2018年05月15日
地震の巻 第13帖
地上人が、限りなきほどの想念的段階をもち、各々の世界をつくり出しているごとく、霊界にも無限の段階があり、その各々に、同一想念を持つ霊人が住んでおり、常に弥栄しつつある。下級段階で正なりとし、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、愛なりと思う、その想念も上級霊界においては必ずしもそうではない。美も醜となり、愛も憎となり、善も真もそのままにして善となり、真と現われ得ない場合がある。其処に偉大にして、はかり知られざる弥栄の御神意がある。と同時に、+(真善)(真善美愛)(歓喜)(大歓喜)と現われる神秘なる弥栄があり、悪の存在、偽の必要性などが判明するのである。故に、下級霊人との交流は、地上人にとっても、霊人にとっても、極めて危険極まりないものではあるが、半面においては、極めて尊いものとなるのである。下級霊人自身が(善)なりと信じて行為することが、地上人には(悪)と現われることが多いのである。何故ならば、かかる下級霊と相通じ、感応し合う内的波調をもつ地上人は、それと同一線上にある空想家であり、極めて狭い世界のカラの中にしか住み得ぬ性を持ち、他の世界を知らないからである。それがため、感応してくる下級霊の感応を、全面的に信じ、唯一絶対の大神の御旨(みむね)なるがごとくに独断し、ついには、自身自らが神の代行者なり、と信ずるようになるからである。所謂(いわゆる)無き地獄をつくり出すからである。地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものを含む。奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであることを知らねばならない。かかる奇跡によりては、霊人も地上人も向上し得ない。浄化し、改心し得ないものである。また、霊人と地上人との交流によるのみでは向上し得ない。脅迫や、賞罰のみによっても向上し得ない。すべて戒律的の何ものによっても、霊人も地上人も何等の向上も弥栄も歓喜もあり得ない。半面、向上のごとくに見ゆる面があるとも、半面において同様の退歩が必然的に起こってくる。それは強いるが為である。神の歓喜には、強いることなく、戒律する何ものもあり得ない。戒律あるところ必ず影生じ、暗を生み出し、カスが残るものである。それは、大神の内流によって弥栄する世界ではなく、影の世界である。中心に座す太神のお言葉は、順を経て霊人に至り、地上人に伝えられるのであるが、それはまた霊界の文字となって伝えられる。霊界の文字は、主として直線的文字と曲線的文字の二つから成る。直線的なものは月の霊人が用い、曲線的な文字は、太陽の霊人が使用している。ただし、文字として、ほとんど数字のみが使用されている場合もある。数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである。しかしこれは不変なものではなく、地上人に近づくに従って漸次変化し、地上人の文字に似てくるのである。
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