走行距離 68.88km
走行時間 3時間45分
はじめに、今回のブログは強烈な内容になるために、
あんまり書きたくない。
思い返すだけで、夜が寝にくくなるから。
いつもは面白おかしくしようとするけどさ…。
だから、WARNINGって書くから、その後はほんまに読まんほうがいい。
じゃあ沖縄RUN最終日行って見ましょう。
昨日の楽しい呑み会が、朝の起床をのんびりさせる。
ゆっくりの9時起床。
今日はなぜだか!?眠り姫のジュントが早起き。
どうやらコーヒーの飲みすぎで、寝られへんかったらしい。
で、ゆりちゃんとジュントが朝ごはんを作ってくれて、
キラキラ富山さんこと石黒さんと4人でモーニング♪
もう一人手塚君がいるんやけど、出発してたよう。
みんなで食べるごはんはやっぱり楽しい。
沖縄では一人でご飯を食べるより、誰かと食べたことの方が多かったなぁ〜。
この安里のシェアハウスは、不思議ちゃんと不思議くんが多いから、
会話が実に難解でみんなでいると…。うまい事会話に入れないんですなぁ〜。
まぁそれでも、ここの住民はみんな大好きやけどな。
ほんで、ご飯食べて、片付けて、ちょっとのんびりしてから、出発。
散々、お世話になったのに、軽めのさよならで出発した。
きっちり、ありがとう、バイバイってしたら、なんか2度とここに来れへん気がしたし、
楽しかった分、泣く可能性もあるから。
シュッとサラッとごきげんようと言いました。
その後がいかん。ケツメイシの旅人という曲がいかんかった…。
旅立って、一人になって〜〜♪踏み出して、孤独になって〜〜♪
あきませんね。しんみりしちゃって。
だからかなぁ〜、チャリにパワーが入らない。
しかも、昨日の酒か!?今朝のご飯か!?お別れか!?何が原因かわからんが
、
下痢である。夏のような気温での下痢は悲惨だ。
汗はでるし、下痢からも水分が出る。つまり、水分補給が欠かせない。
下痢やのに、かぶかぶ水を飲む。
ふらふらと坂を走っていたら、後ろから速い自転車乗りが、
「ふらふらしてたらあぶないよ」って、
もうどっちを我慢するか!?という問題。うるさいわ!と今の怒りをぶつけてもよかったが、
いかんせん肛門の踏ん張りが、坂道のために緩んでるからな…。
どちらに爆弾処理班を配置させたかは言うまでもない。
そうそう、今日の走りは沖縄〜鹿児島間のフェリー代を少しでも浮かすために、
那覇から本部という港に行く。節約するためのRUNである。
だから、一度見た景色なので、写真パチャパチャ、寄り道ダラダラではなく、
ガンガン走る。
下痢のやつも何回か、安全に、迅速に処理をしたおかげで、治まったしね♪
途中に沖縄NO,1フェイバリットスポット。
お菓子御殿があったから、試食のお菓子をバクつき、燃料補給。
pm4時。後40kmぐらい。もうノンストップで、本部港へ。
夕日見ながら、
本部に着いて、町の図書館の軒の下で野宿しました。
WARNING
ここから先はちょっとではすまない、内容であるために…ご注意を。
話はpm4時過ぎから
上の文章は無理やり一日の終わりに繋げました。
ほんとは本部には車で行った。普通の車じゃなく、警察車両で送ってもらった。
夕日もおまわりさんから、時間を貰って、見に行った。
気分を変えたかったのかも分からん。
ただ、今日の夕日は心に響くものがない。心に隙間がなかった。余裕もない。
頭の中では、ずっと同じ場面が、ぐるぐると巡っていた。
出来事は一瞬。何気ない走行中。いつもと同じ。そういつも通り。
pm4時35分
名護市許田の高速高架下の国道58を走って時、対向して走っていた125ccバイクを一人で乗っていた男性。
ゆるいカーブ。
ほんの少し、ちょっと揺れたかなって感じた瞬間。
次の映像ではガードレールにバイクごと突っ込んでいた。
他に走行車両はなく。ボクだけ。最初から最後まで見ていたのは。
だから、唯一の目撃者。
交通事故を見たこともある。やったこともある。
でも、今回のは状況がまるで違う。
反対車線にいる時から男性はピクリとも動かず、遠目に見ても、片腕がおかしなほうに曲がっている。
ボクの頭は言葉では混乱、パニックとなるんだろうけど、
それは今だから、表現できること。
急いで、かばんからケータイを出しながら、男性の下にいく。
やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。
血がいっぱい出てる…。
大丈夫ですか!?と問いかけながら、
大急ぎで、110番。警察へ通報。
警察に連絡したら、自動的に救急車も来ると思ってたけど、連絡は行かないらしく。
今度は119番に。事故したバイクの方は以前としてピクリとも動かない。
ボクも動かしていいのか!?判断ができない。
ほんのひと時で、状況も頭の思考も180度以上変化し、冷静に判断ができるはずがない。
119番に連絡がつながったのは良いが、今の場所の正確な場所が分からん。
そんな時に、走りよってきてくれた近所のおばちゃんに電話を預ける。
その間もボクも他によって来た男性も、動かしていいのか!?判断ができない。
少しも動かない男性。
大丈夫じゃないことぐらいしかわからない。
時間にすれば、3〜4分ぐらいしか経ってないと思う。
電話を預けたおばちゃんは看護師らしく、男性を診て、心臓マッサージをするために、車道のガードレールの切れ目で横たわる、男性を歩道に下ろそうと言う。
ボクは警察からの電話の対応をし、他の男性がその作業を手伝う。
うつ伏せになっていた男性を仰向けにすると、眉毛の上あたりから、鮮血しその間から、骨が見えている。
眼も虚ろで、足も切れている。
今でも、この心臓マッサージするための一連の場面と男性の姿が頭に残っている。
それから、警察と救急車が来るまで、すごく長く感じた。病院のある名護はすぐ近くやのに。
実際は5分も経たずに来たはずなんやろうけど。
はやく。はやく。はやく。ボクはおばちゃんを見てることしかできひんかった。
おばちゃんの娘さんらしき女性が、代わりに心臓マッサージをして、
救急車が来るまで、ずっと蘇生作業をしてた。
学生の頃、サッカーのコーチをしてたとき、救急蘇生措置講習を受けたことがある。
そのような状況に自分がいるなんて、考えもしなかった。ありえないこと。
が、目の前で起きた。最初に見たのがボク。
対処の方法なんてできなかった。勇気がなかった。
最初におまわりさんが来て、すぐに救急隊員が来た。
そこからは、事情の説明。何がどうなって、この事故になったのか!?話す。
ボクも分からんことばっかりや。原因はわからんけど、一連の出来事を伝える。
ほんとに数秒の出来事が、映像ではなく、写真のようにしか思い出せない。
救急車が着てからは、すぐに搬送されていった。その間もずっと蘇生措置は続けられていた。
サイレンの音が離れていくにつれて、やっと心が落ち着いてきた。
そこから、実況検分。目撃者のボクの証言の元に、色々と調べられていく。
pm5時。予定では本部についてるはず。その事情を話すと、警察署でも調書を作るから、まだ行かないでくれと。
じゃあ宿は!?明日のフェリーは!?と。警察で何とかしてくれるらしい。
だから、名護警察署まで自走で向かう。事故の余韻が頭に残る。
というより、あの場面が頭を支配していた。
夕暮れに向かう太陽も、反射する海面も、いつもと違う。心が違う所で迷ってる。
事故からの動きは良かったのか!?男性はどうなったのか!?
その思いの中、さらに詳しく調書のために話す。
pm6時30分。どうしても夕日が見たかったら、沖縄の最後の夕日だから、ちょっと見たいと思ったから、時間を貰う。
すごく綺麗な夕日やった。ただ、心には響かない。硬い石のように、心が固まっているのか、普通の精神状態ではない。
とぼとぼと、警察署に戻って、調書の協力。
知らないジャケットの方が2人。那覇からきた捜査課らしい。
死亡事故が起きた場合のみ、那覇からも来るらしいとの事。
つまり、事故をした男性は亡くなったという意味になる。
さらに、心に重たいものがのしかかる。
pm7時30分。調書完成。
そこからがキツイ。
事故のショック。があるのに、テント生活で今日はどうしようもない時間帯。
警察が泊めてくれるからと、調書に付き合ったのに。
そんなボクの状況なんて、お構いなしに、本部の町に送られることになった。
しかも、置いてけぼり。
もうしっかり夜の大して知らん町に置いて、さよなら。
これでご飯でも1000円。と、ありがとうございました。のお礼。
ちなみに、このありがとうございました。は、調書にしっかりと事故を目撃した人がいること、またその状況を、遺族に説明しやすい。
の、2点。に対するありがとうございました。だと思っている。
自己保身。警察がめんどくさくないように協力しただけ…。
協力したボクのことなんてもう知らんよ、と。
感情がない。
疲れた。疲れた。色々ありすぎて、疲れた。疲れた。
スーパーでご飯買って、そこで食べたけど、味がしてたのか…。
ただ、生きるために食べただけ。他は感じない。心があの事故に縛り付けられたまま。
そのあと、警察署でフェリーの時間と、野宿場所を聞いて。
寝た。違う寝ようとした。横になってただけ。
頭の中には亡くなった方の虚ろだった目が残っている。
いつ眠ることができたのかわからないけど…。気がついたら寝てた。
身体も心も憔悴しきっていた。
それでも、進まなければならない。僕の旅の終わりは京都と決めてるから。
どんな事があっても…。