終点は西灘駅(現在の王子公園駅)から北西へ1キロ足らずの『上筒井(かみつつい)』として、神戸三宮の中心街へ行くには、神戸市電へ乗り換えが必要になると言う、中途半端な路線で開業する事になりました。
その後、ようやく高架線工事が認められて念願の三宮まで乗り入れを果たした時は 1936年(昭和11年)になっていました。
昭和に入って、官営鉄道にも電化工事が実施され、阪神間の鉄道競争が一層激化する事になります。
今回はこれにて終了〜
Wikipediaを参考に作成しました。
現在は『阪急阪神ホールディングス株式会社』に経営統合して、仲良し?になった両社ですが、開業当初はライバル意識が非常に強かったようです。
阪神間は、北は山(六甲山系) 南は海(大阪湾)に挟まれた狭い土地に現在は3本もの鉄道が平行して走る、非常に旅客獲得競争が激しい路線です。
● 阪神電気鉄道
1905年(明治38年)
大阪出入橋〜神戸三宮間が開業。
後に、大阪側のターミナルは梅田地下駅へ移転。
三宮駅も地下駅へ移転しました。
阪神間では初の私鉄になる阪神電気鉄道は、阪神間の人口が多い南部下町や芦屋・東神戸の住宅街に沿うよう線路を敷設し、途中駅での集客を狙い多くの駅を設置しました。
その結果、短い駅間距離と急カーブが多数発生し、高速運転に適さない路線になってしまいました。
◎ 当時のキャッチフレーズは
『待たずに乗れる阪神電車』
開業当初は競合相手である、今のJRにあたる官営鉄道では、蒸気機関車が走っており、駅間距離が長く、列車本数も少なかったので、沿線住民にとっては不便な存在でした。
一方、可能な限りのスピードアップと運転間隔の短縮などで、待たずに乗れて便利な阪神電車に利用客が集中しました。
● 阪急電鉄
1910年(明治43年)
箕面有馬電気軌道鰍フ会社名で、
大阪梅田〜宝塚間と支線である石橋〜箕面間にて開業。
現在の宝塚本線と箕面線です。
社名から、最終的に有馬まで延伸する計画だったのでしょう(実現せず)
次に、大阪〜神戸間に参入を機に『阪神急行電鉄梶xに社名変更。
この社名が後の『阪急電鉄』の由来になったそうです。
ライバルはもちろん、一足先に開業した『阪神電気鉄道』です。
この社名に阪神電気鉄道は嫌悪感を表明します(当たり前)
◎ 空気を運ぶ阪急電車?
1920年(大正9年)
大阪梅田〜神戸間が開業。
当時、阪神間の北部地域は田畑が広がる過疎地でした。
その為、土地の買収が容易で高速運転に適した直線の線路を敷設できました。
その為、スピード競争では阪急電車の圧勝!
しかし、過疎地を走る電車はいつもガラガラ状態で、そんな状態を皮肉ったキャッチフレーズが
『いつも空いてる阪急電車』でした。
そんな状態を脱却するべく、沿線での集客対策が急務でしたが…
神戸側のターミナル駅予定であった三宮への乗り入れは、工事費用の関係で高架線を希望する阪神急行電鉄側と地下線を主張する神戸市側との折り合いが付かず、一旦断念。
神戸側の終点は西灘駅(現在の王子公園駅)から北西へ1キロ足らずの『上筒井(かみつつい)』として、神戸三宮の中心街へ行くには、神戸市電へ乗り換えが必要になると言う、中途半端な路線で開業する事になりました。
その後、ようやく高架線工事が認められて念願の三宮まで乗り入れを果たした時は 1936年(昭和11年)になっていました。
昭和に入って、官営鉄道にも電化工事が実施され、阪神間の鉄道競争が一層激化する事になります。
今回はこれにて終了〜
Wikipediaを参考に作成しました。