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2015年04月23日
金剛界 一印会 尊像入れ 下絵完成
一印会 下絵完成
なんとか毘盧遮那如来を描き入れ一印会下絵が完成しました。
で、これはパーツを貼り付けた下絵製図と重なっているので、下絵のみにすると
一尊のみなので、ギャラリーというほどのこともできませんで、毘盧遮那如来のお顔と全身の写真だけあげて一印会下絵作図を終えます。
一印会下絵 毘盧遮那如来
今回の一印会下絵を描くにあたって、西院本金剛界曼荼羅一印会 毘盧遮那如来を細部まで何度も目を通しました。
まだ胎蔵界曼荼羅を描いていないのでなんとも言えないが、この一印会 毘盧遮那如来を見る限り胎蔵界曼荼羅より金剛界曼荼羅のほうが劣っているとは思えない。
一印会 毘盧遮那如来は僕にとって、こころあらわれるおもいのする大変すばらしい御尊像である。
あれっ?
これどっかで見たことあるぞ?
『西院本曼荼羅』を見ている時はわからなかったけど今回描いた下絵をみたら似たような・・・というかほぼ同じ構図の絵を見たことがあることに気づきました。
で、探してみたらありました。 コレ
⇩
構図というか細部のデザインやバランスが似ている気がします。
ちなみにこの『一字金輪像』は菱田春草のたいへん秀逸な模写があってそちらの方を覚えていました。
他にも探してみたら金剛寺蔵『尊勝曼荼羅』や、金剛寺蔵『五秘密曼荼羅』、奈良国立博物館蔵『一字金輪曼荼羅』なんかもこの『一字金輪像』と同じ系統にあるように思います。
それぞれ華鬘や瓔珞のデザインが多少異なっていたりしますが、特に全体のバランスはよく似ていると思います。
で、スペキュレーションすると、これらの作品は
(1)作者が同じ
または、
(2)参考にした(模写した)元図が同じ
の可能性があるように思います。
そしてさらにスペキュレーションを逞しくすると、『西院本曼荼羅』を拡大模写した曼荼羅があって、それが『真言院曼荼羅』とかいうので、それを見て描いたのが『一字金輪像』他の系列のような気がします。
なんとなれば、『西院本曼荼羅』から直接『一字金輪像』他へと進んだのではなく、もうワンクッションあるように思えるからです。
『一字金輪像』ほかの系列の絵は『西院本曼荼羅』と構図が似ていますが、細部の筆致が精緻に、静かに描かれているように感じます。一方、『西院本曼荼羅』は細部に至るまで熱を帯び、その揺らめく力を抑えきれないかのようです。
また、細部で着目していることのひとつに臂釧(二の腕の装身具)のデザインがあります。今回描いた『西院本曼荼羅』一印会 毘盧遮那如来では月や太陽などを重ねた宿曜をモチーフにしていると思ったのですが、『一字金輪像』他ではその意味が薄れてデザイン化しているような気がします。
飽くまでそんな気がするだけです。
専門家じゃないのでよく分からないのですが、どこかで『西院本曼荼羅』は縮小模写だというのが定説だという話を読んで、「そうなんだ〜、元の大きい方の曼荼羅もみてみたいなあ」と思ったりしたのですが、『西院本曼荼羅』をみながら描いてて感じるのは、模写するのに余程時間がなかったのか、かなり間の抜けた絵師が描いたのか、下絵の線や図像に間違いがみられ修正箇所が散見されます・・・四印会の三昧耶形で間違って書き直しているところがありますが・・・こういうところって模写してて間違うかな?両界曼荼羅の模写なんて当時の日本では一大プロジェクトだと思うのにそんな絵師を選んでそんな描き方するかなあというところです。
もっと言えば『西院本曼荼羅』を描くほどの画力をもった絵師(集団)だったら他にも同じようなエキゾチックで創造性豊かな絵を描いていてもいいのではないか。日本に残っていてもいいのではないか。絵そのものが残っていないとしても手記や記録に伝わっていたり、それこそ模写のような系列の絵がほかにあってもいいのにと思います。
で、結論としては下絵の修正や間違いは試行錯誤の後ではないかと考えらえて、『西院本曼荼羅』は模写ではなくオリジナルだと思います。
さらに、いままさに大地から起ち上がったかのような生々しく、多様で表情豊かな『西院本曼荼羅』の尊像が模写のはずがない。これが模写だとしたら、模写した絵師が稀代の天才絵師か、もしくは、元となる絵が恐ろしく生々しい絵であったかのどちらかとおもいますが、修正や間違いその他のことから考えてもその可能性は低いと思います。
『西院本金剛界曼荼羅』は少なくとも3人の異なる手が入っているように感じます。そのうちの一人は西域インドで、もしくは、西域の絵を学んだ絵師で、当時の中国で描いたのではなかったかと想像します。
西域の絵に精通している一流の腕を持った絵師と、その技能を継承しようとするお弟子さんと、その他にもほとんど意味も分からず描いているお弟子さん(もしくはお手伝いさん)がいるように感じます。
それぞれの会の色あいから、特に中下段の六会は分業体制で描いていると見受けられます。上段三会の尊像のほとんどは筆頭絵師が描いているようです。
揚州かどこかで、西域の絵に精通した絵師とそのお弟子さんたちが日本人に依頼されて限られた時間で急いで描くために、小さめで、しかし、絵の具などは高品質のものを用いて、はじめて描いた両界曼荼羅が『西院本曼荼羅』のように想像します。
すべて空想です。
そんなことを頭に思い浮かべながら描いていたりします。
これから
これで九会中上段三会の下絵終了。
ということは金剛界曼荼羅の3分の1の下絵作成が終わった計算になります。
でも、これからが大変で、中下段の六会は尊格が小さく一会あたりの尊格数も増えます。因みに尊像と三昧耶形を合わせて尊格っていってます。
小さいことで描きやすいのか。細部がわからなくて嫌になっちゃうのか。はたまた、数が多すぎて途中でわけがわからなくなったりするのだろうか?とワクワクしながら次に進みたいと思います。
どんなかんじかなあ
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ