2017年12月24日
闇の雄叫び 18 (狼狽える寝たきり中年)
どこかの天井が見える。
四方を布に囲まれた空間の上に、その縦長の天井は見えている。
それは職場の天井でも無ければ自宅のでも無さそうだが、どうやらその縦長の狭い空間の真下で、管理人は仰向けになっていたようである。
不意に左腕に、かなりの重苦しい痛みがのし掛かっていることに気付く。
加えることその痛みには、徐々に氷り付いていきそうな冷たさも増し始め、一時でもこの腕を切り離して欲しいとさえ思えるほどの激烈な痛みへと覚醒してゆく。
慌てて顔を起こし左腕を凝視すると、そこには点滴のチューブが入っており、そこで「あっ」と思い出す。
左腕を雁字搦めにする痛みの原因は、「比重の重い薬品になるので、終わるまで相当痛いかもしれません」と看護士から説明されることになった、眩暈止めの点滴であったことを思い出す。
そしてここは病院の処置室であること、周囲の布は仕切りのカーテンであったこと、医師に「あなたは”メニエール”で倒れたのだ」と説明されたことなど、徐々に徐々にと、ここ数時間のうちに身に起こった出来事の経緯を辿って行くことになる。
(そうだよ・・・ 俺、会社で倒れたんだ・・・)
突然周囲の視界や平衡感覚が暴れ出し、ワケの解らぬまま職場で倒れ、その後しばらく身動きすら出来ないまま床に転がっていたのを覚えている。
それでも、血相変えて駆け寄ってきた同僚に、「大丈夫だ、ただの眩暈だ」と強がっていたのも覚えており、その後自力で壁と床を這いずりながら応接室に辿り着くと、そこのソファに倒れ込んだのだ。
周囲がオロオロしていたのを覚えている。
いや、周囲をオロオロさせてしまったのだ。
その観衆の中を、「大丈夫だ、大丈夫だ」と言いながら、応接室に向かったのを覚えている。
救急車を呼びますね、という誰かの呼び掛けにも、「大袈裟にするな」「仕事に戻れ」などと制していたのも覚えている。
皆が狼狽える中、一人応接室のソファでぐったりし、大変なことになってしまった、一体何が起きたというのだと、その具合の悪さと不気味さに、為す術もなく横たわるしかなかったのを覚えている。
それにしても、俺はとんだ迷惑野郎になっちまったと、依然回転したままの職場の天井を凝視したまま、そのバツの悪さと悔しさらしき思いに、ただオロオロと狼狽えるしかなかったのを覚えている。
(俺は・・・ この先・・・ どうなるんだ・・・?)
それは、体調的にどうこうと言うよりも、社会での立ち居地というものが、この一件によって今度こそ”御破算”になってしまうのではないか、といった怯えだった。
父の脳溢血での入退院を起因とし、その後の認知症に発展してからの更なる通院や介護での遅刻、早退、欠勤を常態化し続けてきた挙句、今度は管理人本人がこの様(ザマ)となった。
父の一件以来、家の事ではこれまで随分と擁護され、かなりの温情を以ってして会社には気遣われて来た筈だった。
だがいつしかそのことは、感謝以上に、申し訳なさやバツの悪さ、そして居心地の定まらぬ日々へと追い込まれることにもなり、もしこれ以上、家で何かトラブルでも起きようものなら、そして自分自身、何か仕事でヘマでもやらかそうものならと、今度の今度こそ立場は無くなるであろうと、一挙手一投足が震える思いで慎重に慎重を重ねながら業務を過ごす日々にもなっていた。
そんな中で、ずってりと転んだのが自分自身となった。
親の件でもなく、仕事のミスでもなく、自分自身そのものが、ワケも判らぬまま地面に転がったのだ。
もういい加減、会社に見限られても可笑しくはないだろう、いよいよ俺は社会から転落するのだろうと、回る天井を見遣りながら悟るしかなかった。
左腕に冷たい激痛を覚えながら、診察室での医師の言葉が思い出される。
「どうやら、メニエールが出ていますね」
「めにえーる・・・?」
「ええ、メニエール病による回転型の眩暈を起こしています」
「なんだか良く判らないのですが、それって、よく聞くところの”眩暈”とは違うのですか?」
「そもそも眩暈というものは、色々な要因があって発生するものですが、今あなたに起きているのは ―――― 」
医師の説明によると、一言で眩暈といってもその要因は様々あるようで、脳神経や血管、三半規管の疾患といった機質的な原因から、過度の疲労や睡眠不足を起因にするものまで多岐に渡るとのことだった。
そこで実際の管理人に起きている眩暈の種類は、問診からも間違いなく過度の疲労や睡眠不足から起こったであろう眩暈と判断され、更にはその持続する眩暈の質からも「内リンパ水腫」という、内耳のリンパが増えて水ぶくれの状態になってしまうというメニエール病独特の症状からの回転型眩暈と推察されることになった。
早い話が、単純な疲れだけからの眩暈では無いとのことで、疲労や睡眠不足の度が超し過ぎると陥る場合もある、常駐性を伴っていく眩暈ということだった。
「ところで、一日にどれくらい眠れているんですか?」
「それが、よくわからんのです」
「数時間とか? まさか数分とか?」
「まったく眠れない日もあれば、気が付いたら、朝になってる日もあったりで・・・」
「これまでに、眩暈やフラつきを自覚したことはありますか?」
「ええ、こういう日常になってからは、何度も」
「そのときは、立っていられたのですか?」
「ええ、今回みたいに、倒れるまでではなかったです・・・」
「いま、かなり危険な状態です、ご自身でもお分かりですよね」
「まぁ・・・」
「いずれにせよ、人間の身体は旨く出来ているもので、これ以上活動が無理となると、あとは本人がどう頑張ろうがその時点でバッタリ倒れて否が応でも横たわるしかなくなるんです。いわば、強制的に自己休眠せざるをえなくなるんです。例えるなら電気のブレーカーみたいな働きですね。一定の負荷を超えるとバチンと落ちてしまい、原因も解決せずにただスイッチだけ入れ直しても、またバチンと落ちますよね。あれと同じ状態です。なので貴方も眩暈が収まるまでは、仕事に戻ろうなんて絶対に思わないでくださいね。もし戻ったら間違いなく、また倒れますから。考えて下さい、もし何らかの動作中だったり、階段を歩いている最中だったり、車の運転中だったりしたら、とんでもないことになりまよ」
「はぁ・・・」
「とにかく今のあなたは、ちょっと休んで直ぐに復活出来るなんていう、そんな生易しい状態では無くなっています。いいですか?今しっかり休んで、とことんこの症状から脱しない限り、一生このままですよ。一生、四六時中、眩暈の状態が固定され、眩暈のまま生きることになりますよ。そうなったら歩く事だって儘ならなくなるんですよ」
医師に、そう諭されもしたが、こんな状態ではもはや仕事どころではなかった。
寝ても立っても、頭が、視界が、足元の感覚が、グルグル、ふわふわと怪しいままなのである。
ただならぬ、単純ではない眩暈を、厄介な病気を、俺は誘発してしまったのだなと、容易に察しがついた。
病院の処置室で左腕の激痛に耐えながら、とうとうこんな事になってしまった、何でこんな目に遭わなければならないのだと、カーテンに狭く囲まれた天井を見詰めながら、ただ呆然とするしかなかった。
ならば、ではいったい、俺はこれまでどうすれば良かったのだろうか、どういう立ち回りを以ってして、これまでやってきたら良かったのだろうかと、後悔すらしようの無い遣り切れなさに、ただ縦横と呑まれて行くだけだった。
(いったい、何なんだよ・・・・・・)
その後、2つの病院による精密検査の結果、管理人の脳や三半規管に機質的要因は見当たらず、やはり眩暈の原因は、過度の疲労や睡眠不足を常態化させていたことに起因したメニエール病を発症したことによるものだと診断されるに至った。
さらには、この症状が進めば、外での社会生活どころか、簡単な日常生活そのものまでが困難となり、そうなったら専門の病院や施設に入って暮らすしかなくなるといった趣旨の説明も受けることになり愕然とする。
そして、とにかく今起きている眩暈が消えるまで、何もしないで「ただひたすら休め」と、口酸っぱく告げられる。
「社会的に終わった」と、このとき、はっきり自覚した。
いや、既に終わっていた物事に対し、未練がましく縋っていただけなのかも知れない。
「このままじゃ終わらない、終わらせられない」といった気概や希望、反骨を胸に、出来得る事の総てをギリギリまでやって来た筈だった。それは行動であり、開拓であり、折衝であり、多大な散財だったりもした。
だが、必ずしも結果がそれに繋がってゆくとは決まっていない。
むしろ繋がらない事のほうが多いのは知っており、人が生きる上で、そんなに晴れ間が多くないのも知っている。
普段は雨で、時々垣間見える晴れ間に対し、人は嬉々し、そこに何らかの希望や平安を抱くものだという事も知っている。
何事に於いても、いずれかになるのは十分承知してはいるものの、成し得る事と、成し得ない事が在るという揺るぎない現実を、そこで改めて知ることになる。
体力も、そして気力といったことも、やはり有限なのだと、改めて知ることになる。
あらゆるものは移ろいやすく不確かなのだと、何度も何度も反芻することになる。
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