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2017年12月16日

闇の雄叫び 17 (惰性止むとき)


年度も新たに、有給休暇と介護休暇は戻ったものの、おそらくそれらは父の介護を理由にあっという間に消えて無くなるであろうことは目に見えていた。
それでも有るのと無いのとでは意味合いも大きく異なり、多少なりともサラリーや職場での”立場”を温存するには助けられそうであることに安堵する。
そう。あくまで”多少なりとも”ではあるが。

介護に絡む遅刻、早退、欠勤が常態化し続けたことにより、当然ながら管理人の職場での立ち居地というものは、何事も無かった頃に比べて同じという訳ではなくなっていた。
いつしか”責任的立場”というものからは遠ざかり、出張や接待の免除も常とされ、むしろそのことは、こちら側から社用諸々の辞退を願い出るしかなくなった後先の顛末というものだった。

言うならばそれは、職場での居所を希薄化するしかなかったというのが、そうなってからの管理人の”勤め”といったものでもあり、でなければ業務の所在自体が曖昧となり、下手をすれば他者のほんの些細な身動きすら取りづらくなるのが組織の危うい一面だったりもするからだ。
なので、その先はもう、誰が居ようが居まいが、新たに構築せざるを得ない職場の動きに委ねるしかないのが当然の流れとなり、その流れの後先に、管理人は甘んじて職を繋げていたような具合である。

そんな最中(さなか)に戻った有給休暇や介護休暇は、今後また父の介護に纏わる何らかのトラブルに遭遇したにせよ、最悪これを使い切るまでは、若干の体裁だけは保てるであろうと思える貴重な残弾として映るものだった。
せめてその残弾尽きる前に、少しでも早く自身の立場を回復し、しっかりした形で業務や社会に立ち帰ってみたいものだと願わずにはいられない。

そして振り返ると、いや、振り返らずとも、そこでは色々蘇ってくることになる。
立ち消えてしまった本社への移動、頓挫した2度の昇進内示、昇給の見送り、そして最終的には最低ランクまで査定を下げられてしまったボーナス支給額など、父が脳溢血で倒れてから今日に至るまで、いったいどれほどのキャリアを棒に振り、掴んでいたかもしれない筈の収入や将来を逃してきたことになったのだろうかと、ただ虚しい喧騒が耳に胸にと残るだけの日々を見詰めることになる。

それは否応なしに悔しいだけの回顧でしかなく、たとえそれが親の介護という致し方ない事由であったにせよ、綺麗さっぱり笑って諦め「まぁ仕方ない、アハハハハ」などと容認するには余りに忍び難い歴史ともなっていた。

入社以来、長年随分と辛酸を舐め続けながらも様々なハンデを乗り越え、努力や工夫、そして駆け引きを重ね、出来得る限りの実績を、それまで幾つも打ち立てて来た筈だった。

一企業人として、ただひたすらガツガツと形振り構わず立ち回らざるをえなかった忙殺の日々を越え、ようやくにして、自身の裁量や思惑、そして戦略をもってして社会に挑む間口が開いた頃だった。

あともう少しで人生というものに対し、多少の自信や余裕を持たせられるかもしれないなぁと、社会人として、そして一人の大人としての次の段階を、寸前のところまで捉えていた筈だった。

その寸前のところで、アル中の父が昼間から酒を飲んでいる最中に脳溢血で倒れ、その後の展開へと至ってしまう。

出来るものなら何事もなかったあの頃に立ち帰り、またあの段階から仕切り直してみたいものだと、自分自身さえ呆れ蔑むほどの未練がましさを胸に抱き、畜生、畜生と懐古する。

もっとも、今更その全てを取り戻すことなど現実的には思いようもなかったが、それでも”こんなこと”で社会から落ちこぼれたくはないといった一心の元、せめて一社会人として最低限でも仕切り直しはしてみたいという意地があり、反骨らしき念も居座り続けていた。

父が全ての施設入所を絶たれた今、一旦帰宅すると昼夜問わずただただ介護に付き切りになるだけの日常ではあるものの、そんな最中においても、なお出勤するということは、管理人自身の自己の社会性を保ち、何らかの希望を育み続けることにも繋がっていた。

家に帰り、日々深夜の雄叫びに叩き起こされ、それを宥め制しているときは、今度こそ自分の人生はこれで終わってしまうんだ、いい加減ぶっ倒れて仕事にも行けなくなるんだ、といった恐れと諦めだけに支配されてしまうのだが、それでも朝になり、また社会へと漕ぎ出すと、そこに居ることに心底安堵し救われることへと繋がってゆく。

こうなってからというもの、高額な老人施設の入所費用、やはり高額な訪問医療や訪問看護費用、そして在宅介護に係わる諸々の費用全般を捻出するが為に虎の子の預金を取り崩し、さらには少しでも日常の出費を抑えたいが為、些細な付き合いにしろ、やはり些細な趣味嗜みや好みの飲食といったことにしろ、やがては”生涯大事にしたかった筈の人間関係”においてまで、それらすべてを遠のけ、封印しなければ、生活すること自体が困難な日々に追い込まれていた。

そこには何らの癒しや愉しみ、そして息抜きすらも微塵にさえ存在せず、ただ耐え、ただ我慢し、無情に垂れ流される膨大な出費を、ただ固唾を呑んで見送るだけの日々しかない。
毎月こんなにお金があったなら、今月このお金を他の事に使えたならと、いじましさこの上ない心情に潰されそうになる。

だがしかし、辛うじてでも社会に居続けさえすれば、そしてそこと繋がってさえいれば、必ずしも「ゼロ」と潰える事は無いだろうと、明日を見る。



(やっぱ、社会で生き続けたい・・・ ガソリンなんか被るものか!)



寝不足の頭と怪しげな体調を引きずりながらも、切にそう回帰を願い、日々の業務に打ち込んでみる。
久しく手にした有給休暇という残弾に対し、そこに一縷の望みというか、微かな安堵らしき思いも重ね、また新たな年度に漕ぎ出すことを決意する。

それにしても、これまでの社会人人生において、これほどまで有給休暇というものが尊く思えた瞬間が果たしてあっただろうかと、やはりそれまでの経緯をしみじみと振り返る。



(有給休暇、大事に使わせてもらうぞ・・・)



だが、そんな尊い有給休暇という残弾を、管理人は父の介護に関する理由ではなく、自身の都合であっという間に撃ち尽くすことになる。



ある日の業務中、突然管理人の頭上で職場の天井がグルグル回り出し、足元の床は雲でも踏んでいるかの如く、ぐにゃりと抜けた。
てっきり大きな地震でも起きたのかと驚き身構えるも、周りは皆、何事もなく業務を続けており、そこでようやく自分にだけ何らかの異変が起きているのだということに気が付いた。

次の瞬間には姿勢の維持さえ出来なくなり、そのまま机に突っ伏すも、今度は上体を委ねた筈の机がふわっと沈み、そのまま管理人は椅子から床へと転げ落ちる。
固く冷たい床の感触を顎や頬で覚えながらも、不思議なことに、その固い筈の床は波打ってもいる。



(何が・・・ 何が・・・ 起きて・・・ るんだ・・・・・・?!?・・・)



回転する管理人の視界に、駆け寄ってくる同僚の姿が見えた。



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posted by ココカラ at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 介護
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