2018年01月15日
闇の雄叫び 20 (追い討ち)
「・・・の件ですが、このまま進めて問題ないでしょうか?」
「・・・電話口で構わないのだが、ちょっと確認したいことがあってな」
「・・・ところで、いつごろから出社って可能ですか? いえいえいえ、決してその・・・」
「”様子見”でも構わないから、そろそろ顔出しくらい出来ないか?」
医者の言いつけを守ろうにも、結局のところサラリーマンとしての限界がある。
戻ったばかりの有給休暇をすり減らし、辛うじて出勤を試みたのは眩暈で寝付いてから一週間後のことだった。
決して本調子とは言えない体を引き摺り、何処となくぼんやりしたままの感覚を知りながらも、それでも業務に戻ってみることする。
しかしそこには本当の意味での居場所は既に無く、自身さえ、つい先日まで当たり前に出来ていた筈の業務が随分と覚束なくなっているのを知ることになる。
周囲はまるで映像の早回しを見るかのように目まぐるしく展開し、その活気ある流れの中で、ただ一人スローモーションでいるらしい自分に気付く。
だが、それにどう追いついたら良いものかとただ焦るだけとなり、それまで長年当たり前に出来ていたこと、そして指導してきた筈のことを試行錯誤しながら追いかけている自分に対し言い様のないもどかしさを覚え、余計に焦る。
いったいこれは、どうしたことだと。
しかし、いつまで藻掻こうが”勘”は戻らず、ただ疲労だけが堆積し、そんな焦るばかりの日々が一巡したところであることに気付くことになる。
それは、ただやっとの思いで”そこに居ただけ”の自分の姿というものだった。
(俺は、ポンコツになった・・・)
出勤を再開した以上、当然ながら戦力とみなされる。
社内の環境は戻った人材を織り込んでの体制が敷き直されることになる。
だが、その戦力に戻れぬまま、ただ日々だけが過ぎてゆく。
とにかく疲れ、次の瞬間コトリと意識を失いそうな感覚に常時陥る始末となり、午後にもなると、早打ちしている鼓動が聞こえるようになる。
息が苦しい。
大きく息を吸い込んでいる筈なのだが、酸素が薄い気がしてならない。
(ダメだ・・・ 倒れそうだ・・・)
不意に自分を呼ぶ声がして、意識が覚醒する。
書類を確認し、指示を与える。
また別の者の案件に対応し、そちらの様子を窺う。
あれこれ遣り取りし、解決する。
自分の業務に戻る。
再び意識が遠のいていくのを覚える。
(これで、働いていると言えるのか・・・?)
そんな日々が、ただ流れてゆく。
帰宅後は相変わらず父の雄叫びに振り回され、まともに眠れない夜というものが、以前と変わらぬ日常となっていた。
ある日のこと、普段あまり言葉を交わすことのなかった他部署の同僚が、すれ違い様に管理人を呼び止めこう言った。
「顔色・・・ ゾンビみたいだよ・・・ 帰ったほうがいいよ・・・」
自分でも、”やばい顔色”になってきていたのは自覚していたが、普段殆ど会話もしない人間に言われたとあっては、尚のことそれはこたえる事にもなった。
この頃からだろうか、周囲から「大丈夫ですか?」「今日は帰ったほうが良いのでは?」などと、まるで当然の挨拶かの如く言われるようになり、そろそろサラリーマンとしての潮時を知ることにもなる。
だが、ではどうやって暮らしてゆけば良いのかと、またもや永遠に答えの見つからない自問自答へ陥るだけとなり、結局のところ収入を絶やす訳にはいかないので、出勤だけは続けることになる。
完全に会社のお荷物になっていることを知りながら。
ある接待での酒席の最中、胸に激烈な痛みを覚え全身の動きを止められた。
例えるならその痛みは、筋肉痛のあの痛みが突然胸の中で起こったと言った方がよいだろうか。
それとも”こむら返り”が心臓で起きたとでも言おうか、いずれにしろ、人生で初めて覚えた冷たく激烈な胸の痛みに驚き、焦り、戸惑い、それでもそれを必死に堪えるしかなかったビジネスの場というものでもあった。
全身は、急に体温を奪われたような冷たい感覚だけが妙に際立ち、息は吐けるのだが、吸うのが異常に苦しかった。
きっとこれが心臓発作というやつなのだろうと直ぐにも気付いた。
(このままここで転がり、また大勢の皆に迷惑を掛けることになるのだろうか)
(下手すりゃ、このまま死ぬのだろうか)
(こんなところで、こんな場面で・・・)
(それにしても俺の人生は、あっという間にクソみたいになっちまったな・・・)
(クソ・・・ 畜生・・・ クソ・・・・・・)
誰かが歌うカラオケが聞こえ、周囲は賑やかな嬌声で沸いている。
そんな喧騒の中、酔って眠くなったフリをして、腕を組んで目を閉じ背を丸める。
組んだ腕の右の掌で、釘を打ち込まれたように激しく痛む左胸を鷲掴みにし、摩ったり、叩いてみたりする。
もういい加減、何もかもが嫌になった瞬間でもあった。
このまま俺が死ねば、保険金が入って父を認知症専門の有料老人ホームに入れられる。
そうすれば母は楽になるだろう。
そう思いながらも、痛む心臓をドンドンと叩き、必死で呼吸を整えていた。
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