2017年12月26日
闇の雄叫び 19 (螺旋)
仕事を休み、ぼんやりと改善しつつある眩暈の揺れを覚えながら、これまでも何度となく自問自答してきたことを、自室のベッドに横たわりながら反芻することになる。
それは出口の見えない虚しさだけの回想でもあり、急に何もすることがなくなった日々がもたらした、不意な時間軸的余裕だったのかもしれない。
そこでは、本当にどうしようもない程の堂々巡りを自問し、答えにすらならない自答をただひたすらに繰り返すだけとなる。
これまでの父の件では、そしてそれに纏わる自身の立ち回りとは、いったいどうするのが最善だったのだろうか? あの時点では、どう判断し、どう動けば良かったのだろうか?と、自己のこれまでの選択を遠く近くと見詰め、どれにおいても後悔を覚え、ただ藻掻くことを繰り返す。
仕事を持つ現役世代の「子」が、常に介助や見守りが必要な親を自宅で介護するとなると、当然、子は仕事には出られず、余程の財産や貯金でも持っていない限り、すぐにも収入は絶たれ生活は破綻する。
いわば、親を自宅介護することで、その世帯は一家共倒れコースに乗っかることになる。
なので、この方策は選択しなかった。
では、親の介護を外部の施設、とりわけ”有料老人施設”などに預けた場合では、子は仕事を辞めずに収入を得ることは出来るものの、殆どの場合、その収入以上の高額な費用を支払うことになるので、やはり生活は破綻する。
これについては実際に破綻しかけたので、よって、これも選択することはない。
結局のところ、親を施設に預けたら預けたで、いつしかその高額な費用を賄えなくなり、やはり一家共倒れコースに乗っかることになる。
ただし預けていられる間は、家族は24時間の見守りや介護作業から解放され、夜は人並みに眠ることが許される。
これは家族側にとってはとても大事なことで、心身ともに健康衛生上、人間が生きる上で最も尊守されるべきことになる。
だが「この世の沙汰こそ金次第」と言おうか、それをするには余程潤沢な経済力がなければ続かないのが現実で、やはり我が家の選択肢としては外される。
ならばと、特養や老健、ショートスティ、そして日帰りではあるがデイサービスの利用を考えるも、常に雄叫びを上げ続け、周囲に暴力的な言動を浴びせ捲る父は、他の利用者への配慮からも入所を断られる始末となる。
よって、これらの施設利用こそ、はなから選択肢には上がらない。
そして唯一残された在宅介護以外の選択肢が、精神病院への入院だったが、本人の循環器系の持病により、それはあっさりと潰えてしまった。
最後に残ったのが、結局のところ自宅での在宅介護となった。
ただし、自宅で介護はするものの、その介護作業の殆どは通いの訪問ヘルパーに委託して、子は生活収入を絶やさないためにも社会に出向き、仕事は辞めずに続けるという方策である。
この方策であれば、諸々の合算費用も収入を上回ることは殆ど無く、ギリギリのところで現役世代の社会生活と、要介護者の暮らしを両立させることを維持できる一番の得策となり、事実、父を施設から戻してからの我が家は、その方策でやってきた。
というか、在宅介護世帯で子の介護離職を回避するには、この方策しかなくなるのである。
だが、結局のところ、これも破綻を迎えようとしていた。
父は夜通し叫び続け、それを宥め制する為にも管理人は眠ることを許されず、それでも収入を絶やす訳にはいかないので仕事を続けるしかなく、そうこう奮闘しているうちに疲労で倒れ、途端に社会生活どころではなくなった。
(どうすれば良かったのだろうか・・・・・・)
新たな年度へと切り替わり、戻ったばかりの有給休暇を大事に使わなければと誓った矢先から、その貴重な有給休暇を連日消費するだけの生活に入ろうとは、いったいどういう運命なのだろう。
やはり俺は、父に殺されることになるのだろうかと、思わずにはいられない。
(親の面倒見てたら仕事には行けない・・・)
(けど、仕事辞めたら収入無くなる・・・)
(そうなったら、一家共倒れだ・・・)
(やはり、どうにかしてでも、働かないと・・・)
(じゃあ、誰が親を見る・・・?)
(やっぱり、何処か施設に預けてでも・・・)
(でも、認知症専門の有料ホームに入れるのは、もう無理だ・・・)
(そのせいで、貯金、ほぼ使い切ったし・・・)
(もう、あんな高い施設、絶対入れられないし・・・)
(特養なら、有料ホームより安いけど、騒ぐから断られるし・・・)
(精神病院も、老人医療費で安く済む筈だったけど、持病のせいでダメになったし・・・)
(結局は、ウチで看るしかないのか・・・)
(けど、ウチで看てたら、仕事行けないし・・・)
(そうなると、やっぱ、収入無くなるし・・・)
(介護ニートだし・・・)
(そのうち、生活費も無くなるし・・・)
(結局は、一家共倒れだし・・・)
(やだよ、そんなの・・・)
(やっぱ、働いていたい・・・)
(最低限でも、自分の生活、欲しいよ・・・)
(ここの家だって、続けていきたいし・・・)
(やっぱ、仕事辞めるワケにいかないし・・・)
(だがら、ヘルパーさんに来てもらって、働きに出てるのに・・・)
(けど、夜帰ってきて、眠ることも出来なきゃ、結局は無意味だし・・・)
(毎晩毎晩、雄叫びで起こされて、寝不足のまま、仕事してたから・・・)
(だから、こうなったんだし・・・)
(メニエールだかなんだか知らないけど、変な病気なって、ぶっ倒れたし・・・)
(このままじゃ、俺まで寝たきりになるみたいだし・・・)
(今も、目、回ってるし・・・)
(横なってるのに、転げ落ちそうな感覚だし・・・)
(どうなっちまうんだよ・・・)
(どうしたらいいんだよ・・・)
(結局のところ、働いても、働かなくても、一家共倒れかよ・・・)
(施設に入れても、自宅で看ても、ヘルパーさんに来てもらっても、結局は、一家共倒れコースかよ・・・)
(糞ジジイ・・・ お前って、凄いな・・・)
(ここで寝てるだけなのに、凄い破壊力だよな、ホント・・・)
(お袋のこと、潰すし・・・)
(俺まで、このザマだよ・・・)
(テメェには、誰も敵わねえよ・・・ ったく・・・)
自分自身を「イイ歳こいた中年オヤジ」として自覚していたが、まるで青臭い若造のぼやきの如く、ただ稚拙に腐るしかないのが正直なところだった。
何をどう思案し実行しようが、何らの解決にも辿り着けず、どちらに動いても、どう避けようとも、いくら逆立ちしようとも、そこに変わらずしっかり佇んでいたものとは、結局のところ、頭打ちの無い疲労と、覚えたくもない嫌気と、涙すら忘れるほどの散財といった、底知れぬ螺旋が続くだけだったのだ。
その螺旋へと管理人は自ら入り込み、ただひたすら目を回して倒れるまで、暗に駆けずり回っていただけに過ぎなかったのである。
(もう、どうしようもないのかもなぁ・・・)
(会社、戻れるようになるのかなぁ・・・)
真っ先に訪れるであろう、経済的不安に対し、ただ怯えるだけだった。
だがそこに解決の糸口は微塵も見当たらず、思案することさえ嫌になる。
(宝くじでも、当たりゃなぁ・・・)
(億とは言わず、取り敢えず、500万くらいあれば、色々解決できそうなんだけどなぁ・・・)
(けど、親父は何歳まで生きるのだろうか・・・)
(となると、やっぱ、当てるなら、億かぁ・・・)
(そうだ、当たったら、久しぶりに、アルコール飲んでみたいな・・・)
(うん、ビールがいいな・・・)
(あと、刺身なんかも、食ってみたいな・・・ へへへへ・・・)
そんな絵空事のような思考さえ繰り出し始め、そろそろ生活破綻というものが見えかけてきたこのころ。
なにやら面倒臭い症例の眩暈で寝付くことになってからというもの、自身の中心を失ったような気分へと傾いたままになる。
そこではどうにもこうにも思考が霞んでゆくのを知りながら、かといって、足掻く気力さえ無になっている自分を眺めることにもなってゆく。
それは、常駐し続ける眩暈や疲労のせいからだったのか、それとも管理人本来の人間性が、度重なる困窮の最中(さなか)から暗に露呈してしまったことによるものなのかは、定かではなかったが。
(ほんとに、この先、どうなるんだろ・・・)
もう何もしたくない、何も考えたくもない、と、素直にそう思う日々が横たわる。
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